富山の魅力を発信するライター「富山オタクことちゃん」が、大好きな仕事に出会うまで

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第506回目となる今回は、富山の魅力を発信するフリーライターの徳田琴絵さんをゲストにお迎えします。

現在は「富山オタクことちゃん」と名乗り、メディアの運営や、県主催の移住定住プロジェクトの専属ライター、イベントの企画・登壇などを通じて、大好きな富山の魅力を伝えている徳田さん。

しかし、元々はアクティブな性格でもなければ、富山に対して「なにもなくてつまらない」という気持ちさえ抱いていたそうです。その徳田さんが、どのようにして富山が好きになり、イキイキと働けるようになったのか。そのストーリーをお聞きしました。

フリーライターとして、富山の魅力を発信

ー自己紹介をお願いします。

徳田琴絵です。29年間、生まれも育ちもずっと富山の、生粋の富山っ子です。現在は「富山オタクことちゃん」と名乗り、フリーライターとして富山の魅力を発信しています。

具体的には、富山県主催の移住定住プロジェクトの専属ライターをしているのと、富山の“人”の魅力にスポットを当て、面白いアクションを起こす人たちを取材したメディア「#トヤマビト」を趣味で主宰しています。

また、富山市内のインキュベーション施設HATCH(ハッチ)のスタッフとしてイベント企画・運営をしています。

ー移住定住プロジェクトで専属ライターをされているのですね。どのような記事を書かれているのですか?

富山の魅力を発信する取材記事を書いています。例えば、直近ですと「富山をeスポーツで盛り上げよう」という活動を取材しました。富山で起きている最先端のアクションを発信することで、ワクワクしてくれる人が増えたら嬉しいなと思っています。

ーどのようなきっかけで、移住定住プロジェクトのライターをされるようになったのでしょうか。

趣味で2020年の11月から行なっていた「#トヤマビト」の活動が、担当者の方の目に留まり、お声がけいただきました。

「#トヤマビト」は、面白い活動をする人の情報を、私の中に留めておくのはもったいないと思っていた頃、「想いは発信するべきだよ」とアドバイスをもらって始めた活動です。今まで19人の方を取材して記事を書きました。

例えば、空き家のリノベーション事業を行なっている建築士の方など。その方は、富山に移住して事業を起こしたいと思う人に対して、想いを実現する場所を設計されいます。素敵な想いと活動だと思い、取材させていただきました。

ー趣味で始められたライティングの活動が、本業になったのですね。もう1つの活動の軸である、インキュベーション施設HATCHとはどのような場所なのですか。

2020年12月に開設されたインキュベーション施設で「富山で何かチャレンジしたい」という人を応援するイベントを開催しています。

例えば、富山の新しいビジネスを学ぶ機会や、自身のビジネスプランを発表するとHATCH所属の起業アドバイザーからアドバイスもらえる場などを企画しました。

私はイベントの企画や、SNSでの広報、当日のモデレーターなどを務めています。こちらも「#トヤマビト」の活動を知ってくれた知人から声をかけてもらって始めた活動です。

観光大使を通じて、富山の魅力に気づく

ー「#トヤマビト」の活動から、どんどん世界が広がっていったのですね! 徳田さんが、なぜその活動を始められたのか、そのルーツをお聞きしていきたいと思います。

実は、幼少期は今のようにアクティブではありませんでした。しかも、富山に特別な思い入れもなかったのです。洋服が好きだった私は、雑誌で見て気に入った洋服を売っているお店がない富山に、むしろコンプレックスを抱いているくらいでした。

ー今の徳田さんからは信じられないようなエピソードですね。

中学・高校は部活づけの日々でしたし、安定志向の親の影響が強くて「定時で帰れて給料も安定している」という理由で、医療事務になるための専門学校に行きました。

その結果、病院で働くことはできました。地域に根付いた病院で、おじいちゃん・おばあちゃんとの会話は楽しかったのを覚えています。ただ、毎日のルーティン業務を、手持ち無沙汰に感じていました。

