様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第537回目となる今回は、スタートアップ企業でカスタマーサクセスやセールス、PRと幅広い領域で活躍されている岩井啓さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。
現在携わっているライフスタイル事業をはじめ、フード事業や動画編集など多様な経験を持つ岩井さん。幼少期から半生を振り返り、興味を持ったことに挑戦して自分らしい生き方を切り開いてきたお話を伺いました。
死ぬ寸前の経験から得た「まぁ大丈夫か」のタフさ
ーまず、自己紹介をお願いします。
岩井啓と申します。スタートアップの企業でカスタマーサクセスやセールス、PRなどのポジションを務めています。過去には、キッチンカーを中心としたフード事業の代表を務めていました。
ライフスタイルですと、昨年の1月から20代前半の人が多くいるホステルに住んでいます。職場兼住居のような感じで過ごしてます。
ー岩井さんの幼少期の経験からお話を伺います。幼少期はどんな子どもでしたか?
生まれも育ちも東京です。東京の大学に行き、現在は仕事をしてます。今までずっと東京で過ごしてきました。小さい頃は、クラスのムードメーカー的なポジションにいましたね。
ー10歳の頃にご病気をされたと伺いました。
今振り返るとターニングポイントとなる出来事でした。親元から離れて、福島でキャンプツアーに参加していました。そこで腹膜炎を発症してしまったんです。
保健室が嫌いで、誰にも言わずに痛みを我慢していたら状況がどんどん悪化しました。県内の病院で診察を受けたら「東京まで戻っていたらもたない」と医師から言われたんです。大事をとってそのまま入院することになりました。
ー症状は重症だったのですね。知らない土地で入院するのは、心細くありませんでしたか?
当時は全然実感がなかったのですが、重症だったようです。「あともう少しで死ぬところだった」と後から聞きました。
入院中に寂しさはほとんど感じませんでした。2日に1度は親が東京から福島に来てくれたり、看護師さんに可愛がってもらえたりしたおかげです。
ー大変なご病気をされてから、現在に生きる教訓などありますか?
今のライフスタイルにつながるのですが、「何をやっても死なない」と思うようになりました。ここまで行ったら死ぬというラインを経験して、そんな簡単に人って死なないとわかるようになりました。
メンタルが強い訳ではないのですが、どんなことが起こっても「まぁ大丈夫か」と感じられるようになりましたね。
サッカー部漬けの中学時代、体育祭の団長を務めた高校時代
ー中学校は地元の中学校に進学されてから、どのように過ごされたのですか?
中学ではがっつりサッカー部に取り組んでいました。周りの友達も部活、部活という感じで、3年間部活漬けでしたね。
塾にも通っていていましたが、友達と話すことが多くあまり勉強はしてませんでした。受験は併願制度を使えばいいかと考えてました。そんな中、運よく都立推薦で第一志望の学校に行けたことは嬉しかったです。
ー高校時代はどのように過ごされたのですか?
サッカーを続けていました。学校行事にも積極的に参加していて、体育祭では団長として仕切らせてもらったりしました。
ー体育祭で団長をされていたのですね! 3学年をまとめるのは大変でしたか?
めちゃめちゃ大変でしたね。人前に立つことが好きだったのですが、だんだんしんどくなりました。人が嫌いになりそうでしたね。
ー団長になって大変だったエピソードはありますか?
自分自身の問題ですが、報連相ができていませんでした。日程調整もノリでやっていたので、なかなか思うようにいかず大変でしたね。
他に苦労したのは、人を動かすことです。男子だと遅刻がかっこいい、女子は5人ぐらいのグループで固まる風潮がありました。自分のやり方も上手くなかったなと振り返ってすごく感じます。
ー応援団の他のメンバーとは、どのように関係を築いていたのですか?
