根拠のない自信と覚悟を持ち挑戦を!CMプロデューサー/MBA取得中・山鹿祐綺

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第593回目となる今回は、CMプロデューサー/MBA大学院生の山鹿祐綺(やまがゆうき)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

大学卒業後、地元TV局のスポーツ局員・中学校教員を経て現在は広告代理店にてCMプロデューサーとして活躍する傍ら、MBA(経営学修士)を取得中の山鹿さん。ご自身の経験と共に、何かに挑戦するときに必要な考え方を語っていただきました。

もっとサッカーが上手くなれる環境に。サッカーに夢中になった学生時代

 ーまずは簡単に自己紹介をお願いします。

山鹿祐綺、愛知県出身の29歳です。現在は外資系の広告代理店でCMプロデューサーとして働いています。また、働きながら大学院に通っています。

ー広告代理店ではどんなことをされているのでしょうか?

CMプロデューサーとしてクライアントから頂いた予算内で、クリエイティブ、営業、その他様々な部署と協議をしながらTVCMを作っています。「このCMはこうすればバズるのではないか?」とか「こうすれば視聴者の心を掴めるのではないか?」といったことを中心に考えながら、予算など諸々管理・進行していくのが、CMプロデューサーです。

ーCMプロデューサーのお仕事と同時に、大学院にも通われてるとのことですが、具体的にどういったことを学ばれているのか教えていただけますか。

経営学を学んでいます。普段は仕事終わり18時から22時まで大学院に通っており、2年間学び終えると、MBA(経営学修士)が授与されます。

ーここからは山鹿さんの過去を振り返って話をお伺いしていきたいと思います。どんな幼少期でしたか?

小学生のときは、運動しかしていないような子どもでした。サッカーに出会うまでは、親や先生に反抗することが多かったのですが、小学5年生のときに地元のサッカーチームに入団してからは、サッカーに夢中になったので落ち着きました。

ー最初のターニングポイントが小学生のときとのことですが、何があったのでしょうか?

小学校5年生のとき、所属しているチームの中ではサッカーが上手かったので天狗になっていました。その後、愛知県選抜のメンバーに選ばれたのですが、そのときに他の地域から集まった県選抜のメンバーの中に自分より上手い子がたくさんいました。

「この子達より上手くなるにはどうすれば良いのだろう?」と考えた結果、この子たちと同じ環境に行けば良いことに気づきました。その後、県選抜メンバーの半数以上が所属していた名古屋グランパスの下部組織の入団試験を受けて合格しました。

小学校5年で入団試験に合格してから、中学3年生までの約5年間、チームメイトとお互いに切磋琢磨しながらサッカーをしました。

ーチームに入団しているときに、うまくいかなかったことはありましたか?

中学2年生の夏までは試合に出ていたのですが、身長が伸びなくなり(今では180cmまで伸びましたが当時は150cm台でした)身体能力が他の子と比べて劣るようになった結果、試合に出られなくなりました。その後、中学3年生の夏にはサッカーを辞めて、中学校卒業までの半年間は毎晩友達と遊び呆けてました。

ーそこから高校ではサッカーをやらなかったのでしょうか?

高校でもサッカー部に入部しました。ブランク期間があったことで改めてサッカーが好きという自分の気持ちに気づけました。また冬の全国高校サッカー選手権のテレビ中継を見て「TV中継があるこの舞台に立って、多くの人に応援されたい」と思ったのも大きかったです。

ーサッカーをするために、地元である愛知県を離れて鳥取県の境高校に進学した理由を教えてください。

鳥取県の境高校で生活する自分が想像できなくてワクワクしたからです。

中学3年生のときに、地元の東邦、静岡の藤枝東、鳥取の境高校の3択で迷いました。それぞれの高校生活を想像した時に境高校での生活は「親も親戚もいない場所で高校生活を送っていけるのか?」という不安も感じましたが、それ以上に一番ワクワクしました。

また、周囲には自分と同じ決断をしている人がいなかったので、余計に面白そうだと思って、境高校への進学を決めました。

ー境高校でのサッカー生活はどうでしたか?

中学3年生で引退後、半年以上遊び呆けていたために、最初に練習に参加した日の夜は全身筋肉痛になりました。入部後は毎日1kmのタイム走を6〜8本やるのですが、同級生の中で下から3番目に走れませんでした。

同級生や先輩から「愛知から来てるのに全然走れないじゃん」と言われ、1年生の時はトップチームの試合にもまったく絡むことができませんでした。

ー高校1年生から高校2年生の間で変化があったとのことですが、どのような変化があったのか教えてください。

高校1年生のときは、サッカーも上手くいかず、勉強も手を抜いていましたが、高校2年の春に顧問の先生から「今の成績が悪いままだと、どれだけ良いプレーをしても試合には出さない」と言われたことがきっかけで、勉強とサッカーの両方をがんばるようになりました。

その結果、高校1年生のときはクラス最下位だった成績が、高校2年生の時にクラスで1番になり、先生たちからも「山鹿、最近変わったな」と褒められるようになり、次第にレギュラーとして試合に出れるようになっていきました。

ー全国高校サッカー選手権への出場は叶ったのでしょうか?

