1度きりの人生、悔いなく過ごそう!起業家・鈴木春加にとっての幸せとは

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第983回目となる今回は、起業家の鈴木 春加(スズキ ハルカ/ちゃんはる)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

広告営業やWebマーケティングの知見を生かし、国内企業のマーケティング支援を行う企業を立ち上げた鈴木さん。幼少期や学生時代のエピソード、これまでのキャリア、U-29世代へのメッセージなどをお話していただきました。

今も昔も目立ちたがり。人に影響を与えたい!

ー簡単に自己紹介をお願いいたします。

鈴木春加です。起業家として活動しています!ニックネームは「ちゃんはる」です。

ーまずは幼少期のエピソードから教えていただけますか?

幼少期は創意工夫が得意で、すごく目立ちたがりな子どもでしたね。遊ぶときも、おままごとやパレードを企画して、弟や友達に役割を振って……まるで仕事のような企画・進行管理をしてたよね、と親に言われます(笑)。

小学校では、学芸会などの目立てる場面が大好きで。目立てそうな場では常に「やりたい!」と張り切って手を挙げていました。

10歳くらいで、私にとって衝撃的な出来事があり、それまでよりも物事についてよく考えるようになった気がします。

ー何があったのでしょうか?

親戚がガンで亡くなるのに立ち会って。あまり近しい親戚ではなかったものの、人の死に直面したのは初めてで、とても大きなショックを受けました。いつか人は死ぬ、という事実を初めて目の当たりにして。その頃から死生観について考えることが多くなりました

もうひとつ、ターニングポイントになったのは中3の頃。突然、体調を崩してしまったんです。

中高一貫校に入学したので、高校受験もなく中だるみをしていました。この頃は漠然と医学部を志していたのですが、先生から「上位10位くらいにならないと、うちの学校から医学部は難しいよ」と釘をさされたのがきっかけとなり、気づけば朝から夜中まで勉強するようになりました。

当時を思い返すと、過集中になっていたのでしょうね。成績は一気に挽回できた一方で、徐々に体がおかしくなってしまって。起立性調節障害という自律神経系の病気との診断を受けました。急な体の成長に自律神経の発達が追いつかないことなどが要因のようですが、自分のキャパシティが分かっていなかったのもあるかもしれません。

ー起立性調節障害ですか……。

あまり知名度が高くない病気ですよね。朝起きられなかったり、すぐに疲れてしまったりと、一見ただ怠けているようにも見えてしまう病気です。私は幸い、保健室の先生がたまたま詳しい方で、「一度大きい病院で診てもらった方がいいよ」と勧めてもらえました。

親からも周囲からもなかなか理解されにくい病ですが、もしも朝起きられなかったり、思うように体が動かず苦しんでいる学生さんがいたら、病院に行って正しく治療されるとよいと思います。

大学病院を受診しながら、学校にも少しずつ行けるようになり、病気への対処方法もだんだんと身についていきました。当時は1年のほとんど不調を抱えていたので、今こうして毎日を元気に活動できていることが、本当に有難いなと感じます。

ー病気を抱えながら高校に通っていたということですよね。

そうですね。体の調子を見ながら、無理のない範囲で通っていました。ただ、行事はやっぱり好きだったので、ダンスをしたり出し物を企画したりと、とにかく張り切っていましたね。もしかしたら周囲からは「こいつ行事の時は元気だな?」と反感を買っていたかもしれないですが(笑)、普段みんなのように動けない悔しさから、自分ができることはどうしてもやりたくて。

劇やダンスパフォーマンスの企画をして、誰に役割を振るかを考えたり、文化祭本番までの期間でどう進めるかの進行管理をしたりと、準備期間も本番も楽しかったですね。

私は昔から、人から注目されればされるほど、テンションが上がる性格なんです。「発信したい」「人に影響を与えたい」という想いは、この頃からすでにあったのかもしれません。

自分の直感をひたすら信じ、進路を決めてきた

ー大学はどうやって決めたのでしょうか?

緑豊かで国際的な校風のICU(国際基督教大学)に惹かれ、入学を決めました。とにかく個性豊かでそれぞれに「自分」を持った学生が集まっている点が、私にとっての理想の環境で、高校生でオープンキャンパスに訪れた際「私ここに入りたい!」とビビっときました。

とはいえ、当時は先生に「いばらの道だよ……」と言われるほど学力(特に英語)が全く届いていなかったので、そこからは気合いと工夫でなんとか合格まで漕ぎつけました(笑)。

いざ入学してみると、純日本人で海外経験も皆無な私と比べ、周りは帰国子女や留学経験者などが多かったです。同世代なのに金銭感覚や会話の合わない子がいて、文化的なショックが大きかったですね。でも、ICUには本当に多様な人が集まっているので「世界はそういうものなのね」と次第に受け入れていきました。

