18歳で単身渡米。アメリカLAの和菓子ブランドのマネージャー・清水萌の決断力

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。

第343回となる今回は、アメリカ・ロサンゼルスのヴィーガン向け和菓子ブランドMisaky.Tokyoのプロジェクトマネージャー清水萌さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

ヴィーガンの人も安心して口にできるラグジュアリーな和菓子を。プロジェクトマネージャー・清水萌とは

Misaky.Tokyoのプロダクト

ー本日はよろしくお願いします!はじめに現在のお仕事について教えてください。

アメリカ・ロサンゼルスのヴィーガン向けD2C和菓子ブランド『Misaky.Tokyo』でプロジェクトマネージャーをしています。入社して1年が経ち、現在は新製品のスケジュール管理、パッケージ会社との話し合い、輸入の調整、キッチンのオペレーションなど幅広く業務にあたっています。

ーWebサイトを拝見して、宝石みたいで驚きました。キラキラしていて、これがお菓子なんだと。どういうインスピレーションからできたものなんでしょうか?

琥珀糖という、寒天を煮て溶かしたものに砂糖と色素を加えたものをアメリカナイズしました。ゼリー状のものを乾燥させ、手でカットして宝石の形にしています。琥珀糖自体がもともと宝石をイメージしたお菓子なんですが、魔女系やスピリチュアル系などさらに現代っぽくアレンジしてデザインしています。

ーさらに注目すべきは、動物系のものを全然使っていないヴィーガン向けのお菓子という点ですよね。

はい。ヴィーガン向けのラグジュアリーなお菓子として販売しています。例えば同じラグジュアリー路線のお菓子としてGODIVAのチョコレートが挙げられますが、ミルクが入っているのでヴィーガンの人は諦めざるを得ないことがあります。琥珀糖に使われている寒天はゼラチンと違って動物系のものが入っていないので、ヴィーガンの人も口にしやすい、かつ見た目も華やかで贈答品にも最適です。

ーMisaky.Tokyoといえばキム・カーダシアンさんとのコラボも注目されましたね。

コラボをしたのが2020年の11月でした。キム・カーダシアンさんのフレグランスブランド「KKW Fragrance」のCMOの方が私たちのTikTokを見つけてくださって、DMをいただいたのがきっかけです。彼女のフレグランスと私たちの和菓子の世界観が一致する点が評価され、コラボ新商品「Crystal Treats(クリスタル・トリーツ)」を提供するに至りました。

キム・カーダシアン氏とのコラボ商品

中3でロサンゼルス短期留学。日本人としてのアイデンティティの芽生え

中学3年生の清水さん。LAにて。

ーここからはアメリカの大学に進学された清水さん過去についてお伺いします。どんな子供時代を過ごされましたか?

田舎の普通の小学生でした。森で遊んだりしてましたね。でも運動音痴だったのでスポーツは趣味程度にして、私にもできることを探し始めました。中学2年生の時、学校の選択授業での華道と出会ったのは大きかったです。週1の授業として華道を学ばせてくれたのはありがたかったですね。

ー学校で日本の伝統文化を学べる機会があるのっていいですね。その後アメリカに短期留学されたとお伺いしましたが。

はい。アメリカの映画やドラマが好きで、強い憧れがありました。中学3年生の時、ロサンゼルスに2週間だけ友達と短期留学しました。夏休みに空いている大学の寮に住み、午前中授業を受けて午後は遊ぶという生活をしていました。

ー初めての海外生活はどうでしたか?

ブラジル人のルームメイトがいて、一緒にご飯を食べたりお互いのことを話したりしました。私はその時英語を話せない方でしたがそれは相手も同じなので、通じなくてもコミュニケーションができることを体感しました。

清水さんと生徒たち。LAにて。

ー初めての海外生活で新たな発見はありましたか?

日本に長い歴史や文化があることって素敵だなと改めて思うようになりました。アメリカは独立してから200〜300年くらいしか経っていないので、日本に何千年もの歴史があることを話すと驚かれます。私たちにとっては当たり前のことでも、世界に出てみると見方が変わりました。

日本の話をする時に華道のことを話す機会もありました。写真を見せながら、華道はフラワーアレンジメントと違って左右対象じゃないことなどを説明すると、これはクールなアートだねと言ってもらいました。

前例がないと反対されてもアメリカの大学進学を決断。アメリカで働く夢を見据えて

グラフィックデザインの勉強。清水さんの展示物。

ー中学でのロサンゼルス短期留学は清水さんにとって最初のターニングポイントとなったのですね。その後はどんな進路を考えましたか?

