起業する決意を抱いて、馬術とともに精神を鍛えた黒川 ウェリントン 力の挑戦とは

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第570回目となる今回のゲストは、黒川 ウェリントン 力(くろかわ うぇりんとん ちから)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

バハマと日本のハーフであることを強みにバハマの観光メディアを運営する黒川ウェリントン力さん。トップに立つことを常に意識し、中学から続けている馬術で精神を鍛え上げた彼はこれまでどのような経験をしてきたのでしょうか。現在の事業内容から起業するまでの道のりについてお伺いしました。

バハマの認知を広めるため立ち上がる若き起業家

ーまずはじめに、自己紹介をお願いします。

バハマの観光PRを推進しているORCA COMPANY(おるかかんぱにー)の代表を務める黒川ウェリントン力(くろかわ うぇりんとん ちから)と申します。主な事業内容としてバハマの観光メディア・BAHAMA NAVI(バハマナビ)の運営をしています。バハマという国を認知してもらい、観光地としての魅力を日本人にお届けすることが目的です。

ーバハマの観光名所、ツアー、食べ物など情報が網羅されていますね!具体的にどのような内容が多いのでしょうか?

そうですね。バハマは世界的に見ても有名なリゾート地で、実は「えっ!こんな楽しみ方もあるの!?」と驚かれるようなツアーもあるんです。例えば「豚と泳げるビーチ」。首都・ナッソーから1時間弱で行けるビーチでは、野生の豚と一緒に泳げるんですよ。

このようなニッチな情報も紹介していますが、全体として旅行の基本事項をまとめています。ツアー、宿泊所、レンタカーなど現地の旅行会社と提携して情報提供をしているので、バハマへの旅行ではぜひ活用していただきたいです。

ー現地のリアルな情報がわかるのは安心しますね。

はい。今年8月に現地に赴き、最新の情報を組み入れています。コロナ対策においては、マスク着用やアルコール消毒以外にも、夜9時以降の外出禁止や罰金制度を設けており、日本以上に徹底していると感じました。

実はわたし自身、バハマ人の父親と日本人の母親のハーフとして生まれて以来、滅多に渡航していませんでした。現地を旅行して、あらためて観光地としての魅力や自然の豊かさを感じ、より多くの人にバハマへ来てほしいと感じましたね。

全国の強豪を目指し馬術に没頭した日々

ーバハマの魅力を伝えようと自ら会社を立ち上げた黒川さん。以前から社長への夢はあったのですか?

そうですね。わたしが11歳のときに父親から言われた言葉がきっかけでした。当時、育ての父親の事業が成功して軌道にのっていたころ、些細なことで喧嘩をしたのです。そのときに「悔しかったら俺を超えてみろ!」と言い放たれ、以来その言葉が心に刻まれています。

当時は「悔しい」思いが強かったのですが、日が経つにつれてわたしも「社長になる!」と意気込みに変わっていました。事業内容は詳しく考えていませんでしたが、父親は自身が好きなカメラで事業展開していたので、わたしも将来は好きなことで会社をつくろうと考えていましたね。

ーお父様との出来事が、黒川さんの将来を決定づけたのですね。普段の生活はいかがでしたか?

幼稚園のときから習い事をたくさんやっていました。スポーツやピアノなど多いときは10つほど。どの習い事をしていても自分ならできるとイメージしていたのですが、唯一できなかった競技が馬術でした。

最初はただ走る練習をしてみたのですが想像以上に難しく、結局できずじまい。できるとイメージした自分とのギャップが大きく、中学1年生のときに馬術を習いはじめました。

ーお話を聞く限り、諦めたくないという強い気持ちが感じてきます。そのあとは上達したのでしょうか?

はい。ほぼ毎日、乗馬クラブで練習したおかげで中学3年生では国体の補欠選手に選ばれました。当時住んでいた沖縄県の代表として選ばれたことは嬉しかったですね。

しかし、沖縄と同じブロックで戦う九州地区には、これまでと比較できない強豪選手に出会いました。レベルが違うとショックを受け、まだまだ自分は井の中の蛙だったと気づいた瞬間でしたね。

ー現実を打ち付けられ、衝撃的でしたね……。

「このまま沖縄に大人しく帰ってたまるか!」と思い、九州地区の強豪選手と同等の練習をしようと決めました。当時、わたしより2つ上の先輩が九州出身であると聞き、週末は福岡へ練習環境を変えることに。

高校に上がってからは月曜から木曜は沖縄で過ごし、金曜に学校が終わってから飛行機で福岡へ向かう。福岡に到着したあとは練習場の馬小屋に泊まり、土曜の早朝から馬に乗り続ける。このように馬術中心の生活を送っていましたね。

常勝関大のチームで気づいた自分の立ち位置とは?

ーそれほど馬術に熱中していたのですね!一方で学業はいかがでしたか?

