「今あるものから楽しさを」フランスで見つけた生き方を実現するIndependent Producer・橋村愛希葉の夢

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第531回目となる今回のゲストは、橋村愛希葉(はしむらあきは)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

地元・香川県で貿易事業に取り組み、地方創生と国際交流のハイブリットを目指す橋村さん。「周囲の影響で生きづらさを感じていた」と語る背景には、どのような人生を送ってきたのでしょうか。フランスでの経験から現在の取り組みについて、幅広くお話を伺ってきました。

地元・香川県で「Independent Producer」として活動

ーまずはじめに、自己紹介をお願いします。

橋村愛希葉(あきは)と申します。香川県高松市で生まれ育ち、現在は香川県の西側に位置する三豊(みとよ)市で暮らしています。お仕事は「Independent Producer(独立生産者)」という肩書きで地元企業の企画・広報・事務全般に携わる一方で、個人活動として貿易事業を構築中です。

ー個人で貿易事業とは、具体的にどのような活動をしているのでしょうか?

輸入物販を中心に展開しています。第一弾として、茶こし付き二重ガラスボトル「INFUSION」と呼ばれるブランドを輸入し、先行販売をするためにクラウドファンディングを立ち上げました。

「地方のいいものを世界にも」「世界のいいものを地方にも」のハイブリットが実現できることを目標に掲げ、さらに多くのお客様に購入していただけるよう拡大を続けています。

ー地方と世界のハイブリットを……。そもそも個人で貿易事業に携わりたいと思ったきっかけはなんですか?

学生時代、フランスへ留学したことがきっかけで、将来は外国とつながる仕事がしたいと思っていました。当時海外と関わるためには貿易事業だと考え、それ以降貿易系の仕事を目指すように。経営・運用面から、比較的負担が少ない物品販売を始めました。

ー留学時代からの夢を叶えるために、貿易事業のキャリアを始められたのですね!

そうですね。実は、現在の仕事に就く前に、前職としてフランスの*在外公館で働いていました。在仏邦人企業向けに総務全般を担当する一方、年に数回行われる世界規模の外交行事を任されることも。日本からのEU担当者が来仏する際は、宿の手配や日程調整など裏方で動いてたときもありました。

大変なことは多かったですが、海外との架け橋になる夢が叶った仕事でした。前職の経験から、海外とのつながりを強化していきたいと思い、現在の貿易事業に取り組んでいます。

*在外公館:外国にある外務省の出先機関。主に都市部では国を代表する大使館が設置され、地方支所として総領事館が置かれている。

自分らしく生きられない苦しさを感じた学生生活

ー海外で働く夢を実現された橋村さん。幼少期はどのようなお子さんだったのですか?

実は小学校4年生のときに、今でも忘れられない出来事がありました。理科の授業をしている際に、実験の結果をみんなで予想していた話です。自分以外のクラスメイトがAの解答に手を挙げるなか、わたしはBだと思い、1人だけBに挙手。その瞬間、先生を含む全員から一斉に視線を向けられ、大勢の中で違う意見を主張することは勇気が必要だと感じました。

ーわずか10歳の経験が、心に残り続けているのですね。中学時代はいかがですか?

中学校に上がってからは、公私ともにおいて取り柄がなく、悔しい思いをしました。部活動ではレギュラー部員の友人が表彰されているのを見て「努力して結果を出そう」と決意。

その努力のおかげで、高校生になってからは成績も上がり、部活もチアリーダー部のキャプテンを勤めるなど、充実した日々を送りました。中学の頃に比べて「なんでもできる自分」に変わることができ、毎日が楽しかったですね。

ーお話を聞く限り、順風満帆な高校生活を送られていたのですね。充実感が伝わります。

そうですね。しかし普段の生活でも、小学生の頃覚えた違和感を思い出すことがありました。当時、わたしはスケートボードが好きでしたが、周りが求める理想像は違いました。「チアリーダー部のキャプテンは、可愛くなくてはいけない」と圧力を感じ、ありのままの自分を表現することができなかったのです。

なんでもできる自分に変われたけれど、社会の同調圧力に負けてしまう。「将来は外国人のように、自己表現ができる自分になろう」と思い、高校卒業後は外国語大学に進学しました。

ー心に残り続けた10歳の経験が、将来の進路に関係しているのですね。橋村さんの学生時代は、常に周りの理解が得づらい環境でしたか?

比較的そうでしたね。人前で発言するときも「空気読めよ」と周囲から言われることも。みんなに理解されなくてもいいけれど、認められないのは残念だと感じましたね。この経験が重なり、外国への思いが募りました。

ありのままの自分を受け入れてくれたフランスとの出会い

ー大学進学後のステップを教えてください。

大学1年次にカナダへ留学しました。カナダは英語とフランス語が公用語として話され、国内に存在するフランスのコミュニティによく参加していましたね。そこで「君は将来、どういうことがしたいの?」と個人の興味・関心に焦点を当てた対等な議論を求められたのです。わたしを1人の個人として認める文化はとても心地よく、3年次にはフランスへ留学しました。

ー英語圏ではなく、フランスがよかったのですね。具体的にどのような部分が心地よかったのですか?

例えば、日本だと周囲の人と合わせて行動するけれど、フランスでは違いました。自分の本意に従い生きる人が多く、わたしのこれまでの人生とは対照的な生き方でした。

また、フランスは人種のるつぼの歴史があり、国内には移民を含めて多くの人種が暮らしていました。私も見た目はアジア人ですが、1人の「人」として魅力を引き出そうと、フランス人はコミュニケーションを図ってくれたのです。会話を通じて個人を理解する文化は心地よく感じ、これまでのわたしの人生で味わったことない経験でした。

ー1人の「人」として理解してくれるフランス。それ以外にも影響を受けましたか?

