根っからの芸人・めろんぱん稲倉浩基が目指す「オンリーワンな存在」

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第436回目となる今回は、マセキ芸能社所属の芸人、めろんぱん・稲倉さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

学生時代の経験から芸人という生き方を選んだ稲倉さん。芸人になることを決意するまでの出来事や今後のビジョンなどを伺いました。

大手事務所に所属、お笑いの道へ

ーまずは簡単な自己紹介をお願いします。

マセキ芸能社所属、芸歴4年目のめろんぱん・稲倉浩基です。ツッコミをしています。過去にはロンドンハーツの出演や、バンダイナムコゲームス、アンドキャスト内アプリ番組「エールチャンピオン」火曜日レギュラー出演などがあります。現在は事務所ライブや漫才協会で活動しています。

ーマセキ芸能社に所属しているとのことですが、なぜこちらの事務所にに所属したのですか?

専門学校の2年生のときのオーディションがきっかけです。東京の芸能事務所に見てもらう機会があって、マセキ芸能社の方から評価を受けたんです。それからマセキのオーディションを受けて、何回かオーディションライブに出て、マネージャーからの評価を受けて、所属したっていう流れですね。

先生から言われた、「さんまさんみたい」

ー芸人という職業を志したきっかけを教えてください。

小学生のときから人前で笑いをとることが好きでした。いわゆる人気者、ひょうきん者みたいな感じです。ギャグやったり、変顔したり。休み時間もずっとしゃべっていて。給食の時間も自分が笑わせすぎて友達がご飯食べれない、みたいな。そういうのを見ていて先生から「さんまさんみたい」と言われたんです。あのひとことから芸人という職業を意識しました。芸人になるきっかけですね。

クラスでも周りから無茶ぶりされることが多かったです。面白いことをやってくれるんじゃないかと思われていたんですかね(笑)それで結果を残していたので人気者のポジションを勝ち得ていきました。それが辛いとかはまったくなく、自分で明るい空間をつくれることがとても楽しかったですね。

ーその後高校生活はどのように過ごしていましたか?

愛媛の高校に通いました。自分の中学から進学した人が自分しかいなくて、小中学校の友達がいなかったんです。卓球部に所属したんですけど、他の部活のイケてるグループがたくさんいて…。そこから高校デビューに失敗して地味な学校生活を過ごしました。

クラスでは目立たずに過ごして、部活ではみんなを笑わせたり話を回したりして。部活では素が出せるけど、クラスでは、、っていう感じでした。

ー小中学校とは違ったポジションになったんですね。環境が変わるなかで、芸人に対する想いの変化はありましたか?

芸人になりたい想いはずっと変わりませんでしたね。高校でも、人気者よりかは地味なキャラだったけど、小学生のときのあの人気者だった頃に戻りたい、みんなを見返してやりたいみたいな。

ー自分が生き生きしている瞬間が残っていたからこそ、地味なキャラだった高校時代も、やっぱり笑わせたいという想いが強かったのですね。

そうですね。高校でも部活のときにギャグをやるノリがあって。それがめちゃくちゃウケて学年中に広まったんです。廊下ですれ違う女子に、「あ、○○ってギャグの人だ!」とか言われて。一発屋芸人みたいな感じですね。高校では地味な感じだけど、それでもこうやって芸人みたいなことをやれているなって感じて。やっぱ俺芸人になった方がいいかなって思いました。芸人になる決め手になりましたね。

「どこか似ている」相方との出会い

ー現在の相方である松川さんとはどうやって出会ったのですか?

高校を卒業して、大阪の放送芸術学院専門学校に入学したんですが、相方とはその入学前の説明会で出会いました。そこで写真撮影の時間があって、コース別に挙手するとき、芸人コースが3人しか手を挙げていなかったんです。写真撮影では自分を含めた3人のうち1人はすごく慣れていて撮影も堂々としていたんです。それに驚いて自分の後ろで並んでいる人に話しかけて友達になりました。それが今の相方です。初めての友達ですね。

その後にネタ見せの授業があって、同期が3人だったからトリオを組もうかと思ってたんですけど、1人はピンでやるってなったんです。それで、結局余ってしまった松川と自分の二人が組んでめろんぱんを結成しました。

ーピンではなくコンビを組むことを選んだのはなぜですか?

