後悔なく生きるために。125BASE代表・木村亮太が語る、自分軸で選択する大切さ

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第811回目となる今回は、125BASE代表・木村 亮太(きむら・りょうた)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

新潟県内で、農作業の省力化や効率化に取り組む個人事業を運営している木村さん。他人軸で選択してきた過去から、自分軸を持つようになるまでの道のりや考え方をお伺いしました。

新潟から上京。不安を解消するように行動した大学時代

ーまずは簡単に自己紹介をお願いいたします。

木村 亮太(きむら・りょうた)です。新潟県内で、農業の抱える課題を解決するための「125BASE(イツコベース)」を個人事業として運営しています。

農業用ドローンを用いて除草剤を広範囲に撒いたり、もともと手作業で行っていたものを自動化したりして、省力化を目指す活動をしています。

ー現在は新潟で活動されていますが、神奈川の大学へ進学したそうですね。当時の上京したきっかけを教えてください。

進路指導の先生のアドバイスがきっかけです。高校3年生のときは、大学への進学をまったく考えていませんでした。自動車が好きだったので、自動車整備士になりたいと思い自動車専門学校に行こうと思っていたんです。

ただ、将来に漠然とした夢を持つ中、進路指導の先生に相談をしたら大学進学を薦められて。

もともと大学進学を希望していたわけではありませんが、先生の助言があり神奈川の大学への進学を決意しました。

ー大学時代はどのように過ごされていましたか?

知り合いを増やしたいと思い、1年生の後半から4年生にかけてボランティアサークルで活動していました。友人がサークルに入っていましたし、いろいろな人と関わりたいと思っていたからです。

また、学生団体の立ち上げに関わった経験もあります。経済学部に在籍していたので、事業の立案を実地で学べる環境作りがしたいと思い活動していました。

学生団体では「企業と協力して面白いことをしよう」をコンセプトに掲げ、居酒屋とコラボして地域の食材を使用した宴会や出店などのイベントを企画してましたね。

ー学生団体の立ち上げを経験された木村さんですが、以前から何かを生み出すのが好きでしたか?

そうですね。中学と高校時代に生徒会や学級委員をしたときに、0から何かを生み出すような活動をしたことはありました。

でも、大学時代に学生団体を立ち上げたときは大学進学の不安が大きかったので、不安を解消するために自分から動いていたのかもしれません。

ー大学入学当時、どのような不安を感じていましたか?

友達作りや授業に不安を感じていました。これまではずっと新潟にいたので友達作りに苦労はしませんでしたが、県外に出て友達が0人の状態からのスタートで。1人だったらどうしようと感じていました。

大学の授業もついていけるのかな、と頭の中で想像しては不安を抱いていましたね。

ー友達作りの不安はすぐに解消されましたか?

はい。SNSを活用して自分から友達を見つけにいきました。Twitterで大学名のハッシュタグをつけて投稿している人を見つけて、声をかけてご飯に誘っていましたね。今では当時の自分の行動に驚きますが、どうにかして不安を打ち消したかったんだと思います。

就職後に挫折を経験。他人軸で選択してきたことに気づく

ー大学時代に様々な活動をされていた木村さんですが、大学卒業後の就職で挫折を経験されたそうですね。当時の状況を教えてください。

大学卒業までは比較的順調に過ごしていましたが、就職してはじめて挫折を味わいました。

卒業するまでは就職も決まり、社会人として働くのが楽しみでした。でも、実際に社会人になると、自分の理想とかけ離れている生活にギャップを感じてしまって。このままやっていけるのかと考えながら退職をしたので、当時は本当にどん底でしたね。

ー大学時代はどのような意識で就職活動をしていましたか?

行きたい会社が特になく、最終的には新潟に戻ろうと考えていました。そのとき、ゼミの先生に「関東に来たんだからこっちで就職しなよ」と言われて。

結果的に、関東の名の知れた企業で警備の仕事に携わっていました。関東の大企業で働けば周りからよい評判が得られるし、親孝行にもなるだろうという基準で就職先を選んでしまいました。

ー関東で就職をして、 どのようなギャップを感じましたか?

社会人になれば華々しい生活が送れると思っていました。仕事をバリバリとこなして、仕事が終わったら飲みに行くような憧れを抱いていたのですが、実際はそんなことなくて。

どうしてもそのギャップに耐えきれなかったです。自分の思い描く理想像には全然近づけないし、このまま働き続けたときに自分はどうなるのだろうと感じていました。

ー気分が落ちているときは、なかなか仕事にやる気や結果が出ないと思います。木村さんは自分のメンタルをコントロールできるタイプですか?

自分ではコントロールができるほうだと思います。考えすぎると落ち込みやすいので、山や海などの自然を眺めに行ってリフレッシュします。大学時代からバイクが好きでよく乗っていたので、自然の中をツーリングしたり、紅葉を楽しんだりしていました。

周りからいろいろな情報が入ってくる場所にいるとなかなか休めなくて。何も考えない時間を設けるとかなりスッキリして、気づいたら12時間ほど経っていることもありますね(笑)。

ー就職先でギャップを感じる中、退職に踏み切れた要因はなんですか?

1番の大きな要因は、家族の後押しです。私は学生時代から自然の中をツーリングしたり田園風景をよく見たりしていたので「どんな形であれ、いつかは農業に携わりたい」と思っていました。

家族に相談をしたときに「やりたいことをやったらいい」と支えてくれたのが、大きなきっかけです。

2つめの要因は、新型コロナウイルスです。私が就職した当時はちょうどコロナが蔓延していた時期でした。当時は地元の新潟にいつ戻れるかわからないと感じていたので、退職に拍車がかかりましたね。

ー就職先を半年で退職された後、アルバイトをしていたそうですね。どのような心境でしたか?

不安がかなり募っていた時期でした。同級生は普通に働いていたので、言いようもない劣等感や不安を抱いていましたね。

正社員とアルバイトでは、雇用やお金の面で差があるように感じますよね。正社員として働いている人たちがキラキラして見えて、羨ましく思っていたんです。自分は何やっているのだろうとかなり悩んでました。

ー不安やつらい状況を乗り越えるために、自分の中で大切にしていた考え方はありますか?

「今度こそ目先の利益だけじゃなくて、自分のやりたいことをやろう」と考えていました。今はやりたいことを見つけるためのステップでしかないから、少しだけ耐えようと思うことでその時期を乗り越えましたね。

それまでの人生、大事な局面を自分で決めていなかったと気づいたんです。例えば、大学進学や就職先を決めるときなど、ほとんど周りの意見を鵜呑みにしてきて。葛藤した期間は、自分自身を振り返るよい機会になりました。