様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第739回目となる今回は、For you Inc.取締役COO・小栗 淳貴(おぐり・あつき)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。
多くの社員を抱え、業務に日々奮闘している小栗さん。そこに辿り着くまでにどう考え、行動に移したのかを話していただきました。
社員の先頭に立ち、舵取りを担う
ー簡単に自己紹介をお願いします。
小栗淳貴です。現在はFor you Inc. の取締役COOを務めており、主にデジタル・SNSを中心とした広告代理業とタレントのプロデュース業の2事業を運営しています。会社は8期目を迎えました。
ー小栗さんはCOOとしてどんな役割を担っているのか教えてください。
経営から事業運営まであらゆる領域のオペレーションを統括しています。経営企画、資金調達、広告代理事業・コーポレート事業部長、人事責任者をしています。
ー現在担っている役割を、小栗さんはどのように考えているのでしょうか。
オペレーションマネジメント全般を担うCOOは1−5ヵ年の経営戦略を実行する責任者として、会社全体の舵取りをする役割です。
ミッションパーパスに則った短中期の目標を達成する、その中で発生する障壁や課題をどう解決するか考え、打ち手を立てることが、僕のミッションだと思っています。
短期だと直近1〜5年の業務の事業計画を作ったり、戦略戦術を練り実行したりが挙げられます。僕は細かいことをきっちり決めることが好きなので、抽象的なことを考えることは苦手かもしれません。
ー仕事のやりがいを教えていただけますか。
成長や変化が著しいベンチャー企業では、日々やることが変わり、会社の当たり前が変わるなかで、「どう最善、最適化するか考えて実行できること」がやりがいだと考えています。
僕の入社当初は6名ほどだったのですが、正社員に加え、インターンや所属タレントも徐々に増え現在では全体で50名ほどとなりました。
人数が増えてやるべきこともどんどん増えていきますが、それが自分の成長につながると考えています。最初に入った会社が実力主義の会社で、結果が出ればすぐにマネジメントポジションに就かせていただいていました。
役職や年齢などの上下関係より役割が重要だと考えているため、For youでは立場や年齢差による物怖じや、遠慮がないように意識しています。
地元を離れ、大学に進学するも中退
ー地元を出ることにしたきっかけを教えてください。
田舎の方は地元の大学に進学して地元の企業に就職することが多いんですよね。「就職して車を買って、家を買って、お子さんを授かって……」と、地元にいることで人生がある程度決まってしまうのではないかと考えるようになって。それが嫌で地元から離れました。
大学に進学してからは経営学を専攻し、独立したい気持ちが強かったです。
ー経営学を専攻したのは誰か、憧れの存在があったからでしょうか。
父が自営業で床屋を営んでおり、常に家の中に父がいる環境で育ったため、自分の好きなことをやりつつお金を稼いで子供にご飯を食べさせることはかっこいいなと思っていました。
父のようにやりたいことを形にしてお金を稼げるようになりたいと思い、経営学を専攻しました。
周りと違う選択でしたが、不安はなく、地元の人と同じ人生が嫌で地元を出たい気持ちでした。私立は辞めてくれと親に反対されましたが、「奨学金やアルバイトで自分でお金を払う。資金援助もいらないから行かせて」と承諾を得ました。
ーそこから1年後、大学中退を決意したのはなぜでしょうか。
体系的な学問を学ぶよりも、人との出会いや会話を通じて学んでいくことの方が重要ではないかと考えるようになったことがきっかけです。ある程度キャリアビジョンが見えた時に、大卒という肩書きが不要だと分かったのも理由の一つです。
当時はSNSを使って学外の人によく会っていましたが、話を重ねるなかで自分のやりたいことがわかり、大卒という肩書は必要ないと感じるようになりました。
大学中退を決めて個人事業主となり、当時尊敬していた方のもとで仕事をすることになりました。学びの場が大学からビジネスへと変わり、ビジネスの中でマインドや自分に必要なことを学びましたね。
ー早い選択のように思ったのですが、ご自身の中で迷いはありませんでしたか。
学費が高かったため当時はアルバイトをしていましたが、時給は1000円ほどでした。それを最大化できる自信が大学に行ってもなく、「もったいないし、苦しい。これを何かプラスにできないかな」と常に考えていました。
早い遅いを考えたことはなく、執着や人の目を気にするタイプでもなかったので、思い立ったら即行動に移していました。今振り返っても、間違いではなかったと思っています。
高校までは中途半端で後悔してしまうことも多かったのですが、決めたことをやりきろうと思いはじめたのは地元を離れてからです。それは現在も変わりません。