NPO理事長 萩原涼平が、高齢者の孤独を解決するソーシャルビジネスを、進化させてきた道のり

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第526回目となる今回は、NPO法人ソンリッサ理事長の萩原涼平さんをゲストにお迎えします。

高齢者の方の「孤立・孤独」の社会課題を解決するために活動している萩原さん。20代前半から複数の受賞を受けるなど注目を浴びています。その後も、真摯な姿勢でサービスを進化させ、行政・NPO・ビジネス・地域の方など多くの人に応援される事業を作り上げてきました。

萩原さんは、なぜ高齢者向けのソーシャルビジネスに向き合うことを決めたのか? なぜ多くの人に支援されるサービスを作ることができたのか? その物語をお聞きしました。

高齢者の方に、生きがいと、社会との繋がりを提供する

ー自己紹介をお願いします。

萩原涼平(はぎわらりょうへい)です。NPO法人ソンリッサの理事長を務めています。ソンリッサは、高齢者の方の見守りサービス「Tayory(タヨリー)」を主軸に、高齢者の方が「社会との繋がり」や「生きがい」を感じられるサービスを提供しています。

ソンリッサはスペイン語で「笑顔」という意味です。高齢者の方に、私たちの事業を通じて笑顔になってほしい。そのような意味を込めて、この名をつけました。

ー高齢者の方に寄り添うサービスを展開されているのですね。Tayoryは具体的には、どのようなサービスでしょうか?

まごのように頼れる専門家「まごマネージャー」が、趣味を一緒に楽しんだり、スマホの使い方のレクチャーをしたり、困りごとのお手伝いをしたりするサービスです。

群馬県内であればご自宅を訪問しますし、県外であればビデオ通話・電話などで対応します。ご自身では積極的に外出しづらいというシニアの方も多いので、私たちの方から出向く、アプローチするという手法を大切にしています。

まごマネージャーは、20代〜30代前半の社会福祉士、介護福祉士、看護師などの方に登録してもらっています。プロの知見を活かしながら、高齢者の方の思いを傾聴して、その方のお悩みを一緒に解決してもらっています。

ー例えば、どのようなお悩みがあるのでしょうか?

例えば、Aさんは地域のサロンにカラオケに行くのが趣味でした。でも、コロナでそれが難しくなって元気をなくしてしまっていたのです。家での楽しみ方が分からないというのがお悩みでしたので、スマホやSNSの楽しみ方をレクチャーしたところ、笑顔を取り戻してくれました。

また、Bさんは、他の皆さんと一緒に運動したいという気持ちがありましたが、具体的に何をすれば良いか分からず困っていました。そこで、地域の健康サロンにBさんを招待したところ、とても喜んでくれました。

Tayoryは、高齢者の方の1人ひとりの状況に合わせながら、みなさんの「生きがいづくり」や「社会との接点づくり」をサポートしています。

ー生きがいや、社会との接点が重要なのですね。

家にこもりがちになり、何日も誰とも会話しない、といったことが起こると「社会との繋がり」を感じられなくなってしまいます。そうすると、孤立感・孤独が、認知症のリスクや死亡率を増大させてしまうという研究もあります。

私たちは、1人ひとりの想いを大切にして、その方にとっての支えになり、社会との接点を作り出したいと思っています。

自身の祖母の課題を解決するサービスをつくると決意

ーTayoryは、高齢者の方の孤立・孤独という、社会課題を解決するサービスなのですね。なぜ、このような事業を起こそうと思われたのでしょうか。

原点は、私の幼少期の経験にあります。私は祖父母に愛情を注がれて育ちました。家族に怒られた時も、祖母に話を聞いてもらったり、祖父が好きな食べ物を買ってきてくれたりしました。私は、2人が大好きでした。

しかし、私が高校生の時祖父が体調を崩して他界してしまいました。すると、祖母の様子が大きく変わってしまったのです。

祖母は祖父の会社を手伝ってイキイキと生活していましたが、祖父の他界後は、手持ち無沙汰になり、家に引きこもりがちになりました。祖母は足が悪かったので、外に出掛けるのも大変で、人とのコミュニケーションは減っていきました。

ー大好きな、おばあ様がそのような状態になるのは、とても辛いですね。

祖母は、直接的には「寂しい」とは言いませんでした。でも、ある時、祖母の家を訪れた時のことです。1人でぼーっと座って何もしていない祖母の姿を見てしまいました。

私は祖母を気遣い声をかけましたが、祖母から出てきた言葉は「でも、仕方ないよね」というものでした。何かを諦めてしまったような寂しさの入り混じった声を聞いて、言いようのない、やるせなさを感じたのを覚えています。

私は、祖母のために何か良いサービスはないかと探したのですが、見つけることができませんでした。高齢者に「仕方ない」と言わせてしまう日本社会の現状、それが悲しく、憤りを感じました。私はこの時、自分で高齢者の社会課題を解決する事業を作ろうと決意したのです。

ー社会にないなら、自分でつくると決められたのですね。高校生の時期から、そのような起業家精神があったのは、なぜでしょうか?