愛媛の田舎から大阪という大都会に出てきたので、一人でやっていく自信がなかったんです。芸人になるんだったら東京に行けってなりますけど、正直ひよっちゃって。大阪である程度経験してから東京へと行こうと思っていました。ピン芸人になるという選択肢は僕の中にはありませんでしたね。これは相方も同じ理由でした。

ーまるでお互いが導かれたようですね。松川さんとはどのような関係ですか?

僕ら人見知りで。専門学校のとき、授業もご飯も遊ぶときもずっと一緒でした。仲が悪い瞬間も一度もなかったです。僕がしゃべって、松川が聞き役みたいな。夫婦のような関係ですかね。

仲が良いということは相方の最新の情報を知れるということなので、仕事でもフリートークに役立っています。仲が良くないと相方のエピソードトークもできませんしね。

自分たちだけが持つ、めろんぱんらしさを大事に

ー憧れの芸人になって、やめたいと思ったことはありましたか?

やめたいと思ったことはないですね。でもスベったときは自分芸人に向いてないのかな、とか思ってしまいますね。だけどライブとかでウケたときは、やっぱり楽しいから続けたいな、と。ウケて喜ぶ、スベって落ち込むの繰り返しです。

楽しい瞬間があるからやめられないんです。これは他の職業にも通じると思いますね。ただ、芸人はウケたら勝ち、スベったら負けという結果がすぐ見える世界なので大変ではあります。

ーウケるかスベるかの感情の起伏は、視聴者には見せることはないけれど、芸人さんはとても繊細に感じる部分なのだろうなと思いました。そのような難しい世界で、現在の活動に活きている経験はありますか?

一度ロンドンハーツという番組で、事務所の先輩である出川哲郎さんの回に出演しました。アンケートや打ち合わせをしたんですけど、そうそうたる先輩ばかりで雰囲気にのまれて、頭が真っ白で話すことを忘れてしまったんです。

ナイツの塙さんが話を振ってくれたんですけど、アンケートと違うことを言ってしまって、結局カットされてしまいました。初めてのテレビで大失敗しましたね。家に帰ってものすごく反省しました。そこで次、いつかナイツの塙さんと共演したときは自分が笑いをとれるようになろうと決めましたね。

プロになってからは、切り替えを覚えました。落ち込んでもお客さんを楽しませることはできないので、昨日は昨日、今日は今日だとしっかり切り替えてやるように心がけてます。

ー「切り替え」は確かに大事ですよね。芸人の活動をするなかで意識していることはありますか?

どんな仕事でも楽しんでやるということを意識しています。向き不向きはあっても苦手なことでも、全力で楽しんでやると視聴者に伝わると思っています。苦手だけど自分の色を出しながら、スベっても楽しんでもらえればいいやという気持ちでやっています。テレビの前の視聴者とか、自分には見えていなくても誰か笑ってるかもしれないですしね。

ー芸人さんが楽しんでやっていると、見ている側もとてもワクワクします。仲の良いお二人は、コンビとして今後やっていきたいことはありますか?

漫才協会に入っているのでもちろんネタは頑張りたいです。また、テレビやラジオにはまだ全然出れていないのでそちらでも活躍したいです。事務所の先輩のナイツさんみたいになれたら理想ですね。今はYouTubeも始められるように準備しています。

今はライブや寄席に出て頑張っているので、メディアに出ていってネタでもテレビも活躍できる芸人になりたいです。一個一個の仕事を大事に積み重ねていけたらと思っています。

ー最後に、稲倉さん自身のこれからのビジョンを教えてください。

一番はオンリーワンのコンビになりたいと思っています。めろんぱんといえばこうだよね、というような。ぼくたちらしい魅力を伝えられるコンビになりたいです。ライブや寄席も頑張って、どちらでも笑いをとりたいですし、老若男女に好かれるようなコンビになっていけたらなと思います。

ーありがとうございました!稲倉さんの幼少期から変わらない熱意と芸人という生き方に対する誠意を感じられました。今後のご活躍を応援しております!

取材:大庭周(Facebook / note / Twitter)
執筆:向後李花子
デザイン:高橋りえ(Twitter