多彩なキャリアを歩む医師・平野翔大が語る専門性を活かした社会貢献

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第661回目となる今回は、医師・ライター・ベンチャー企業のメンバーやアドバイザーとして活躍する平野 翔大 (ひらの しょうだい) さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

「医学」の専門性を活かし、多彩なキャリアを歩んでいる平野さん。なぜ「医学」だったのか、どのような背景から医師以外のキャリアも歩むようになったのか。そして複数の活動を貫く軸とは一体何なのか。その答えを平野さんの半生とともに紐解いていきます。

「医学」を軸にした多彩なキャリア

ーまずは簡単に自己紹介をお願いします!

平野翔大です!医師として産婦人科・睡眠医療・産業保健に従事するかたわらで、医療ライターやベンチャー企業のメンバーやアドバイザーとしても働いています。

ー多彩な活動をされていますが、1週間のスケジュールを教えていただけますか?

週のうち2日間は非常勤の医師として産婦人科(1.5日)と睡眠医療(0.5日)に携わっています。

別の1日は嘱託の産業医として企業を訪問して委員会に参加しつつ、何かあった際には従業員の面談も行います。ひとつの企業に訪問するのは月に1度ですが、複数社の産業医をしているため週1日は産業医の日です。ちなみに1日で複数社を回ったり、場合によっては別の時間に面談をしたりすることもあります。

そして残りの4日間は、ライターやベンチャー企業の仕事をする日です。ベンチャー企業の中でも、コアメンバーとして携わっているのは「看護師のメンタルヘルス」にアプローチするプロダクトです。これまでのメンタルヘルスには職種の専門性がありませんでしたが、「看護師」という目の前で人が亡くなる激動の職場で働く方々の特性に合わせたものを考えています。

また、他のヘルスケアベンチャーではアドバイザーとして意見を出したり、ヒアリングの協力をしたりしています。

ーやはり医師の経験は他の仕事にも活きるのでしょうか?

それこそ看護師のメンタルヘルスケアに関するベンチャーでは、「産業医として従業員の方々のストレスチェックをし、その結果に応じた対応方法を話し合う」というように、現場の知見をプロダクトに活かす様々な方法を考えています。

医療現場との連携が必要なので、医療者が考えていることを伝えながらプロダクトに盛り込むイメージです。

睡眠医療に関しても、夜勤をされている方に向けて適切な睡眠のとり方を発信するお手伝いを考えています。夜勤で働く方は不眠症の発症リスクが高いため、その働き方でも適切な睡眠をとるにはどうすればいいかを考える際に知見を活かせているかなと。

それ以外では、フェムテックの分野でも産婦人科での経験を活かし、「医学的にそれが大丈夫なのか・正しいのか」「現場の女性はこのような悩みを持っているのではないか」ということを伝えています。やはり「医療者目線」と「企業目線」の2つを持ち合わせていることが求められていますね。

どのような経緯で現在のキャリアに至ったのでしょうか?

自分で選んだものと偶然いただいた機会から今のキャリアになりました。

大学の専攻を考えるとき、コースは理系だったものの文系に興味があったんですよね。経済や現代社会が好きだったので経済学部に行こうかなと考えていて。それでも最終的に人に携わる仕事がしたいと思い、医学部を選びました。

大学生の頃は医学を学ぶかたわらで社会問題にも興味があって。産婦人科を選んだのも、この領域が多くの社会問題を抱えているのがひとつの理由です。今でいうと、 HPVワクチン・緊急避妊薬・経口中絶薬・ピル・働き方の問題などがありますよね。

昨年まで医師として現場にいたときも社会問題に携わりたいと思っていましたが、「自分の発信できることをしよう」と思うくらいが限界で……。

しかし、第一線の現場を離れることになった際にその考えが大きく変わりました。経済産業省(以下、経産省)の「始動 Next Innovator 2021」に参加したときの出会いを通じ、いろいろな場所で医療の専門家としての知見が役立つことを知ったのがきっかけです。

そして、自分の専門性に関連する依頼と並行して個人での発信を続けていると徐々に依頼が増え、現在のキャリアに至りました。

他のキャリアを考えたことはありますか?

「教育」の分野を考えました。最終的に医師を選んだのは、「医師から教育の分野に転向することはできるけれど、その逆はできない」と思ったからです。医師であれば医療の教育もできますよね。

打算ではありますが、後の発展性を考えたときに医師の経験はいろいろなことにおいて自分のベースにできると思いました。

人の行動や考え方が変わるような機会を作りたい

中学時代はどのような生活を送っていらっしゃいましたか?

部活と勉強がメインでしたね。部活は陸上と水泳をしており、どちらも長距離だったので体力には自信がありました。

通っていた中学校では週1回理科の実験があり、それを手書きのレポートにまとめて提出していたのですが、そのレポートと定期試験、さらに2つの部活をしていたらいつの間にか中学生が終わっていた気がします。

その理科のレポートに関する話がもうひとつあって。当時はWindows XPがリリースされてインターネットで触れられる世界が増えたので、ブログにレポートをまとめていたんですよね。ただ、僕が間違ったことを書けばそれを参考にした人もみんな間違えるという事態が発生し、それを知った先生に怒られたのでブログは辞めました(笑)。

今振り返ると、この頃からまとめて発信するのが好きだったと思いますし、何となく自分が理系科目が好きだと感づいていました。

高校時代には討論会を主催されたということですが?

実は、僕のいた高校にはもともと「招待会議」という討論会があったのですが、一度人手不足で中止になっていた時期がありました。しかし、僕が2年生のときにひとつ上の先輩が「やりたい」と声を上げ、再開することになって。

その際は以前の形態を踏襲し、東京や埼玉から数十人の高校生を集めて開催しましたが、僕が3年生で実行委員長として運営するときに「現状維持ではなく何かプラスαで大きくしたい」と思いました。

例えば当時、文部科学省(以下、文科省)が市民(対象は大人)と行政がフラットに議論する機会を提供していたことから、「これを高校生でできればいいな」と考えて文科省の方に提案したところご快諾いただけて。

また毎年ゲストを呼んでいるのですが、以前からお世話になっていた慶應SFCの金子郁容教授(当時)にお声がけすると快くOKしていただけました。

運営を進めるにつれて次第に話が大きくなり、他校の先生や文部科学副大臣(当時)の鈴木寛先生も参加してくださって、結果的に高校生+社会人約200名の討論会になりました。

討論会を通じて学んだことや得たことなどはありますか?

気づいたことが2つあります。1つ目は、普段関わることのない多彩なセクターを繋げて巻き込むと予想外のことが起こるということです。

討論会後に社会人の方々は「こんなに高校生が社会のことを考えていて、かつ意見を出せるのは知らなかった」「ずっと話を聞いていたかった」とおっしゃってくださいました。

2つ目は、1対1ではなく多数対多数で話したときでも人が変わるということです。実は、討論会に参加した高校生がその後様々な行動を起こしてくれて。

例えば、討論会をしていなかった高校が新たに始めたり、話したことをベースに新しい活動を始めたり、というのが5〜6個起こりました。約9時間の討論で人が変わり、様々な場所で新しいことが生まれるのがおもしろいなとも感じましたね。

この経験が、議論や何かしらの媒体を通じて人の行動や考え方が変わるような機会を作りたいと思わせてくれたと同時に、医学部に行くきっかけにもなっています。