マーケットエンタープライズ社内広報 岡戸亜樹に聞く。個人のミッションを軸に築くオンリーワンのキャリア

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第552回目となる今回は、株式会社マーケットエンタープライズ(以下ME)で社内広報を務める岡戸亜樹さんをゲストにお迎えします。

外務省認定「SDGsの達成に貢献する企業」として注目を集めるMEで、新人賞受賞、人事として全社表彰を受賞した後、広報として活動している岡戸さん。

どんな部署でも成果を出せる理由は、個人のミッションを起点とした強い想いだと語ります。岡戸さんはどのような人生を歩み、ミッションを見つけたのか? そして、それを軸に築くオンリーワンのキャリアとは? 岡戸さんのお話をお伺いしました。

ー自己紹介をお願いします。

岡戸亜樹(おかどあき)です。株式会社マーケットエンタープライズ(以下ME)で広報を担当しています。MEは2021年2月に東証一部に上場し、7月に設立15周年を迎えた企業です。「持続可能な社会を実現する最適化商社」をビジョンに掲げ、ネット型リユース事業を中心に、メディア事業、モバイル通信事業を展開しています。

ネット型リユース事業は、インターネットを通じて中古品の買取から販売までを手掛けるサービスです。生活必需品や、趣味嗜好品、農機具にいたるまで28もの買取専門サイトを運営している点に特長があります。

広報は、MEについて社内外に発信し、MEのファンを増やし企業価値を高める仕事です。私は社内広報として、社内報の編集長や、社内向けイベントの企画・運営などを担当しています。また「MEジャーナル」という企業ブログの執筆も担当したり、社外広報にも一部関わっています。

ーMEは事業を通じてサステナブルな社会に貢献しているのですね。

リユースを通じて、「捨てない暮らし」や「循環型経済(サーキュラーエコノミー)」を促進しているほか、廃棄物処理で発生するCO2の削減にも寄与しています。また質の高い日本の農機具は海外でのニーズも高く、途上国をはじめとして世界80カ国以上へ、当社を通じて輸出しています。

このような成果が認められて、外務省が認定する「SDGsの達成に貢献する企業」に選出されています。また内閣府地方創生SDGs官民連携プラットフォームにも参画し、自治体と実証実験を行うなど、官民の垣根を越えて持続的な社会形成実現に向けたチャレンジを行なっています。

ー日本のSDGsを牽引する企業での広報は、やりがいがありそうです! 岡戸さんがメインで担当されている社内広報についても、詳しく教えてください。

社内広報の目的は、社員が同じ方向を目指せるように意志統一を図っていくことや、従業員エンゲージメントを高めることにあります。それにより、メンバーの力が最大限引き出されて、強い組織をつくることができます。

そのためには、経営陣のメッセージを効果的に伝えたり、仲間との結束を強めるようなコンテンツを作ることが重要です。MEはサービスが多岐に渡るため、意識しないと自分が関わる事業以外で起きていることを知らない状態になります。知らなければ、グループや事業間のシナジーは生まれず、メンバーどうしの結束は生まれません。

私は社内報の編集長として、一つでも多くの社内情報を伝えると同時に、できる限り多くの社員を社内報に登場させることを意識して企画を練っています。1人ひとりに光を当てて魅力を発信することで「魅力的なメンバーのいる、いい会社だな」と実感して、会社に愛着を持ってもらうことが狙いです。

ー闇雲に発信するのではなく、目的に対して適切なアプローチを設計する必要があるのですね。

「誰に何を伝えたいか」から逆算して考えるようにしています。「どう伝えるか」はそれによって変わります。例えば、経営メッセージを全員に確実に伝えたいなら社内大規模イベントが良いですし、感度の高いメンバーを巻き込んでから波及させる戦略なら小規模で密度の濃いイベントも行います。

また、コミュニケーションも使い分けます。場合にも寄りますが、全社に周知したいなら社内報を使い、ピンポイントで双方向のコミュニケーションが必要なら社内SNSを活用したりするなど。

経営陣の近くで会社が描いている姿をいち早くキャッチし、それを「どうすれば最も伝わるか」逆算して考えて企画できることが、社内広報の面白さであり醍醐味だと思っています。

ー社員のアクションを引き出す企画を考えることに、広報の面白みがあるのですね。逆に大変なのはどんな点でしょうか?

