「夢を持つ人を応援するのが私の夢」 小野 かつみがコレヲキニで変わったこと

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第429回目のゲストは一般社団法人 KOREWOKINIでCCOをされている小野 かつみさんです。さまざまな困難や挫折を乗り越え、世界青年の船やKOREWOKINIでの活動を通して、自分らしい生き方を見つけていった小野さん。これまでの転機とそこでの決断、小野さんが大事している「夢組」と「叶え組」のお話をぜひご覧ください。

比べられることが多かった幼少期


ー簡単に自己紹介をお願いします。

社会人6年目で、広告媒体の営業を本業にしながら、一般社団法人 KOREWOKINI(以下:コレヲキニ)でCCO(広報責任者)をしています。コレヲキニ自体は2年前に活動が始まり、さまざまなイベントを行っています。


ーコレヲキニでは、具体的にどんなことを行っていますか。

コレヲキニは、内閣府の国際交流事業のOBOGたちで構成されていますが、最初のスタートは、OBOG同士の交流が活発ではないという課題感からでした。

活動をアクティブにするため、イベント企画がスタートしました。
ロールモデルとなる人からいろいろな話を聞いて、気づきを得る「KOREWOKINI Meetup」や個人のWillを達成するために、仲間をどのように集めて、Willを達成するのかを考える「KOREWOKINI Drive」、心の深いところにフォーカスして自分と向き合う「Korecolor」という事業を展開するなど、コレヲキニをテーマに人生のあらゆるフェーズで何か背中を押せるようなイベント、ワークショップなどを企画・運営しています。


ーここから小野さんのことをさらに深掘りできればと思いますが、
小野さんはどんな幼少期を過ごしていましたか。

もともと人前で話すのは苦手で、日直で前に出ることもイヤでした。
小学校2年生くらいの道徳の授業で、初めて挙手をして指名され、先生から褒められた経験は今でも覚えていて、そこから人前で話すことや手を挙げることが出来るようになりました。

また、双子の姉と一緒に近所に住む子と遊んだりしたのを覚えています。

 

ー双子のお姉さんがいたのですね!そうすると、周りから比べられることもあったのではないでしょうか。

親から比べられることはありませんでしたが、小学校高学年から中学生にかけて、やんちゃな男子から「(双子の)どっちがかわいい?」とか「どっち派?」と話題にされたりもし、その時は、比べられていると感じていました。

それに、わたしの場合は、比べられたときに悪い方に言われることが多くて。
小学校の時、担任の先生が非常に威圧的で、怒られたくない思いから正義感を周りに振りかざしてしまったり、中学校の時は「やんちゃな人に注意しなければいけない」学級委員という立場だったこともあり、周りのやんちゃな男子からは悪いように比べられることが多く、姉と自分・周りの友達と自分を比べて劣等感を感じる、辛い時期を送っていました。

その劣等感を克服するため、姉に勝てるものを見つけるために、ピアノや勉強など自分の努力で結果をだせるようなものをひたすら頑張った中学時代でもありました。


ー自分の努力で掴んだ武器で、周りを見返そうと頑張っていたのですね。

 うまくやんちゃな子たちと付き合えずモヤモヤしていましたし、自分の努力でなんとかなる範囲であれば、頑張ってみようとポジティブに変換しました。

 ピアノや音楽が好きで、合唱コンクールも頑張っていたのですが、その練習の中で、どんなコミュニケーションをとれば、歌いたくない男子は歌ってくれるようになるのか、クラスは一つにまとめるのかなどを考え、試行錯誤する経験が出来たと思います。

 

他人のために力になりたいと思い始める


ーその後の高校生活で、一つ目のターニングポイントを迎えたそうですね。

 姉とは別の、文武両道の進学校でありながら、自由な校風で、好きなことができる高校を選びました。高校入学後は、ボート部に入部をしました。それまで所属した文化系部活から一変、ボート部の厳しい練習に泣きながら取り組んでいましたが、きついながらも充実した日々。周りと比べられることもなく、成果を残せば認めてもらえるという生活でした。

 ただ、順風満帆とはいかず、高校2年生の時に、突然父が失業し、家庭がとても厳しい状況になりました。ボート部で全国大会を目指して厳しい練習をしながら、周囲に秘密で家計のためにバイトを始めました。部活のため厳しい食費制限をして10キロの減量をしながらバイトや勉強をする生活が続きました。

当時はとにかく頑張ろうという気持ちでしたが、高校2年生の冬の二者面談時に、担任の先生に自分の置かれている状況について話したところ、「なんでそんなに頑張ってるの」と言われたんです。それまで自分の中では、そこまで「頑張っている」という意識がなく、当たり前のことをやっているつもりでしたが、先生からの言葉によって、「わたしは頑張っているのか?」と疑問に思い始めました。さらに、ボートの全国大会出場が決まっていた最中で、東日本大震災の影響で全国大会が中止に。地震の余震が続く中、気持ちも落ち込み続け、最終的には学校に行けなくなってしまいました。人生で一番辛い時期が、高校2年生の冬から3年生にかけてのこのタイミングでした。


