どん底1日目ー難病当事者が綴る手紙ー出版委員会代表安部弘祐が語る、つらい経験を糧に変える方法

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第743回目となる今回は、どん底1日目ー難病当事者が綴る手紙ー出版委員会代表・ 安部 弘祐(あべ・こうすけ)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

ネフローゼ症候群発症の経験を経て、どん底1日目ー難病当事者が綴る手紙ー出版委員会代表として活躍する安部弘祐さん。どのようにして病気を受け入れたのか、本を出版した経緯について伺いました。

E判定からの大学合格後に病気が発覚する

ー高校3年生の頃に転機があったとお伺いしました。

僕は家庭の事情で国公立大学にしかいけない状況でしたが、先生から「私立も厳しいんじゃない?」と言われてしまいました。それから土日は朝7時から友達の家に行き、8時から夜の12時まで塾にずっと入り浸り、10時間勉強する生活を約半年続けてました。

ーなぜ頑張り続けられたのでしょうか?

頑張れた要因は2つあると思います。ひとつは僕の中で完全に腹を括った瞬間があり、「もうこれやるしかねえな」とやりはじめたからです。

ふたつ目は一緒に塾に行った友達です。一緒に塾に行く人がいたから「僕も頑張らないと」となりました。苦しいこともありましたが、もうやりきるしかない感じでした。

ー勉強を続け、大学受験はどのような結果だったのでしょうか?

E判定だったので「もしかしたらワンチャンあるかも」と思いながら受けたら、たまたま二次試験の問題が前日解いた問題と一緒だったのです。一緒に頑張っていた友達が先に結果を知っていて「受かってるぞ」と連絡がきて、合格を知りました。

ー念願の大学合格後に病気が発覚したと伺いました。

高校卒業して琉球大学に合格した2週間後に入院しました。階段を上がるときに息があがったり、体重が1日で3キロ増えたりしたので病院に行ったのです。でも最初は原因が全然わかりませんでした。

複数個の病院に行っても病名がわからず、結果的に、地元で一番大きい病院で「ネフローゼ症候群」と診断されました。1週間遅れていたら多分死んでたと言われましたね。

当時は体が20キロぐらい水でむくみ、左右の肺が3分の1潰れて呼吸困難になっていました。このネフローゼ症候群という病気は、腎臓の働きが一時的に悪くなり、身体が浮腫んでしまうことで、様々な臓器に影響が出てしまう病気です。。(詳細は:https://www.nanbyou.or.jp/entry/4516

まわりに支えられながら過ごす中で、起業に関心をもつ

ー病気が発覚してからどのような心境でしたか?

正直混乱していました。 当時は病気の重大さがわからず、1週間で治るだろうと思っていました。主治医から絶対安静を指示されたので、「せっかく大学に受かったのに」と思いながらベッドの上で過ごす日々です。

3月末に地元の病院に入院して、はじめは絶対安静でした。酸素マスクをし、ベッドから動くことすらダメでした。絶対安静が終わったのが4月頭です。

その時に病院の先生に「大学どうする?」と聞かれたので僕は「行きたいです」と伝えました。そして、大学病院に連携していただき、転院が決まったのです。

ー病気はどのように乗り越えたのでしょうか。

友達によく電話しました。僕は「頻回再発型ネフローゼ症候群」と呼ばれるネフローゼ症候群の中でも、よく再発をしてしまう型だったので、再発したら、投薬している薬に加えて新しい薬を加えて症状を抑える必要があったのです。

GW前に退院しましたが5月の下旬に再発し、プレドニンと呼ばれるステロイド薬を使っても症状が治まらないため、免疫抑制剤という薬も増やしました。しかし、それでも中々収まらず、6月の下旬に入院します。

薬を減量したら再発して、また薬を増やして別の新しい薬を入れて……の繰り返しです。再発する理由がわからず、自分のからだなのに全然言うことを聞かないときに友達に話を聞いてもらっていました。

看護師さんによく声をかけてもらったのも助かりました。当時は沖縄でずっと1人で入院生活をしていましたし、沖縄の知り合いもいなかったので、誰も見舞いに来てくれませんでした。

そのような状況だったので、気にかけて元気にしていこうという声かけをしてくれたのが嬉しかったです。

ー大学に入学してからはどのように過ごされたのでしょうか。

体育の講義が受けられなかったのでたまたま他の授業とぶってない別の講義を受けたのが転機です。講義の講師だった方に、講義後もたくさんお世話になりました。

「安部さんの辛さや、きつさは絶対誰かのためになるよ。今はきついと思うけど、それは後々糧になると思うから」この言葉が、僕の病気への捉え方を変えてくれました。

入院生活しながら大学に通うなかで起業やビジネスに関心が向き始めたのです。看護師と話をして、医療現場が大変な状況だと知りました。看護師や医者は人を支える仕事なので一番健康であるべきだと思うのです。

支える人が健康でないと支えられる側も遠慮してしまう現場を見て、僕が解決しないといけないと思いました。