楽しむ気持ちと出会いを大切に、スポーツ界で輝く。フレスコボール日本代表・赤塚康太

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第507回目となる今回は、フレスコボール日本代表赤塚康太さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

学生時代はプロ野球選手を目指していた赤塚さんが、どんなきっかけでフレスコボールに出会い、日本代表選手になるまでの成長を遂げたのでしょうか。赤塚さんのスポーツに対する思いや今後の目標をお聞きしました。

プロ野球選手を目指した学生時代

高校1年の山梨県1年生大会で優勝した時の写真

ーそれでは、最初に自己紹介をお願いします。

赤塚康太です。ビーチスポーツのフレスコボールという競技を3年前くらいに始めて、現在は日本代表として活動しています。

ーフレスコボールとは、どんなスポーツなのでしょうか?

ブラジル発祥のビーチで行う競技で、2人ペアになりテニスラケットより小さいラケットとゴムボールを使って、味方同士でラリーを続けるスポーツです。ボールをノーバウンドでテニスのボレーのようにして打ち合います。

どれだけ味方が打ちやすいボールを打てるかが大事になってきます。打った数と落とさずラリーができたかどうかといった判定がなされる採点競技です。僕は競技選手としてやっていますが、羽子板のように遊んでいる方もいます。

ービーチで足を取られて大変そうですね。うまくラリーが続くポイントやコツは何でしょうか?

大変だと思われがちですが、上手くやれば味方の足を動かさずにその場で打てるようにもできます。相手が打ちやすいように打つことが大事なので、日本では「思いやりのスポーツ」と言われています。みなさんがイメージするほど、大変ではないですよ。

試合は5分間で、ラリーがどれだけできるかを競います。スピードが大事になってくるので、長く続くと1、2分を超えて打ちます。腕は疲れますね(笑)。

ー赤塚さんのSNSも拝見しましたが、腕の筋肉はたしかにすごいですよね。ブラジルと比較すると日本の競技人口は少ないのでしょうか?

遊びで始める方も増えているので、競技人口を定義するのは難しいですが、関西や九州など全国的に広がっています。僕が始めた頃の競技人口は2000人と聞いていましたが、近年は何倍にも増加していますね。

ー赤塚さんは今までもスポーツはされていましたか?

小学1年生から野球とサッカーを始めて、小学生の間は両方の競技を続けていました。チームの練習がない日も1人で野球をしていたし、とにかくスポーツのことしか考えてなかったですね(笑)。

当時、プロ野球選手になる夢があって、ただ上手くなりたいとか楽しいという感情で動いていたなと思います。

ー高校も甲子園常連の強豪校に進学されていますね。

中学校のチームはあまり強くなかったのですが、高校に進学して全国大会に出場経験のあるような選手と一緒になってやってみたら、レベルが違いましたね(笑)。

高校生になると、決められたことをこなして耐えるだけではなく、自分で考えた練習もやっていました。怪我でなかなか結果を残すことができませんでしたが、それも自分の実力だと思っています。

ー高校1年生の頃は1年生大会でエースナンバーをつけていた赤塚さんですが、怪我を治すのは難しかったのですか?

1箇所だけではなくて、治ったらまた別の所を怪我してしまって……。部員数も多く、怪我をしたら代わりに出場できる選手もたくさんいる状態なので、肩や腰の怪我を繰り返しているうちに一軍にあがるチャンスを逃してしまいましたね。それでも、3年生の出場メンバーが発表されるまでは辞めたい気持ちは一切なく、諦めず最後までやり切りました。

ー赤塚さんが在学中、高校は2度甲子園に出場されたんですね。

辛いことの方が圧倒的に多かったですが、楽しい3年間でした。辛いことを一緒に乗り越えようとやってきた仲間がいたから、ちょっとしたことがすごく楽しくて、充実していました。

筋トレ熱から大学中退。野球から離れる

ー怪我に悩んだ高校時代を経て、大学も野球ができる環境を求めて進学されたんですね。

そうなのですが、野球がうまくいっていなかったのもあって次第にトレーニングに対する熱量が勝った時期がありました。食事管理を始めたり、トレーニングによる筋肉痛で野球の練習に支障が出たり(笑)。

実力をつけて上を目指したい気持ちがあって、ダルビッシュ選手のウエイトトレーニングを発信していたのを見て、真似をしたり自分で調べるようになったりしながら、本格的にトレーニングを始めるようになりました。

ー振り返って、大学での野球生活はどうでしたか?