ー自分のために行動するよりも、家族や周りの人のために行動するという意識があったのでしょうか。

高校2年生までは、自分起点で生きていたと思います。
自分の中で切り替わったのが、高校2年生から3年生になるタイミングで、毎日学校に通うのも辛い状況で、自分がどうありたいのかよく分からなくなりました。自分のために生きることや頑張ることが難しくなったことで、自分が生きていること・存在していることを認めるには、他人から必要とされ、求められることが大切だと気づきました。そして、他人のために何かできるような人になりたいと思い始めました。


ーこの出来事が大きな転換点だったのですね。

学校の授業に行けないくらい辛い時期を送っていましたが、この経験を乗り越えたら、いつか本にして、自分と同じ境遇の人に勇気を与えたいと思うようになりました。そこから、辛いことや難しいことがあった時に、これを乗り越えれれば、同じ境遇の人に勇気を与えられるのではないか、という思考を持つようになりました。

誰かのためになっていると思うことで、自分の存在意義を自分自身で認めることができ、誰かのためになることが自分のためになる。この考えは、今のわたしのベースになっています。

 

世界青年の船への参加


ー高校卒業後は、津田塾大学に進学されたそうですね。

平和や国際協力に昔から興味があったので、国際関係学部に進学をしました。テレビで戦争の様子を見たり、図書館で戦争の本を読む中で、「なぜ戦争は起きるのだろうか」と思うようになり、平和に対しての興味が高まりました。


ー大学2年時に大きな出来事を経験したそうですが、そのエピソードを詳しく教えてください。

世界青年の船(以下、SWY)に参加したのですが、そのきっかけは、同じサークルの先輩がFacebookに多国籍の人との写真を投稿していたことでした。その様子が楽しそうに思って先輩に聞いてみたところ、SWYの存在を教えてもらいました。

もともと海外や世界平和に興味があり、留学したいと思っていましたが、経済的な事情により留学することができませんでした。しかし、SWYは、1ヶ月で約12カ国の人と交流ができ、生活ができる。そして、留学に行くよりも低い金額で参加できることが分かり、留学と同じような経験になるのではと考え、応募しました。

実際に参加できることになった後、日本から参加する青年と出会った時に、SWYに参加する人のほとんどが帰国子女や留学経験・海外経験が豊富な人ばかりで、わたしのような海外が初体験という人は、ほとんどいないことが分かりました。まずいところに来てしまったと思いましたが、この事業に参加して、グローバルリーダーになりたいという思いをもち、参加しました。


ーその中で、あるポジションに立候補したとお聞きしました。

SWYは、中身のプログラムを参加する青年たち自身が作る構造になっており、委員会が組織されます。その中で、ナショナルプレゼンテーション(以下、NP)という、イベントを運営する委員会に立候補しました。花形の委員会ということもあり、周りのメンバーは海外経験が豊富な人や社会人が多くいました。

実は、その委員会を決める前日にセミナーがあり、そこで自分のコンフォートゾーン・ストレッチゾーン・パニックゾーンの話を聞いたことが、このポジションに立候補した理由の一つです。話の中で、コンフォートゾーンから意識的にストレッチゾーンにいくことで、人は成長すると聞いて、ここで手を挙げなければ自分は変われないと思い、リーダーに立候補して委員会活動をスタートさせました。 


ー実際に、そのポジションを務めてどんなことを感じましたか。

日本人だけで研修していた時は、過去のリーダー経験を生かして頑張れているという実感がありましたが、海外青年が加わってからは、自分の英語の能力不足や人前でどんなことを話せば良いのかで悩みました。委員会活動の前日に話すことを全部準備して、そのスクリプトを読んだものの、うまくいかないと感じることも多く、委員会活動中は眠れない日々を送っていました。


ーNPのリーダーにチャレンジしたことで、変わったことはありますか。

小学校から高校までなんだかんだ楽しく過ごしてきたとはいえ、本当の自分を出すことが怖く、自分らしさを出せていませんでした。しかし、SWYに出会い、自分に対する劣等感や無力さを感じながら、そんな自分を受け入れてくれる人が多くいることを実感しました。このコミュニティならどんな自分でも受け入れてくれると感じられたことで、自分らしさを発揮できるようになりました。

 

事後活動セッションへの参加が、劣等感を打ち破るきっかけに


ーその後、大学から新しいステージに進む際、小野さんはどんな選択を選んだのでしょうか。

新卒で社会人になるとき、海外で英語を使った仕事がしたいと思い、就職活動をスタートしました。しかし、第一志望ではない会社に入社することに。

就職活動は順調だったわけではなく、自分を受け入れてくれるコミュニティはありながらも、自分に対する劣等感やコンプレックスが強くなり、自分と周りの就活生を比べるシーンが多くなりました。その中で、選んだ会社に入って頑張ろうと思っていましたし、何もできないからこそなんでもやってみようと意識を変え、行動し続けていました。


