REPOC代表・鍵山大地に聞く、一次産業とITで実現する自分らしい働き方

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第397回目となる今回は、合同会社REPOC 代表 鍵山 大地さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

REPOCでは、システム開発等を受託する一方、担い手不足が深刻な問題となっている農業に対するソリューション開発を進めています。農業×ITの組み合わせは何をもたらすのか。鍵山さんが描く未来に迫りました。

農業×ITで後継者不足を解消したい

ーはじめに鍵山さんご自身とREPOCの事業についてご紹介いただけますか?

REPOCは2020年9月に起こしたばかりの会社です。それ以前、私はとあるベンチャー起業のNo.2として経営全般に関わっていました。その会社はIT人材の育成や派遣を行う会社でした。REPOCも一般的なシステムエンジニアリング会社としての顔を持っていますが、注力しているのは農業の活性化に寄与することです。

事業化に向けた準備を進めてきましたが、2021年になって神奈川県の大磯町役場との提携が成立しました。大磯町の休耕地を農地として再び蘇らせ、若者人口の増加や観光業の活性化につなげようとする取り組みを始めたところです。

ー農業に関心を持たれた理由を伺ってもよいですか?

実は農業だけを志向しているわけではないんです。REPOCでは、その他の一次産業に対しても、農業と同じように後継者不足問題を解消するソリューションを提供したいと考えています。

なぜ一次産業なのかは伝統工芸である「漆塗り」を例にして説明しましょう。伝統工芸の分野でも一次産業と同じように後継者不足が指摘されています。漆塗りに関していえば、漆塗り職人だけでなく、漆塗りの道具を作る職人も不足しているのです。さらに突き詰めれば、その道具の材料となる林業でも後継者不足が叫ばれています。二次産業以前に一次産業の後継者不足を解消しないと、多くの産業が立ち行かなくなってしまうのです。

一次産業のなかでも農業を最初に選んだのは、地方の衰退といったその他の社会課題に直結する領域だからです。その他の一次産業に取り組みを展開していくうえでも、農業で培う経験は多いに役立つことでしょう。

ー農業そのものよりも地方の衰退や一次産業全体の後継者不足の解消に貢献したいという想いがあるのですね。

私は神奈川県の南部に位置する二宮町の出身です。この町は消滅可能性都市と言われ、2010年から2040年にかけて、20~39際の若年女性人口が5割以下に減少すると予測されています。実際に私の地元では、子どもも減って、いくつかの小学校が統合されています。

しかし、日本の地方性をあと30年足らずの時間で消滅させるのはあまりにもったいないと思うのです。食文化や祭事など文化の多様性は残されるべきだ。そんな気持ちが一次産業への支援を始めたきっかけですね。

最初に大磯町からスタートするのは、私の地元の近くだったことが理由のひとつなんです。役場の方も観光業としての農地活用に強い興味を持たれていて話し合いがスムーズに進みました。

ー具体的にはどのように解消していく考えでしょうか?

東京に住む若者を減らし、地方に住む若者を増やす仕組みを一次産業から作りたいと思っています。確かに東京には仕事もあり、地方に比べれば高い賃金を得やすいのが実情です。私自身も現在は東京に住んでいて、その利便性を感じています。ですが、これまでの一極集中型の働き方とは違うやり方もあることをREPOCで示したいんです。

大磯町では、モデルケースとして休耕地を自社で借り受け、社員の手で耕しています。テスト的にいくつかの種類のほうれん草を育てているところです。午前に畑仕事をして、午後にプログラミングをするなんて働き方が板についてきた社員もいます。

自社での取り組みを足がかりにして、農業教育プログラムを提供するなど、若者が地方へ移住するきっかけを作っていく考えです。

描いている世界観は、誰もが好きな土地で好きな作物を作れるようになること。農家になろうとすると、「農家で3-4年ほど経験を積まないと独立できない」という暗黙の了解がこの業界にはあります。そうした慣習もなくしていきたいですね。

 

大学中退から自分の道を見つけるまで

ーありがとうございます。ここからは、現在の働き方・生き方を選択するに至った鍵山さんの生い立ちをお伺いできればと思います。幼少期はどんなお子さんだったのでしょうか?

小学校に入るまでは人見知りで運動音痴。勉強も苦手で教室の端っこでもじもじしている子どもだったんです。ところが、小学校に入ると一転して駆けっこも早くなり、もじもじもしなくなったんです。他の子よりも早く鉄棒で逆上がりができるようになったんですが、それで自信がついたのだと思います。その翌日には学級委員に立候補したことを覚えていますね。中学校では、部活で野球をやりつつ、文化祭に向けてバンドを組んだりもしました。

ー高校はどのように選ばれましたか?

中学2年生のときには、校風の自由さに惹かれ、平塚市のとある高校へ行こうと決めていたんです。数学が苦手だったのですがなんとか入学できました。野球はやめて、先輩がふたりしかいないバレーボール部に入りました。よくマンガで見るように部員集めからスタートしましたね。なんとなく困っている人を助けたいと思う気持ちが、当時からあったのかもしれませんね。

ー将来のことはどのように考えていましたか?

