「やるべき」で自分を縛らない!「好き」を基準に選んだこばゆの人生

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第589回は小林諭佳(こばゆ)さんです。現在は人材×広告の会社でディレクターとして働いているものの、元々は教育に興味があったそう。教育に興味を持ったきっかけや現在のキャリアを選ばれた経緯などをお話しいただきました。

 

人材×広告の会社のディレクター業務

ーまずは現在のお仕事を含め、簡単な自己紹介をお願いします。

人材×広告の会社でディレクターとして働いています、小林諭佳です。具体的には、ウェブサイトのグラフィック、パンフレットやイベント、ワークショップ作成、採用サイトの制作など幅広いクリエイティブの仕事のディレクションを担当しています。また、並行してブランドコンサルのアシスタントやYouTubeのMC業務も行っています。

ーディレクター、ということですが、ディレクターとしての業務内容を教えていただけますか。

ディレクターの仕事はクリエイティブの企画から完成までの進行統括・品質担保です。まずは、コンペに企画を出すところから始まります。その後、受注が決定すればお客様とコンテンツの細部を確認し設計を決め、デザイナーとデザインのすり合わせへと進めていきます。お客様、そして制作に関わる様々な関係者とコミュニケーションを取りながら完成まで、滞りなく進めるのが私の仕事です。

 

中高時代の経験から得た学び

ー現在に至るまでの話も聞かせてください。幼少期を振り返って、印象的だった出来事や影響を受けたエピソードなどはありますか。

育った家庭環境は私に大きな影響を与えてくれたと思います。4人兄弟、猫4匹の大家族で育ったため、自分の行動によって誰にどんな影響を与えるのかを日頃から意識する癖がつきました。長女ということもあり、金銭面などでも我慢することが多かったです。責任感が強く、他人に迷惑をかけないことを意識しがちな性格に育ったのは家庭環境が影響しているんではないかなと思います。

ーそのような家庭環境で育ったこばゆさんはどんな学生時代を過ごされていたのでしょうか。

小学校ではのびのびと過ごしていました。中学はその地区の公立中学校に進学しましたが、そこは結構荒れていて…。私は勉強も運動もできる方だったので、いじめの対象にならないよう、意識的に「少し変わった女の子」としての地位を確立して大人しく過ごしていましたね。

中学時代の出来事で今でも印象に残っているのは中学3年の合唱コンクールでの出来事があります。クラスのリーダーとしてとある女の子がまとめようとしてくれていたのですが、その子の友達が練習を欠席したり邪魔したりするなど全く協力的ではなかったんです。友達であれば、頑張っている友人をサポートしてあげるべきだと思った私は、一緒に練習しようと声をかけたのですが、すぐにまたふざけて結局全員できちんと練習することはできず…誰かの考えや行動を変える難しさを痛感した出来事でした。

人を変えることはできないと実感し、中学の環境から抜け出し、良い環境に行きたいと思い、高校は周りの人たちが進学しない公立高校を受験。落ちるからやめとけと言われていた中、合格したので担任の先生からは「執念の女」と言われました(笑)やってみないと分からない、誰かが言うことを鵜呑みにして挑戦を諦める必要はないということを学べた良い経験だったなと思います。

ー行きたかった高校へ進学でき、楽しい高校生活を送ることはできたのですか。

高校に進学し、いい意味で環境がガラッと変わりました。多様な人を受け入れてくれる環境だったので、伸び伸びと過ごすように。具体的には木登りして、サンドイッチ食べるとか(笑)また、中学時代に立てていた仮説が立証されたように感じました。「家庭環境は人格形成に重要」だというのがそれだったのですが、同級生の話を聞くと、家族ととても仲が良いという様子が垣間見え、“いい人”であるためには、やはり家庭環境が大事だと実感しました。

 

育った環境から考えた将来の選択肢

ー高校卒業後の進路についてはどのように考えられていたのですか。

子どもが育つ家庭環境の重要性を感じていた一方で、各家庭環境に介入する難しさも理解していたため、公教育に携わる仕事に就きたいと考えるようになりました。そして公教育といえば思いついたのは文科省だったため、文科省に行くために大学受験することに。

