環境は自分で変えられる。小学校教員の小澤佳奈が見つけた、教員以外の選択肢とは

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第883回目となる今回のゲストは、東京都の公立小学校で教員をしている小澤 佳奈(おざわ かな)さんです。

来年度からは教員を退き、塾の経営を引き継ぐことになった小澤さん。夢の実現に向けてどのように行動してきたのか伺いました。

初めて感じた孤独。同時に人とのつながりの大切さを実感する

ーまずは簡単に自己紹介をお願いします。

現在東京都の公立小学校で、6年生の学級担任をしています。大学卒業後すぐに教員になり、3年間働いてきましたが、今後は教員を一旦退いて自分の目指す教育に向けて前進していく予定です。本日はその経緯もお話できればと思っているので、よろしくお願いします。

ー小澤さんが教員を目指し、そして実際に教員として働き、退くという決断をするに至った経緯を、幼少期からさかのぼって伺えればと思います。小学生の頃はどんな子どもでしたか?

とにかく学校が大好きで、小学校6年間一日も休まなかったです。人と遊ぶことや勉強、身体を動かすことすべて大好きで、勉強もスポーツもそこそこできる、好奇心旺盛で活発な子でした。

ー中学時代はどうでしたか?

地元の公立中学校へ進学したのですが、他の学校から来た子のいじめの標的になってしまいました。また、バドミントン部で顧問との関係性をうまく築けず、校内ランキング1位でキャプテンを務めていましたが、団体メンバーから外されることも。その頃から大人をあまり信用しなくなり、友だちも一部の子としか仲良くしたくないと思うようになりました。

ただ、そんなときでも常に隣にいてくれた友だちや両親の存在にとても助けられました。今までは「自分一人で生きている」と強気だった私が初めて孤独を味わい、「人とのつながりの大切さ」を実感した瞬間でした。

ー当時の経験は、今にも活きていますか?

はい、ものすごく活きています。当時の自分と同じような思いをする子どもたちを減らしたい。だったら私が先生になろうと思えたので、教員の道につながる出来事でもあるのです。

バドミントンを通して、本気になれば相手を変えられると思う

ー高校入学後のお話をお聞かせください。

猛勉強をして、第一志望の都立高校へ入学しました。高校時代は私の転機でもあります。

進学した高校は勉強だけでなく、部活や行事にも力を入れる学校で。9月の1週間に合唱祭・文化祭・体育祭が盛り込まれていて、それに向けて4月からずっと準備をするのですが、劇をやるときにわざわざ劇団の方へ会いに行って指導してもらったり、夏休み30日間のうち25日間くらいは一緒に話し合いや練習をしたり。

行事が終わったときの達成感や仲間との友情など、本気でやった先にしか見えないものがあるというのは、高校時代に初めて感じました。また、この先に何があるかわからないこと、0から1を生むことにワクワクするんだと気づきました。

ー部活動にはどのように取り組んでいましたか?

引き続きバドミントン部に入り、同期が4人しかいない中で後輩が20人ほどいて、そのうち半分くらいが初心者。最初は「これは大変だぞ……」と思っていました。

いきなり技術を教えるのではなく、まずはバドミントンを好きになってもらおうと思い、「まずはあそこのカゴに入れてみよう!」など、ゲーム要素をもたせた練習を毎日繰り返してました。

すると後輩たちが、「バドミントンって楽しい!もっと上手くなりたいです」と言ってくれるようになったのです。意識が上がったところで、技術を磨く練習も増やしていきました。結果的に誰一人部活を辞めることなく、国公立高校でベスト8までいきました。

ーその経験から学んだことはありますか?

本気で取り組めば、相手を変えることができるというのを学びました。

私は、せっかくバドミントンに出会ったのであれば生涯スポーツにしてほしい、大学生・社会人になっても続けてほしいという想いで指導したので、その結果、「もっと部活動頑張ります」「大学でも続けます」という言葉を聞けました。自分が本気になれば相手も変わると思いましたし、それは頑張る原動力にもなっていましたね

部活も行事も勉強も本気で頑張る人たちに囲まれて過ごした高校時代は、大きく自分の人生の舵を切ったと言っても過言ではないくらい、私にとって重要な3年間でした。

よさこいとの出会い。0から1を作りテレビにも取り上げられる

ー大学はどのように選んだのか教えてください。

高校時代に部活で後輩指導にあたり、「人に教えるって楽しいな」「先生って楽しそうだな」と思い、将来の夢として教員が選択肢に加わりました。ただ、他の仕事にも興味がありましたし、選択肢が教員しかない中で教員を選ぶのは違うなと思っていたので、教員免許がとれる総合大学「立教大学」へ進みました。

ー立教大学ではどのように過ごしましたか?

立教大学は全学部を受講できるカリキュラムがあるので、教育学以外に社会学や経済学などの授業も受けていました。サークルは英語とバドミントン、バイトは塾講師と飲食店スタッフなど、2年間普通の大学生活を送ったときに「ものたりない」と思ったのです。

高校時代の3年間はあんなに本気でやってきたのに、「これくらいでいっか」という雰囲気にのまれて、いつの間にか自分自身を奮い立たせる活力がなくなっていました。今思えば、25年間の人生の中で一番本気になっていない2年間でした。

ー3年生になってから、何か変化があったのでしょうか。

3年生から小学校の先生の免許を本格的に取っていくコース「初等教育学専攻」へ進みました。その専攻は、月~金曜日・1~4限目まで授業があり、すべての授業で課題が出るのですが、当時「ものたりない」と感じていた私は進んで願書を出しました。

いざ4月になると目まぐるしい日々が始まり、月曜日の課題提出が間に合わないので毎週日曜日は徹夜。目の下にクマを作って月曜日の朝大学へ行き、そこからまた1週間が始まる……そんな生活を半年ほど続けてどうだったかというと……とても楽しかったのです!

常に課題があってみんなで頑張っていくという環境が、私には合っていました。また、もう1つ転機となる出来事がありました。

ーそれはなんでしょう?

よさこいとの出会いです。夏休みに「立教大学でよさこいサークルができるらしい」という噂をかぎつけて話を聞きに行くと、「まだ部員3人しかいないんだよね」と言われて。「でも、ここから10月に池袋である祭りに出たいから、今から頑張って立ち上げようと思うんだ」と聞いた瞬間、「面白そう!」と思いました。まさに0から1を作るところだったので、私も参加したいと思い入りました。

部員集め、広報、衣装借り、踊りの練習などたくさんのことを経験し、10月の祭りまでにはなんと30人ほどの部員が集まったのです。さらに池袋キャンパスの100周年記念の講演会では “みのもんたさ” んや “古舘伊知郎” さんなど、立教の卒業生が集まる場で踊り、新聞や朝のニュースにも取り上げられました。

数か月前は3人しかいなくて何もなかった状態から、形になってメディアに出て、立教に新しい風を吹かせているというのが、ワクワクしてたまらなかったです。4年生になり就職活動をしているときも、よさこいは楽しくて続けていました。

ー就職活動ではどのように動いていたのかお聞かせください。

長期インターンをしたり、民間企業を受けたりもしたのですが、自分の中で「お金を稼ぐ」「ものを売る」というところにあまり価値を見出せなくて。それよりも、目の前の相手を変えたり、社会貢献したいという気持ちが強かったので、それはどんな仕事だろうと考えたときに、「教育だ」と思いました。大学4年の4月にやっと覚悟がついて、教員という道を進む決断をしました。