「とにかく打席に立ち続ける」ウォンテッドリー松山弘紀のキャリアとの向き合い方

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第385回目となる今回は、ウォンテッドリー株式会社でパートナーセールスをされている松山弘紀さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

松山さんは大学在学中にベンチャー企業で長期インターンを経験し、新卒でライオン株式会社に営業職として入社。新卒1年目の冬にウォンテッドリー株式会社へ転職し、インサイドセールスや既存顧客のコンサルティング営業を経て、現在はパートナーセールスに従事されています。

今回は、松山さんの経歴をお伺いしながら、現在のキャリアを形成するに至った考え方に迫ります。

勉強以外に対して負けず嫌いだった

ーまずは、簡単に自己紹介をお願いします。

松山弘紀と申します。大阪人です!2017年に新卒で消費財メーカーのライオン株式会社に入社し、2018年2月にウォンテッドリー株式会社に転職をしました。

ウォンテッドリーはビジネスSNSを運営している企業で、僕は現在、パートナーセールスとして代理店に関する営業企画や制度設計を行なっています。お客様に対して直接提案をするのではなく、僕らのプロダクトを広めてくれる代理店の支援をしています。

ー今回は、現在に至るまでの経歴に迫っていければと思います。松山さんは小中学生の頃、どのような性格だったのですか?

小学生のころは、かなり活発な性格でしたね。勉強が大嫌いだったことも覚えています。小学校あるあるだと思いますが、テストの点数が悪いと居残りで補習に参加しないといけなかったんです。僕はそんなときでも友達と遊びたくて仕方なかったので、こっそり帰っていました(笑)。

中学校で部活が始まって、選んだのが硬式テニス部です。練習をとても頑張っていたので、未経験ながら副部長になれました。弱小チームでしたが本気で練習をして、たどり着いたのが大阪市のベスト16。弱小チームとしては大健闘でしたが、近畿大会を目指していただけに非常に悔しい思いをしました。

いつからでも人は変われると教えてくれた大学受験

ーすごいですね!高校入学後も、硬式テニスを続けられたのでしょうか?

高校には硬式テニス部がなかったので、地元のテニススクールで続けていました。しかし中学時代のように熱量を注ぐのではなくて、遊びと両立しながら続けていたようなイメージです。

勉強もあまりしていなくて、テストの順位は下から数えた方が早かったです。さらに、友人とも仲違いしてしまった時期があって。打ち込んでいることもないし、学校ではうまくいっていることがないし……と、悩んでしまいました。

そんなとき、父からアルバイトを勧められたので、飲食店で働いてみることにしました。勉強する気にもなれなかったので、まずは社会を見てみようと思ったんです。

ー良い気分転換ですね!アルバイトはいかがでしたか?

大学生が多かったアルバイト先の先輩に影響され、受験勉強に目覚めました。将来の話になったとき、何もないことをモヤモヤと悩んでいたことを伝えると、「今からでも頑張れば、有名な大学に行けるよ」とアドバイスをしてもらえて。

偏差値が低い高校に通っていた僕にとって、この言葉は衝撃的でしたね。大学受験で挽回ができるという発想がなかったので、選択肢が広がった気がしました。

高3になった頃、進路指導の先生にも「関関同立には今から行けますか」と相談をしたら、「正直うちの高校から行った人は少ないけど、頑張れるなら絶対にできるよ」と言われました。「自分でも変われるかもしれない」と認識し始めてから、受験勉強へのモチベーションが上がったんです。

ー自分を信じる力が原動力になっていたんですね。受験の結果が気になります……。

現役では失敗してしまいましたが、浪人をして希望の大学に合格しました!受験は成功体験の一つだと感じています。自分には無理だと諦めていた場所にたどり着けたので、「いつでも人は変われる」のだと実感しましたね。

長期インターンで仕事への価値観をアップデートできた

ー諦めずに挑戦し続けた結果、実を結んだのですね!大学ではどのように過ごされたのか、教えてください。

入学当初はキャンパスライフを謳歌する気満々だったので、遊びまくっていました。出身高校のレベルから考えると「すごい」と言われる大学に進学できたので、天狗になっていましたね。

ですが、大学の友人と話していると、だんだんと焦りを感じるようになってしまったんです。友人の多くは志望大学の受験に失敗していて、この大学はすべり止め。明らかに僕より勉強ができる人ばかりでした。

「勉強以外で何か自分だけの武器になる経験を積みたい」と思ったときに浮かんだのが長期インターンでした。大学2年生の後半からはずっと、長期インターンに打ち込んでいました!

ー勉強以外で考えたときに長期インターンを選んだということは、もともとビジネスに興味があったのでしょうか?

そうですね。祖父が事業をしていたので、小さな頃から会社の経営や事業について話を聞く機会が多かったんです。「自分も将来はビジネスの世界で成果を出したい」という想いはあったので、長期インターンとして友人たちよりも早く仕事を体験する選択をしたのは、僕にとって自然なことだったと感じています。

ーなるほど!どのようなインターンをしていましたか?

