己の心地よさを求めて。音楽活動家・アギラルマリアが大切にする人生のポリシー

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第508回目となる今回のゲストは、音楽活動家のアギラルマリアさん。

地元・長野県で育まれた感情を大切に、現在では全国3拠点で音楽活動をする彼女。音楽で表現している「心地よさ」とは一体何なのか。これまでの経緯から大切しているポリシーについてお伺いしました。

周りの顔色を気にする幼少期

ーまずはじめに、自己紹介をお願いします。

アギラルマリアと申します。東京・沖縄・長野の3拠点で生活をしながら、主に音楽活動を行なっています。具体的な活動内容として、ライブで演奏を行ったりCMソングを歌ったりしていました。音楽や言葉に想いを乗せて「自分らしさとはなにか」をメッセージとして伝えることを大切にしています。

現在は総務省が主催している「ふるさとワーキングホリデー」を活用しながら、沖縄県の最北端に位置する国頭村(くにがみそん)で暮らしています。

ー地元・長野県を離れ、現在は沖縄で暮らしているマリアさん。第一印象がとても元気な印象なのですが、どのような幼少期だったのでしょうか?

小学生の時は明るい女の子でした。兄弟が4人もいて、下の弟にとってはお節介なお姉ちゃんでしたね。

しかし、幼い頃から人の顔色を伺う術を身につけて生きてきました。きっかけはフィリピン人の両親が、日本の社会に苦労しながら適応しようとする姿を見てきたから。日本に疑問を抱きつつ懸命に生きようとする姿を目の当たりにしながら、幼心に周りに合わせる気持ちが芽生えていたかもしれません。

ーそのようなご両親の姿を見て、疑問や他の感情を抱きませんでしたか?

子どもたちに言わないだけで両親が生活に悩み、我慢しているんだなと気づいていました。しかし、懸命に生きている両親を見ていると本気で聞けない。聞けないけれど、両親が抱える辛さを幼いころから感じていました。

ー複雑な心境をお持ちだったのですね。中学に上がってから、印象的な出来事はありましたか?

そうですね、2つあります。1つめが吹奏楽部での活動です。ただ譜面を見て音を覚えるのではなく、耳や心で音を聞いて、人と合わせながらメロディーを奏でることの気持ちよさを経験しました。その経験は、高校時代のバンド活動、上京してからの歌手活動にも大きな影響を与えましたね。

2つめは中学2年生のクラス。当時の担任が、勉強をしないことを叱るのではなく、掃除や給食当番をサボる生徒に叱る先生でした。合唱コンクールの練習もダルいと怠ける生徒に対して「みっともないこと」と指導していて、当時のわたしにとってルールや道徳の大切さを気づかせてくれた先生でした。

安心できる地元の環境と、自由奔放な高校時代

ー話を聞く限り、幸せな中学時代だったのですね。高校生になってからはいかがでしたか?

高校は地元にある国際教養科に進学しました。わたしは元々、外国籍の子どもだったのでいつかは地元と世界の橋渡し的な存在になりたいという夢があって。夢を叶えるために、海外と交流できる制度や地域との関わりを大事にするカリキュラムの学校を志望しました。

ー夢を叶えるために、当時から進路を考えていたのはすごいですね!自分を知るためになにかやっていたことはありますか?

具体的なアクションは特にないのですが、わたしが住んでいた地元・長野県飯田市の存在が大きかったです。飯田市は地域の繋がりが強いだけではなくて、大人と子どもの距離がとても近く、常になんでも言い合える関係でした。今振り返ると、役場の人や高校生が交流する機会も頻繁にありましたね。

例えば「やりたい!」と思うイベントを考案したら、「それできる?」ではなくて「どうやったらできる?」と一緒に考えてくれる大人が多くいました。子どもの意見を認めてくれたり向き合ったりしてくれたことで、自然と心理的に安心感を抱いていましたね

ー素晴らしい環境ですね。マリアさんが地元へ貢献したい気持ちが伝わります。周りの顔色を気にする幼少期でしたが、この環境に身を置くことで心の変化はありましたか?

正直、いっさい気にしなくなったわけではありませんが、以前に比べて気にする気持ちは軽減しました。外の環境では、自由奔放に活動する子だったので、その行動は今に繋がっていると思います。

上京後の挫折から見つけた人生のポリシー

ー高校卒業後、どのような進路を歩まれたのでしょうか?

東京に上京して、地域創生が学べる通信制の大学に通いました。同時に、音楽活動や1人暮らしを始め、これまでの地元とは違い新しい環境で生活しましたね。

実は、進路を選択するとき地元の人に相談したところ、みんなが口を揃えて言った言葉が「外に出ろ」でした。安心して帰ってこられる飯田市で待っているからと背中を押されたのが、上京への決心がついたきっかけですね。

ーマリアさんにとって大きな励みでしたね。実際、上京してどうでしたか?

結論から言うと、1年でパンクしました。学校、音楽活動、1人暮らしの3つのサイクルを回すのが辛く、大学を中退しました。学びたいことを学べたり、友人ができたりしたのは嬉しかったのですが、どうしてもやりたくないことをやらなくてはいけないことも多く、最終的に音楽活動を選択することにしました。

あとは地元の存在の大きさに、改めて気づきました。以前は頼れる大人に相談できていましたが、上京してからは周りに頼れる大人がいなくて相談もできない状態に……。当たり前に過ごしていた地元での日々が、わたしの最大の安心感につながっていたんです。

ー地元の存在が大きいですね。1回落ちこんでから、どのように回復をしたのですか?

気づいたら地元に戻っていました。地元のお気に入りのコーヒー屋に立ち寄り、泣いて辛かった気持ちを吐き出していて。

そのとき考えたのが「対策を考えるまえに、まずはゼロになる」ということ。一旦力を抜いて、好きだな、気持ちいいなと心地いい状態を続ける生活を過ごしました。なにも考えない時間を過ごしていくうちに、気づいたら体が次の行動をしたいという気持ちに変わっていましたね

ーなにもしない休憩時間を作ったおかげで、ゼロベースを知れたのですね。

そうですね、わたしにとっては重要な時間でした。人はだれでも、プラスやマイナスに動く波があり、その波と上手に付き合っていくためにもゼロベースを知る必要があると感じています。

己の心地よさに従い、生きていく

ー現在、東京で暮らしていたときに比べて、生活はどうですか?

沖縄はゆったりとした環境で人も穏やかなので、のんびりしながら暮らしています。ちなみに、東京は今でも音楽活動で通っています。これまでの経験で分かったこととして、東京はわたしにとって実験室であり、挑戦する舞台。ただ、常に実験していたら心身ともに疲れてしまうので、行ったり来たりを繰り返しています。今はこの生活スタイルが一番心地いいと感じています。

ー話を聞く限り、マリアさんは己の心地よさに従いながら生きているのですね。

そうですね。挫折した経験が、人生の道標になりました。両親からしてみると、理想の娘に成長していないと感じているかもしれません。大学も中退して、定職に就かない生き方は、ある意味わがままかもしれませんが、わたしの幸せの状態が両親の幸せにつながると信じています。だから心地いい状態を大切にして、今後も生きつづけていきます

ー最後に、まりあさんの今後についてお伺いします。

自分の心地いい状態を掴めたので、今度は頑張ることに撤したいです。具体的には、極限まで実験室にこもり、音楽活動を続けてみる。自身の可能性を信じて、できるところまで挑戦してみます!

ーマリアさんの挑戦を応援しています。本日はありがとうございました!

取材:新井麻希Facebook
執筆:田中のどか(Twitter
デザイン:高橋りえ(Twitter