様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第513回目となる今回は、日本学術振興会の特別研究員(DC2)の出戸秀典さんをゲストにお迎えします。
出戸さんは、長野県に滞在し絶滅危惧種の蝶「ミヤマシジミ」の研究をされています。それが実は「自然と人の共生」、ひいては「地域社会の活性化」に繋がると言います。なぜ蝶の研究が、地域社会の活性化になるのか。なぜ出戸さんの研究は狭き門を通り、人々の注目を集めるのか? その理由をお聞きしました。
ミヤマシジミの保全が「自然と人間の共生」に繋がる
ー自己紹介をお願いします。
出戸秀典(でとひでのり)です。東京大学大学院の博士課程3年で、日本学術振興協会の特別研究員(DC2)をしています。DC2は若手研究家の登竜門といわれるもので、特別に選ばれた研究に対して、独立行政法人が資金を支援してくれる制度です。
私は長野県南部の農村部において、農地の畔(あぜ)や土手に暮らす絶滅危惧種の蝶「ミヤマシジミ」の保全に関する研究を始めて6年目となりました。この蝶が発生する半年間は現地に滞在し、ほぼ毎日野外で調査する日々を送っています。この研究成果が認められ、DC2に合格することができました。
ミヤマシジミが残存しているということは、実は、この地域が自然と共生する農業を発展させてきたことの証でもあります。自然と人が共生する「里山」の保全モデルを長野県でつくり、他の地域にも展開していきたいと考えています。
ーミヤマシジミの存在が、自然と農業が共生している証となるのは、なぜでしょうか?
ミヤマシジミが減少している理由の1つに、草刈りの頻度の変化があります。高齢化によって人手が足りず草刈りの頻度が減少していたり、逆に、利便性の高い農機具の普及で、高頻度の徹底した草刈りが行われたりしています。
草刈りが減ると、そこを住処にする害虫の数が増え、他の生物が駆逐されて農作物も被害を受けます。一方で草刈り頻度が高すぎると、実は害虫を食べてくれたり作物の花粉を媒介してくれる益虫も減ってしまうのです。結果的に草刈りのしすぎも、しなさすぎも農作物にとってのマイナス面が大きくなっていく可能性があるのです。
ー人間の活動の変化、例えば草刈りの頻度の変化が、それだけ自然に大きな影響を与えるのですね。
このような状態になると、農作物や、農家の方々に直接的なダメージがありますし、生物多様性が失われると自然の衰退・土地の劣化につながると考えられています。そうなれば、その地域の衰退は避けられません。
ミヤマシジミがまだ存在しているということは、まだギリギリその生態系を維持できている稀有な地域ということなのです。
ー生物多様性と、地域の衰退が大きく関わっているのですね。具体的にはどのような調査をされているのでしょうか?
草刈りの頻度やタイミングの変化によって、実際にミヤマシジミの数がどのくらい変化するのかをモニタリングしています。ミヤマシジミは小さな蝶でナンバリングができないため、個体差を肉眼で判断する必要があります。
難しい作業ではありますが、6年の研究期間を経て、サイズや翅(はね)の傷みから大まかに見分けることができるようになりました。
ー蝶の個体差を見分けられるのですね! 驚きました。そのモニタリングによって草刈り日頻度が原因だとわかった時、どのような対策があるのでしょうか?
