社会人生活が始めるも、生き方に苦しむ
ー社会人生活が始まった24歳の出来事を次の転機にあげられています。当時の状況を教えてください。
入社とコロナ、新しいことが同時に2つやってきました。環境の変化をネガティブに捉えてしまい、ストレスで精神面と身体面の両方が疲労してしまいました。
仕事の面でも想像していなかった仕事内容や、一気に多くの方々とコミュニケーションを取らなければならないストレスからメニエール病を患ったのです。
外出も制限されたうえに体重が10Kg減り、好きなダンスからも遠ざかったことで元気がなくなってしまいました。
ーコロナによって制限があるなか、当時の守矢さんには負担がかかっていたのですね。
社会人1年目だったこともあり「ちゃんとしなきゃ」と思い込んで、自分に負荷をかけてしまっていたのかもしれません。
出社もほとんどありませんでしたし、誰かに相談することもできなかったです。オンラインで同期とオンラインで話すことはあっても直接会うことはなかったですね。
コロナ禍でなければ変わっていたのかもしれないのですが、当時は誰にも精神的な辛さを共有できていませんでした。
ー国際交流プログラムとのとの関わりはこの時期はあったのでしょうか。
プロジェクト自体はあったのですが、私自身が社会人として間もなく忙しくなったこともあり、時間を作ることができませんでした。どうしたら立ち直れるか、模索していましたね。
好きなことへの気付きと広がったつながり
ー1年ほど経ち、新たな転機が守矢さんの中であったのですね。
コロナが蔓延して1年が経過した頃、現状を変えたいと思うようになりました。「人生、山あり谷ありだな」と客観的に考えることができはじめた時期でもあり、活発に動きたいという思いが強くなっていました。
そのきっかけとなったのがSNSで写真を見ているときに、ペットショップにいる子犬の母親の姿を見たことです。体中に糞尿がまとわりつき身動きも取れない、爪が伸びすぎて肉球に食い込んでしまうといった状態でした。
あまりにも衝撃的だったこともあり、そこから日本の生体販売事情や動物愛護について調べることにしました。現状を自分の目で確かめたいという思いで保護ボランティア活動に参加しました。
ーペットショップや保護犬活動に社会課題を感じられたのですね。
そうですね。
社会人となり、もちろん会社という場所も自分の生活には欠かせない場所です。しかし私は自分のやりたいことに向かって歩んでいきたいと強く思っていました。結果として、保護犬猫のボランティア活動に参加するようになったのです。
ペットの社会課題を共通の話題に会社でのつながりを持ったり、社内のボランティア団体とも関わりを持ったりと、行動したことで多くの出会いがありました。
最初はコロナのせいで人とのつながりが持てないと思っていましたが、現状を変えたいという思いからさまざな場所へ行くようになったことでつながりが広がっていきました。
ー守矢さんはそれ以外にもエシカルジュエリーの販売もされているのですよね?
「NO WAR FACTORY」というベトナム戦争で投下された地雷などを材料に使っているブランドがあります。
元々はイタリアのブランドですが、ジュエリーに込められた平和への想いに共感し、もっと日本にも広めたいと思い、販売を始めました。
ジュエリー制作しているのがラオスの村の職人なのですが、偶然にもその方達が留学先の友人と同じモン族であったこともあり、運命を感じました。
ジュエリーの販売では、マーケティングに携わっています。今の会社での業務では学べないスキルや経験を積むことができており、自分のスキルアップに繋げたいと思っています。