ー徳田さんは、毎日に変化を求めるタイプだったのですね。

そんな折、富山の観光大使「プリンセスチューリップ」の募集をテレビCMで見ました。実はそれより前に、恩師が私に「観光大使をやってみたら?」と勧めてくれていたのですが、人前でニコニコしながら話すなんて、当時の私には考えられなくて。

でも、何かにチャレンジしたい気持ちになって、それに応募することにしたのです。

ー挑戦されたのですね! 結果はどうだったのでしょうか。

オーディションを通過して、観光大使に就任することができました。驚きましたが、なったからには頑張ろうと心を決めました。

それから1年間、富山の特産品・観光名所を県内外にPRする活動を行いました。TVや新聞、地元や東京のデパートのイベントへの出演などを通じて、自分の言葉で富山の魅力を伝えました。私にとって初めての「自分の言葉でPRする」経験です。

ー今の活動の原点となるような経験だったのですね。

もう1つ私にとって大きな気づきがありました。それは「富山には見どころ・いいところが沢山ある」ということです。「休日に遊ぶところがない」なんて思っていたのですが、私が知らないだけでした。

例えば、私は「ものづくり」「クラフト」といったものが好きなのですが、実は職人さんと、ふらっと会話できる場所が街中にあったり。知らなかった富山の魅力に気づき、富山が好きになるきっかけとなった経験でした。

勇気を出してイベント参加。芽生えた変わりたい気持ち

ー観光大使の経験が「富山の魅力を伝える」という今の仕事の原点にあったのですね。その後、お仕事に変化はありましたか。

観光大使をしている時も、医療事務の仕事は続けていました。でも、観光大使の仕事を通じて、世界を知る面白さに触れた私は、転職の可能性も模索し始めていました。

そんな時に、家の近くにコワーキングスペースができるという話が耳に入ります。当時の富山では大きなニュースで、私も興味を持ってアンテナを張っていたのですが、そこで「人の働くを知るナイト」というイベントが開催されることを知りました。

ーそのイベントを知って、どうされたのでしょうか。

勇気を振り絞って、参加してみました。そういった場所へ参加することは初めてのことで、すごくドキドキしたのを覚えています。しかし、転職を考え始めていたこともあって、何か得られたらと思って参加を決意しました。

ー参加されてみて、感想はいかがでしたでしょうか。

本当に良かったです。そこには、病院の中にいては絶対に知ることがない世界がありました。ゲストの方もそうですが、参加者の方も含めて、色々な肩書きの方がいて。

起業家、個人で面白い仕事をしている人、本業しながら副業をしている人……そういった人たちが、富山にもこんなにいるのか!と驚きとともに、感動したことを覚えています。

病院という温かい環境に感謝している一方で、そのような世界に憧れ「変わりたい」と思っている自分に気づいた経験でした。

ー外の世界に触れて、自分の好きなことに気づき始めた時期だったのですね。そのイベントに参加されて、その後の変化はありましたか。

そのイベントは大きな衝撃を私に与えましたが、一方で堅実に生きてきた私もいます。すぐに大きく環境を変えるというよりは、地続きで何か変えられないかと思い、スキルUPのために資格取得を目指しました。

「診療情報管理士」という資格です。頑張って勉強したので無事、合格することができました。これによって、公立の大きな病院に転職することもできて、両親が願っていた「公務員」という肩書きも手に入れることになりました。

ー努力されて、スキルUPされたのですね。新しい場所でのお仕事はいかがでしたか。

診療情報管理士の仕事は、カルテのデータと向き合う高度な仕事で、やりがいはありました。でも、患者さんとのコミュニケーションの機会が減ってしまいました。その時、その仕事を楽しみきれていない自分に気づいたのです。

悩みましたが、体調を崩してしまったのも決め手となり、3ヶ月で仕事を手放すことを決めました。大きな切符を捨てる決断でしたが……私の頭のどこかに、あのイベントの日の記憶がありました。

あの時に出会った「自分のやりたいことで輝いている人たち」のことを考えると、安定した仕事であることだけを理由に、我慢するのは変だなと思えたのです。

小さく始めた情報発信が、大きな活動へ繋がっていった

ー病院を辞める決断をされたあとは、どのように過ごされたのですか?

