「政治はクリエイティブな仕事」渋谷区議会唯一の20代議員・橋本侑樹に迫る

今回は特別企画として、アイドルグループ「仮面女子」の元メンバーで、現在は渋谷区議会唯一の20代議員として活躍する橋本 侑樹(はしもと・ゆき)さんにインタビュー。

高校生でアイドルデビューしたのち東京大学へ合格し、東大生アイドルとして活動しながらも勉学に励んでいた橋本さんは、10〜20代の人たちに対し「こうあるべき、に縛られない将来の選択をしてほしい」と言います。

何の後ろ盾もない状態から議員になった彼女が語る政治の面白さや議員としての活動、またそれまでの経緯は、これまで政治に興味を持っていなかった人や、将来の道に迷っていた人にヒントを与えてくれること間違いなしです。

 

アイドルを経て、理想の社会を作るために政治家の道へ

ー 今は渋谷区議会議員という肩書きを持つ橋本さんですが、これまでどのような道を歩んでこられたんでしょう?

私は小さい頃から歌を歌うのがすごく好きだったんです。小学生の頃には「歌を歌いたい」と、音楽の先生に掛け合って合唱団を作ってもらったほど。高校生のときには、NHKの東京児童合唱団のオーディションを受けて入団し、そこで歌を歌うようになりました。

高校3年生のときに合唱団を引退し、東京大学を受験することも決めていたんですが、音楽がすごく好きだったので物足りなくなってしまい、タレント事務所の門を叩くことにしたんです。そこで「東大受験生アイドル」としてデビューすることになりました。

一度は受験に失敗してすごく辛かったものの、一浪して合格。それからはステージにも立って毎日ライブ、毎日大学、という大学時代を送っていました。大学を卒業するとき、親からは就職するように言われていたんですが、私は芸能をやっていきたかったので、事務所から支給された衣装だけ持って家を出ることになったんです。

その頃来ていた仕事は「高学歴アイドル」としてのオファーが多くて。その仕事に向けた勉強はするものの、受け売りっぽいコメントしかできなかったんです。「これじゃあダメだ」と思い、自分で責任を持ってコメントできるタレントになるべく政治塾に通うようになりました。それが政治の最初の入り口だったかなと思います。

ー だけどそのときはまだ「政治家になるぞ」というスイッチは入っていなかったんですよね?

そうですね。絶対に私たちの世代も政治に参加したほうがいいんですけど、みんな「面倒くさいから」「よく分からないから」と参加しようとしない現状は、なんとかしなきゃなと思っていました。でもそれは自分が政治家になるというよりは、想いを伝えることで役立てればいいなという感覚だったんですね。

だけどあるとき、所属していたアイドルグループのメンバーの一人が事故に遭って、突然車椅子生活になったんですよ。昨日まで一緒に踊っていたのに、もう一生歩けないと聞いたときは、本当にショックで。私は「彼女はグループを辞めるんだろう」と思っていたけど、その子は「辞めない」と言って、4ヶ月間のリハビリ生活を経て、車椅子に乗りながらステージ上でパフォーマンスできるまでに復活。

ー すごいメンタルですね。

今でも忘れられないのが、初めてお見舞いで病室に入ったときのこと。彼女はすごく普通で明るくて、今までと全然変わらない様子だったんです。私も気を遣うことなく接することができて、「障害を持っている人と接している」という壁を感じない空気感を味わいました。

そのとき、「障害やハードルを持つ人と接することは難しくないんだ」と学んだんです。この体験は社会全体に浸透して欲しいなと思ったし、自分の持っているハードルを理由にやりたいことを諦めてしまう人の壁をなくしていくお手伝いをしたいなって思ったんです。

そんな社会を作るキーパーソンとして、政治家というのは大きいなと考えました。今までは「当事者として政治に参加するべきだ」と同世代向けに言っていたわけですが、それならまず自分が率先すべきじゃないかな、と。さまざまなことが繋がって、「政治家になってみようかな」と思ったんです。

 

好奇心に従って議員への立候補を決意

ー 渋谷区議会議員に立候補しようと決めたのは、どんなトリガーがあってのことだったんでしょうか?

