宝塚歌劇団をやめてスイーツ専門店に入社。小澤芽生が「人生に無駄なことはない」と断言する理由とは

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第532回目となる今回は、パリ発の高級チーズとバターの専門店beillevaireの店舗マネージャー・小澤芽生さんをゲストにお迎えしました。

現職に入社する前は、宝塚歌劇団に所属していた小澤さん。宝塚での厳しい日々を乗り越え、今の自分があるのはまわりの人の支えがあったからこそという小澤さんの、大切にしている価値観や、これまでの経緯についてお伺いしていきます。

幼少期の辛い経験も、自分には必要な経験

ーまず初めに、幼少期の頃から取り組まれていたことを教えてください。

昔から体を動かすことが好きで、小さいころから新体操を続けていました。11歳の時に大会で優勝して、好きで続けてきたことが結果として現れて、自分自身はもちろん、周りの人たちも喜んでくれたのが嬉しかったです。

ー新体操の練習していく中で、大変だったことはありますか?

初めてライバルという存在ができました。競い合いがあったり、技術面でも自分より勝っていたり、他の人より頑張らないと追いつけないという状況に初めて陥りました。

辛いこともたくさんありましたが、新体操をやっていてよかったなと思います。

ー中学生になってバレエを本格的に始めたんですよね。印象に残っている出来事はありますか?

13歳の頃に、バレエスクールに通うことになりました。当時164センチくらい身長があったという理由だけで、お姉さんたちのいるクラスに入れられてしまいました。それが原因で、対人関係に悩むようになりました。

逃げることしかできなくて、初めてレッスンを休んでしまいました。その後両親に気づいてもらい辞めることができたのですが、その時に「2度とこの世界には戻らない」と先生に言ってしまいました。

でもその経験があったからこそ、「人に嫌な気持ちをさせては絶対にいけない」ということを学べたので、それ以降の人間関係は上手くいくようになりました。

バレーボールに熱中するも、心では宝塚受験を考える

バレエスクールを辞めてからは、どのように過ごしていましたか?

バレーボールを始めました。バレーボールを始めたことで身長も伸びて、体力も付きました。とても厳しかったのですが、そこで得た経験は後に役に立ったので、無駄なことはなかったんだなと、今だからこそポジティブに捉えられています。

ーバレーボールを3年間されて、今に強く繋がっている経験はありますか。

バレーボールは初心者だったのですが、身体を動かして競い合うスポーツの楽しさを知ることができました。バレーボールを始めたことによって、いい意味での気の強さを得ることができましたし、上下関係の厳しさも初めて経験しました。

バレーボールを通じて、自分は試合に勝って喜びを得るというのが合っているんだなと感じました。そしてもう一度、「宝塚と向き合ってみよう」と思えました。バレーボールがきっかけで、もう一度自分の将来を考えることができました。

ーバレーボールしながらも、宝塚が心の中にあったんですね。

中学3年生の時に、再度宝塚受験スクールに入りました。当初はバレーボールと両立していたのですが、宝塚は受験科目が多いので、スクールの先生から「バレーボールとスクールの両立は無理だ」と言われてしまいました。

中学3年生の引退する直前に、「宝塚を受験したいので、バレーボール辞めます」とコーチに謝りにいきました。すごく怒られましたが、あの時宝塚を選んでよかったなと思います。

ー大きな決断ですね!葛藤はなかったですか?

部活の先生やメンバーに良く思われないのはわかっていたのですが、ここで辞めないと後悔するなと思い、周りには相談せずに辞めることを決めました。
とても悩んだのですが、宝塚に入りたい気持ちが強かったので、葛藤はありませんでした。

とにかく厳しく辛かった宝塚での生活

ー宝塚受験の結果はどうでしたか?

スクールの先生から「宝塚は1回目の受験で合格するものではない」と、厳しいことを言われました。

宝塚には男役と娘役があるのですが、自分の意思と身長で決まります。髪の毛が長ければ男役でも娘役でも選んでいただけるので、合格の可能性が高くなります。でも私は絶対に男役しかやりたくなかったので、受験の直前に髪をバッサリ切りました。

先生もとても驚いていて、「そこまでやる気があるなら合格する可能性あるかもしれないね」と言われ、運もよかったのか1回目の受験で合格することができました。

ー入学後、印象に残っている出来事があれば教えてください。

とにかく体育会系で、上下関係が厳しい世界でした。

ー宝塚の日々を通じて、今の自分に繋がっているものはありますか?

家族は私が選択したことを否定しないで応援してくれたので、とても感謝しています。そこで頭ごなしに否定されてしまうと、宝塚に入ることも、今の会社に入ることもできなかったと思います。

宝塚時代の同期は今でもスイーツのお店にみんな会いに来てくれて、宣伝もしてくれる人もいます。支えてくれている人たちがいるからこそ、生きていけるんだなと日々実感しています。

ー辛いこともありましたか?

辛いことはあまりなかったのですが、寮に入ったので、15歳で親元を離れるということはとても寂しかったです。

でも自立という意味では、寮に入ってよかったなと思います。寮に入っていなかったら、辛すぎて「もう学校行きたくない」と言っていたかもしれません。

学生時代に得た交友関係は今でも繋がっていますし、辛いことがあってもあの時よりマシだと思えるので、当時の経験はすごく大切ですし、忘れないようにしています。

ー宝塚音楽学校を卒業して、宝塚歌劇団に所属されてからの生活はどうでしたか?

