フルーツで心に豊かさを届ける。日本の農家の現状と徳永虎千代が目指す農業の未来とは

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第368回目は、株式会社フルプロ代表取締役の徳永虎千代(とくながとらちよ)さんです。

家業であるりんご農家を四代目として継ぎ、25歳で株式会社フルプロを立ち上げた徳永さん。「フルーツを通じて心に豊かさを届ける」というミッションを掲げ、先進的な栽培方法を取り入れています。農業課題を解決する活動も積極的に取り組む徳永さんに、日本の農家の現状やこれからの農業や農園に対する思いを伺いました。

 

個人農家を継ぎ、法人化して大規模農園づくりを目指す

ーまずは簡単な自己紹介をお願いします。

株式会社フルプロ代表の徳永虎千代と申します。フルーツと、プロデュースやプロダクト、プロフェッショナルの意味からプロをとって「フルプロ」と名付けました。家業のりんご農家の四代目を継ぎ、25歳で農園を法人化しました。法人化した理由は、さらに効率化して農園を経営し、多くのお客様に喜んでいただくために大規模な農園づくりを目指しているからです。

ーなぜ大規模な農園づくりを目指そうと思ったのですか?

高齢化で耕作放棄地の増加や担い手がいなくなった農園が多いという地域の農業課題が大きいですね。私たちがそういった農園を担っていくことで、農園の風景を守り、りんごの生産量を維持できるのではないかと思いました。また、販路が一本だと収益を出すのが難しいなどさまざまな農業の現状を知り、若い世代の感性で課題解決に取り組んでいます。

ー徳永さんの一日を教えてください。

農閑期と農繁期でやることが違ってきます。忙しくない農閑期にさまざまなお客様にリーチできるような活動をします。例えばたくさんの販路をつくって、そこにフルプロ農園として出品して直接お客様に届けることを大事にしています。

そのため顧客対応や管理に時間を要することもありますし、新たなお客様に喜んでいただきたいので、りんごだけではなく加工品などさまざまな価値提供をおこなっています。最近は体験農園を提供するなど、りんご農家であまりやらなかったことを新しい分野として取り入れていますね。

農繁期は毎日朝7時頃から日が暮れるまで、農園で作業をしています。

ーさまざまな新しい取り組みは、法人化したあとに始めたのでしょうか?

そうですね。法人化前は一人である程度の面積を耕作し、獲れたりんごを農協に出荷するのが仕事のやり方でした。でもそれだけでは自分が目指すものとは少し違うのではないかと思い、新たな農園の在り方を目指すようになりました。

ーすばらしいですね。徳永さんが目指しているりんご栽培はどのようなものですか?

私たちが取り組んでいるりんごの栽培方法に、りんご高密植わい化栽培があります。ワイン葡萄の垣根栽培のように木を1本1本高密度に植えていき、整然とした畑をつくります。その間に作業できるスペースをとった栽培方法です。

とても整然とした畑なので、メリットがたくさんあります。例えば農機具が通れるので元々の慣行栽培よりも栽培効率が30%アップすること、農薬も昔ながらの散布よりも30%以上削減できることもそうですね。なかでも一番のメリットは、収穫量が三倍になることです。今までりんご農家はあまり儲からないと言われていましたが、高密植わい化栽培を導入することで、資本市場に通用する農業を描けるのではないかと取り組んでいます。

ー徳永さんの取り組みを知っていくほど、先進的だという印象があります。どのように新しい取り組みや商品を開発されていますか?

私ができることは限られているので、さまざまな人に頼ることが大事だと思っています。
できないことを自分で克服するよりも、他人と協力しあって進める方法だとクオリティが高くて早いんですよね。

農業は百姓だとも言われますが、百姓の意味は百の仕事ができる繊細かつ複雑な仕事をする人たちのことです。そのためすべての仕事を自分でやろうとする農家の文化がありました。でも周りの人に依頼することで、今までなかったものが少しずつ生み出されるようになってきたと思います。

ー復興プロジェクトを立ち上げたと伺いましたが、どのようなプロジェクトか教えてください。

大きな災害があったときに、この地域でクラウドファンディングや若手がなにか復興を掲げることができる人が自分以外にいないと思って始めました。

りんご産地の復興につながるようにクラウドファンディングは、1,000人以上の多くの支援者に恵まれ、さらに1,000万円以上の金額を集め、復興に関するプロジェクトをひとつずつおこないました。

ハード面での復興は自治体や国の補助金に助けられましたが、新たな希望や復興から立ち上がる希望を見せるソフト面の復興が必要だと思ったんです。

その点で例えばフランスからシェフを招いて、長野県の食材やりんごを中心に使った食を味わう会を主催しました。他にも商品の開発や農村で足りない機械を買うといったプロジェクトもおこなっています。

ーフランスからシェフを招くアイデアはどうやって思いつきましたか?