理由の1つは、従兄弟が福祉系の会社を起業していて大学講師も務めているなど、ソーシャルセクターで事業を起こすということが、自分にとっては身近な選択肢であったことがあるかもしれません。

彼の影響でソーシャルビジネスに興味を持った私は、当時からWEBで情報を集めていました。そして、社会起業家の記事を読みながら、自分はどうしたいのか考えました。

先生が言うルートに乗って進み、競争に勝ち続けて、一般企業でいいポジションになった時、自分が望む社会は実現されているだろうか? 私の祖母を助けてくれるサービスは、世の中に生まれているだろうか。分からない。であれば、自分で作ろうと思ったのです。

ー「社会を良くするために、自分は何をしたいか」ということを、高校の時から自分に問われていたのですね。

何のために生きるのかと考えた時、私は自分が問題意識を感じることに、自分の人生を賭けたいと思いました。

そして、できる限り最短でその目標を成し遂げたい、そう思いました。当時、よく吉田松陰に関する書籍を読んでいたのですが、その教えで「すぐにアクションせよ」というものがあったのです。

自分の目標を、最短で達成するための進路は何か? その基準で考えた結果、NPOのビジネスを学べる専門学校を進路として選択しました。自分なりに調べた結果、大学よりもビジネスを現場で学べると思ったからです。

ーその選択の結果は、いかがでしたでしょうか?

NPOの経営者の方に会う機会も多く、充実した時間を過ごすことができました。私は早速ビジネスプランを練り、実際に起業している従兄弟に見てもらうことにしました。学んだ知識を注ぎ込んでいたので、それなりの自信はありました。

しかし、そこで従兄弟に諭されました。彼は「自分の祖母への想いを起点に、起業しようとするのは偉いし、応援もしたい」と前置きした上で、言いました。

「でも、地域や高齢者の方に何が起こっているのか、なぜ孤立しているのか。本当に分かってる? それがないままに起業しても、きっと失敗してしまうよ」従兄弟の厳しくも温かい言葉に、ハッとさせられたのを覚えています。

高齢者を知るため田舎に移住。事業運営で感じた力不足

ー経験者の立場から、鋭い意見を言ってくれたのですね。その言葉を受け取った後、萩原さんはどのように行動されたのでしょうか?

地域の高齢化のリアルをこの目で見ようと考え、総務省の「地域おこし協力隊」の制度を利用して、群馬県の田舎町に移住して働きました。

面接でも「高齢者の方の課題を知りたい」とお話ししていたので、移住後は、健康サロンや、高齢者の方が集まるグランドゴルフ場を回せてもらいました。そこで、孫のようなポジションで、高齢者の方の本音を聞いてまわる活動に注力しました。

20ヶ所以上ある施設を5回転ほどしたと思います。その頃には500人以上の方にお話しを聞くことができました。

ー500人! 素晴らしい行動力ですね。その結果、どのような話を聞くことができたのでしょうか?

高齢者の方々が持つ悩みは様々であることが分かりました。健康サロンやゴルフ場など交流のための施設があっても、「足が悪い」「家が遠い」といった物理的な理由や、「仲の悪い人がいると行きづらい」といった人間関係の問題もあって、顔を出しにくいという事情もありました。

しかし、ある方がこう言いました。「でも、ここに来れなくなると家にこもってしまって、弱っちゃうんだよ」私は、そういった皆さんのために居場所をつくりたいと考えました。それが、最初の事業の構想につながりました。

ー多くの人に話を聞いたからこそ、確信をもって事業を立ち上げられたのですね。最初はどのような取り組みをされたのでしょうか?

「シニア向けスマホサロン」を作りました。スマホの使い方を計6回の授業で丁寧に教えるというものです。ヒアリングの中で「家族からスマホを貰ったけど、使い方が分からない」といった高齢者の方が多いことに気づき、この構想に行き着きました。

みんなで学ぶ場も居場所になりますし、SNSの発信を学べば家にいる時も、誰かと繋がっている感覚を持てる、そのように考えたのです。

120名ほどの方に参加いただき、8割以上の方が、facebookやlineで地域活動の発信や、コミュニケーションができるまでになりました。

ー家にこもりがちな高齢者の方でも、SNSを学べば、コミュニケーションの機会が増えますね。

その通りです。しかし、課題もありました。サロンに来れるのは、ごく一部の「アクティブシニア」と呼ばれる、活動的な高齢者の方に限定されていることが分かったのです。サロンに出向くという、最初の一歩が踏み出せない。そんな方々にアプローチする必要がありました。

そこで、次にローンチしたのが「EMTOMO(エモトモ)」です。これは、アクティブシニアの方と、一歩踏み出せない高齢者の方を、趣味や価値観でマッチングして、ビデオ通話でお話しができるようにしたサービスです。

ーそれなら、最初にサロンに行かなくても、繋がりを作ることができますね!