宝塚では7年目までが新人と言われており、新人公演という機会もいただけました。新人だけでやるので、いつもより踊る機会が多かったり、セリフを多くもらえます。

新人公演のレッスンができるのが、普段の公演の前後だけだったので、とても大変でした。新人公演も、大劇場でお客様にお金を払っていただくので、新人だからといってクオリティの低い公演は許されません。そんな辛い中でも、周りの支えがあったからこそ、乗り越えることができました。

宝塚を大好きな時に、退団を決意

ー宝塚を辞めたきっかけはなんですか?

辞めようと思ったことは何度もありました。その時期は辛すぎて、ネガティブな状態になっていました。

当時家族に相談したところ、「辞めたければ辞めればいいんじゃないか」と言われて、辞めたいというよりかは、辛いことから逃げたいだけだということに気づきました。

なので自分が宝塚を辞める時は、宝塚が好きで入ったのだから、宝塚を大好きな時に辞めようと決めました。26歳の時に宝塚にいることがすごく充実している状態で、タイミング的に今しかないと思ったので、退団を決意しました。

ー宝塚を嫌いになった状態から、もう1回好きになるまで大変ではなかったですか。

手を差し伸べてくれる同期や先輩がいたからこそ、また宝塚を好きな気持ちに戻れたと思います。

好きで入った世界を、嫌いなまま辞めたくないなという思いがありました。

ー宝塚退団後はどんなことをされたのですか?

宝塚を辞める時に、「自分はなにがやりたいんだろう」と今後の人生を考えた時に、宝塚に入れたのも家族の支えがあったからこそなので、少しでも父の手伝いになれればと思い、父の会社への入社を決めました。それが今店舗マネージャーをしている、パリ発の高級チーズとバターの専門店beillevaireです。

宝塚を辞めることも、父の会社に入社することも、簡単に決めてはいけないことだったので、私にとっては大きな決断でした。

ー大きな決断をするうえで、頼りにしてきたものはなんですか?

まず自分の直感ですね。決めた後に、本当にそれでいいのか周りの信頼できる人に相談して、それを踏まえたうえで、最後は自分で決めます。

誰かのせいにせずに、自分が決めたことに対して自信を持って行動するようにしています。その選択が間違っていたとしても、どう修正できるかは自分次第だと思っています。

父の会社に入社、今までとは全く違う生活へ

ー生活もガラッと変わったとは思いますが、新しい生活を始めて大変だったことはありますか。

今まで寮生活だったので、初めてちゃんと1人暮らしをしました。今までは困ったことがあっても、宝塚の仲間が傍にいてくれたので、それがなくなってしまったのは辛かったです。

今までアルバイトもしたことがなくて、社会人経験が全くない状態で今の会社に入社したので、そこでの苦労もたくさんしました。

ー新たな人との関わりが増えた中で、大切にしていたことはありますか?

毎日会う会社の人でも、朝一はちゃんと目をみて挨拶をするようにしています。その時に相手の状態を瞬時に察知して、ちょっと暗いなと感じたら「相談乗ろうか」と、声をかける時もあります。

違う会社の方でも、最初にきちんと挨拶をしていれば、コミュニケーションが取りやすいと思うので、そこは気を付けています。

ー瞬時に相手の状況を判断するのは難しそうですね。

相手が「テンション低いな」と感じたら、自分のテンションを押し付けずに、その人に合わせることが大切だと思います。

それがお客様に対して支障をきたす程のレベルであれば注意しますし、原因を解明するようにしています。時間が経っても改善されないようであれば、他のスタッフにも影響してしまうので、1対1で話をします。

今は5店舗のマネージャーをしているので、スタッフとのコミュニケーションは特に大事にしています。

ー入社してマネージャーを務めたり、どんどん立場が変わっていると思いますが、大変だったことはありますか。

入社して1年で、松屋銀座店の店長になりました。その時初めて店長という仕事を任されたので、何からすればいいのか全くわかりませんでした。

周りのスタッフが助けてくれたり、違う店舗の店長が愛のある指導をしてくださったおかげで、無事に店長としての責務を全うできました。

ー「人」というのがキーワードになっていると思いますが、今大事にしている価値観も「人」というのが大きく関係していますか?

本当に小さなことでも、1人では生きていけないと実感する日々です。少し前に、新店の立ち上げというものを初めて経験させてもらいました。

事前準備は万全にしていたのですが、直前に様々な問題が発生しました。専門の方々や、社内のスタッフの助けがあったからこそ、乗り越えることができました。

困ったことがあっても、普段から人との関わり方をちゃんとしていないと、いざ助けてほしいという時に助けてくれないと思います。人に良くない対応をしてしまうと、いつか絶対に自分も同じ目にあうと私は思っているので、そこは大切にしています。

ー生まれ変わっても、また同じ経験をしたいと思いますか。

生まれ変わっても、同じ家族のもとに生まれたいですし、生まれ変わっても、多分同じ道を選んでいるだろうなと思います。

宝塚の公演を見ているだけでみんな元気になるし、家族や友達も観劇後に本当に楽しかったと心から言ってくれました。人を幸せにできる職に就けたというのは、本当に幸せだったと思います。

現在勤めているスイーツの会社でも、同じことが言えると思っています。甘いものが好きな人はたくさんいますし、ちょっとしたギフトでもらうだけでも、幸せな気持ちになれますよね。

宝塚もスイーツも、幸せになれる要素がたくさん詰まっていて、どちらも本質的には繋がっていると思っています。

ー最後に、読者の方にメッセージをお願いします。

初めてインタビューというものを受けたのですが、このような機会をいただけて感謝の気持ちでいっぱいです。

人と関わることを大切に、一人ひとりに向き合って、今後も生きていきたいと思います。

ーありがとうございました!小澤さんの今後のご活躍を応援しております!

取材:松村ひかり(Facebook / Instagram / Twitter
執筆:川鍋由紀
編集:杉山大樹(Facebook / note
デザイン:高橋りえ(Twitter