夢に向かってがむしゃらに努力する!パーソナルトレーナー 大谷内 寛治の人生の目標とは

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第732回目となる今回は、大谷内 寛治(おおやうち・かんじ)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

オンラインを中心に、パーソナルトレーニングを提供している大谷内さん。専門学生時代のエピソードや、就職後の働き方の変化、今後の目標などをお話していただきました。

サッカーがきっかけで、スポーツ系の専門学校へ

ー簡単に自己紹介をお願いいたします。

大和市、都内、オンラインの3拠点で、体を綺麗に美しく見せるボディメイクのパーソナルトレーニングを提供している大谷内 寛治(おおやうちかんじ)です。

19歳の時からパーソナルトレーナーを始めて、5年目になります。

ーパーソナルトレーナーを目指したきっかけはなんでしたか?

サッカーをしていたこともあり、アスリートがケガをしたときにアイシングやテーピングなどで治療するアスレティックトレーナーに憧れて、専門学校に入りました。

実習生としてアスレティックトレーナーの仕事を間近で見ると、現場では素早い判断が必要になるとに難しさを感じました。医学の膨大な知識が必要だと感じ、勉強が苦手な僕は向いていないと感じたんです。

そんなとき、専門学校の先生からパーソナルトレーナーに転向することを勧められて、2年次の19歳で転向しました。

ー​​スポーツ関連のお仕事に関わりたかったんですね。

サッカーを小1から始めて、スポーツは身近な存在でした。プロを輩出するサッカーの少年団に所属していて、プロを目指すくらいに上手い人も周りにいる環境でした。選手になるのは難しそうだと幼心に感じましたね。当時は、スポーツメーカーに勤めても良いかもと考えていました。

高校入学後はサッカー部に入り、たくさん怪我をしました。アスレティックトレーナーの方に手当てをしてもらい、やりがいがありそうだと憧れていました。今はパーソナルトレーナーとして、スポーツに関わっています。

自分にとって働きやすい環境を探し続ける

専門学校卒業後は、どこに就職されたのでしょうか?

今は転職したのですが、初めの就職先はフィットネスクラブに派遣されるパーソナルトレーナーでした。設立1-2年のベンチャー企業で、同期が社長という環境でしたね。教えてくれる人もいなく、失敗から学ぶような環境でした。

ここでがむしゃらに働いているとき、今もお付き合いしている彼女と出会って、将来を考え始めるようになったんです。このままでは忙しい会社で体を壊すと思い、転職を考えるようになりました。

前職はパーソナルトレーナーよりも、ピラティスやバイクなど他の事業の売上を立ててほしいと言われていて、パーソナルトレーナーをやりたかったぼくには、あまりやりがいを感じられませんでした。

ー​​働き方を変えるために転職されたんですね。転職後、今のお仕事はどんなものでしょうか?

ダイエットに重きをおいている、業務委託系の会社に勤めています。社員が少なく、自分の意見を言いやすい環境で、働きやすいですね。

現在フリーランスとして活動されていますが、それはなぜでしょうか?

副業を推奨する会社の社長さんである、西村創一郎さんとの出会いが大きなきっかけです。西村さんにフリーランスの良さを伺い、縛られない働き方に魅力を感じ、フリーランスになろうと決心しました。

会社勤めのときと比べて、働く時間帯がまるっきり変わりましたね。定時がないので、午前中に仕事を詰め込み、午後は自由な時間をとる働き方もできます。彼女と過ごす時間も増えました(笑)