人生をおもしろくするために必要なこととは。フードコーナー代表・角田憲吾に聞く人生の考え方

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第804回目となる今回は、株式会社フードコーナー代表取締役社長・角田 憲吾(つのだ・けんご)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

食品会社を経営する父の姿に影響を受け、クラフトカレーの事業を立ち上げた角田さん。理想と現実のギャップに苦しみながらも、前向きに進み続けている角田さんの考え方を語っていただきました。

多国籍国家のオーストラリアで、コミュニケーションをとる上でも食事は大切だと学ぶ 

ーまずは簡単に自己紹介をお願いします。

株式会社フードコーナー代表取締役社長の角田 憲吾(つのだ・けんご)と申します。事業内容としましては、無添加のカレールーのオンラインでの販売と飲食店事業を行っております。

ー早速ですが、ここからは角田さんの転機をお伺いしていきます。最初の転機は、大学時代のオーストラリア留学とお伺いしました。

英語力を伸ばしたい、海外で働く人たちの話を聞きたい・仲良くなりたいという思いで留学を決意しました。というのも、海外で働けるということは、ある程度の能力を持つ人たちだと考えたからです。

もともと起業したいと思っていましたが、まずはサラリーマンを経験してから起業しようというプランを持っていて、海外で働く能力の高い人たちに話を聞いてから、就職や今後のことについて考えようと思いました。

ー起業したいと思ったきっかけと英語を学びたいと思ったきっかけを教えてください。

起業したいと思ったのは、祖父が起業した会社を継いだ父の姿を、小さい頃から見ていたからです。小さい頃から父の姿しか見ていなかったため、社長として働く以外のイメージが持てなくて。自分の中では起業するのが当たり前だと思っていました。

英語を学びたいと思ったのは、大学卒業までに何か身につけたいと考えたとき、苦手だった英語を学びたいと思ったからです。オーストラリアに行くまでにも、長期休みに短期留学や海外旅行を何回もして。そのためにバイトをして、お金を貯めていました。

ー留学して考え方や価値観の変化はありましたか?

オーストラリア留学では食に興味を持ちました。多国籍国家のオーストラリアでは、食文化や有名な料理が特にありませんでした。そのため、オーストラリアの食文化というより、現地の人たちが食事にかける時間に興味を持ちました。

例えば、土日の朝からカフェでご飯を食べる文化的なものがあって。当たり前に2・3時間カフェで過ごすんですよ。それも、作業をしているわけではなく、話しているだけなんです(笑)。

私にとって衝撃的なことでしたが、食事の時間を大切にしているのだと感じました。日本ではあまり感じられなかった、食事の時間を大切にする文化に触れ、食事を通してコミュニケーションをとることを含めて「食事」なんだと思いました。

食事を大切なものにするために、兄と試行錯誤の日々

ーその後、大学を卒業し、就職されたのですね。

当時はIT企業を立ち上げる人が多かったため、起業するなら周りと同じようにIT系の会社を立ち上げたいと思い、IT系の会社に入りました。ITの知識を身につければ父の会社にも多少役に立てるのではないかという気持ちも少しあって。

仕事内容としては、新規事業が立ち上がり、新しい顧客獲得をすることになりました。社内に営業経験のある人がいなかったため、外部の人から学んだり、アポに対してどれだけ返信が来て商談まで至ったのかを数値化したりしました。

結果的に大きな案件も取れるようになってきて。ただ、私の担当していた営業は仕組み化すれば誰でもできるもので、もう1年同じことを繰り返すのはモチベーションが上がらないと思いました。そこで、1年でIT系の会社を辞め、起業しようと考えたのです。

ーITの会社を辞めて、起業する前に別の会社に入社したそうですね。

起業しようか悩んでいるときに、現在の会社の顧問をしていただいているシリアルアントレプレナーの方とお話しさせていただく機会がありました。当時考えていた事業案を話すと「おもしろいけど、後ろ盾がない状態だと難しそうなビジネスだから、社内ベンチャーとして働きながら経営を学ぶのもありなんじゃない?」と提案してくださって。

紹介していただいた会社に入社し、経営企画室を作っていただいて、社長の近くで働かせてもらいました。その中で人事の役割を担ったり評価制度を作ったり、新規事業の立ち上げやそれに伴う資金調達の動きをしたり、貴重な経験をさせていただいて。2社目での経験から、経営のイメージが明確になっていきました。

ーアントレプレナーの方に言われて印象に残った言葉があるとか。

「“最低”も考えておこう」と言われたのが、今でも心に残っています。誰しも、うまくいったときの“最高”を考えてしまいがちですが、“最低”なことを考えたときに失うものはお金くらいだと気づいて。

もし最低の結果になった先が自分の望む人生ではなかったとしても、生きてはいけるなと。そこでまたお金を貯めて、もう一度挑戦すればいいと思っています。

ー食品の会社を立ち上げるきっかけとなるできごとはありましたか?

2社目の会社に入社してから、IT系の事業案を作っては、社長に壁打ちしていただいていたのですが「IT系のサービスを角田くんがやる意味って何だろう?」と言われて。たしかに自分のエゴでしかないと思い、事業案を考え直しました。

当時は兄と2人暮らしをしていたのですが、お互い忙しく、コンビニのご飯で食事を済ませるような毎日でした。実家から送られてくるカレーを一緒に食べているときに、実家が食品会社なのに、自分たちが1番食事を大切にできていないと気づきました。そこで初めて、食の会社をしようと思ったのです。

それからは食事を大切にするためのビジネスをしたいという思いで兄と話し合いを重ね、思い描いたサービスを実現させようと動き始めました。

ー現在販売しているクラフトカレーは、お父様の会社のカレーが元になったそうですね。

父の会社で作っていたカレーがありましたが、大々的には売っていませんでした。というのも、父の会社は食品素材メーカーという側面とOEMで商品製造の受託をする会社だったからです。

食品素材メーカーは主に原材料となるものを作る会社で、表立ったビジネスはほとんどしません。また、OEMで製造しているお客様の商品と競合になるものを自社商品として販売することは、取引上印象が良くないためできませんでした。

父の会社でできないのであれば、自分たちで会社を起こし、新しいカレーブランドにして販売しようと考えました。カレーを別ブランドとして別の会社が売る形にしようとなって美味しくて体にもいいカレーを世に広めたいとスタートしました。

カレーの事業がなくても父の会社はうまくいっていたため、父は乗り気ではありませんでした。1年以上かけて父に思いを伝え続け、了承を得ることができました。