ーそんな中、社会人2年目の時に、小野さんにとって大きな出来事があったそうですね。

自分は何もできないと感じ続けていたので、SWYからの帰国後は、何かしてもらえることがあれば何でもすると決意し、人から誘ってもらったことをなんでもやるスタイルを5年ほど続けた結果、広報ボランティアという仕事に出会いました。

SWYは内閣府の事業であるものの、事業予算しかなく、広報予算はありませんでした。魅力的な事業なのに多くの人に知られていないという課題に対して、自分が広報として関わろうと、広報活動に注力し始めました。 

ずっと広報活動を続けていたある日、世界青年の船事業のプログラムの一つである「事後活動セッション」ファシリテーターとして関わってみないか?と声がかかりました。自分は何もできないから何でもやろうという劣等感でスタートしたことが、この出来事ではじめて、自分がやってきたことが認められている、他の人のお手本になる活動だったと思えて、劣等感から脱却できるきっかけとなりました。


ーこの出来事が自身の殻を破るきっかけだったのですね。

その時も、誰かのためになりたいという気持ちがありました。わたしはSWYに参加したことで、自分の無力さや劣等感を覚えましたが、それを知らないで過ごしている人もいれば、選択肢を持つことすらできていない人もいるのではないかと思っています。わたしは、辛い経験もありましたが、選択肢を持つことができて、あのとき挑戦することが出来てよかったと思っています。選択肢を持てていない人もまだまだたくさんいると気づいたので、広報を通じて人のためになりたいと感じました。 

事後活動セッションに参加している人が、将来どんなことができるのかを考えたり、国に帰ったときに地域社会にどう貢献できるのか考える機会になればと思っていたので、この活動に関わることで誰かの力になれると考えていました。


ーしかし、事後活動セッションを経験した後、辛い出来事があったそうですね。

本業の部署と上司が変わったことで、パワハラのようなことを経験し、休職することになりました。そのときは、本当に辛く、コレヲキニやSWYのメンバーにも自分の状況を言えず、毎日働けずにベッドにいる生活でした。

しかし、次の会社に転職する1ヶ月前に、コレヲキニのメンバーに出会い、200人規模のイベントをやろうとなったことで、一気に気持ちが変わりました。


叶え組として伝えたいこと


ーコレヲキニは代表の山本さんの一言でスタートしたと聞きました。

そうですね(笑)やろうと決めたのが、2018年の11月でした。
実は、コレヲキニの中でよく話されているエピソートに、「夢組と叶え組」というものがあります。

コレヲキニの中には、これをやるぞと実現に向けて引っ張る人(=夢組)が多くいますが、わたしは、夢組を応援したり実現に向けて行動する人(=叶え組)だと思っています。

夢組の人に出会い、その人たちをサポートする自分をコレヲキニのメンバーは肯定してくれています。自分にやりたいことがあったり、自分の事業を持っている人はかっこいいなと思うし、やりたいことがあるべきだとわたし自身思っていました。しかし、やりたいことがある人をサポートする人も必要だし、そういう自分も自分らしいと認めてくれたメンバーがいたことで、2年半活動ができた気がします。


ー夢組を応援する叶え組が“夢組の焚き付け役”となっているからこそ、夢組がフォーカスされる気がしていて。最近、やりたいことがない人はどうなのか?とみられることが増えている気がするのですが、小野さんはどうお考えでしょうか。

誰かのやりたいことや夢を叶えることが、私のやりたいことで、それでも良いのではと感じています。自分の好きなこと・やりたいことを仕事にすることが増えていますが、やりたいことが誰しもあるわけではないと思います。だからこそ、やりたいことがある人をサポートすることを自分はやりたいということを、肯定できたら生きやすい人が増えるのではないでしょうか。


ー「コレヲキニ」って、どの場面でも使える言葉ですよね。

わたしにとって、コレヲキニという言葉は、魔法の言葉だと思っています。
高校2年生の時やSWYに乗船した時、休職した時など辛い時期はあったものの、そのときにただ落ちていくだけでなく、この経験を生かしてコレヲキニ何かしよう、誰かのために役に立とうと思うことで、マイナスな出来事をプラスに捉えることができるようになりました。自分自身が、コレヲキニと考え、マイナスをプラスに変換できた経験があるので、色んな人の人生でも「コレヲキニ」を応用してもらえたらと考えています。


ー最後に、小野さんの今後のビジョンを教えてください。

夢組と叶え組の話に戻りますが、こういったインタビューや外部に出ていくのは夢組であるべきだと、考えていました。しかし今回、自分のような叶え組の人が出ていくことで、こんな生き方でもいいのだと思ってくれたらいいなと思うようになりました。

今までは外に出ていこうと思わなかったのですが、わたしが外に出て発信することで救われる人がいるのではないかと思えたので、コレヲキニ自分のことを発信して、さらに人の役に立てるように頑張ろうという気持ちになりました。


ー叶え組の小野さんの発信が誰かのためになることを期待していますし、
叶え組の方が夢組となるよう、今後の活動を応援していきたいと思います!本日は素敵なお話をありがとうございました!

取材者・執筆者:大庭 周(Facebook/note/Twitter
デザイナー:安田 遥(Twitter