両親からは公立大学に現役で行ってほしいと言われていたので、大学受験のために部活もやめて勉強しましたが、残念ながら第一志望の大学は合格することができませんでした。そして合格した私立の大学に進学することになったんです。

ー大学生活はいかがでしたか。

第一志望の大学ではなかったのですが、だからこそいろいろと行動しようと思い、大学内外でたくさんの素敵な人や教授に出会うことができました。大学生活は充実していて、楽しかったです。出会いがどんどん増えるごとに、様々な価値観に触れ、それと共に「いろんな人がいていいんだな」というのを強く思うようになりました。

また、大学で受けた1つの授業をきっかけに自分のことを客観的に見れるようになりました。自分のこれまでの人生を振り返り、その時々に何を感じたのかなどを深堀りする授業だったのですが、その時々の感情は自分の価値観からきており、その価値観は社会の構造や成り立ちによって変わることを学びました。中高時代はどうせ誰も自分のことを理解してくれないと判断し、自分の本心と向き合ってこなかったのですが、徐々に自分の気持ちと向き合うようになったのは自分にとって大きな変化だったと思います。

ー公教育に関わりたいという思いは変わることはなかったのでしょうか。

大学ではTA(Teaching Assistant)の立場を経験する機会もあり、人の成長に携わる楽しさも感じましたが、同時に自分のやりたい教育がどんな教育なのかは分からなくなってしまいました。様々な人が居ていいと、居ることが素晴らしいと感じ、やりたい教育がわからなくなったのです。そのため就活では教育以外の選択肢もみるようになりました。

 

「やるべき」よりも「好き」を基準に

ー最終的に卒業後の進路はどのように決められたのですか。

就活した結果、人材系の会社と今働いている会社の2社から内定をいただきました。

人材系の会社を受けていた理由は、人に関わる仕事に就くことで、どういう環境が人にとっていいのかを学び、またいつか理想の教育が見つかった時に教育業界に戻ろうと思っていたからです。でもこれは、なんとなく自分の中で「やるべき」という思いから選んでいた選択肢。一方でクリエイティブ系の会社を受けていた理由は、服やアートなどが単純に「好き」だから、でした。

どちらに就職するかは最後まで迷ったのですが、「やるべき」よりも「好き」を選ぶことで伸び伸びと働くことができるのではないかと思い、今の会社を選びました。そんな決断ができたのも大学時代に好きなことに全力で取り組んでいる魅力的な人に出会えたからです。自分がどんな大人になりたいか、を基準に選択できてよかったと思います。

ー いろんな方との出会いからの気づきがこばゆさんの選択に影響を与えられたのですね。たくさんの人に出会うために工夫していたことはありますか。

いろんな人に出会うためにしていた工夫は2つあります。1つは好きなことや興味があることを発信すること。私の場合は教育に興味があると周囲に言っていたことで教育関連のイベントに誘ってもらうことが増えました。もう1つはオープンでいることです。何事にもピュアでオープンな姿勢をとり続けることで、「ちょっとあの子にも声をかけてみる?」となった時の「あの子」になることを意識していました。

そうして誘ってもらった場に、積極的に足を運ぶことで自然と輪が広がり、たくさんの人と出会うことができたのだと思います。

ー最後に今後の目標や展望があれば教えてください!

今後は企業戦略に関わりたいと思っています。ディクレターとして企業の経営戦略に関する話を伺う機会に恵まれる中で、日本社会や世界にどのような影響を与えられるかという長期的な視点を持って仕事に関わることに関心を持つようになりました。が、まだまだ若者の視点が反映されていないことも多いので、ギリギリZ世代の代表として次世代に繋げるための何かができたらと思っています。

自分がこれからどうしたいのか、自分には何ができるのかを模索しながらではありますが、自分らしく引き続き頑張っていきます!

インタビュー:新井麻希(Facebook
執筆者:松本佳恋(ブログ/Twitter
デザイン:安田遥(Twitter