学生時代の違和感や、双極性障害。新卒パラレルワーカー内藤千裕の、自分の特性との付き合い方

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第462回目となる今回は、新卒パラレルワーカー・内藤千裕さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

新卒パラレルワーカーとして活躍し、現在は株式会社アスノオトと個人事業主として活躍する内藤千裕さん。自分の特性との付き合い方について、学生時代に抱いた違和感や、双極性障害・愛着障害と向き合った経験から語っていただきました。

学生時代に持った学校への違和感から、教育の道へ


ーまずは、自己紹介をお願いします。

内藤千裕です。顔が丸くて大豆に似ているので、普段は「そいちゃん」って呼ばれています(笑)。

大学進学を機に地元の新潟から東京に越してきたのですが、1年ほど前に福島県の南相馬市へ移住しました。(※インタビュー実施時。2021年12月現在は神奈川県葉山町に移住。)

仕事面では、主に株式会社アスノオトで働いています。「さとのば大学」という市民大学の運営や企画・広報や、面白い仕事をしている方にお話を伺う「しごとバー神田」というイベントにも携わっています。

個人事業主として、デザインやファシリテーションのお仕事をいただくこともあります。地方はデザイナーが少ないので、重宝されますね。

―どんな学生時代を過ごされましたか?

何かを知ることが楽しいと思っている子どもでした。小さい頃は公文(くもん)に通っていて、学ぶことの楽しさを知りました。

―現在は「さとのば大学」という市民大学の運営に携わっているとのことですが、教育に興味を持ち始めたのは学生の頃でしょうか。

中高生くらいです。部活の序列や校則、学びを楽しめない学生……中学ぐらいから世の中を疑ってかかっていたので、学校のいろいろな部分に違和感を持っていました

学校に対する違和感がきっかけで教育制度に興味をもって、教育を学べる学科がある大学に入学しました。

ー大学入学後はいかがでしたか?

入学当初は「日本の教育を変えてやる!」くらいの意気込みで入学したのですが、周りのみんなは必ずしも学びに来ているわけではないと知って、ショックを受けました。「あ、大学の皆もそうなんだ」って。学校教育批判的なことを学んでいたことも相まって、当時は「学校なんてなくなってしまえ」とさえ思っていました。

大学で学びたいことが明確だった分、「意識高い系」みたいな感じで周りからは少し浮いていましたね。

株式会社アスノオトで、自分の特性を見てくれる上司と出会う


ー大学時代は苦労されたそうですが、どうやって立ち直られたのですか?

なるべく外のコミュニティに参加して、いろいろな大人に出会うことを意識しました。一歩外に出ると、面白い働き方をしている大人や自分と考えが近い人がたくさんいます。大学時代はつらかったけれど、学外の大人たちと接するようになってからは少し楽になりました。

ー続いて、就職活動について聞かせてください。

仕事の探し方を調べたり、人に聞いたりして、通常とは違う就活の仕方を模索しました。

元々誰でも学べる仕組みであるはずの教育が、いつの間にか「売り物」として扱われていることに気づいて、資本主義にも違和感を持っていたのです。

資本主義に懐疑的になっている私が株式会社で働けるのかどうかもわからないし、普通の就職活動はできないだろうなとも思いました。

ーなるほど。株式会社アスノオトとの出会いはどんなものでしたか?

Facebook のイベントページで見つけたことがきっかけです。ホームページを見て、「ここだ!」ってピンときました。

当時は求人も出していない会社で「新卒は採れない」と言われてしまったのですが、卒業後に働ける確証もないまま、インターンとして雇ってもらいました。

ー株式会社アスノオトの、ピンときたポイントを教えてください。

「人=弱い」という前提のもとに活動していたところです。

私は以前からPMS(月経前症候群)や双極性障害に悩んでいたので、自分の弱さと付き合いながら働ける場所を望んでいました。自分の考えにぴったりな会社だと思いましたね。

株式会社アスノオトが「働き方のアップデート」を掲げている点も、ピンときたポイントです。その言葉通り、株式会社アスノオトの社員全員がパラレルワークを実現していて、「ここなら働けそう」と思いました。

ー当時内藤さんは、株式会社アスノオトのインターンでどんな活動をしていたのですか?

「さとのば大学」のイベント運営や、チラシなどのデザインでした。他にも、日本仕事百貨さんがやっていた「しごとバー」をのれん分けさせていただいて運営したり、代表が起業した場所でもある島根県海士町のまちづくりオンラインサロンにも携わったりしていました。

ーその中で印象的だった出来事はありますか?