そうですね。留学に行く前は、髪の毛を染めてカラコンを付けて、自分に自信がなく足し算を求める人生でした。留学に行ってからは、そのままの素を褒められることが多く、自分を着飾らないようになりましたね。ないものねだりだった自分が、ナチュラルさを褒められてからは、今あるものに魅力を感じ始めたのです。

ーいいお話ですね。世の中には「変えられるもの」「変えられないもの」があると思いますが、後者を素敵だと褒めてくれるのは嬉しいですね。

はい。あるものの楽しさやおもしろさを発見するのは、フランス人の得意技だと思っています。それらを発見する以外に、フランスで生活する人はだれかと被らないオリジナルの生き方を貫いている印象です。外見だけではなく、休日の過ごし方や生き方まで、自分らしさを大切にしています。

ーお話を聞く限り、10歳の違和感を覚えた経験がフランスでは当たり前のように生活されていますね。むしろ人と被らない生き方は、日本が否定的に捉えているのが対照的ですね。

フランスで生活してからはより自分らしく生きて、やりたいことを大切にしようと実感しました。自分の興味があることを言えないことは、個性を大事にしていないこと。今日本で暮らしていても、やりたいことをうやむやにせず、発信していくようにしています。

国際的に働いてから気づいた、地元・香川県の良さとは

ーそのあと、どのようなキャリアを歩まれたのですか?

冒頭でもお伝えした通り、大学卒業後はフランス北東部に位置するストラスブールで働き始めました。留学を終えてからも、フランスへの気持ちが大きくなり、2年間任期の在外公館で働けるチャンスを手に入れたのです。これまで抱えてた生きづらさをなくし、やりたい仕事を手に入れ、わたしにとって最高のファーストキャリアでした。

しかし任期後半に開催された大規模会議では、職場の雰囲気が一気に変わり窮屈さを感じるように。その結果、過労とストレスにより精神を病んでしまいました。同時に、ありのままを表現できていた自分に自信を失い、消極的な性格に。どれだけ恵まれた環境にいても、心身ともに健康状態でなければ、自己表現もうまくいかないということを学びましたね。

ー自分らしく、国際的に働くことができたけれど、働く前提であるストレスフリー状態の大切さに気づいたのですね。

そうですね。ピリピリして働かないことが、わたしにとって大事でした。そのあと、2年間の任期が終了し、日本へ帰国したのです。

フランスに住んでみて、あるものから楽しさを見つける姿勢に感銘を受けてからは、田舎での楽しみを見つけることを始めました。そこでわたしの出身地である香川県は、もしかしたら可能性があるかもしれないと感じたのです。自然や歴史文化も豊かでのびのびできる、ご飯やお酒も美味しい香川県は、実は楽しさを見つけられる宝庫だと気づいたのです。

ー学生時代だと窮屈と感じてはいたものの、外の世界に出た経験があったからこそ香川県の良さを感じられたのですね。

現在暮らしている三豊市は、田舎ではありますが人に寛大な地域です。自分が好きだと思えることを発信できるし、他人の意見も受け入れています。まさに日本の生きづらさを取っ払い、フランスで培った心地よさを感じられる空間が、地元・香川県で体感できています。

地方創生と国際交流のハイブリットを目指す

ーフランスから帰国後、地元・香川県に戻り独立開業されたのですね。

はい、企業の窮屈さに疲弊した経験があるので、自分の働きたいように働こうと思い、独立を選びました。現在は曜日ごとに、働く場所・内容が違います。地方企業で勤務する日もあれば、個人活動の貿易事業に取り組む日もある。自分がストレスを感じない働き方を実現できています。

ー橋村さんのSNSを拝見したところ、香川県について発信をしてますね。地域の代弁者としてPRしているようにも見えました。

そうですね。地方と世界のハイブリットを目標に活動していますが、具体的には「地方創生」と「国際交流」のどちらも関わりたいです。一見、両極化していて組み合わせが難しいように感じられますが、わたしはどちらも実現できると思っています。

例えば、地方にないものを世界から引っ張ってくれば、地方でも世界を感じられますよね。ないもの外から取り入れる、自分がそういった環境を作り出す動きは、フランスで学んだ賜物です。

ー地方創生をしていくうえで、大事だと思うことは何ですか?

一般的に、地方創生は「この地がいかに素晴らしいか」と発信する内容が多いですが、そこに住んでいる人はその良さを感じず、足りないと思うから外に出てしまいます。それを堰き止める方法として思いつくのが、地方創生。わたしは貿易事業を通じて、魅力的な地方から人を外に流さない活動をしようと考えています。

ー地元を離れ、外の世界へ飛び出すのは若い世代が多いと思います。そのような若い世代が地方で暮らし、働くことの魅力は何だと思いますか?

わたしの場合、生きがいを感じています。フランスで働いているときは、働きがいがある毎日でしたが、生きがいが足りませんでした。人から喜ばれ感謝される、そのような無形資産を生みやすい地方の環境は、ストレスフリーで働ける最大のポイントだと思います。

ー生きがいを感じる環境はとても素敵ですね。今後のビジョンを教えてください。

「地方のいいものを世界にも」「世界のいいものを地方にも」の目標を、貿易事業を通じて確立していきたいです。また、地方出身で生きづらさを感じている人もいると思うので、そのような人へ向けて、地方でも国際的に働ける実態を伝えられていければと思います。

ー橋村さんの挑戦を応援しています。本日はありがとうございました!

 

取材:大庭周 (Facebook / note / Twitter
執筆:田中のどか(Twitter
デザイン:高橋 りえ(Twitter