公認会計士から上場企業取締役へ。小出孝雄が語る「できることを増やす」大切さ

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第325回目となる今回は、株式会社マイネット取締役で、経営戦略業務を牽引していらっしゃる小出孝雄さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

小出さんは、大学3年生のときに公認会計士試験に合格し、その後監査法人からキャリアをスタートしました。現在は、ゲームサービス事業を運営する株式会社マイネットで、取締役を務めています。

会計士、ベンチャー企業の社員といった、多様なキャリアを経験してきた小出さん。その背景には、できることを着実に増やすための、地道で戦略的な努力がありました。

「働き方」を軸に、マイネットへ入社

ー本日はよろしくお願いします!現在のお仕事と、お仕事を始めたきっかけを教えていただけますか?

よろしくお願いします!株式会社マイネットの取締役を務めています、小出孝雄です。

マイネット入社前はフリーランスをしていて、Twitterで仕事を募集していたら、株式会社ゲームエイトの西尾社長に声を掛けていただいたんです。そのつながりで、現職を紹介していただきました。

ー最初から経営企画のお仕事をなさっていたんですか?

いいえ、最初は事業開発をやっていたんです。主な仕事は、ゲームタイトルやゲーム事業のM&Aやアライアンスでした。僕自身は、スマホゲームはあまりやらないんですけどね(笑)

ーそうなんですね!ご自分の興味関心ではなく、仕事内容などを理由に入社を決められたんですね。

人間関係の構築に苦労した、子ども時代

ー小さい頃は、どんな子供だったのでしょうか?

幼少期は、東京の世田谷で小学4年生まで暮らしていました。特に数字が好きな子どもでした。ウルトラマンにはまっていたのですが、アニメを見る代わりに本を買って、ウルトラマンが走ったり泳いだりするスピードをランク付けしていましたね。電車も同じような理由で好きで、最高速度を順位付けしたりしていました。

ーちなみに小学四年生まで世田谷にいらっしゃったとのことですが、その後はどこかに引っ越されたんですか?

小学4年生の夏に、上海に引っ越しました。学校は毎日楽しかったので、友達と離れるのが辛かったですね。転校先は現地の日本人学校だったのですが、環境に慣れるまでに時間がかかりました。また、友人関係がリセットされたことで、ゼロから人間関係を築くことの難しさも感じました。

もちろん、半年、1年が経ち人間関係は当然できてきたんですが、その中で中学2年生の夏に日本に帰国となりました。

日本に帰ってからは、ずっと受験勉強をしていましたね。僕はそもそも、勉強が大嫌いだったんです。けれど学ばないといけない。帰国しても、人間関係も再度リセット。多感な時期にストレスがかかることに囲まれて、結構辛かったことを覚えています。

大学3年生で公認会計士に。その後、長期インターンへ

ーその後、どのような進路を選んだんですか?

高校で付属校の慶應志木高に進学し、卒業後、慶應義塾大学の経済学部に入学しました。大学生活の途中からはスクールに通って公認会計士の勉強をしていたのですが、ほぼ毎日机に向かっていた記憶があります。僕は高校時代、ほとんど勉強をしなかったので、さすがに大学で何かに励まないとまずいのでは、と感じたんです。

また、漠然と「イケてるビジネスマンになりたい」と考えていたのですが、僕は英語がとても苦手でした。それで、英語を使わなくても「イケてるビジネスマン」になりたいと思ったことも、公認会計士の勉強を始めた理由です。今考えると浅はかな考えではあるんですが、英語よりは公認会計士の勉強のほうが数字も使うし楽しいかなと思ってたんです。(笑)

ー実際に公認会計士の勉強をしてみて、いかがでしたか?

勉強はすごくつまらなかったです(笑)分厚いテキストの中身を片っ端から頭に入れても、すぐに忘れていました。公認会計士の勉強はとても難しいので、資格をとらないままスクールを辞める人が大半でした。

ーそんなに大変な公認会計士の勉強を、最後までやりきれた理由は何だったんですか?