経営陣の近くで働くので、正解のない抽象度の高い問いに向き合う力が必要です。例えば、「社内広報で、社員エンゲージメントの向上だけでなく、経営課題の解決をするためにはどうすればよいか考えて実現してほしい」というお題が渡されたことがあります。

「えっ、経営課題って何?」「何を解決したらいいの?」と、全くイメージが湧かず、焦ったこともありました。

ー経営者の方が向き合う、難しいテーマに伴走されているのですね。どうやって、その局面を乗り越えられたのでしょうか?

考えても分からないと割り切って、経営陣に聞いて回りました。事あるごとに「1分お時間ください!」とお願いして、イメージを擦り合わせていきました。

目線合わせを重ねたことによって、具体的に何をしたら良いのかまで落とし込むことができて、今は力強くそのテーマも推進できています。できる限り時間を割いてくれる代表や経営陣にはとても感謝しています。

ー経営陣の皆さんのスタンスも素敵ですし、岡戸さんの行動力にも感銘を受けます!

私は「笑顔であふれ、誇りを持って暮らせる社会を皆で創る」ことを、個人のミッションとして掲げています。広報の仕事を通じて社員が笑顔で、誇りをもって働ける環境を作ることがそのミッションにもつながるため、やりがいを持って仕事に取り組めています。

強い想いを持ち、逆算で達成するのが昔から得意

ー岡戸さんは個人のミッションを言語化できているのですね。どのようにして、その想いを持つに至ったのか、幼少期の頃のお話から聞いていきたいと思います。

幼少期から負けず嫌いな性格でした。7歳上の兄と5歳上の姉がいて3人兄弟の末っ子なのですが、何かができないといつもからかわれていて。私はそれが悔しくて、隠れて練習して見返すことを繰り返していました。

ー岡戸さんの努力家なところは、ご兄弟の影響があったのですね。

兄と姉の影響は強いです。中学の頃に「青山学院大学のダンスサークルに入る」という目標ができたのですが、これも兄の影響です。

兄はそのサークルに入って変わりました。昔は自分のことを自慢する話が多かったのですが、ダンスを始めてから仲間の自慢をするようになったのです。兄のその様子がキラキラしていて「私もここに入ったら変われるかもしれない」と思いました。

その時から「どうやったら青学のダンスサークルに入れるか」を徹底的に考えて中学は過ごしました。当時の私は「逆算設計の鬼」といった感じだと思います(笑)青学への進学率が高い高校を選び、内申点を上げるために学級委員長など「長」のつくポジションを制覇したり合唱コンクールの伴奏者や指揮者にまで手を挙げました。

ー逆算思考と行動が徹底的ですね! そこまでできる人は少ないと思います。岡戸さんはなぜ、その力を身につけることができたのでしょうか?

スキルもありますが「想い」が強いことが自分の特徴ではないかと思います。「これを実現したい」と強く思っていると、プロセスの設計力・実行力は自ずとついてくるイメージです。

もう1つ、私が強い想いを持っていたのが「海外留学」です。小学生の頃からアメリカ、フランス、スペインなどに旅行に行っていました。特に印象に残っているのはスペインです。スペインは父が10年間住んでいたこともあり、父の海外の友人と交流する機会がありました。

そこで日本と違う異文化の魅力に気づき「絶対に留学したい」と考えるようになります。大学はダンスサークルに捧げる計画だったので高校在学中に留学に行きたいと考えました。

ーもう1つ目標があったのですね。高校で留学に行くことはできたのでしょうか?

実は半年以上、両親に反対されて簡単には実現しませんでした。それでも絶対行きたかったので、複数の留学エージェントに相見積もりを取って値段交渉しました。私の熱意が伝わったのか、最後は両親も私の夢を応援してくれました。とても感謝しています。

留学先のいじめを乗り越え、想いを伝える大切さを学ぶ

ー念願だった留学の夢が叶ったのですね。どのような経験をされましたか?

ウキウキした気持ちでオーストラリアへ渡航したのですが、ここで事件が起こりました。それは……ルームメイトからのいじめでした。

留学先ではアジア系の留学生とルームシェアをすることになったのですが「日本人が過去やってきたことを許せない」と言って、冷たい言葉をかけられる日々で……。

ー岡戸さんが何かをした訳ではないのに責められるのは辛いですね……。

私のパーソナリティーを見てもらえず、とても悲しかったです。当時は留学先に着いたばかりでPCもスマホもなくて、誰にも相談できなくて毎日泣いていました。どん底の状態が何日か続いたのですが、でも、ある日思ったのです。

「私は自分の意志でここに来ている。両親を説得して来ていて、たくさんお金をかけてもらっている。今帰ったら親に合わせる顔がない」

「こんな経験ができているのは私だけだ。この経験にはきっと意味がある。だから、私が変わらなくちゃ」そう思うと勇気が湧いてきました。

ー目の前の出来事の見方を変えることで、気持ちを切り替えることができたのですね!

