中国をもっと身近に。ちゃおず代表・範東洋彦が、負と感じていたルーツを強みにするまで

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第830回目となる今回のゲストは、「ちゃおず」代表の範 東洋彦(はん・とよひこ)さんです。

両親とも中国出身で、九州の佐賀県で生まれ育った範さん。幼い頃から家では中国文化、外では日本文化で育ちました。そんな範さんが中国ルーツが原因で仲間外れにされた経験を経て、会社を設立するまでの軌跡を伺いました。

中国式の家庭環境で育ち、「周りとどこか違う」と感じ始める

ーまずは簡単に自己紹介をお願いします。

初めまして、範 東洋彦(はん・とよひこ)と申します。現在はちゃおずの代表として、水餃子と中国語と花茶の3つの軸で、中国のさまざまな文化体験ができる教室を経営しています。

ー花茶というのは初めて聞きました。どんなお茶ですか?

茶花は中国のお茶文化のひとつです。ちゃおずでは茶葉としてバラや菊やジャスミンなどのお花と、緑茶やウーロン茶や紅茶などを組み合わせて飲むことで、リラックス効果などの効能つきでお茶を楽しめる「リラックスハーブティ」を提供しています。

お茶にお花を入れることで見た目で楽しめますし、何よりリラックス効果などの効能があるので「体に良いことをしてるな」と思いながら飲めるのがポイントです。花茶を飲むと、今まで日本で飲んできたお茶の価値観が、ガラッと変わると思います!

ー花茶について教えてくださりありがとうございます。今日は範さんが起業をするまでどんな軌跡をたどってきたのか、幼少期からさかのぼって聞いてみたいと思います。どんな子ども時代を過ごしてきましたか?

両親とも中国出身で、日本の佐賀県で生まれ育ちました。家の中で話されている言語が中国語であることや、食べ物や習慣なども含めて、ものごころついた4~5歳くらいのときに「周りと少し違うのかな?」と感じ始めました。

また、親戚やおじいちゃん、おばあちゃんは中国にいるので、毎年中国へ行っていたのですが、友達から「よく外国へ行くね。飛行機で遠くまで行くこと多いね」と言われて。他の人とは違う家の行事があることからも、「周りとは違う」という気持ちが芽生えました。

 “名字” や “名前” が違うというだけで外国人差別を受ける

ー他の人とは違う部分があることで、困ったことはありましたか?

見た目は置いておいて、「範」という名字は当時佐賀県のいち地方では珍しくて。「なんで範っていう名字なの?」と聞かれて「自分は中国人だからだよ」と話すと自分たちとは違うとカテゴライズされて仲間外れにされることがありました。学校内でも外でも、小学校の上級生に「お前は外国人だから遊ばない」とよく言われていましたね。

ちょうど小学校2〜3年の頃、中国と日本の政治的関係があまり良くなくて、テレビでもそのことが放映されていたので、中国に対してあまり良いイメージをもっていない方が多くいました。周りからあまり良い目で見られていないというのは、子どもながらにして感じていました。

ー仲間外れにされた期間は長かったですか?

そうですね。小学校低学年〜高学年になるまで続きました。仲間外れにされたのは日本だけではなくて。小学生の夏休み期間の2〜3カ月、卓球で中国へ留学したことがあって、そこでは名前の「とよひこ」が日本人=外国人ということで仲間外れにされました。

私は学年を越えて遊ぶのが好きでしたし、誰とでも仲良くしたいし楽しみたいというオープンな性格だったのですが、どうしても「名字」や「名前」が先行してしまうことに小学生ながらに苦しんでいましたね。

ーそういった幼少期の出来事は、心に残りますよね。

そうですね。初めて外との関わりが確立されたのが小学生の頃だったので、強く残っています。自分の性格的に、周りに対して「やめてよ!」と言うことはできたけど、心は寂しいというか……自分の性格が開放的であればあるほど、心には空虚が残っていく感覚でした。

ー当時の範さんは、仲間外れにされていたときにどうやって現実の世界を受け止めていたのでしょうか。

小学生の頃はよく母親を召喚していました。たとえば近くの公園で遊んでいるときに嫌なことをされたら、笑ってごまかさずに「母ちゃんに言う!」と言って公園を飛び出し、家に帰って母親を呼んで撃退してもらいました。

母親だけでなく父親や、12歳上の兄も含めて家族全員が味方してくれたのは心強かったです。