当時、音喜多駿議員の政治塾に通っていて、そこで議員の候補者を募集していることを知ったのが直接的なトリガーです。政治塾では「自分が『この問題なんとかしたい』と思ったときに、次の日からできることがあるというのが政治家の良さだよ」という話を聞いたんですよ。「なんとかならないかな」というレベルに止まらなくていいし、「何もしてあげられることがない」と思っていただけの状態から抜けられるのは魅力的だなと思いました。

特に、地方自治体って国会議員よりも人数が少ない分、フットワークが軽いんですよね。そして一つの自治体がやったことを他の自治体が真似してくれることもある。ボトムアップで社会を変えていくというやり方が、合理的だなと思いました。

なおかつ渋谷って、若い人がいっぱい集まるし企業もたくさんあるし、いろんなカルチャーが生まれている。影響力としても申し分ないなと思い、タイミングもよかったので渋谷区議会で出馬することを決めました。

ー 政治にチャレンジしようと思ったのは、いつくらいですか?

2018年の夏ですね。事務所の社長にも「選挙出たいので辞めます」と伝え、2019年の3月に卒業ライブをして3月31日で辞めて4月1日からは選挙活動に集中することにしました。でも、先輩議員から「最低半年は政治活動しないと当選しない」と言われていたので、このままじゃ時間が全然足りない、と焦りましたね。

そこで、2018年12月の生誕ライブでグループの卒業発表と政界進出表明をして、翌朝からは駅前で街頭演説をし、夜はライブをするという日々になったんです。

ー 即断即決というか、決めてからの動きがすごく早いですよね。

「やってみたらどうなるだろう」という好奇心が強すぎるんです。社会経験がないことは自覚していたんですが、全く違う世界に行くことはワクワクしていました。だから「政治家になりたくて仕方がない」というよりは、「やってみてどうなるか実験してみたい」という気持ちが大きいんですよ。

ずっと政治家でいたいというよりは、4年ある任期の中で自分のベストを尽くしてどれだけ社会を変えられるか見てみたい。もし4年でもっとやりたいことが見つかったら続けていきたいし、自分以外の人に席を譲ったほうがもっと広がると思ったなら辞める……という気持ちでいます。

ー なるほど。政界進出表明から選挙までは、どんなことをしていたんですか?

朝の演説以外にも、地域のお祭りやイベントを調べて顔を出しました。地域の人たちの顔を見たり、地域がどういう仕組みで回っているのか理解しようと思って。これまでは住んでいても素通りしていたようなあらゆる場所に、どんどん入っていくようにしました。

また、保育園児のママを集めて困りごとをヒヤリングしたり、同世代の友達にもさまざまな意見を聞いたりしましたね。それらの意見を考慮してマニフェストを作ったんです。チラシのポスティングのボランティアを募って、数ヶ月かけてみんなでポスティングして回ったりもしていました。

ー 地道に足を運んで活動していたんですね。競争の激しい渋谷区で勝つための、橋本さん流の戦略ってあったんですか?

とりあえず「嫌われてもいいから目立て」と思っていました。嫌われるのは怖かったし、人に不快な思いをさせるのもすごく嫌だったんですけど、「記憶に残らないより目立ったほうがいいよ」と友人に言われて。そうでもしないとスタートラインにすら立てないんですよね。

現職の人は今までの実績で評価してもらえるけど、新人の場合は自分の素質を信じてもらうしかないわけじゃないですか。その中で、若さゆえの柔軟さや思想に偏りがないこと、勉強する体力があることや女性目線に立てることなど、自分が役に立てることアピールしていきました。

ー 選挙活動をやっている途中、大変だったことや衝撃的だった出来事はありました?

選挙が始まる前は、一人で駅に立っていて孤独を感じていたんですけど、一週間の選挙期間中はボランティアの方が一緒に立ってくれるので、辛いということはありませんでした。「これだけの人が応援してくれているのだから最後まで笑顔を絶やさずに頑張ろう」と、辛い顔を見せないとか、手伝ってくれている人に嫌な思いをさせないよう意識していましたね。

選挙活動中はみんな「やったもん勝ち精神」なので、押し負けると終わるということを実感しました。演説の場所も、はじめの頃はバッティングすることがなかったんですが、選挙期間中は多くの人がいい場所を取りたがるんですよ。みんな必死で、場所取りが地獄絵図みたいでしたね(笑)

一番のハプニングは、声帯にポリープができて声が出せない日があったことです。病院に行って薬をもらっていたものの、声を出さずニコニコしているしかできなくて、それがじれったかったです。

ー 選挙当日はドキドキだったと思います。当確が出た瞬間、どんな感じだったんでしょうか?