それから私は英語を猛勉強しました。「あなたたちの気持ちも分かるけど、私はこんな人で、こんなことを想っていて。だから、私はみんなと仲良くしたい」そう伝えたかったのです。

そして、それを伝えることができた日、ルームメイトと分かりあうことができました。彼女も「親に日本はそういう国だと言われていたから、あんなことを言ってしまった」と胸の内を明かしてくれました。

それ以降は、むしろ私のことを大好きになってくれて。その経験を通じて、困難を乗り越えるためには「環境を嘆くのではなく自分を変えること」「自分の想いを真摯に伝えれば分かり合えること」を学んだように思います。

ー自分の想いを伝えることで、道が切り開かれることを知ったのですね。大学でもその学びは活かされましたか?

大学でもハッキリと自分の想いを言葉にすることは意識しました。中学の頃からの夢であった「青山学院大学のダンスサークルで副会長になる」という目標も、言葉にすることで叶えることができました。

そのサークルには、大学1年の時に将来の副会長を決めるというルールが伝統的にあります。その時点で100人以上いる同期の支持を得ないといけません。しかし私は高校は英語に打ち込んだのでダンスは初心者です。

スキルがないなら、意志で勝負するしかありません。プレゼンで「私は自分たちの代を伝説にします」と強い想いを伝えました。結果として選んでもらうことができたのですが、それは私が本気でそう思っていて、それが伝わったからではないかと思っています。

人生で果たしたいミッションを軸に、就職活動を行う

ー強い想いを持ち、それを人に伝える力によって、高校・大学と夢を叶え続けてきたのですね。就職活動も順調に進んだのでしょうか?

実は、ダンスに打ち込んだことによって1年留年していたのですが、多くの企業はそのことをマイナスに捉えているようでした。

また、面接で評価されるのは、私が300人いるダンスサークルで副会長をしていたという実績ばかりで……私がその時考えていた、人生で果たしていきたいミッションや、将来の目標については、あまり興味を持ってもらえていない印象を受けたのです。

私は、私がやってきた「コト」だけではなくて、私という人間・パーソナリティーを受け入れてくれる企業で働きたいと考えていました。中々そのような企業に出会うことができず、焦りを感じていました。

ーここでも留学の時と同じような違和感を感じたのですね。岡戸さんが人生で果たしていきたいミッションや目標とは何だったのでしょうか?

留学でのいじめを乗り越えた経験を通じて、私の中には、誰もが「誇りを持てる社会」「笑顔で暮らせる」社会をつくりたい、というキーワードが浮かび始めていました。そしてビジョン・ミッションを果たすために、将来は起業することも一つの選択肢にあると考えていたのです。

だから、会社を選ぶ上では、社長がどんな人かを重視していました。社長が実際に登壇する会社説明会ばかりを選んで参加しました。そこで共感した企業の面接に進みますが……なかなか「ここだ」という企業に出会うことができないでいました。

しかし、MEは違いました。社長のクールな印象とは裏腹に大きな未来を語っている姿にとても惹かれましたし、面接での対応が他の企業とは違ったのです。

ーどのような違いがあったのでしょうか?

まず、留年したことについて「自分の人生をかけて、やりたいことを成し遂げたってことだよね。素晴らしい!」と、私の選択を尊重してくれました。涙が出そうになるくらい嬉しかったのを覚えています。

そして考えていたビジョン・ミッションについても話したところ「ぜひ、うちの会社で叶えてよ」と背中を教えてもらえたのです。そのような会社は、私が出会った中ではMEだけでした。私のパーソナリティーを受けとめてくれたMEへの入社を切望しました。

ベンチャー企業であるMEへの入社について、当初は両親からは反対を受けていました。それでも心を決めていた私は「誰もが知るような有名な会社に私がする」と熱弁し、説得しました。

目の前に全力を尽くし、オンリーワンのキャリアを歩む

ー岡戸さんらしい意気込みですね! 入社後も、熱量をもって仕事はできたのでしょうか?