実際に利用者の方の満足度は高く、喜びの声をお聞きできたことは、とても嬉しかったです。また、このサービスで複数のコンテストの受賞をいただき、フランス・パリで開催されたGlobal Business Summit 2017に招聘されるなど実績をつくることもできました。

それ自体に手応えは感じたのですが、マネタイズの壁があり、持続的に事業運営することができませんでした。私にはNPO経営の経験が、圧倒的に不足していたのです。それを痛感した私は、一度事業を閉じて、実績のあるNPOで武者修行をすることを決めました。

NPOで修行した後、地元の群馬で新規事業をスタート

ー受賞経験にも慢心することなく、ハングリーに事業運営のスキルを磨こうと思ったのですね。

福島県南相馬市の一般社団法人で働きながら、ソーシャルビジネスの経営について学びました。

そこでは、マーケティング・ファンドレイズの考え方や、行政・別の企業と連携しながら事業を進めるやり方、スタッフに寄り添いながら組織運営する方法などを知ることができました。どれも、過去の自分に足りなかったもので、修行に出て良かったと心から思っています。

その後、自分で裁量を持って事業を運営する経験をしようと考えました。そこで、地元の群馬県前橋市にUターンし、貧困層の子どもたち向けのフリースクールをしている一般社団法人に事務局長としてジョインし、経験を積みました。

ーこの時期に、NPOの経営スキルが格段に上がったのですね。

スキルを磨きながらも、高齢者の方向けのサービスを立ち上げる準備は進めていました。それが、平日の夜に週に1回ほど開催していた勉強会です。

福祉や、高齢者の方の課題を取り上げ、どのような事業でそれが解決できるかをディスカッションする勉強会を開催しました。

勉強会には、行政、社会福祉協議会、NPO、ビジネスなど様々な領域の専門家や、地域の方が参加してくれました。みなさん、共通の想いを持っていたからこそ議論は深まりました。

ーどのようにして、勉強会に参加する人は集められたのでしょうか?

まずは私自身が、高齢者の課題を取り上げている勉強会に積極的に参加して、同じ課題意識を持つ人たちと知り合っていきました。同じ想いを持つ方と知り合うことは、自分の想いを実現していく上で、有効な一手だと思います。

ー積極的に行動しながら、ネットワークを広げていったのですね。勉強会を開催して、どのような変化がありましたか?

共感してくれるメンバーや、支援者の方が現れました。議論も熟し、共通の想いを持った仲間にも出会えましたので、私はTayoryを立ち上げる決意をして、今に至ります。

以前とは異なり、私自身のスキルも上がりましたし、それ以上に支えてくれる人が増えました。ソンリッサのスタッフ、行政の協力者、ビジネスの助言をくれるコンサルの方、地域の方々。みなさんへの感謝を胸に、事業を大きくしていきたいと思います。

ー萩原さんの事業は多くの方に支えられているのですね。Tayoryを通じて、どのような未来をつくっていきたいですか?

この事業を通じて、孤立・孤独に関心を持たない社会を変えていきたいと思っています。孤立が起こってしまうのは、1人ひとりの課題であるだけでなく、そうさせてしまっている社会の課題であるはずです。

孤独を感じず、温かい「社会との繋がり」や「生きがい」を感じながら、高齢者の方が日常的に幸せになれる未来をつくっていきたいと思います。「ひとりで抱えずに、優しい繋がりが溢れる社会をつくる」それが、私たちのビジョンです。

ー萩原さんの優しさと、強い意志が表れていますね。最後に、U-29世代の皆さんへ、メッセージをお願いします。

小さくても具体的なアクションを毎日積んでいくことが大切だと思っています。大きな目標があると「自分にはできない」と思ってしまったり、毎日の変化は小さすぎて意味を感じられなくなってしまうかもしれません。

しかし、小さなアクションを続けていると、期間が経って振り返ってみた時、大きな変化になっていることを学びました。何かに挑戦されようとする方の気づきになれば嬉しいです。

ー萩原さんのお話は、目標に向かって小さなアクションを積み上げ続けてきた物語でした。これからも萩原さんのチャレンジを応援させてください。今日はありがとうございました!

取材・執筆:武田 健人(Facebook / Instagram / Twitter
デザイン:安田遥(Twitter