団長や副団長などポジションごとに、セクションが分かれていました。それぞれのセクション間で連携をして頑張っていましたね。役割はそれぞれ違いますが、「みんなで一緒に頑張ろう」という気持ちのベクトルは一緒でした。
部活もやっているメンバーが多かったので、とにかく時間が足りませんでした。そんな中、自分が一番積極的に頑張る姿を見せて、メンバーの士気を上げていました。放課後みんなで公園に集まって練習したのもいい思い出です。
バックパッカーの楽しさを知り、タイやヨーロッパ1周の旅へ
ーその後大学に進学されたのですよね。大学生活はどのように過ごされましたか?
サークルとアルバイトをしていました。サークルはサッカーのサークルに入りましたが、結局あまり参加できませんでした。
アルバイトは24時間営業のジムとしゃぶしゃぶ屋で働いていました。東京出身だとお洒落でキラキラした印象を持たれるのですが、Starbucksのようなバイトはしてないです。
サークルやアルバイトの他には、バックパックで海外旅行もしました。
ーバックパックで海外!どんなきっかけがあったのですか?
元々家族が旅行好きで、0歳10ヶ月頃から海外には行っていました。バックパッカーになったきっかけは、免許が取れて友達とどこか行きたくなったからです。
「日本人として被災地の東北に行った方がいい」という話になり、男3人で車中泊をしながら向かったのが始まりです。この経験はすごく楽しかったです。
北陸や四国など日本各地を巡ってから、海外にも行ってみたいと思うようになり、最初に向かったのがタイでした。
荷物がいらないと感じるタイプで、足りないものは旅先で買えるだろうと、小さめのバックで行きました。その姿を見た現地の人たちに「バックパッカーだね」と言われて初めて、自分はバックパッカーなんだと実感しました。
タイに行った2週間後に、1ヶ月半かけてヨーロッパを1周しました。2日に1ヶ国ぐらいのペースで移動して、大体20ヶ国ぐらい行きました。
ーたくさんの国に行かれたのですねその中で印象深かった国はありますか?
どの国も印象深いですが、よく話題に出すのがポーランドです。アウシュビッツに観光気分で行きました。実際に訪れると、ワクワクしていた気持ちが掻き消されるくらい心がしんどくなる場所でした。
霊感があるわけではないですが、すごく空気の重さを感じました。歴史の授業で学んで知っていましたが、人間が残虐に殺された場所であることを実感しました。
ー場所の重みを生で感じた体験だったのですね。自分に合ってると感じたり、住んでみたいと感じた国はありますか?
タイは自分にフィットしているなと思いました。フィンランド、ノルウェー、スウェーデンは一度住んでみたいと感じました。
住んでみたいと感じた国は、自然が魅力でしたね。北欧のゆったりした雰囲気は日本で味わえないと思うので、2、3ヶ月は住んでみたいです。
旅をしながら働いたスリランカの経験と日本での就職活動
ーヨーロッパ旅行の後にも、旅行は続けられたのですか?
東南アジアにも行きました。スリランカに行った経験が心に残っています。スリランカのホテルで1ヵ月ぐらい働いたんです。ワーホリではなく、働きながら過ごしていました。ホテルのオーナーと仲良くなり、映像づくりの経費を使わせてもらったおかげで、スリランカを0円で1周できました!
ー現地で仕事を得て旅行を続けるって凄いですね!
ホテルの掃除とスリランカを1周しながら映像制作をしました。映像制作をメインで行い、ホテルの外に広がる景色を収めたプロモーションビデオを作っていました。
今思うと、めちゃくちゃ貴重な経験でしたね。コロナ禍になる前の2019年の夏、大学4年生での出来事でした。
ー大学4年生だと、就職活動もされていたのですか?
行ってはいましたが、真面目には取り組んでいませんでした。それこそ、受けて受かればいいやぐらいの気持ちでいました。3社ぐらい内定をもらったのですが、もともと入社する気があまりなかったので、最終的に内定を辞退しました。
旅の計画が白紙に。コロナへの怒りをパワーに変える
ー卒業後は、また旅をしようとされていたのでしょうか?