高校1年のときは出場しましたが、メンバーには入れず、スタンドで応援してました。

高校2年生のときにはメンバーとして全国ベスト16、高校3年生のときは県予選の決勝で日本代表でも活躍した昌子源選手擁する米子北に負けてしまいました。

やはり自分達の代で選手権に出場したい!という思いが強かったので、試合終了のホイッスルを聞いたときはピッチから動けませんでした。

しかし、あのときの悔しさがあったから、大学生になってからも周囲の誘惑に惑わされず真剣にサッカーに取り組むことが出来たので、結果的には良かったのかな?と今は思います。

ー高校サッカー生活の中での気づきや印象に残ったことはありますか?

大きな成果を手にする前には、必ずそれ相応の挫折や困難があることに気づきました。そして、困難を乗り越えたときに初めて評価してもらえることも実感しました。今まで自分が避けてきたことに、とことん向き合って克服することが大切だということを学びました。

ー高校卒業後はどんな進路を選択されたのでしょうか?

大学卒業時にプロサッカー選手になれなかったら教師になろうと考えていたので、サッカーに集中できて教員免許も取得出来る教育系の大学に進学しました。

ー大学でのサッカー生活はどうでしたか?

最初は大学のサッカー部に入部したのですが「もっと厳しい環境で成長したい」という思いから関西社会人リーグ1部のラランジャ京都に入団、その後、同じく関西1部のレイジェント滋賀に移籍しました。

チームメイトには元日本代表の方や元Jリーガーの方なども居て、自分が一番下からのスタートでしたが、最終的にはレギュラーとして試合に出場できるようになり、国体や全国大会にも出場する事が出来ました。

Jリーガーを断念。中学校教師を経てCMプロデューサーに

ー高校で完全燃焼することなく、大学でもさらに高みを目指されたのですね!結果的にはプロの道は選択されなかったのでしょうか?

選択しなかったというより、なれませんでした(笑)。 大学卒業時には様々なチームから声をかけていただいたのですが、午前中はサッカーをして午後は仕事をする。いわゆるセミプロ契約の話しかなく、完全なプロ契約をしてくれるチームはありませんでした。

また、大学時代に所属していたチームで元プロの方や現役の方と対戦したときに、上に行けば行くほど自分には到達できない領域があることを実感してプロの道は断念。社会人として将来的にこの人たちに負けないようにがんばろうと思いました。

ー先ほど「プロになれなかったら、教師になろうと考えていた」とおっしゃっていましたが、大学卒業後は教師になったのですか?

最初は教師にはならず、地元のスポーツ局で働くことになりました。大学卒業ギリギリまで就活をしていなかったのですが、偶然地元のテレビ局と繋がりがあり、スポーツ局で働かせてもらうことになりました。

ーテレビ局ではどのようなことをされていたのでしょうか?

ADとして、ニュース原稿を書いたり、カメラのアングルを決めたりしてました。またプロ野球の開幕前は沖縄に行ってキャンプ中継のナレーターもやっていました。

ーテレビ局から現在の広告業界に転職した理由を教えてください。

鳥取県の境高校に進学したときと同じように、上京して一人暮らしをしている自分の姿が想像できなくて、ワクワクしたからです。また、企業の思いを映像にのせる広告の難しさに挑戦してみたいと思いました。

ー先ほどから想像できないことにワクワクするとおっしゃっていますが、なぜでしょうか?

こういう性格なんでしょうね。僕は未来が想像できる時点で、面白くないんです。

今まで人生の岐路に立ったときの決断は、未来が想像できないワクワクする道を選んできました。

ー第二新卒で広告業界に入るまでに1年間のギャップイヤーがあったそうですが、その期間はどんなことをされていたのですか?

広告業界に就職することが決まってから時間が空いたので、地元の公立中学校で社会科の教員として働いてました。

本当はプラプラしようと思っていたのですが「教師をやるなら今しかない!」と思い、試験を受けて臨時公務員として採用されました。

本当に職場の先輩や生徒に恵まれて充実した期間で、あのときの経験は貴重な体験だったなと何度も思います。もし、5年後位にまた機会があれば教師もやりたいです。