「人生最期をイメージして見える在り方」作業療法士×フォトグラファー 條晋太朗

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第847回目となる今回は、作業療法士×フォトフラファーとして人生の最期を後悔なく迎えられるようにと活動されている、條 晋太朗(じょう・しんたろう)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

作業療法士としての強いポリシーを持ち、人生最期の在り方について話してくださった條さん。U29世代にとっても自分が望む在り方を考えるきっかけになると思います。

孤独さをサポートできる作業療法士になりたい

ー作業療法士とフォトグラファーとしてマルチに活動されている條さん。個人的には、そんなユニークな働き方をされている方に出会ったことがないのですが、詳しい仕事内容について教えていただけますか?

僕は今、広島県の鞆の浦という地域を拠点に作業療法士とフォトグラファーとして活動しています。介護福祉のグループホームと呼ばれる事業所で作業療法士として勤めながら、利用者さんの日常写真を撮るといった仕事内容です。

個人事業としてもさまざまな介護福祉の現場やイベントに出張し、写真撮影をしています。別のプロジェクトとして、山梨県でユニバーサルデザインを導入した一棟貸のアウトドア宿を作る活動や、リハノワというリハビリテーションの情報に特化したウェブメディアの専属カメラマンとしても働いています。

ーありがとうございます。では、なぜ現在のような働き方を選んだのかそのターニングポイントとして子どもの頃のお話をお伺いしたいと思います。

僕が現在の仕事を選んだ理由には、学生時代の孤独な心理的影響があります。家族や友達が居ても、どこか自分は受け入れられていないと感じ、心に穴が空いたような日々を過ごしていました。

というのも、周囲の抑圧を感じており、主体性のない生活を送っていました。「自分の想いを表現してはいけない」と心を閉ざし、ありのままの自分を安心して表現できない孤独な日々を過ごしていました。そのため、周囲に対し不満が多く、口を開けば誰かの愚痴を言ってしまうような性格でした。

ーそれは、しんどい時期が続いていましたね。

はい。作業療法士として働くようになった1、2年目のころが最も辛かった時期で、うつ病の一歩手前まで落ち込んでしまいました。そのとき「ネガティブな思考回路を続けていては自分自身がしんどく、人生を後悔してしまう。よし、思考回路を変えよう」と思うようになりました。

思えば25年間で構成された思考回路を意図的に変えるので、とにかく必死でしたが日々の感情を内省する時間を作り、ポジティブに変換するクセを作ることで少しずつ明るい自分に変化しつつあります。

ー相当な努力だったと思います。では、先ほどご自分の孤独だった心理状況が今の活動内容につながったとのことでしたが、詳しく教えていただけますか。

そもそもそんな孤独な気持ちで生活してきた僕が、なぜ作業療法士を志したかというと、高校生のときに自分のおばあちゃんが認知症になったことがきっかけです。

僕はおばあちゃんが認知症になったとき、その様子を見て、「何か伝えたいことはあるけど、うまく表出できなくて周りに誤解を生んでしまっているのではないか、その積み重ねが心理的・社会的にも孤独な状況になっているのでは?」と思いました。

「僕と一緒なんや」と自分の気持ちと重ね合わせ、認知症の人が心理的に孤独にならないようサポートできる作業療法士になろうと思いました。

リハビリテーション、作業療法士の仕事の本質を求めて

ーでは具体的に作業療法士の仕事内容について教えていただけますか?

作業療法士は、病院や施設などに所属し利用者さんのリハビリテーションを担当します。リハビリテーションという言葉は「その人らしさを取り戻す」という意味があり、作業療法士は、端的にいえば「生きがい支援」をする職種だと考えています。

その人がどのような人生を歩んできたのか、価値観や社会背景などの全体像を把握したうえで、今後の生活や在りたい姿に向かってアプローチしていくのです。日常生活を改善するために、心や身体のケア、そして物理的な環境の援助などいろいろな角度からその人と一緒に歩んでいく仕事といえますね。

ーリハビリテーションとは、身体へのアプローチにとどまらず日常生活全てに携わるのですね。

そうですね。身体へのアプローチはもちろん大切ですが、それだけで生活が成り立っているわけではないので。作業療法士はリハビリテーションのなかでも日常生活や活動・人との関わりを通して、在りたい自分に近づけるために関わっています。

例えば、トイレや食事の動作、仕事や趣味活動とアプローチする範囲は多岐にわたり、一人ひとりにオーダーメイドに支援していく仕事といえますね。

ー條さんが作業療法士として強いポリシーを持って働かれていることがよくわかりました。しかし、現在29歳で病院や施設などの転職経験が多い印象なのですが、そのポリシーと何か関係があるのでしょうか。

はい。僕は最初、新卒者の多くが選択するのと同じように病院に就職し、病気やケガで入院した患者さんが家に帰れるようにアプローチする現場で働きました。ただ、このときの僕はどこかもやもやした気持ちで働いていたのです。

というのも、作業療法士として生きがいを支援し、その方のなりたい姿に近づけたいと思っていたのですが、病院では入院期間や保険などの制限がかかるので、退院に向けて優先されるのは身体の回復です。

病院の方針に従い働いていましたが、僕が思う作業療法士の本質とは違うなと思うようになりました。また、病院にいる患者さんはどこか生活が制限されていて、主体性がないと感じたのです。

例えば、認知症の状態である方が危ない行動をしないように、医療介護者が行動を制限してしまうケースが多く見られます。しかし、行動制限が一つの原因となって認知症の症状が進行してしまうとわかっており、とても悪循環なんですよね。リハビリテーションの本来の意味を考えたらおかしいよなと思いました。

そんな違和感をきっかけに地元徳島の病院を退職し、作業療法士の本質に沿った現場を求め、大阪の介護施設や訪問看護サービスの事業所に転職したり、自分で任意団体を立ち上げたりもしました。

ーなるほど。リハビリテーションの本質を追求しようと転職を繰り返されたのですね。