様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第459回はこの夏からイタリアの大学院に進学予定の上野チェルシー有彩(ありさ)さんです。大学卒業後は海外テック企業の日本事業立ち上げを連続的に行ってきた上野さん。Shopifyの日本第一号社員として活躍されたことでも有名な上野さんのこれまでの様々な選択に共通することとは何なのか。詳しくお話しいただきました!
Shopify日本立ち上げからの卒業
ーまずは簡単な自己紹介をお願いします。
アメリカ生まれ、福岡県久留米市育ちの上野チェルシー有彩です。現在はプロジェクトベースでEコマース事業の立ち上げやスタートアップ企業の日本や海外での立ち上げ支援などを行っています。同時に、女性のエンパワメントや学校や行政と連携した教育事業、そして講演を通した個人のキャリア支援活動も日本全国で行っています。独立前はカナダ発のEコマース、Shopifyの日本第一号社員として働いていました。
ーShopifyではどのような仕事を担当されていたのですか。
日本の第一号社員だったこともあり、日本に関連することであれば全て担当していました。書類やコンテンツなどを日本語に翻訳するローカライズという作業に加えて、事業開拓、営業、イベント企画/運営、PR、カスタマーサポート、コンテンツマーケティングなどで走り回っていました。その後Shopifyのパートナープログラムの立ち上げをメインに、Shopifyを通して様々なタテヨコナナメの繋がりを大事にしていくべく、競い合うだけではなく協力し、コラボレーションで結束していけるようなShopify コミュニティを作りたいという想いと共に、これまで動いてきました。入社時はまだ日本で法人化できていなかったので、個人事業主として働いてたのも今振り返ればいい思い出です(笑)
2017年は特に1年で2,000人が増えていくようなフェーズで、会社自体も急成長していた真っ最中ということもあり、Shopifyの日本立ち上げは言わずもがな大変でした。ポテンシャルで採用されていたこともあり、期待値もかなり高かったので負荷はかかっていましたが、1年が10倍くらい濃く、とても充実した日々でしたね。
ーShopifyを辞め、独立を決められた理由は何だったのですか。
アメリカ生まれということもあり、幼い頃から将来はアメリカに住んでアメリカで働くと決めていました。そのため、英語を話せる事も必須条件で、英語も幼い頃からずっと勉強してきました。
Shopifyでの日々は充実しており、仕事は好きでしたが、日本での採用であったため、日本国内限定のものしかなく、将来的なビジョンを叶えるためにはどこかのタイミングで卒業することを考えていました。2年間でメンバーが増え、立ち上げ初期が終わったフェーズでもあったので、次の挑戦に進むことを決めました。
世界を見て経験値を伸ばした大学時代
ー現在に至るまでの上野さんの転機についても教えてください。今の上野さんの考え方や価値観に影響を与えた出来事はありますか。
大学時代にフィリピンに行ったことは自分にとっての大きな転機として記憶に残っています。大学入学すぐの夏休みに、高校・大学と同じだった友人がFIWC九州という学生団体でフィリピンへワークキャンプにいくという話を聞きました。もともと海外には興味があり、面白そうだなと思ったので大学一年生の春休みに一緒にフィリピンに行ってみることにしました。
ーフィリピンではどのようなことをされたのでしょうか。
レイテ島の山の上にあるマタグオブという小さな村で現地の人たちと一緒に1ヶ月過ごしました。トイレもお皿洗いも洗濯も身体を洗うのも同じ水、という限られた資源の中で水浴びをしながら暮らした生活、ニワトリの声で目覚める生活、ネット環境も街灯もなく、星空の下で語り合い、時には歌を歌って過ごした生活。どれもとても新鮮だったことを覚えています。
滞在中は山道の補装作業を行っていました。村からマーケットや学校がある場所までいくのには長い山道があったのですが、水ハケは悪く、沼や泥で足が埋まってしまうくらいに整備されていないということもあり、村の人が日々の生活に苦労されていました。そこで土や砂利をひいて道を補装する作業を行いました。やってあげるという上から目線のボランティアではなく一緒に生活しながら村の人々と同じ目線で作業を進めていくワークキャンプでの毎日は今の人生においての価値観の指針となるくらいの貴重で濃い経験となりました。
ーその他、大学在学中に印象の残る経験はありましたか。
交換留学でノルウェーに行ったことも自分の中ではとても印象に残っています。アメリカに留学を考えたいたのですが、どうせなら人と違う選択肢をしたいと思い、ノルウェーに留学することを決めました。
ーノルウェーを選ばれたのは何故だったのでしょうか。
父が教師ということもあり、教育に興味があったのですが、その中でも第二言語で英語を習得することについて勉強したいと関心を持っていました。
北欧は教育が進んでおり、多くの人が英語を第二言語として流暢に話せるくらいに英語を習得している事も魅力的でしたが、加えて私が通っていたノルウェーの大学では体験学習(エクスペリエンス ラーニング)という体験から学ぶという学習方法の授業を実践している事が特徴的でした。私自身、机に座って勉強するよりも、自分の目や耳、肌で感じ、手や脚で触れて学ぶ事が好きだった事、また体験を通して学んだ方が本質的できちんと身になっているという実感もあり、ノルウェーに行ってみようと思いました。これからアメリカに行く事はあっても、マイナー過ぎるノルウェーに行く事はないだろうと思ったのもありましたが、何よりも他の人とは違う選択肢が大好きな性格も、ノルウェーを選ぶ後押しとなったのかなと思います(笑)