フレンチシェフの神谷さんがこのような活動にすごく前向きだったんです。「#被災地農家応援レシピ」という被災地の農家を応援してレシピを公開する活動をしていたシェフで、その方から声をかけてくだいました。そこで返礼品のひとつに、長野の食を伝えるためりんごを使った料理でディナーをしようと話を進めていきました。

また他にもさまざまな異業種の方と関わりを持ち、自分のやりたいことを伝えて相談してみると、いろんなことを教えてくれましたね。私も積極的に情報をとってひとつずつ選択することで、今までの農業の在り方が少しずつ変わっていくのではないかと思って行動しています。

 

就職先でのやりがいのなさから一転、農業への気持ちが高まる

ーここからは徳永さんの過去を伺います。どのような環境で幼少期を過ごされたのですか?

幼少期は野球をとても頑張っていましたね。高校も古豪といわれる長野商業に進学しました。野球は楽しくてやりがいを感じていましたが、甲子園には出場できなかったですね。

学生時代は野球一筋で勉強をまったくしなかったので、農業経営や農業の課題解決を志すとは当時思っていなかったです。

ー高校を卒業して、18歳のときに就職されたのですね。当時の仕事はどうでしたか?

トヨタの下請け工場に就職して、いろんなことを学びました。でも自分が何をつくっていて、どのようなお客様に喜ばれているのかわからない環境で今後も生きていくことにモヤモヤしていました。今の人生ではだめだと思っていたところ、家業で農業をやっていた父が隠居する話を聞き、タイミングよく農家を継ぐことになりました。

ー当時はまだ農業の知識があまりなかったそうですね。そのあと2年間農業を学ぶために進学されました。大きな決断だと思いますが、そのときの気持ちを教えてください。

大きい決断ではなかったと思います。就職先でのやりがいのなさを解消したい思いが一番ありました。その解消方法として、父が農業をやめようとしているのであれば、私の方がもっとうまく経営できるのではないかという思いで継ぐことを決意しました。

ー学校での生活や学びで、なにか印象的な出来事はありましたか?

大学時代はすごく恵まれた環境でしたね。りんごブランドで有名なシナノスイートやシナノゴールド、ナガノパープルなどを研究開発する施設に入ることができたんです。

毎日が勉強で、一緒に学んでいる人たちと同じ方向に向かっているので刺激的でした。

一番の思い出は研修旅行です。青森のりんご農家や東北の農家を観に行きました。そのときにアイデンティティを持って農業をする農業法人が刺激的な存在でした。そこで、「農業はアートだ」という言葉に衝撃を受け、多くの従業員やお客様がいる法人で社会に還元する状況に憧れました。それがきっかけで農業への気持ちが強くなり、さらに勉強するようになりました。

ー「農業はアート」というのは、例えばどういった意味か教えてください。

日々自然と共に生きているので、思いどおりにいきません。今年もいきなり遅霜の影響で花が枯れてしまいました。生産すら合理的にままならない農業なので、そこから最終的に商品(りんご)が出来上がるのはアートだと思いますね。

 

お客様と直接喜びを分かち合う過程を大切にする

ー赤字だったときはどのようなことに取り組んで改善しましたか?

まず自分の力だけでは難しかったので、税理士にお世話になりました。ただ自分も会計の知識がないと費用過多で赤字になりやすいです。そのため、どれだけの売り上げが必要なのかも含めて月次で会計したり、必要な売り上げを逆算して話すようになったり、余力が出てきたら新たに人を雇ったりなど、会計から農園を見るように数字でしっかりと管理するようになりました。

ー数字以外にも、新商品の開発やクリエイティブなこともされていますね。

何か作り上げてリリースし、それが形になってお客様に喜んでいただけることは、私が農業をするなかで一番大事なことです。やりがいや喜びを感じますね。でも長所を活かすことも大切にしたいので、自分がどこに時間を費やすかはひとつ一つ考えています。

ーすばらしいです。2年間個人農家をして法人化を決意されたそうですが、そのときの状況や決意したきっかけはありますか?