そうですね。それと当時も今も、自分でゲストハウスの運営がしたくて。ゲストハウスを出すために、1年ぐらいワーホリして、世界中のゲストハウスを周ってから帰国しようと考えてました。ですが、コロナで全部計画が白紙になってしまいました。
ーコロナでやりたいことをやれなくなった人はたくさんいると思います。岩井さんは自分でコントロールできない状況になった時、どのように気持ちを切り替えましたか?
自分の努力じゃ何もできない事態を初めて経験しました。日本のコロナ感染者が2020年1月頃からじわじわ増えてきたじゃないですか。4月から海外に行く予定でしたが、3月に行けない状況になりました。その時に初めて挫折感というか、「もう、どうでもいいや」と諦めに近い感情を抱きました。
それから2ヶ月ぐらい落ち込む日々が続いたのですが、6月頃にだんだん怒りが湧いてきました。このままだと海外に行けないだけでなく、コロナに気持ちが負けてしまうと思うようになりました。
昼夜逆転した生活を送っていましたが、逆転に逆転を重ねて、朝早く起きて夜しっかり寝るような生活に変わりました。気持ちや生活の変化が重なり、来年には「コロナありがとう」と思えるくらい、コロナ禍での経験を活かしたいと思いました。
このタイミングから、色々な行動を始めました。コロナ禍の状況をモチベーションに切り替えましたね。
ーどのような行動をされたのですか?
「これ、やってみたいな」と頭に浮かんだら、やってみたいことが実践できる場に行きました。アナログですが、足を動かすのが自分に合ったやり方だと感じます。
色んなところに住みたい、行ってみたいという気持ちから、ライフスタイルに興味を持ちました。暮らしに関するサービスを調べたりしました。現在のホステルに住みはじめたのも、色んな暮らしのスタイルに興味があったからかもしれません。
フード事業の代表を経て、スタートアップに飛び込む
ーその後、ホステルでフードトラック事業を手掛けることになった経緯を教えてください。
入居し始めた時から、ホステルがフードトラックをやっていると聞いていて、やってみたいと感じていました。最初はバイト感覚で始めたのですが、取りまとめていた正社員の方がうつになって辞めてしまったんです。体制を立て直すタイミングに「代表をやってみないか?」という話をいただいたのがきっかけです。
いきなり責任のあるポジションを任されて大変でしたが、やるしかない状況でした。3月から4月にかけて、ただひたすら働いていましたね。
ーフードトラックで利益を上げるために、どのような戦略を立てられていたのですか?
オフィスの前に出すことが多いので、客層は会社員の方がターゲットになります。お客さまは1時間ぐらいの休憩時間を使って来てくれるので、特に時間短縮を心がけています。LINE@で予約できるようにして待たせない仕組みづくりを意識しています。
ーその後、スタートアップ企業に転職されるのですよね。新しい仕事を選んだ理由を教えてください。
人生で大切にしている「旅」や「新しいライフスタイル」に関する事業を展開していたからです。将来自分の会社をつくるためのヒントを得られる環境だと思い、新しい環境に飛び込みました。
ー今後の岩井さんの展望を教えてください!
自分というメディアを伸ばしていきたいです。正社員でなく自由にやっている自分のような人間は、会社への所属や転職が難しい立場だと考えています。言い換えると、正社員が向いてなかったところもあるので、個人の力を伸ばしていく必要があると思います。
自分のメディアを展開させることが、実績につながるのではないでしょうか。SNSが流行してから、個人にどれだけの影響力があるか、個人をメディアとして売れるかが大切になってきたと実感しています。
ー本日はありがとうございました!岩井さんの今後のご活躍を応援しています!
取材:三木晶子(Instagram)
編集:杉山大樹(Facebook/note)
執筆:naoko(Twitter/note)
デザイン:安田遥(Twitter)