上司が、私の伸ばすべきスキルを考えて仕事を任せてくれたことです。コミュニティやイベントなど、自分の弱さをある種コンテンツ化していくことや、イベントでのファシリテーションを通してなどで人とつながっていく仕事が向いているんじゃないかと助言してくれました。

私は寂しがり屋な分いろいろな人を誘うことが多いのですが、それを「人を誘ったりとか人を巻き込んでいく力がある」と評価してくれたのです。寂しがり屋な部分を長所とも捉えてくれました。

パラレルワーカーとして活躍するも、双極性障害を発症。自身の生活を見直す


ー卒業後の進路はどうされましたか?

株式会社アスノオトに、週3日で雇ってもらうことになりました。。クラウドファンディングが成功して、無事「さとのば大学」の運営を続けられることが決まったんです。

―週5日ではなく週3日で働くことに、不安はありませんでしたか?

空いた時間はアルバイトをすればいいと思っていたので、あまり不安はなかったです。非正規雇用でもいいと思えたのは、大学時代にいろいろな大人に出会えたことが大きいですね。

私の友人で、家賃8,000円の家に暮らしながらライターのアルバイトや農家さんのお手伝いで生活をしている人がいます。「家賃が安いから月数万円程度で生きていける」という考えの持ち主で、話を聞くうちに、正規雇用で月20万円稼がなくても生きている世界もあるんだなと思いました。

最終的にはアスノオトで週3日勤務しつつ、当時スタッフの方と繋がりがあった「NPOグリーンズ」に週2で関わらせていただけることが決まりました。

ー大学時代に外の世界に飛び出した経験が、今の価値観にも影響しているんですね。社会人になってからは順調でしたか?

社会人1年目の秋に、鬱のような症状が出ました。今思い返すと双極性障害の症状だったのですが、当時はなにが起きているのかよくわからず苦労しましたね。

ふたつの仕事をかけ持っていて、いっぱいいっぱいになっていたことが原因の一つだったのかなと思います。どちらもいい職場だったのですが、ひとつの会社で働くよりもキャッチアップしなきゃいけない情報量が多かったり、タスクがこなすのに時間がかかってしまったりと大変でした。

それがきっかけで心療内科に通いはじめたのですが、医者から「発達障害の傾向もあるね」と言われたんです。これまでを振り返ると、私は遅刻もするし、タスク管理も苦手だし、思い当たる節がありました。

自分がもっている生きづらさに、改めて気づかされました。

ー社会に出てからまた自分のことを深く知るきっかけになったのですね。その後はどう対応されましたか?

まずは仕事量を減らしました。グリーンズの代表に勧められて、一旦グリーンズの仕事を辞めたんです。

それから、周りからのアドバイスを受けて、南相馬に移住を決めました。知り合いが住んでいたこともあってとりあえず移住を決めたのですが、とても心地よかったです。

地方のシェアハウスに住むことになって、生活が整って双極性障害の症状も少し緩和しました。双極性障害について相談できる仲間も増えたこともあって、自分の特性と付き合いやすくなったと思います。

鬱症状が辛いときは近所の人を呼んで、一緒にいてもらったり、ご飯を作ってもらったりもしていました。双極性障害はずっと付き合っていくものなので、時には人に頼りながら付き合い方を模索しています

お試し交際で、恋愛面の特性・価値観と向き合う


ーところで内藤さんは、「お試し交際」というプログラムを実施されたと伺っています。詳しくお話を聞かせていただけますか?

「お試し交際」は、「期間を決めて、2人の関係性を築くことを試す」プログラムです。もともと上司が企画してやっていたもので、恋愛を拗らせた人がいきなり人と付き合うこと自体が難しい、という考えから生まれました。

通常の恋愛は、お互い好きで付き合ってみたものの、価値観が違って別れるパターンがほとんどだと思います。だったら価値観を最初に共有したらいいんじゃないかと思って。自分の特性、築きたい関係性や弱み、今までの恋愛でうまくいかなかったことを相手と共有したうえで、3か月間の期間を定めて始めました。

恋愛に苦手意識があった私が、自分らしいパートナーシップを模索するきっかけになりました。

ーパートナーシップにおいても、ご自身の特性や生きづらさと向き合う工夫をされたのですね。最後に、内藤さんが今後挑戦されたい事について聞かせてください。

学校での違和感や双極性障害など、自分の生きづらさにまつわることは引き続き発信していきたいです。生きづらさを言語化してポップに語ったりコンテンツ化したりするのが好きですし、誰かのためにもなると思っています。

ライフワークの面では、人が自分や社会、多世代の人々とつながりながら学べる社会を作りたいですね。「さとのば大学」もその手段の一つですが、いずれは自分でもそういう活動をしていきたいです。

ーありがとうございました!内藤さんの今後のご活躍を応援しております!

取材:山崎貴大 (Twitter
執筆:まあや
デザイン:高橋りえ(Twitter