農園を大規模化してりんごの高密植栽培を導入したいと思ったとき、会社として多くの資金繰りをする必要がありました。私のような人が経営したときにお金を借りるには多くの手段がありますが、出資をしていただいて会社に箔をつけることも大事です。

ー徳永さんの思想は、会社のよいカルチャーをつくっていると感じます。

一緒にやっていくなかでビジョンミッションがあった方がいいと、昨年くらいから決めました。私たちがなぜりんごをつくり、直接お客様に届けていきたいのかと思ったときに、お客様に豊かさを届けているんだとわかったんです。

その豊かさを自分たちも感じて、お客様が喜びから私たちも喜びを得ているのではないかと思いました。「フルーツで豊かさを届ける」ことを大事にしながら、日々の業務に打ち込んでもらっています。具体的な目標は、りんごづくりで高密植栽培を使って日本一の生産量を目指し、そこに関して賛同していただける人たちに一緒に入ります。長野県ではさまざまなイベントや活動をするなかで、私たちの活動を見て声をかけてくれる人も増えています。

ー個人農家から法人化したことで、さらに大切にしていることはありますか?

個人農家のときは一般的に、卸や仲卸に出荷してその先のスーパーを通してエンドユーザーに届ける流れが流通の仕方でした。でも今は販路が多様化しているので、農産物のプラットフォームもやふるさと納税の返礼品、楽天やアマゾンに出店して直接お客様と取引することを優先しています。

ただ繁忙期にはどうしても農産物が天候の影響を受けることや、なかなか納期に間に合わないこともあります。工業製品を作っているわけではないので品質が均一ではない、お客様が想像しているりんごとは合わないなどさまざまな課題があります。

一般流通に乗せることがどれだけ楽だったのかと思いますね。まだまだ一般流通が多いなかで、私たちは逆に違う販路に挑戦して、お客様と直接喜びを分かち合う過程を大切にしています。

ーさまざまな課題があるなかで、難しい方を選んで進むのはすごく勇気がいると思いました。今後は課題に対してどう改善していきたいですか?

私たちの能力だけでは改善できない部分もあるので、エンジニアの方にも入ってもらい、顧客管理なども含めていい状況にするように日々取り組んでいます。

ー農業は課題の連続だといわれていますが、やりがいを感じる瞬間はなんでしょうか?

従業員みんなが同じ思いを持って、この先に新しい農業の在り方をつくることやお客様に豊かさを届けるときですね。日々みんなで試行錯誤して頑張っています。

ー今後どのようなことをやっていきたいですか?

りんご高密植栽培をもう一段階大きくすることを考えています。また、地域と一体となって取り組むりんごプロジェクトもあります。りんごが将来的に増えて人気になると、国内のお客様だけではなく日本のりんごの評判がいい世界にも目を向けていく必要があります。そのためさまざまな活動をしています。

どうしてもそれだけたくさんのりんごをつくると、お客様に届けられないような「わけあり品」もたくさん出てくるので、それを加工品やクリエイティブな商品に変える仕事をしたいですね。

ー災害など挫折に直面したときはどう対応していますか?

従業員や仲間と一緒に育てたりんごが災害でなくなってしまうのは、かなりメンタルをやられます。でも、農業はそういうものだと認識をすることも大事です。災害は全国各地で当たり前のように起こっています。

農業でどういった災害対策をするのか、自然や災害に一方的にやられるのではなく、生産者として責任を持ってお客様に届けるための対応が必要です。

 

農園と体験を掛け合わせて新たな価値をつくりたい

ー徳永さんが今大切にしている価値観はなんですか?

これからまだまだ農業をするなかで、私たちは新たな文化をつくっていきたい。そのため、いい悪いの変化を受け入れる必要があると思います。変化を取り入れて自分たちも変化することを大事にしていますね。その価値観を仲間にも理解してもらいながら、いろんなことに立ち向かっていく心構えが大切です。

ー最後に、徳永さんが考えている農業の未来を教えてください。

将来は農園もエンタメを絡ませる必要があると思っています。コロナ後、リアルでイベントができるようになったときには「イベント×農業」「エンタメ×農業」の事業も見据えています。

まずはコロナ禍でもできる体験農園からスタートしたいですね。体験農園が価値を生んで、農業課題の解決につながるかもしれないので一歩ずつやってみたいです。

今はりんごに絞って生産していますが、今後はりんご以外の農産物の生産も考えています。フルプロは「フルーツのプロ」という意味なので、私たちができる範囲のなかで広げていくことが大事ですね。

取材:武 海夢(Facebook
執筆:スナミ アキナ(Twitter/note
デザイン:五十嵐有沙(Twitter