その日は余裕がなくてナーバスになっていましたし、記者の方もたくさん来て待っていてくれたので、気が気じゃなかったですね。当選が分かったときは、ホッとしたのと嬉しいのと、予想以上の票に対する責任感とが合わさって「ビリビリ!」という感じでした。単純な「やった」という気持ちではなかったです。

 

橋本侑樹議員にとって政治は「クリエイティブな仕事」

ー 2019年5月1日から議員としての活動をスタートされたわけですが、実際に議員になってみてどうですか?

最初は会派(議会の中の派閥)を組むところから始まるんですけど、入った先で先輩議員を質問攻めにしてしまって「勘弁してくれ」と打ち切られるくらい、気になることだらけでした。

ただ、少年野球の始球式に出るという政務に私服で参加してしまって怒られたり、気になることを事務局通さず直接担当の人に質問していたら「勝手に動くな」と叱られたり。メディアの人を呼んではいけないところに呼んでしまって怒られたこともあります。

ー 新米議員だから分からないことだらけですよね。今は区議会議員としてどんなことをされているんですか?

委員会として審議をするという仕事があるので、区民の人が分かるようにその審議を議事録に起こしています。また全員参加の議会では、「代表質問」という自分の聞きたいことや提案したいことなどなんでも言える機会があるんです。だいたい年に一度順番が回ってくるので、それに向けて日々思っていることやいろんな人から聞いたことなどをぶつける準備をしています。

もちろん突然質問するのではなく、担当の課に話を聞いたりいろんな人と打ち合わせをして調整しながら提案を作っていきます。それが議員として、やっていて楽しいことですし、クリエイティブな仕事だなと思うんですよね。私は今回、35項目くらい質問しました。

ー 35項目も!代表質問に対する反応はどうでした?

他の先輩議員の方から「立派だった」って言ってもらえました。もともと、質問したいことを先輩に添削してもらって内容を調整するんですけど、「この段階でこんなクオリティで持ってくる新人はいない」と褒めてもらえたんですよ。質問にはその場で応答があって、答えが「YES」だったものは、すぐに動き出します。

ー そう考えると、政治ってすごくクリエイティブな仕事ですね。

そうなんですよ。国レベルでやるような大きなことじゃないけど、小さなストレス解消が全体を動かしていくことにも繋がるんです。こういった小さな積み重ねで社会を変えていけるのがいいなと思います。

政治家がやっているのは、遊び場作りみたいな感じなんですよ。社会を公園に例えるなら、政治家はそこに遊具やベンチを置いたりする役割。公園に入っていく人たちがどんな遊びをするかは分からないけど、必要なものを置いたり邪魔なものを排除したりしていくことを決める。政治の役割はそういうことかなと思っています。

ー 議員1年目で、自分の発言によって生活が変わっていく様子を目の当たりにしてどう感じられますか?

忖度しないで要望を言える人が増えるほどいいなと思っています。その要望が良くなければ却下されるだけなので、とにかく「言う」のが大事。何の後ろ盾もない私にもできるわけだから、共感を呼ぶような行政の姿を提言できるような人が渋谷区議会に限らずもっと増えればいいな、って。

議員勉強会などもあるんですけど、それって結局議員同士の頭の中の交換で終わってるんですよ。だから、実際にそこで暮らす人々の声を聞いて「こうしたらいいかもね」と考えるような議員が増えてほしいです。

ー ビジネスの世界でも「会社の中にこもってあれこれ議論しているよりオフィスから出てユーザーに話を聞くのが大事」だと言われるんですけど、政治家も同じなんですね。20代の議員を増やしたり、若い人が政治の世界に飛び込んでくるのを増やしたいという想いはありますか?

それはありますね。長く議員をやり続けて流れを知っている人も重要だし、入れ替わってどんどん意見を言っていく人がいてもいいと思っていて、そこに参加する人が増えるといいなと。そしたら政治を身近に感じられて、意見も言いやすくなると思うので。

ー 最後に、残りの任期でこれから挑戦したいことや、やっていきたいことがあれば教えてください。

もうちょっといろんな区民の人たちと意見交換できる機会を持ちたいですね。今私が意見を聞いているのはまだ一部の人なので、私自身、もっといろんな人が話をしてくれるような政治家になりたい。そうすればいろんなアイデアが浮かぶだろうなと思います。あとは、渋谷の街を綺麗にしたいという思いがあるので、安全で綺麗な街づくりのために頑張りたいです。

 

(取材:西村創一朗、写真/デザイン:矢野拓実、文:ユキガオ)