地元・関西でたまたま見つけた、「長期インターンシップ」の求人メディアを運営するベンチャー企業で1年半ほど働いていました。本社は東京にありましたが、関西支社が立ち上がったタイミングで参画しました。

そもそも関西には長期インターンを募集している企業がほとんどなくて、東京まで出向いて企業訪問をしていました。関西と東京の差を目の当たりにしたタイミングでこの企業に出会ったので、関西に貢献できるならと思って決めました。

ー1年半は長いですね。インターンで学んだことを教えてください。

そうですね。仕事への価値観が変わったと感じています。長期インターンを始めるまでは、仕事への意欲はあった反面、「仕事=楽しくないもの、我慢してやるもの」というイメージもありました。

当時のオフィスは新大阪の古いマンションの一室でした。コピー用紙1枚を看板代わりにしているような、はたから見ると怪しい雰囲気だったんですね。そんなオフィスの中で、社員の方が寝食忘れるくらい熱量高く働いているんですよね。

その姿がキラキラして見えて、学生時代の部活のように熱狂できる仕事もあるのだと感じ、衝撃を受けましたね。

新卒で大手メーカーに入社。待っていたのは葛藤の日々

ー素敵ですね。その後就職活動を経て、松山さんは新卒では大手メーカーのライオンに入社されていますね。

はい。インターンを通じてベンチャー企業への気持ちが高まっていましたが、結局大手に就職しました。インターンでは、成長できたと感じることが多かった反面、自分の無力さを感じることも多かったんですよね。

ちょうど就職活動をしていたころ。「実は自分はベンチャーで『個の力』で勝負するよりも、大手企業の名前を借りて生きる方が幸せなんじゃないか」なんて考えていました。

振り返ると、「自分はベンチャーで頑張りたい」という想いがあった一方で、「大手に入った方が良い」といった世間一般の価値観に左右されていたのだと思います。

ー葛藤の末に進路を選択されたんですね。ライオンに入社してみていかがでしたか?

入社した事は今でも後悔していなくて、凄く良い会社だったなと感じています。しかし、当時は就職活動をしていたころのように、自分の想いと世間一般の価値観との間で葛藤していました。

まず想いとしては、キャリアプランや行う仕事を自分でコントロールしたかったんです。大手では思うように動けないことがあるため、比較的自由で主体的に働けるベンチャー企業の方が自分に合っていると大手で働いたからこそ確信に変わりました。

一方で世の中には、「とりあえず3年は働け」という価値観がありますよね。僕は結局1年も持たずにライオンを辞めましたが、3年という数字に惑わされて、本当に今辞めてもいいのかと葛藤していました。大手やベンチャーそれぞれに勤める先輩へ、何度も相談していましたね。

ー新卒1年目の2月に、ベンチャー企業であるウォンテッドリーに転職されていますね。

はい。いろいろな人から意見を集めたうえで、自分にとって最適な道は何なのかをよく考えて決断しました。僕の場合は、3年働くべきという価値観をいったん切り離して考えたときに、大手で働く自分に対してよりもベンチャーで働く自分へ納得感を持てたんです。

その後、学生時代に「長期インターンを広めること」を目指してインターンをしていた原体験から、ウォンテッドリーが掲げている「シゴトでココロオドル人を増やす」というミッションに共感して入社を決めました。

ー想いに忠実になる決断ができたからこその転職だったんですね!

そうですね。僕は自分を信じて突き進めるタイプではなくて、あれこれ不安になってしまう人間だからこそ、人の話を聞いて熟考した結果、後悔しない道に進めたのかなと思っています。

打席に立ち続けて、自分の判断軸を明確にする

ーご経歴を伺って、一つひとつの壁を乗り越えてきたからこそ今のキャリアを築けているような印象を持ちました。

僕は、まわりの人に助けられてきたからここまで来られたと感じています。高校時代にはアルバイト仲間や先生に背中を押されて、大学時代にはインターン先の人との関わりで価値観が形成されて、就職してからも先輩に相談に乗ってもらって。

自分には突き抜けた能力があるわけではないので、「人と誠実に向き合うこと」はずっと大切にしてきましたね。どんなに能力が高い人でも、人から信頼されていないとまわりを巻き込んだり助けてもらったりできないじゃないですか。助けてもらった経験が多いからこそ、仕事をする上でも社内外問わず意識しています。

ー松山さんは人とだけでなく、自分自身ともしっかりと向き合われている印象があります。

ありがとうございます。実はもう一つ、「何度三振しても打席に立ち続けること」を大事にしているんです。僕はホームランを一発で打てる人間ではないので、とにかく打席に立って挑戦して続けてきました。満足いく結果になればそれでいいし、「やっぱり違ったな」と感じたとしても無駄ではないと思っていて。

できるできないは一旦脇に置いて、まずは勇気を持って触れてみる。そうすることで自分の判断軸が明確になってきたからこそ、人に相談しつつ自分の想いに忠実な選択ができるようになったと感じています。

ー松山さんが今後挑戦してみたいことがあれば、教えてください。

キャリアにおいて、自分がコントロールできる部分を増やしていきたいと思っています。そのための選択肢として起業やスタートアップでの事業開発など、現在は幅広く考えていますね。

事業を通じて人に良い影響を与えることも諦めたくなくて。僕が人から与えられてきたように、いつかは与える側になりたいし、ずっと挑戦もし続けたいです。何歳になっても新しいことに触れ続けられる人を見ると、社会に対して大きな成果を残している人が多いと感じるので、自分もそういった姿勢は忘れずに進んでいきたいと思います!

ー本日はありがとうございました。松山さんの今後のご活躍を応援しております!

松山弘紀さん(Twitter

取材:Hana AbeTwitter
執筆:田中沙都(Twitter
編集:えるも(Twitter
デザイン:高橋りえ(Twitter