部活も忙しい上に、私生活でもだいぶ遊び呆けていましたから、気付いたときには大学を自由に選べる成績ではなくなっていました。高3の夏に一念発起し、なんとか大学に進学することができたんです。

入学してからはサークル活動やバイトに明け暮れました。バイトは寿司職人や個別塾の講師といくつも掛け持っていましたね。法学を専攻していましたが、勉強は一向に好きになれなくて、ずっと大学で学ぶことに違和感を感じていました。悩むことで人と会話するのも億劫になり、家にひきこもる時期もあったほどです。このままむやみに大学に通い続けるよりも、就職した方が楽になれるのではないかと、救いをもとめるように中途退学を決意したんです。

ー退学に際して不安などはありましたか?

もちろんありました。退学を決意したあと、退学した人がどんな人生を送っているのかいろいろとネットで調べたりもしたんです。僕自身が希望する業種には一生つけないかもしれないという覚悟すらしました。ですから片っ端から採用面接を受けていったんです。ただ、当時からいずれはフリーランスになって家でしごとをしたいと思っていました。家で仕事ができれば親にも自分が頑張っている姿を見せられる。罪滅ぼしにになるだろうなんて考えていたんですね。そんななかでたまたま未経験でエンジニアとしての教育も充実しているベンチャー企業に入ることができ、僕のキャリアがスタートしたんです。

ーそのベンチャーはどんな事業を手掛けていたのですか?

元はプログラミングの会社で、僕を採用いただいた当時は、未経験のエンジニアを自社で育成する事業を構想していたときでした。僕は一期生として、まず会社の補助でプログラミングを学び、将来はあとから入ってくる社員の講師となる予定だったのですが、コミュニケーション力を買われてすぐに営業へ移動になったんです。

そこからは採用担当や人事、経理などバックオフィスでの経験を深めていき、気付けば会社のNo.2担っていました。採用には一貫して力を入れていて、いつの間にか200名以上の社員を有する会社へと成長したんです。その道中はチャレンジの連続で楽しかったし、会社が次第に大きくなることが嬉しかった。当初思い描いてたフリーランスエンジニアとはかけ離れてしまいましたが、後悔はありませんでした。

ーそのようなポジションを得ていてなお独立を志したのはなぜでしょうか?

あるとき経営会議に出席する面々を見渡したところ、ほとんどが自分が採用して各領域の責任者となった若手ばかりだったんです。この組織は挑戦ではなく、継続・拡大のフェーズに入ったのだと実感しました。自分ができることはやりきったような感覚を覚えてしまったんです。振り返ると自分は、何もないところを開拓していくのが好きで得意だったんですよね。

 

REPOCで目指す社会貢献と自己実現

ーそれで独立してREPOCを立ち上げたんですね。

地方で働きたい想いは変わらず持っていたんです。だったらそれを実現するための会社を作ってしまおうと思いました。28歳のときですね。

現在の事業構想を固めるために、関東近辺の農家さんにノーアポで訪問し生の声を聞くなどリサーチには十分な時間を注いできました。休耕地や後継者不足の問題について自分なりの理解を深めていく傍ら、農業のIT化の遅れが深刻であることにも気付いたんです。ITが得意な子が地域に溶け込んで、農業のIT化を推進してくれたらいいのではないかと考え、農業×ITという事業軸を思いついたんです。

ーありがとうございました。生い立ちから現在の事業構想を描くに至るまで、一気にお話いただきましたが、今後の展開もお伺いしてよいですか?

今お話したように農業のIT化を支援するWEBサービスも作りたいんです。例えば、作物の生育にかかわるデータをWEB上で記録し分析できる機能や、新規参入する人たちが気軽に質問できる掲示板機能なんかも考えています。あるいは、農地ごとに適した作物を地形や天候データをもとにリコメンドしてくれる機能も良いかもしれません。現在はβ版を作って、利用者の反応を伺っているところですね。

ー個人として挑戦していきたいことは?

僕自身はまだ東京に住んでいますからね。地方へ自ら移住してモデルケースを作っていきたいと思います。

ー最後に将来に悩む若い人たちに向けてアドバイスをいただけませんか?

20代の前半は分からないこと、困ってしまうことがいっぱいあるでしょう。なかには、これをやっていて意味があるのかと思うこともある。ただ、僕自身の経験から言えるのは、どんなことでも全力で取り組めば、最後には伏線回収するように自分の価値になってくるんです。気の抜けた状態で時を過ごしていては大きな後悔をすることになるでしょう。

ー本日はありがとうございました!鍵山さんのさらなる挑戦を応援しています!

取材者:高尾有沙(Facebook/Twitter/note
執筆者:海崎 泰宏
デザイナー:高橋りえ(Twitter