即決で行動!2児の母でバリキャリな人事採用広報・田中葵のスピード感のある決断とは

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第705回目となる今回は、人事採用広報・田中葵さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

2児の母でありながら、投資用不動産の会社で採用広報をしている田中さん。田中さんの過去を振り返り、スピード感を持って決断することの大切さを語っていただきました。

10歳から母子家庭で育つ。お金に苦労する母を見て、早く働きたいと思うように

ーまずは簡単に自己紹介をおねがいします。

都内にある不動産テックの株式会社TAPPで人事と採用広報を担当している田中葵と申します。プライベートでは2歳と4歳の息子の母をしています。

ーお母さんなんですね!

そうなんです!とっても可愛いので息子について語り出したら止まりません(笑)。

ー株式会社TAPPでは具体的にどのようなことをされているのでしょうか?

投資用不動産の販売をメインとして、不動産にまつわるすべてのコンサルティングをしています。営業会社ではありますが、資産運用セミナーの事業を行っているので、不動産以外の金融知識も兼ね備えています。

ーここからは田中さんの過去を振り返ってお伺いしていきます。田中さんの幼少期はどんなお子さんでしたか?

おてんばな性格で、とにかく目立ちたがり屋だったため、小学校では学級委員をしていました。3歳から13年間、クラシックバレエをしており、踊ることや歌うこと、絵を描くことなど何かを表現することが大好きでした。高校生に入学してからはギャルを謳歌していましたね(笑)。

ー最初のターニングポイントはどんな出来事がありましたか?

10歳のときに両親が離婚したのです。母親が朝昼晩働いている、いわゆる母子家庭でした。お金に苦労しているけど、そんなそぶりを一切見せまいとする母親を見て「お母さんを楽をさせてあげるために、働けるようになったら働けるだけ働く!」と思っていました。

クラシックバレエもかなり費用がかかる習いごとでしたが、私が好きなことだったため、続けさせてくれたんです。

ー高校生のときはどんな生活をされていたか教えてください。

いち早く働きたかったため、高校生のときは部活をしながらバイトに毎日出る生活でした。時給820円のバイトで、月に20万円ほど稼いでいましたね。部活はダンス部に入って3年間キャプテンをしていました。

高校を卒業後にアパレルの会社に就職するも、変わらない給与に危機感を覚えて不動産業界へ転職

ー高校を卒業したあとは就職されたのでしょうか?

大学に行く選択肢も考えましたが、早く稼ぎたいという思いが強かったため、就職しました。最初に就職した会社はアパレルの会社です。アパレルを選んだ理由としては、洋服が好きで、表に立つ仕事をしたいと思ったから。どうせ働くならキラキラしている華やかな世界に行きたいと思いました。

ーアパレルの会社に入ってみていかがでしたか?

最初は「たくさん売っていくぞ!」と意気込んでいましたが、実際に入ってみると、いくら売っても給料が変わりませんでした。最初の2年間は洋服が好きだったため、そこまで気になることはありませんでした。しかし、3年目に「このままだとやばい」と思うようになり、4年目に仕事をやめました。

ーそこから不動産営業に転職されたとのことですが、アパレルから不動産業界に転職されたきっかけを教えてください。

金額が少し高めのメンズブランドを、30〜40代の経営者や医者のお客様に販売していたときに「服ではなくて、もっと高いものを売ってキャリアアップしたい」と思ったことがきっかけです。

実際に転職先には高額歩合の会社を選びました。人材や保険など様々な歩合を伴う営業がありますが、ダイナミックな金額を動かして社会的信用を得る仕事に憧れていたのです!

ー実際に不動産の会社に入ってみていかがでしたか?

月に2回ほどしか休みがなく大変でしたが、不動産に興味がない方を引き上げるアウトバンド営業は、非常にやりがいがあって楽しかったです。

ー月に2回ですか!不動産営業は数をこなさないと売れない風潮があるのでしょうか?

多少はあると思います。当時、私が勤めていた投資用不動産会社には、教育体制がまったくなく「とにかく数をこなして自分で学べ」という風潮があり、非常に非効率でした。

がんばったらがんばった分だけ稼げる!とは言われていました。しかし、フルコミットする方向がチームとして定まっていないことから、契約を取ることが仕事であるにも関わらず、途中からアポを取って会うことが仕事になっていきました。「何をしてるのだろう?」と思いながらも毎日相当な量をこなしていましたね。