公認会計士のスクールって、初期で80万円ほどのお金を払うんです。そんなお金をひとりで払える学生はほとんどいないので、僕を含む大半の生徒は親御さんに費用を負担してもらっていました。勉強を退屈に感じるときもありましたが、親に大金を払ってもらっている手前、頑張らなきゃなと。そこで一念発起して、大学3年生のときに公認会計士の試験に合格し、無事にスクールを卒業しました。

ー公認会計士に合格してからは、どのようなキャリアを歩まれたのでしょうか。

監査法人をターゲットにして就活をし、無事に四大監査法人から内定をいただきました。その後はデロイトトーマツベンチャーサポートという会社で長期インターンシップをしていたんです。

当時、長期インターンはあまりポピュラーなものではありませんでした。それでもあえて学生のときに働くことを決めたのには、理由があります。

在学中に監査法人の仕事について調べてみて、自分に向いていないかもしれないと思ったんです。内定をお断りすることはなかったものの、監査法人で長く働くイメージはあまり浮かびませんでした。そこで、「会計以外のスキルを身に着けて、別の仕事につなげていこう」と考え、長期インターンを始めました。

ーそうだったんですね。インターン先ではどんなお仕事をされていたんですか?

担当していたのは、スタートアップ向けのシンクタンク事業や、国に対しての政策提言、大企業向けのコンサルティングなどです。クライアントへの提案のために、ベンチャー企業のデータを集めたり、資料を作ったりすることが僕の仕事でした。

ーこれまで勉強されていた公認会計士の分野とはまったく違うことをされていたんですね。インターンをしていて、どのように感じられましたか?

最初は、とにかく仕事ができない人だと思われていました(笑)公認会計士試験にも受かりましたし、自分にも何かしらできるだろうと思っていたのですが、仕事の現場はとても厳しかったです。これはまずいなと思い、ExcelやPowerPointのスキルを地道に上げていきました。この経験を通して、ビジネスの下地を積むことができたと考えています。

監査法人に入社するも、1年数ヶ月で退職

ー1年間のインターン期間を経て、大学卒業後に入社した監査法人。入社前には「合わないかもしれない」と思ったと仰っていましたが、実際に入ってみていかがでしたか?

無駄な経験ではなかったと思いますが、やはり自分には合っていませんでした(笑)

監査法人の仕事は、会社が出している財務諸表をチェックすることなんです。例えば、売上の金額が本当に正しいものか確認するために、会社の請求書をいくつか抜粋して、収益や費用のエビデンスになる数字をチェックしたりすることが、自分たちの主な仕事でした。正誤を確かめるような仕事が中心なので、自分が元々やりたかった「ビジネス」とは乖離があるなと。

やがてキャリアの幅を監査法人の外側に広げたいと思うようになり、本業の定時後や休日にスタートアップの立ち上げ支援をしていました。とあるスタートアップ企業のプロダクト開発のお手伝いもそのひとつです。オウンドメディアを作ることになり、自分でダイエット記事を書いたりもしていました。あとはVC主催のビジコンに出てファイナルまで進出することができたりと、1、2年目ではあったんですが監査法人以外の活動をかなりやっていました。

ーパラレルキャリアを楽しまれていたんですね。監査法人はどのくらい続けていらっしゃったんですか?

1年3ヶ月ですね。もともと、入社から1年、もしくは2年で辞めることを決意していました。ただ、実はもう一つ辞めるきっかけがあったんです。

自分は未上場企業の担当部署だったのですが、上場が一度承認されたメインクライアントが、直前で上場取り消しになってしまいました。監査自体が大変なことになりましたね。

クライアント先の社長はもちろん、証券・銀行も、監査法人に対してかんかんに怒ります。上場するとリターンを得るのは彼らだからです。正しい仕事をやっているはずなのに、監査法人が問い詰められ、クライアント先の社長や従業員が悲しむ。監査法人や公認会計士の仕事は社会に必要なのは理解している一方、自分個人のやりがいにするにはしんどいな、と正直思いました。

ベンチャーで経営企画。しかしわずか5ヶ月でフリーランスに

ー監査法人を辞められた後のことについて、伺っても良いでしょうか?

最初は、自分で起業しようと思っていました。前述の通りビジネスコンテストなどにも出ていたのですが、いまいち踏ん切りがつかなかったんです。そんなときに、たまたまTwitter経由で参加したイベントがあり、その懇親会で「カウモ」という会社のメンバーに話しかけてもらったんですね。

カウモは、購買体験を最適化するキュレーションメディアを運営する会社です。そのまま社員の方と飲みに行って、話しているうちに、カウモでの仕事にフルコミットすることになりました。

ー偶然の出会いが入社につながったんですね。カウモでは、どのような仕事をなさっていたんですか?