野球はなかなか思うようにうまくいきませんでした。僕はピッチャーだったのですが、高校時代の怪我の影響もあって、球数を投げることができなかったり、たくさんの練習をこなせなかったというのはありましたね。

あとは、気持ちの面で小学生の時のような野球を楽しみながら上手くなりたいという気持ちが正直、薄れていたというのもありますね。やらされている感じになってしまいました。冷静に考えて、プロ野球選手になる夢の実現は難しいなと思いました。

ー大学2年生で大学を中退されましたが、決断に至った経緯を教えてください。

野球をするために大学に進学したものの、野球に対する熱量が少なくなってしまって……。筋トレなら、大学を辞めても続けられるし期限を決めて野球に取り組むことにしました。

大学3年生の全国大会にメンバーとして出場できなかったら辞めると自分の中で決めて、結果的に出場することができませんでした。それで、大学2年の3月にメンバー発表のタイミングで決めました。

ーそこで大学を辞めるという大きな決断をしたんですね。辞めることに怖さや不安はありませんでしたか?

高校や大学の進路を自分で決めさせてもらって、自分で決めたら後悔しないだろうなという自信があったので、なんとかなるだろうという気持ちで大きな不安などはなく辞めましたね。

野球のことを考えず離れている期間は、改めて野球が好きだと気付きましたけどね。

フレスコボールに出会い、日本代表選手に

2019年ブラジル選手権

ーフレスコボールと出会ったきっかけは何だったのでしょうか?

野球を辞めて2ヶ月後、ブラジルの洋服などを販売する雑貨屋さんに行ったときでしたね。店内にフラスコボールで使用するラケットなどが置かれていて、「これ何ですか?」と店員さんに聞いて競技を教えてもらったんです。とりあえず友達とラケットを買って、遊び始めました。

ルールを調べ、羽子板のようにお台場のビーチで友達と遊んでいましたね。ラケットとボールが当たる感触や音が単純に楽しくて。その様子をTwitterにハッシュタグを付けてアップしたら、当時の日本代表選手からリプライで「一緒に練習しませんか」と声をかけてもらいました。

初めて競技として教えてもらい、次の年から試合に出始めました。ラッキーなことに、当時の日本代表選手に誘っていただいてペアを組みました。

ーそうして、フレスコボールの赤塚選手が誕生したわけですね。

だんだん順位が上がってランキングが1位になり、日本代表になれました。スポーツ界でトップ選手になるのが目標だったので、嬉しかったですね。

日本代表になって2019年にブラジルの大会に出場させていただいて、ブラジル選手が持つ雰囲気や余裕を間近に見て、自分も楽しんで協議をしたいと強く思いました。

ー赤塚さんにとってスポーツとは?

スポーツによって、スポーツ以外のところでも楽しみのある人生につなげられると思っています。フレスコボールもそうですが、スポーツは人と人をつなぐものになると思います。

たくさんの人と出会って新たな人間関係が築けて、それが別の何かにつながっていく。友達はいた方がいいですしね(笑)。

ーU-29世代のスポーツのトップクラスの選手を目指す方にメッセージをお願いします。

僕にも憧れの選手がたくさんいて、そうなりたいと思っているし、今後は自分に憧れを抱いてもらえる選手になりたいと思っています。

僕は野球が上手くいかなかった時期がありましたが、それでも人生を充実させるために楽しむことにしたら、結果的に良い方向につながっていきます。楽しんで頑張って欲しいです。

ー最後に、赤塚さんの今後の目標を教えてください。

フレスコボールで言えば、ブラジルの世界のトップ選手に追いつき追い越すのが目標です。それ以外では、野球やいろんなスポーツに携わり、僕はフレスコボールをやって人生が充実して豊かになったので、もっといろんな人に充実した日々を過ごせるきっかけを与えられる人間になりたいと思っています。

ーありがとうございました!赤塚康太さんの今後のご活躍を応援しております!

取材:あおきくみこ(Twitter/note
執筆:Asuka
デザイン:安田遥(Twitter