人手不足や、農業のための機械の導入が原因なので「草刈り頻度を増やしてくれ・減らしてくれ」と農家の方には言えません。だから草が伸びににくく、農地の機能も果たす土手の管理方法を研究して、その導入を提案したりしています。農家の方に負担を増やさない方法が重要です。
また、地域の方がミヤマシジミを好きになってくれるための活動も大切だと考えています。その活動の一環で、子どもたちに向けて環境教育も行っています。地域の学校の「総合」の授業に講師として参加し、実際にフィールドワークをしながらミヤマシジミに触れてもらったり。
田舎には塾もありませんので、地域の方々が、学校の図書室を借りて子どもたちに放課後に勉強を教える場があるのですが、その場でも講師をして、ミヤマシジミと里山の保全、地域の活性化の関係性を伝えています。
親しんだ自然・田舎が廃れていく悲しさを感じた
ーミヤマシジミの研究を通じて、壮大なテーマに向き合っているのですね。そんな出戸さんのルーツに迫っていきたいと思います。子ども時代はどのように過ごされましたか。
石川県金沢市の田舎で育ちました。実家は兼業農家だったので、農業の手伝いなどをしたものです。農地には昆虫、魚などの生き物がたくさんいます。兄や友達と一緒に水路をさらっては、観察をしながら遊んでいました。
その後、小学校〜高校ではボーイスカウトに参加していて、自然の中で遊んだり学んだりすることをずっと続けていました。ボーイスカウトは、キャンプで自然の中で遊ぶ他、ゴミ拾いや山道に手すりを設置するなど「社会に対して何ができるか」という視点を養う活動でもあります。
幼少期のこれからの活動によって、自然や生き物への愛着が芽生えたように思います。
ー小さい頃に、今の研究活動につながるような体験をされていたのですね。「自然を守りたい」と、いつ頃から考え始められたのですか?
高校の頃でしょうか。私の家の前に大きな道ができました。利便性はよくなりましたが……田園風景は消えてしまいました。水路にはカニやエビ、水生昆虫が住んでいましたが、その住処がなくなってしまったのです。
よく遊びに行った土手にもソーラーパネルが設置されました。昔、そこでトノサマバッタや、カマキリを捕まえたものです。その姿は消えてしまいました。
ー開発で生物たちの住処がなくなることに、やるせなさを感じられていたのですね。
同時に、田舎の衰退も肌で感じました。昔は母校の小学校の全校生徒が70〜80人いたのに、いつまにか20人を割るまでに。大好きだった地域のお祭りがなくなり、小学校の先輩も後輩もどんどん街に出ていきます。そのことにも悲しさを感じていました。
不運と挫折。悔しさをバネにして次のステップへ
ー高校の頃に「自然を守りたい」「地域を活性化したい」といった、今の活動の軸になる想いができ始めたのですね。大学はどのように選択されましたか?
東京大学の農学部か工学部に入りたいと考えました。高校の経験を経て、何かしらの形で環境問題に取り組みたいと思ったのです。
幼少期に農業に親しんだこともあり、農業の観点から環境問題にアプローチするか、地球温暖化の解決につながる燃料の開発を工学の面から検討したいと考えました。
結果、合格後は農学部を選択しました。子どもの頃から自然の中で何かを調べるとき、私はイキイキしていました。農学部はフィールドワークで調査することが多いと知り、こちらを選択しました。
ー東大は難関だと思いますが、順調に合格されたのでしょうか?
実は、センターの1週間前にインフルエンザにかかる災難もあり、不調で迎えたセンターでは東大の合格ラインに1点足りませんでした。自分の実力不足だと思いますが不運も重なり、この時点で浪人が決定しました。どん底の気持ちになったことを覚えています。
ー他の大学に進学することは考えられなかったのですか?
東大1本しか考えていませんでした。なんとか、自ら立てた目標を実現したい……! と思っていたのです。高校時代、サッカー部で県大会でベスト4まで行けたものの目標としていた全国まで辿り着くことができませんでした。
その悔しさがあったので東大の目標は諦めたくありませんでした。それに、兄の存在も大きかったです。兄は既に東大に合格しており、全国大会も経験していた。私も負けたくない気持ちがあったのです。
滑り止めを考えると、その対策にも時間を取られます。だから、予備校でもそのスタンスは変わりませんでした。その負けん気が、1年後に私を東大に連れて行ってくれました。
ー目標を諦めなかった結果、見事、合格されたのですね。大学生活はどのように過ごされましたか?