経営企画・経営管理の責任者でした。いわゆるCFO業務をやっていました。売上・利益もそれなりに立っているタイミングだったこともあり、上場準備や資金調達のために、深夜まで事業計画やKPIの策定、財務準備に励む日々を送っていました。

ー上場前のスタートアップならではの、高揚感の中で働いていらっしゃったんですね。その後、会社や小出さんはどのような道を辿られたのか、伺いたいです。

カウモでの仕事は楽しかったのですが、実は入社して5ヶ月くらいで、社内でトラブルが起こってしまったんです。その結果、社長以外の、役員全員や私を含めたかなりの数のメンバーが会社を抜けることになりました。

とはいっても当時の自分は、監査法人からスタートアップに移ってわずか5ヶ月しか経っていません。相当な熱量を持ってスタートアップにジョインしたので、すぐに次の仕事にフルコミットする気にはなれず、しばらくフリーランスで働くことに決めたんです。

ー監査法人という、堅い印象もある仕事を経て、フリーランスになる選択には勇気がいりませんでしたか?

勇気は必要なかったですね。周囲の人に「フリーランスになるかも」と伝えてすぐに、3社くらいからお仕事をいただいたことも心強かったです。おかげでお金には困りませんでした。数ヶ月間のフリーランス期間に、久しぶりに上海を訪れたり、プログラミングを勉強したりもしました。

マイネットに入社。そして取締役に

ー数ヶ月のフリーランス期間を経て、マイネットに入社されています。前職で大変なこともたくさんありましたが、再びベンチャーに入ろうと思われたんですね。

はい。ただ、同じベンチャーでもカウモとは大分状況が違いましたね。マイネットはベンチャーと言っても、当時既に500人くらいの規模だったんです。カウモとはフェーズの違う会社に入社して、とても新鮮な気持ちになりました。

また、入社前の自分はバックオフィスにいましたが、マイネットではフロントサイドで採用してもらいました。事業開発や営業サイドに立つのは初めてでしたが、自分で売上を立てていくことに関心があったので、働き方の点ではあまり困らなかったんです。

ー働き方の点で、他になにか気づきはありましたか?

イチから何かを作ることができて、かつ成果を感じるポイントが明確であることが、自分にとってはプラスに働きました。ゲーム的要素があるんですよね。例えば、僕がマイネットの経営管理の仕組みを根っこから作り変えたときも、成果ポイントは明確でした。

管理側の運用ばかりしているとどうしても飽きてしまうので、毎日変化があるフロントサイドのほうが刺激的で、当時の僕には合っていたのかもしれません。そうして楽しく働いているうちに、取締役に任命していただきました。

「できる」を増やすことが、自信につながる

ー公認会計士からキャリアをスタートされた小出さんですが、現在は経営管理や経営企画など、多様なポジションで活躍しています。そのことについて、今どのように感じていますか?

いろんなポジションについて理解を深めることで、確かな自信を持てるようになったと感じています。さまざまな立場への理解があることが僕の長所だ、と思えるようになりました。バックオフィスを知っている人が営業できると、とても強いですよ!

あとは、現在のポジションで働かせていただくなかで、自己実現欲求がほとんどなくなりました。Twitterのフォロワー数増やしたいな、みたいな欲求はありますけれどね(笑)27歳で上場企業の役員になって、自己実現欲求をある程度満たせたんだと思います。

ー自己実現を果たしたその先で、小出さんは今後どのようなことをやっていきたいと考えていますか?

今は「自分のいる社会」と「自分がいなかった場合の社会」の、正の差分を最大化したいと考えています。生きた足跡を残していくようなものですね。そのために僕がやるべきことは、ビジネスを通して社会に価値を生み出すことだと思っています。

社会を良くするための手段はいろいろあります。政治でも、医療でも、研究でも良いんです。でも自分がここまで積んできたのは、ビジネスの経験です。だからこそ僕はビジネスにベットし、事業そのものの価値を高めることで社会に貢献したいと思っています。

そして正しく向上した事業価値は、社会価値に転化されます。「自分は仕事を通してどれだけ社会に寄与できているか」を常に心に問いかけながら、これからのキャリアを選んでいくつもりです。

ー出来ることを増やし、社会価値を増やす仕事につなげてきた、そんな小出さんからU-29世代に伝えたいことはありますか?

まずはSNSをやってみて、面白そうな機会を見つけ、そして飛びついてみましょう!インターンを始めたことも、カウモや今の会社に入ったことも、フリーランス時代の仕事も、全部SNS経由でのご縁なんです。

機会は、転がってはいるけど、それに出会うことが難しいんです。SNSは、機会と自分をつなげてくれる良いツールですね。

ー本日はありがとうございました!小出さんのさらなる挑戦を応援しています!

インタビュー:高尾有沙(Facebook/Twitter/note)
執筆者:はちこ(note/Twitter
デザイナー:安田遥(Twitter