ただ、周りの学生の英語力には到底追いつけないと思い。これは在学中に、自力で英語の力を付けるしかない!と思って、1年生の夏休みにお年玉貯金を切り崩して、1人で初めて海外に渡り、ロンドンで3週間過ごしました。

ーICUは確かに、海外経験が豊富な方が多いイメージがあります。

私ももっと海外経験を積みたかったのですが、正直お金もなくて。そこで、ビジネスコンテストで入賞したら海外に連れて行ってもらえる機会があることを知り、他大学のビジネスプログラムへ挑戦しました。なんと、ありがたいことにそこで賞をいただけて。シリコンバレーとベトナムへ行かせていただきました。

ビジネスコンテストでは、待機児童問題をどう解消するかについて考えて、新規事業案を発表しました。その頃から、起業自体面白いかも!と思い始めたのですが、起業してうまくいかず、もし奨学金を返せなかったら……と想像すると、初めの一歩がなかなか踏み出せなかったんですよね。今思えばですが、このとき失敗を恐れずに飛び込んでもよかったなと。

シリコンバレーでは、現地ビジネス研究機関での研修に参加しました。とある女性の講師にプレゼンを見てもらった際、「プレゼンはあなたのステージよ。ガールズパワー!自信をもってね!」と励ましていただいたのが印象的でした。その後のプレゼンテーションの場に、この教えが生きています。

ベトナムのワークショップでは、ディスカッション中の言語のやり取りで苦戦したのですが、その分通じ合えた瞬間がとても嬉しかったですね。街中に自分と同世代の若者が多くて、「これがこれから栄える国のパワーか!」と痛感させられ、日本との違いから多くの刺激を得ました。

大学時代は忙しく過ごしていましたね。通学に往復3時間をかけて、その間に課題を済ませて。バイトは常に3〜4種類かけもち、ダンスサークルにも入っていて、帰ったら遅くまでビジネスコンテストの準備をして……。

今思えば、人生の中でもトップレベルで忙しい生活でしたが、とても幸福度が高かったです。どちらかというと、就職して1つの仕事だけに取り組めるのかな?という点が1番不安だったのを覚えています。

ー新卒での就職はどうだったのでしょうか。

リクルートに入社しました。若手も自主性や起業家志向が強く、お祭り好きな社風が私に合っていましたね。ただ、カルチャーフィットはしていたのですが、自分にとっては業務量が多すぎると感じたり、営業という1つの役割に集中する必要があったりする面があまり合わず、いつの間にかうつ傾向になってしまいました。

うつの発見から回復までは、周りの人の助けが本当に大きかったですね。うつに気づいたのは、コロナ禍の中で久々に出社した日に先輩たちとラーメン屋さんへ行って、気づけば相談中にその場で号泣するほどに追い詰められていて。

先輩からは「世の中の仕事の大半は、正直他の誰かでもできるけど、自分の体を守ってあげられるのは自分だけ。本当の自分の気持ちを理解してあげられるのも、自分だけだよ!」と言っていただけて、心がすっと軽くなったのを覚えています。

自分でもいろいろと考えて、結局会社を休職させてもらうことにしました。このとき助けていただいた先輩方への恩返しは、いつか私が別の誰かをサポートする、という形で必ずお返ししたいなと思っています。

休職中に改めて考えてみたとき、長年やってみたかったことは、国内外のいろんな都市に住んでみることだった、と思い出しました。それまでは企業に長く勤めて退職金を多くもらうか、よほどの大富豪ではない限りできないことだと決めつけていましたが、ある時フリーランスや起業家の方が大勢働きながら海外暮らしを実現されていると知り、自分ひとりの暮らしであればなんとかなりそう。それなら、退職してやってみよう!と決めました。

ー先輩の言葉もあって、退職を決意されたのですね。

はい。退職後、まずはWebライターとしてキャリアをスタートしました。ライターとして軌道に乗るのは早かった方だったのですが、会社にいたときくらいに稼げるようになるには、朝から晩まで書き続けないといけないことに気が付いて。これ以上働いて、メンタルダウンを繰り返してしまうのは嫌だなと思い、お仕事をお断りしました。その後、マーケターへとキャリアチェンジをするまでの間は、ニートのような状態のときもありましたね。

26歳になって、マレーシアのクアラルンプールやタイのバンコクで過ごすなど、憧れだった海外生活を始めました。ただ、SNSなどで他の人が活躍しているのを見ると、他者と自分を比べて病んでしまったこともありましたね。

私は小さいころから、勝手に周囲の期待を汲んでしまう性格でした。長女かつ初孫で、周りから「すごいね」と言われるたびに、うれしい反面「失敗するかもしれない大きな挑戦」がどんどんできなくなっていく感覚がありました。

特に起業前後からは、「私はこれが好きだからやりたい!」というものにやっと出会えてきて、自分らしく過ごすことができています。