アメリカの大学進学を考えるようになりました。グローバルな分野を学びたいと漠然と思っており、それなら日本の大学に入って1年交換留学するのではなく、アメリカの大学に入りたいなと。周りに海外進学を考える人がいなかったので自分で調べ始めました。

ーグローバルに学びたいと考える人は多いと思いますが、実際にアメリカに行こうと思ったのはすごいですね。

先生にも驚かれましたし前例がないと反対もされました。大学に行って留学するのとは違うの?と聞かれましたが突き進みました。留学だと最終的に日本に帰ってくるような気がしましたが、ゆくゆくはアメリカで働きたかったので。アメリカの生活に慣れてコネクションを作ってから働きたいと思っていました。うまくいくかどうかは分かりませんでしたが、失敗してもやり直せるという気持ちで臨みました。

ー単身渡米は大きな決断だったと思います。決断する時のポイントは?

5年後や10年後やらなかったら後悔するだろうと直感で感じた時、それ以上考えても考え過ぎてしまうだけなので、とりあえずやってみることが大事だと思います。ある程度自分で調べて、いけるかもとおもったらGOサインを出す。失敗しても挽回できると思えば踏み切る勇気が出ます。

ー18歳でアメリカに行ってよかったと思うことはありますか?

18歳の時に違う文化や宗教の人と出会った時に、100%理解することはできなくても、いろんな人が存在していいんだということを肌で感じました。自分の心をオープンにして、まずは話を聞いてみようと思うようになりました。思い込みがあると人の話を聞けなくなりますから。

ーアメリカの大学進学を決めた後の受験勉強やリサーチは大変でしたか?

はい、すごく大変でした。本当にアメリカに行けるかどうか分からないので日本のセンター試験も受けました。リサーチしていくうちに、ボストンのある語学学校でTOEFLの勉強や、大学への応募のプロセスも助けてくれるコースがあることを知りました。まずその学校に入り、英語やアメリカの歴史や文化などを9ヶ月学びました。その後、ロサンゼルスのリベラルアーツ大学Woodbury Universityに進学しました。

ーWoodbury Universityを選んだ理由は?

もともと小さめの大学に行きたかったんです。100人の講義室の中の1人より20人しかいないクラスで先生と会話しながらプロジェクトベースで進めていくスタイルに興味があったので。かつ一般教養も教えてくれるリベラルアーツカレッジを探していました。

中学の短期留学の経験からカリフォルニアに戻りたい気持ちもあり、カリフォルニアで一番古いビジネス学科があるWoodbury Universityに決めました。

ーリベラルアーツではどんな分野を学ばれましたか?

1年目はマネジメントについて学びました。その後ビジネスの基本はマーケティングだと思いマーケティングに移行、さらにカスタマーの分析をする上でデザインも必要だと思いグラフィックの勉強もしました。親がビジネスの専門だったのでとりあえずビジネスを入口にして興味関心を広げたいと考えていたので。

ー大学生活はいかがでしたか?

小さい大学で寮生活だったので高校みたいな生活でした。他の学部の友達も多くでき、人との関わりの中から視野を広げて行きました。

大学生活に慣れてきた頃、華道の勉強を再開しました。アメリカに来て自分の趣味が欲しいと思っていましたし、日本人として何かをやりたいと心の中で思っていたので。ネットで探したらたまたま近くに華道の先生がいらっしゃったのでチャンスだと思い、再び学ぶことにしました。

華道を再開した清水さん

ーなぜ日本らしいことをやりたいと思いましたか?

自分には日本的なアイデンティティがないと思っていましたが、華道を学んでいたと友達に話すとクールだねと言って興味を持ってくれました。リベラルアーツを学べる環境だったので、華道の道からアートの道も開けないかと期待しました。

ヴィーガンへの関心からVegan Fashion Weekで日本人初のインターン

Vegan Fashion Weekの様子

ー大学で学びながら、その後Vegan Fashion Weekのインターンに行かれたのですね。

はい。ビジネス専攻だったので、卒業の単位のためにインターン先を探す必要がありました。自分はどんな分野でインターンをしたいか考えていた時、Vegan Fashion Weekのことを知りました。高校時代の日本人の親友がヴィーガンだったので、私もヴィーガンについて関心があったんです。今までヴィーガンといえば動物系の食べ物を食べないというイメージでしたが、ファッションに関して動物の毛皮などを使わないという考えもその一部だと知りました。

ーどういう経緯で採用されたのですか?

Vegan Fashion Weekの代表 Emmanuel Riendaと話す機会があり、ファッションをアクティビズムとしてとらえているヨウジヤマモトなどの日本人デザイナーが好きだという話を聞きました。私はアートや華道を勉強していることをお話し、日本人初のインターンとして採用していただきました。

ーインターンではどんな仕事を?

Vegan Fashion Weekに向けての準備、モデレーターの手伝い、日本への広報関係、インフルエンサーマーケティングなど幅広くやらせていただきました。

コネクションゼロから私たちの情報を発信してくれるインフルエンサーを探したり、ファッション系の雑誌に情報をリリースしたりするのは大変でした。小さな組織だったので自力でやらないといけない部分が多く、やり方を考えたり工夫したりするのに必死で。

ーヴィーガンに関するお話が出てきましたが、関心を持った理由を教えてください。

先ほどお話しした高校の親友とレストランに行った時、パスタにベーコンが入ってるのを見て彼女の居心地が悪そうだなと感じることがありました。また、野菜のスープと書いていても挽肉が入っていることもあり、ヴィーガンの人にとっては生活しにくいだろうなと想像しました。アメリカではヴィーガンが当たり前のようにいますし、レストランにはヴィーガンオプションも普通にあります。日本もこういうふうになったらいいのになと思ったのが始まりです。

ーヴィーガンに関わる仕事をされてみて、いかがでしたか?