私を尊重してくれた会社のために、目の前のことに全力で取り組みました。結果として、新人研修で1位を取ることができ、リユース事業部の新拠点の立ち上げメンバーに選出してもらうことができました。

多種多様な中古品を扱っていましたので、商品知識を独学で勉強し続けたほか、1つでも買取・販売が増えるように、お客様と話す際のトークスクリプトの改善も続けました。

また、アルバイトスタッフのマネジメントも担当しました。社歴は浅いものの、自分なりに最適解は何かを考えて、人材配置や指示をおこなっていきました。結果として、2年目に新人賞「Rookie of the year」をいただくことができました。

ーその時々に最善を尽くすことで、新人時代から高い評価を得ることができたのですね。

2年目は人事に異動しました。MEは東京に本社がある会社ですが、首都圏以外に拠点を持つことを戦略的に考えて「徳島オフィス」の立ち上げを決めたタイミングでした。私は、徳島オフィスの新卒採用を担当をすることになりました。

しかし、この課題は難題でした。採用のポイントは、自分たちの求める学生像を明らかにして、その学生が求めていることを深く知り、それを叶えられる自社の魅力を伝えることにあります。

ところが、東京と徳島では、歴史や文化、学生が考えていること、就職する企業に求めること……すべてが異なっていたのです。中々求める学生に出会うことができず、ようやく出会えても徳島で知名度が高くないMEへの入社を親御さんに反対されるなど、苦戦する日々が続きました。

ー人事初挑戦で、かつ縁もゆかりもない土地での採用は、難しい課題ですね……どのように、その局面を乗り越えられたのですか?

東京にいながら地方採用を成功させている人事の方に話を聞いたり、徳島で出会った人事・経営者・大学の先生に頼み込んで学生との接触機会をもらったり、プライベートでも何回も徳島を訪問して現地の歴史・文化の理解に励みました。

それらの活動が具体的なアクションにつながりました。例えば、当時はまだ少なかったオンライン採用の導入、徳島の大学での講演活動、地域イベントへの参加を通じたリクルーティングなど。

地道なアクションを積み重ね続けた結果、徳島オフィスの将来を担う新卒新人を採用することができました。この時は、本当に嬉しかったことを覚えています。その成果を含めて貢献が認められ、全社の投票で決まる表彰「Supporter of the year」に選出いただくことができました。

ーここでも持ち前のバイタリティを武器に、行動し続けた結果、成果をだすことができたのですね! 

成果を出すことができて、とても嬉しい気持ちになりました。しかし、事件が起こります。広報への異動です。

当時「これから、さらに徳島の活性化に貢献したい」と意気込んでいたタイミングでしたので、その業務から外れることに悲しさを感じて……泣いてしまったり、不安を感じたり落ち込んでしまった時期でした。

ー採用の仕事に全力で打ち込んできたからこそ、最初は受け入れ難い異動だったのですね。どうやって、気持ちを切り替えたのでしょうか?

私は自分のミッションを思い出しました。新卒の時はキーワードでしかなかった想いも、内省を継続的に行う中で「笑顔であふれ、誇りを持って暮らせる社会を皆で創る」という信念に変わっていました。

広報の仕事も、社員の皆が笑顔にあふれ、誇りを持って働くために必要な仕事ではないのか。挑戦もしていないのに落ち込むな。と、自分を奮い立たせたのです。

そう決心して、また仕事に前向きに取り組むうちに、広報の仕事がどんどん好きになりました。広報の奥深さは冒頭でご紹介した通りです。発信の大切さを日々感じながら、仕事にのめり込んでいます。

ー言い訳せずに目の前のことに全力で取り組み続けるからこそ、岡戸さんはいつも素晴らしい成果をあげられているのですね。今後はどのようなチャレンジをされたいですか?

MEはさらに、事業を成長・展開し、コングロマリットグループとして進化を続けていきます。その時がきて、事業やグループ会社を任せてもらえるような人材になれるように、これからも自分の力を磨いていきたいです。

そして、仕事を通じて「笑顔であふれ、誇りを持って暮らせる社会を皆で創ること」というミッションを実現していきたいと考えています。

ー高い目標でも、岡戸さんの前を向き続ける力と行動力があれば、きっと実現されますね! 最後に、U-29世代のみなさんに、メッセージをお願いします。

ロールモデルよりもオンリーワンを目指すことが、私個人としては大切だと思っています。皆からお手本だと言われるようなキャリアでなくても、目の前のことを全力で行っていけばそれが積み重なり、自分だけの道になっているはずです。オンリーワンのキャリアにあなたらしさが宿り、輝くことができる。私はそう信じています。

ーどんな場所にいても、目の前のことに全力で向き合うことから、自分らしいキャリアは形成されるのですね。岡戸さん、今日は素敵なお話をありがとうございました!

取材・執筆:武田 健人(Facebook / Instagram / Twitter
デザイン:高橋りえ(Twitter