馬術しかやっていなかったので、学業はまったく良くありませんでした。テストの成績もクラス内で底辺でしたが、馬術で憧れの先輩が関西大学へ進学することに。関西大学は全国的にも馬術の強豪校として有名で、わたしも追っかけるように関西大学を目指しました。

当時高校2年生の1学期終わり頃、先生からは「関西大学なんて無理だ」と諦められていました。しかし関西大学進学に目標を決めてからは熱心に勉強に打ち込み、テストの成績はクラスビリからトップを獲得。高校卒業まではトップを保ちつつ、見事現役合格を果たしました。

ー底辺からトップへ、まさに夢のような大逆転!黒川さんにとって大きな成功体験でしたね。

そうですね。起業するにあたり、この成功体験が似ているなと感じています。周囲から「起業なんて大丈夫なの?」と心配の声がありましたが、当時は「関西大学なんて大丈夫なの?」と同じように声をかけられていました。

周りから指摘されるから「やる・やらない」ではなく、自分が叶えたいことがあるから「やる・やらない」だけだと思うのです。「これはやる!」と決めたことを今後も展開していきたいですね。

ー大学受験の経験が、起業につながっているのですね。大学進学後のステップを教えてください!

関西大学では「常勝関大(=常に勝つ)」をモットーに掲げ、一人ひとりの選手が競技に臨んでいました。わたし自身もこの気持ちを胸に練習に取り組みましたね。

2年生ではレギュラーに抜擢されますます練習量に熱が入りましたが、全国大会の個人結果は功績を残せませんでした。団体優勝を勝ち取りましたが、個人的には納得がいかない。挽回しようと練習を重ねましたが、3年生では担当していた馬を怪我させてしまいチームからの信用を失ってしまったのです。

ー大会で(個人)結果が残せず、チームからの信用も失った……。お話を聞く限り、順調な馬術生活は送れなかったのですね。

常勝関大とは反した行動をしてしまったなと、未だに後悔しています。ただ、チームとして自分は何が残せるか?と考えたときに、やはり人をまとめるリーダー像を確立することでした。4年間一貫して、団結力や後輩への指導は人一倍意識して行動していましたね。

バハマのルーツを強みに独立を決意

ー大学卒業後はどのようなキャリアを歩まれましたか?

熱中していた馬術から離れ、将来は社長になることを目標に就職活動をスタートしました。起業をするためには営業力や企画力、統率力を磨かなければいけないと思い、人材系のベンチャー企業に就職。社会人1年目から案件獲得に努め、社内で営業トップの成績を取り続けていました。

ベンチャー企業で働いていた3年弱のあいだ、お給料をもらいながら失敗や成功体験をさせてもらい、現在の事業サービスに活かされていると感じています。

ー小学生のときに掲げた夢のために、邁進したファーストキャリア。3年弱働いたあと、どのような経緯で独立を決めたのですか?

バハマをテーマに事業を始めようと決めたきっかけは、まさに偶然の出会いでした。

当時東京で勤務していたとき、都営大江戸線のホームで電車を待っていました。目の前で大人同士が喧嘩をしていて間に入って止めたあと、1人のおじいさんがわたしに声をかけてきたのです。「きみはどこの国の出身だ?」この会話からバハマについての話が始まりました。

そのおじいさんはバハマについて深く知っていましたが、わたしはまったく知りませんでした。会話を進めていくうちにルーツを知らない自分自身が恥ずかしくなり、「バハマと日本のハーフであるわたしだからこそ、両国をつなぐことができるのは私しかいない」と思い、起業を決めました。

ー偶然の出会いが起業のきっかけだったのですね。

おじいさんと出会わなければ、自分にしかない強みに気づけなかったと思います。以前はハーフ=ただのマイノリティと感じていただけでしたが、強みと感じた瞬間に「わたしにできることはバハマについて発信することではないか?」とひらめいたのです。テーマが決まってからは不安な気持ちはなく、未来への期待感を抱きながら行動していましたね。

アフターコロナを見据えた今後の展望

ー事業のテーマが決まってからは具体的にどのように行動したのですか?

起業を決めたあと、偶然にも実の父親に会う機会が生まれバハマへ向かいました。現地で目にしたのは、リゾートを求めて旅行を楽しむ世界各国の人々や豊かな自然、中南米の文化。ハワイとは違った意味で観光地として整備され、「なんていい国なんだ!」と感動を覚えましたね。

しかし日本からみてみると、バハマの認知度は低く情報量も圧倒的に少ないのが実状です。多くの日本人に知ってもらうためにも、最初に手がけたのがBAHAMA NAVI(バハマナビ)でした。

ー黒川さんがバハマで感じた思いがサービス誕生につながったのですね。

ゴールデンウィーク明けにサイトを公開をして約半年が経過しました。コロナ禍の影響で已然バハマへの観光客は少ないですが、アフターコロナで話題になるようサイトの構築を進めています。

ーバハマをはじめとした強みを活かしてサービス展開をしているORCA COMPANY。今後の展望は何ですか?

先ほどお伝えした通り、コロナが落ち着いたあと日本からバハマへの渡航客を増やしたいですね。強調したいことはバハマ旅行を特別な経験として楽しんでほしい。たとえば、一生に一度のハネムーン旅行として選択してもらえたら嬉しいですね。

また観光だけでななく、貿易事業にも携わり、さらなる飛躍を目指したいと思います。

ー黒川さんの今後の挑戦を応援しています!ありがとうございました。

取材・執筆:田中のどか(Twitter / note
デザイン:高橋 りえ(Twitter