多彩なキャリアを歩む医師・平野翔大が語る専門性を活かした社会貢献

根本的に患者さんの問題を解決すべく、医師以外の道も歩む

大学では晴れて医学部での勉強を始めることになりましたが、大学生活はいかがでしたか?

実は20歳で十二指腸潰瘍になりまして……。いろいろあったのでストレスを抱えていたのだと思います。27歳で再び胃潰瘍になったことからも、まず自分の体を大切にしようと思いました。「無理をしてまで何かをやる必要はない」という考えは今でも大事にしています。

当時は不調に気づいても放置して悪化させてしまったので、今は不調に気づいたらすぐに調べたりケアしたりしています。

医師になってから思うのは、楽な健康はないなと。「適度な睡眠・食事・運動」を実践しようとしても、複雑でわかりにくいため行動に移すハードルが高いですが、やはり基本の部分を整えるのが重要だと感じます。

大学卒業後はどのように過ごされましたか?

研修医の2年間でいろいろな診療科を回りながら、実践を通じてプライマリーケア(患者さんが抱えるからだや心の問題を総合的に診る医療)を学んでいました。配属される診療科が決まるのは、研修医の期間が終わってからです。

ーもともと働きたい診療科は決まっていたのでしょうか?

入学当時は子供に携わるのが好きで小児科を希望していましたが、勉強する中でホルモン(特に女性ホルモン)に興味を持ったため産婦人科を希望するようになりました。

また女性ホルモンを選んだのは、妊娠・出産・月経など化学物質ひとつで人が大きく左右されるのが興味深かったからです。医師が「ホルモン」を専門的に見るとなると、その大半が糖尿病になるのですが、僕はいまいち興味が湧かず……。

そうした中、4年生のときに産婦人科の講義を受けた際、その変動のダイナミックさや挙動の特殊さから女性ホルモンに興味を持って。

他にも、臨床実習で産婦人科のおもしろさを感じたり、国家試験対策委員会で同級生に教える立場だった際に、系統立てて教えることができたと思ったりしたため「やるなら産婦人科医だ」と考えました。

フリーランスになる前のお話が気になります。

大きな病院で産婦人科医をしていました。産婦人科は自分が介入したことの結果がすぐ(早ければ数分後)に現れる場所だったので性格に合っていたなと。

一方で合わないと思う場面も多々ありました(笑)。現場のスピード感自体は楽しめましたが、その過程で丁寧さを突き詰めきれない感じにもやもやしたことも……。一瞬で因果・推論を組み立てて判断しようとするものの、後からその判断に悩んでしまうことが多かったですね。

医師以外のキャリアを始めた背景を教えていただけますか?

病院にいると目の前にいる患者さんへのアプローチはできますが、いざ患者さんが病院の外に出ると医師だけでは絶対にタッチできない領域があって。例えば妊婦さんの問題の裏には会社のことや旦那さんのことなどありますよね。

もちろん何かあれば来てもらうことや診断書を出すことなどはできますが、それらはすべて間接的なアプローチであり根本的な問題の解決にはならないので、何度も同じことを繰り返してしまうという……。

根本的な解決のためには物事の上流(システム)から変える必要があると感じたため、自分が情報発信をしたり変える立場になったりしようと思いました。

医療とヘルスケアの間を埋める活動を

どのような経緯で睡眠医療や産業保健に携わるようになったのでしょうか?

睡眠医療は、第一線を退いたときに大学で一番仲が良かった同級生が誘ってくれたのがきっかけです。当時自分も睡眠に悩んでおり、「自分がやる側になるのはおもしろい」と思って始めました。この誘いがなかったら睡眠医療には携わっていないですね。

産業医はもともと資格を持っており、何か活かせたらと思っていたところ、産業医募集の話をいただいたので始めることになりました。

男性の育休支援を始めたきっかけは何ですか?

産婦人科の現場にいるときから、男性への支援ができたらと考えていました。例えば、妊婦さんだけで決められないことを旦那さんも一緒に相談して話していると、妊娠・出産・育児に関する基本的なことを知らなかったり、認識に齟齬があったりして。

ただ、それは男性が一方的に悪いのではありません。社会全体として適切な性教育がされていなかったり子どもに触れる経験が少なかったりするのが大きな要因だと考えています。

このような背景から男性への支援を考えていたところ、経産省の始動の話(始動 Next Innovator 2021)をいただいたので実現を視野に3ヵ月間ブラッシュアップをしました。

結果的に、ヘルスケアのジレンマ(日本では健康保険制度により、予防よりも治療が安く受けられること)からも単体では事業にならないと気づき、同時にライターとしてや医師としてできることがあると思ったので、今は事業ではなく社会活動として進めようとしています。

多彩な活動をされている平野さんですが、大切にしている行動指針はありますか?

「医療とヘルスケアの間を埋める」ことを一番大切にしています。

前提として「医療」といえば病気になってから受けるものであり、その医療を行う「医師」は診察や診療がメインの仕事になります。

その一方で「ヘルスケア」は病気の予防やより健康になるためのものです。「最近よく眠れない」というように、病気ではないけれど困っている人は医療だけではなくヘルスケアも必要とします。

しかし、現状その人たちへのアプローチが少なかったり、あっても専門的なバックグラウンドがなく、専門家から見たら危険なものが結構あったりするんですよね……。

そのようなものが跋扈(ばっこ)するのは、ヘルスケアに専門職がうまく携われていないからだと考えているので、僕をはじめとした医療者がより関与していけるようにしていきたいですし、専門的な学問が入った上で人々がより健康になる手段を提供できたらと考えています。

ー最後に、平野さんの今後のビジョンを教えてください!

これまでの経験から、一番課題に思っているのは「女性」と「医療者」なので、この2つは特にどうにかしたいと考えています。

やはり現場で女性を見ていると、まだまだ日本は男性中心の社会だなと。医師ですらそうなってしまっています。いまだに女性が最高のパフォーマンスができるような社会システムではありません。

そして、医療者が無理して当たり前になっている状況も変えたいです。この状況に持続性はないですし、すでに破綻していると思います。

今の優秀な若い世代はそのような世界には行きません。彼ら彼女らには仕事以外でやりたいことがありますし、自分が医療のプロとして世の中に貢献していくことを大事にしています。やはり自己犠牲が当たり前の世界はナンセンスですよね。

またこれらの課題に取り組むにあたって、ひとつの分野だけでは上には上がいますが、多彩な分野を掛け合わせることで自分にしかできないアプローチを積み重ねていきたいです。

ー本日は素晴らしいお話をありがとうございました!平野さんの今後の更なるご活躍を楽しみにしています!

取材:田中のどか(Twitter/note
執筆:庄司友里(Twitter
デザイン:高橋りえ(Twitter