親友を含めこうしたヴィーガンのコミュニティに出会って、ヴィーガンが大事にする価値観を非ヴィーガンも認められる世の中になっていくのではないかと感じました。例えば、毎日お肉を食べなくても1週間に1回に減らすとか、革ジャンが着たくてもヴィーガンだから着れないと諦めるのではなく妥協しなくても着られるファッションを生み出すとか。

SNSにアップした1枚の写真をきっかけにMisaky.Tokyo創業者と出会う

左から共同創業者 遠藤さん、共同創業者兼CEO 三木アリッサさん、清水さん

ーインターンを終えて、どんな進路に進もうと考えましたか?

アメリカに残りたいのが第一でした。もともとアメリカで働くことを目標にしていたので。仕事の内容としては、マーケティングや広告の代理店などデザインが関係するところで働きたいと思いつつも、アメリカでは新卒で経験がなく働くのは難しいことは承知していました。Vegan Fashion Weekのインターンは大学の単位としては終わりましたが、アメリカに来た日本人のファッション関係の人の通訳など、その後もお手伝いをしていました。しかし、大学を卒業した時点では正式な仕事はありませんでしたね。

ーそんな中でコロナの影響を受けたのですね。

はい。いろんなことが度重なって、自分としてはどん底でした。一軒家を借りていましたが大家さんが家を売って台湾に帰ることになったので急遽家探しが始まりました。アメリカでは収入のある人が優先されるので、仕事がないと家を探すのも大変で。午前中は家を探して、午後から仕事の面接に行って……と、仕事と家の両方を探す日々が2ヶ月くらい続きましたね。

ーそんな生活の中でMisaky.Tokyoに出会ったのですね。採用に至るまでの経緯は?

2020年3月にMisaky.Tokyo創業者・三木さんの「コロナでウェディングレセプションの大量キャンセルがあったので私たちの商品を買ってもらえませんか?」という旨のツイートを見て、アメリカで大変な日本人は私以外にもたくさんいるんだなと思いました。

実際に商品を買い、太陽にかざして万華鏡のフィルターをかけてInstagramに投稿したところ、なんと三木さんからDMが届いて食事に行くことになりました。あまりSNSで人に会おうと思ったことはありませんでしたが、これは何かのチャンスかもしれないと思ったんです。

私は華道、彼女は和菓子をやっていることからお互いに日本の伝統文化に関わっているねという話になり、彼女のビジネスの話になりました。そんな話をしているうちに、食事が終わる頃にはその場で採用が決まりました。

Instagramのストーリーズに投稿した写真

ーその場で採用ですか!?すごいスピード感ですね。

はい、自分でも驚きました。これが引っ越しの前日で、翌日街がロックダウンになりました。何もかもギリギリだったと今になって思います。

伝統と文化を大切に。日本とアメリカをつなぐ架け橋に

アメリカで華道を学ぶ仲間たち

ーVegan Fashion WeekとMisaky.Tokyoの採用の話を聞いて、華道を続けてこられたことも清水さんの人生に大きく影響しているように感じました。現在は華道の師範の資格をお持ちとのことですが、華道を続けてきてよかったことはありますか?

華道の技術はもちろん学びになりましたが、メンタル的に良かったのは学び続ける力がついたことです。華道の資格は4級から始まるのですが、実は師範になっても級があります。自分が教えられる立場になってもずっと学んでいけるのが日本らしいと思いますね。アメリカだと学んで終わりというマインドになりやすいので。

ー華道や茶道といった伝統文化は日本人でも敷居が高いように感じますが、どういうところから始めればよいでしょうか?

私が学んでいる草月流は一般的にイメージされる華道よりもう少し自由です。敷居の高さがネックなら自由度の高そうな流派に入ると始めやすいかもしれません。伝統文化は若い世代が引き継いでいかないとなくなってしまうものなので、どんな形でもまずは文化に触れてみることが大切だと思います。

ー最後に、清水さんの今後のビジョンを教えてください。

日本とアメリカの架け橋になりたいと思います。日本に帰るたびに日本の技術はすごいなと思うのですが、なかなかアメリカには入ってきません。現地にいる私がもっとこうすればいいのにと思うところはあるので、和菓子の分野だけでなく両国に関わる手助けをしていきたいです。その結果、新たな価値観が生まれ、多様性を認められる世の中になっていけばいいなと思います。

ー清水さん、ありがとうございました!清水さんの今後のご活躍を楽しみにしております!

取材:中原瑞彩
執筆:小山志織(Twitternote
編集:えるも(Twitter
デザイン:五十嵐有沙(Twitter