環境問題について授業で学びつつ、私はサッカー部の活動に力を注ぎました。高校時代の悔しさが残っていたのだと思います。
しかし、ここでも不運に見舞われてしまいました。2年で3回も骨折してしまったのです。長いリハビリ期間を強いられ、3年以降は試合に出られませんでした。
なぜ自分が……という行き場のない気持ちもありましたが、潔く引退しました。その悔しさを逆にモチベーションにして、研究に打ち込むことを決めます。
研究を開始。現地の方の驚くべき優しさに触れる
ーとても悔しい経験だったけど、それがバネになり研究へのモチベーションに変わったのですね。
4年になった私は卒業論文のテーマを探して、教授にアドバイスを求めました。そこで、元々持っていた「里山を守りたい」という想いを伝えたところ、長野県南部のミヤマシジミの研究を勧めてくれたのです。
私はその研究に全力を注ぐことを決めました。大学時代は数週間の滞在をしながら卒論を書きましたが、院生になってからは長野県に半年は滞在して研究するようになりました。
ー半年間滞在するとなった時、家はどうされていたのですか?
元々は地方都市のホテルに泊まり、レンタサイクルを借りて20〜30km走って現地につきデータを集める日々を送っていました。しかし、偶然のできごとから、現地の方の家に居候させていただく機会を得たのです。
ある夏の大雨の日、汗だく・ずぶ濡れになりながらも、昼ごはんを食べようと蕎麦屋に入ったのです。店主の方がびっくりして事情を聞いてくださったので、私は里山を守ることを目的としてミヤマシジミの研究をしていることをお話しました。
すると、店主の方が、なんと自分の家を貸してくださると言うのです。その心の温かさに本当に感動したことを覚えています。その後、その店主の知人の方の空き家をお借りできることにもなり、現地に拠点を構えることができました。
ー家を見ず知らずの人に貸せる優しさは、本当に素敵ですね。出戸さんの熱心さや、まっすぐな姿勢も伝わったのだと思います。
本当に感謝しています。現地に拠点ができたことで、研究の量・質・スピードも格段に良くなりましたし、何より現地の方との触れ合い・コミュニケーションが生まれたのは本当に大きな変化でした。
これによりリアルな声を聞きながら、現地のみなさんの本質的な課題を知った上で、研究や提言をつくることができたのです。この結果、大学院でも研究科長賞をいただき、その後、DC2にも合格することができたと思っています。
地域社会に活力を与えるために研究を続ける
ー現地の方々と濃く繋がり、リアルな声を集めた研究・提言であることが、出戸さんの研究が選ばれる理由なのですね。そんな出戸さんは、今後どのような未来を描いていますか?
大学、行政、NGOなどの機関において研究職に就きたいと考えています。そこで「自然と人間の共生」をテーマに、ミヤマシジミ以外の題材も扱い、成果を出していきたいと思います。
その時に意識することは、研究で終わらせないこと。地域社会にどう活力を与えていくのかを必ず考えながら、意味のある提言を行っていきます。
今もそうですが「自然と人間の共生」を通じて、地域社会が発展することを考えるといつもワクワクします。死ぬまで追究していきたいテーマです。
ー出戸さんの研究は、きっと日本の里山の未来を変えますね。最後に、U-29世代の皆様へ、メッセージをお願いします。
まず、田舎出身の方は、自分の地元の現状に目を向けて欲しいと思います。本当に素晴らしい田舎の自然・文化が、廃れつつあることは悲しいことです。小中も続々と廃校になっています。私自身も、長野県で得た知見を、地元の金沢へ還元していきたいと思っています。
また、田舎出身ではない方も、地域の田舎に目を向けてくださったら嬉しいです。都会では何万人のうちの1人ですが、田舎では数十人のうちの1人。自分や自分の行動の持つ影響力は絶大です。
そうやって、若い世代が日本の田舎にもっと目をむけて、体感して、それを守り活性化させていくメンバーの一員になる。そのような方々と一緒に、地域の未来をつくっていく日々がくることを心から願っています。
ー若い世代が、これからの日本の里山と、地域社会の未来をつくっていくのですね。出戸さん、今日は素敵なお話しをありがとうございました!
取材・執筆:武田 健人(Facebook / Instagram / Twitter)
デザイナー:安田遥(Twitter)