次の当てもなく辞めてしまったのですが、幸運なことに、知人の紹介である団体のSNS運用の仕事をすることになりました。ここで情報発信のコツを学ぶのですが、それはとても楽しいものでした。

その経験がきっかけとなり、4ヶ月の任期を終えたあとも、instagramやtwitterなどで個人で発信するようになります。最初は、富山のお気に入りの場所を、なるべく魅力が伝わるような綺麗な写真にして投稿していました。

ー今は富山県主催のライターとして活躍されている徳田さんも、最初は個人的な、小さな情報発信から初められていたのですね。

趣味のように発信し続けていると、富山への想いが強くなっていくのを感じました。想いが強くなると、富山の良いところをもっと知りたいインプットの欲が強まる。そうすると、それを発信したいアウトプットの欲が強まる。そんな好循環が生まれていきました。

富山の魅力を知るために、コワーキングスペースにも頻繁に足を運ぶようになりました。そこで、改めて「富山の魅力は人にある」と気づきます。面白い活動をしている人たちに話を聞きたい。ウズウズしている自分がいました。

ーそこで、どのように行動されたのでしょうか。

話を聞きたいけど繋がりがない。であれば、取材させてもらい、その人の魅力を発信したらどうか。話を聞けるし、その人の役に立てる。そんな発想に行き着きました。これが「#トヤマビト」の始まりです。

最初は、まちづくり会社の社長にお話を伺いました。「日本のベニス」と言われるノスタルジックな風景がある射水市を拠点に、活動されている方です。私もファンの1人なので、お話を伺えたのは本当に楽しかったことを覚えています。

ー医療事務の仕事では得られなかった「楽しさ」があったのですね。

この時、生まれて初めて「好きなことなら、いくらでも頑張れるな」「24時間、考えていても苦じゃないな」と思いました。本当に幸せなことです。

その気持ちが原動力になって、それからも素敵な活動をしている人の情報をキャッチしては取材・記事の配信を続けていました。そんな私の活動を知って、友人が「一緒に、富山を盛り上げよう!」と声をかけてくれたのがHATCHの立ち上げです。

記事というツールだけではなく、リアル・オンラインのイベントを通じた魅力発信に携われるチャンスをくれた知人に感謝しています。

ー自分の好きなことを小さく始めたら、新しいチャンスがどんどん舞い込むようになったのですね。

人との出会いも加速して、今までとは桁違いのスピードになりました。最初はうまく自分のことを紹介できなくて冷や汗をかいたりしたものです。

その時に「何か自分を一言で表すキャッチフレーズはないものか」と考えて思いついたのが、実は「富山オタクことちゃん」というニックネームです。

この名前ができてからは「どういう意味?」と興味を持ってもらえたり、自分自身のことを分かりやすく伝えられるようになりました。コミュニケーションも、より深く円滑になったように思いますし、自分のブランドの確立にも役立っています。

ー富山のことが大好きな徳田さんにぴったりの愛称ですね! そんな徳田さんに、最後に今後の展望をお聞きしたいと思います。

これからも、「書くこと」「話すこと」「繋げること」を大事にしながら、マイペースに、富山の魅力を発信する活動を続けたいと思っています。

私の発信によって、富山のファンが県内外に増えてくださったら、これ以上嬉しいことはありません。そのために、引き続き頑張っていきたいと思います。

ー富山への愛が溢れる素敵なお話をありがとうございました!これからも徳田さんの活動を応援しています。

取材・執筆 武田健人(Facebook / Instagram / Twitter
デザイン:高橋りえ(Twitter