ーノルウェーで得た新たな学びや気づきがあれば教えてください。
日本では義務教育を真面目に受けてきても英語が話せない人が多いことに私自身が疑問を抱いていたので、他の国がどう英語を教えているのかということにとても興味がありました。大学では中高の教員免許を取得予定だったこともあり、英語を母国語としない人たちにノルウェーではどうやって英語を教えているのか、ノルウェーの人々はどのような環境で英語と馴染んでいくのかなど学を現地の学校を訪問しながら学び、考えることができました。
ちなみに、大学時代で学んでいた英語の音声学の授業から、世界には英語を母国語とする人に比べて英語を第二言語として学ぶ非ネイティブスピーカーの人口の方が多いことを知りました。その時に、これからはビジネスなどあらゆる場面で、非ネイティブによる様々なアクセントが付いた英語など、多様な英語が理解できることがますます重要になっていくと学んだ事もあり、様々な種類の英語が飛び交うヨーロッパに留学に行こうと決めたというのも背景にありました。そのお陰もあり、今では話す英語のアクセントでその人のおおよその出身国が予想できるようになりました。
入社の決め手は自分の経歴を認めてくれるかどうか
ー大学卒業後の進路についてはどのように考えられていたのでしょうか。
外資系企業の場合、駐在員枠があまりないため、日本企業で英語を話せる人材を探している会社やグローバル化に力をいれており将来的に海外駐在できそうな会社を中心に就活をしていました。就活をする中で気づいたことが、私のこれまでの経歴を見て「いや〜、面白い!何でも出来そうだね!」と言ってくれる会社もあれば、教職免許を持ちつつ就活をする私に「結局何がしたいの?」となかなか理解してもらえない会社もあったこと。最終的には私が多動的にこれまでやってきたことを評価してくれた日本企業に入社する事を決めました。
ー結局、その会社では駐在を経験する前に転職されたんですね。
はい。辞める前には本当に悩みました。駐在の可能性がある海外支社で勤務されていた方にも会いに行ったり、社内でもお話しをお伺いしに行ったりしていました。その結果、海外にただ行くというのではなく、どんな仕事で海外に行きたいのかというのを考え始め、駐在に行けるかどうかを受け身で待つよりも自ら英語を使うような機会を創っていける海外スタートアップという道に進むべく、海外進出の前にまずは日本のハブである東京を開拓する事にしました。新卒で入社した会社を退職後は、 Wantedly経由で出会ったニューヨーク発のヘルスケアの会社に転職。そのタイミングで大阪から東京に拠点を移しました。日本支社の3人目の社員としてオフィスに住み込み状態で働いていましたが、楽しかったので働いているという感覚はなかったですね。1年ほど経ったタイミングでLinkedIn経由でShopifyから日本の立ち上げをやらないとお声掛けいただき、第三号社員から第一号社員だなんて面白そう!と転職することにしました。
30歳までは経験に投資。お金は後からついてくる
ー上野さんがこれまでのキャリア選択において大事にされてきたことは何なのでしょうか。
経験に投資することを一番にこれまでキャリアを選んできました。特に30歳まではどれだけユニークな経験を積めるかを基準に考えており、お金は後からついてくるだろうと思っています。
ー経験を積むことを一番にキャリアを選択してきた上野さんがU-29世代に伝えたいメッセージはありますか。
日本にいると無意識に「何歳だから」や「男性だから、女性だから」などといった年齢や性別の枠に捉われてしまうことが多いと感じています。でもどうかそんな簡単に枠にはまることなく、世界基準で物事を見て考えていただきたいしです。Shopifyに私が日本の第一号社員となった時、私を採用してくれた上司は私が何歳か覚えていませんでした(笑) 年齢や性別なんて世界では関係ないんだなってその時思ったのを今でも覚えています。
行けるところがあるなら、行きたいところがあるなら、枠にはまることなく、どこまでも突き進んでほしいです。私も足が動くうちは全力で楽しみながら、突き進んでいこうと決めています!
ー最後になりますが、今後の展望や目標があれば教えてください。
個人で活動を初めて、2年半が経ちました。新たな挑戦として、これからイタリアの大学院に進学することが決まっています。大学院ではデザインマネジメントを勉強する予定です。特に進学予定のミラノ工科大学はラグジュアリーマネジメントの分野が強いので、ラグジュアリーの観点でデザインをマネジメントすることを学ぼう思っています。これまではEコマースでモノを売る方法にフォーカスしてきましたが、モノづくりをするフェーズでどうデザインマネジメントをするかという視点を新たに取り入れる予定です。
将来的には日本の伝統工芸品を取り扱う小さな事業やブランドにラグジュアリー観点を取り入れ、日本で消えてしまいそうな技術に新しい価値を付けていく事や、日本から海外、海外から日本の架け橋なり、ものづくりを世界に発信していく支援をしていきたいと考えています!
インタビュー:山崎貴大(Twitter )
執筆者:松本佳恋(ブログ/Twitter)
デザイナー:髙橋りえ (Twitter)