後悔しない人生を。アクティビスト山本和奈が考える自分の幸せとは

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第327回目となる今回は、起業家・アクティビストの山本和奈(やまもとかずな)さんです。

幼い頃から社会問題に敏感で、さまざまなボランティア活動や学生団体に参加した山本さん。大学時代にはチリに留学し、たくさんの刺激を受けて自ら団体や会社を立ち上げます。起業家やアクティビストとして活躍する山本さんに、自分の幸せを考える生き方を伺いました。

社会問題に関心を持っていた学生時代


ーはじめに自己紹介をお願いします。

山本和奈と申します。現在は南米のチリで会社経営をしながら、さまざまな活動をしています。香港生まれ、シンガポールで育ちました。幼少期は日本とシンガポールのインターナショナルスクールに通い、大学はICUに進学しました。大学在学中、南米のチリに留学したことがきっかけで、自分の団体を立ち上げています。

ーそれはどういった団体ですか?

ペルーで教育事業をする、Educate Forという団体です。現在約40名のメンバーがおり、さまざまな教育事業をおこなっています。子どもたちにステムを教える活動や、普段学校では味わえない体験を子どもたちが経験することで、子どもたちにとって将来の道が開ければと思い、2年半ほど前から活動しています。

チリ留学を終えてから、「ジャストスマイル」という竹歯ブラシの会社を始めました。日本では合同会社KMLAB JAPANで、現在インターンの方々と一緒にサステイナブルの商品を開発しています。また、ユースの活動を応援するために、ユース団体に寄付もおこなっています。

その後、週刊SPA!に対する署名・抗議活動から、Voice Up Japanという団体を立ち上げました。Voice Up Japanでは、ジェンダー・セクシュアリティを問わず、平等な権利を有する社会や声をあげやすい社会を目指し日々活動しています。

チリの会社はフィンテック事業に携わり、ブロックチェーンや最新のテクノロジーを使って、資金面や金融面で企業をサポートしています。


写真提供:山本和奈

ー山本さんが社会問題に対して活動を始めようと思ったきっかけや、課題感を持つようになった背景を教えてください。

幼い頃から、社会問題には敏感でした。通っていたインターナショナルスクールが社会問題に熱心で、ボランティア活動に幼い頃から関わりました。

母が愛護活動や保護活動をおこなっていて、その姿を物心ついたときから見ていたのも影響していますね。12歳のときにドキュメンタリー「犬と猫と人間と」を観て、日本における動物の殺処分について知りました。同時期に母と、毛皮に反対するデモに初めて参加したこともあります。ファッションの毛皮のために、動物が生きたまま毛を剥がされている写真を見て、そこから社会で弱い立場にいる動物や搾取について考え始めました。

また、中学生のころに友人が自殺をしたことがきっかけで、幼いながらどのように自分の人生を歩みたいかを考えた学生時代でした。
その頃からボランティア活動を始めたり、学生団体に応募したり、自分自身働いてさまざまな活動に取り組みましたね。高校でも東北支援のボランティアや、タイで子どもたちの学校づくりに携わるなど、社会問題に直接触れ合う環境に恵まれながら育ちました。


写真提供:Ush Sawada

ー中学や高校時代は、どのような学校生活を送っていましたか?

ちょうど10年前の2011年は、身近で命の尊さを感じることが多かった年でした。

それがきっかけで、自分はなにをやるべきなんだろう、どういうふうに自分が死にたいかを少しずつ考えるようになりました。高校生のときは思春期なのもあり、周りに頼りすぎて自分自身を支えられなくなってしまった。当時は人生どん底でした。

でもその経験から、自分を守れるのは自分しかいないと思えるようになりました。

そこがターニングポイントでしたね。前向きに、他人のためではなく自分のためにやろうと思い、クラスの中で一番部活をしました。サッカー、バレーボール、ダンス、スピーチ、ディベート、音楽、ハンドベル、コーラス、どれもすべて全力で取り組みました。

当時から「ひとつに絞りなさい」と周りに言われていたけど、自分が実際落ち込んだとき自分の責任、自分の人生に責任とってくれる人なんていない。自分が苦しかったときも「自分を救えるのは自分だけだ」と思ったんです。それならとにかく自分を信じてみて活動しようと思い、さまざまなことに取り組みました。


写真提供:Todd Fong

ー自分自身の興味関心に素直になったことで、さまざまなものに惹かれたのでしょうか?

そうですね。やってみないとわからないので、試してみて気づくこともあります。

でも、「やるなら100%でやる」ことを自分の中でとても大事にしていますね。中途半端にやってしまったら自分が本当に好きなのかもわからないし、極端な状況になった時にどうすればいいかってわからない。

時間が限られている中でプロジェクトをいくつもやって、「どうやってすべてに100%できるんだ」ってよく言われます。けれど自分の中では、自分がやらないといけないことをうまく頭の中で考え、その時に成し遂げることに全力を注ぐ。バレーボールをやる時間はバレーボール以外は考えない。今目の前のことをやっている時はそのこと以外は考えない。そういうふうに集中して取り組んでいます。

 

得るものが大きかった大学生活とチリ留学の日々


写真提供:山本和奈

ー大学進学はどのように決められたのですか?

大学は海外への進学を考えていましたが、自分にビジョンがありませんでした。アメリカの大学は学費も高いので、何がやりたいかわからない状況では難しいと現実的なことを考えました。

日本の大学へ進学すると決めてから、9月入学ができる大学を調べました。当時、9月入学が可能な大学はかなり限られていたんです。

そのなかでもリベラルアーツの大学・学科を見ていました。専攻分野を今決めてしまっても、学び始めて自分にあわなかったらどうしようと思っていたんです。ICUだとリベラルアーツで、31専攻から選べる。留学プログラムも豊富。留学は絶対叶えたかったので、結果的にICUを選びました。

ー山本さんにとって、大学生活はいかがでしたか?

ICUに進学して本当によかったと思います。小規模な大学だからこそ仲良くなれたり、自分の好きなことを学べたり、熱心な学生と出会えたりしました。Voice Up Japanのメンバーにも、ICUの知り合いがいます。共感できる人や多様な人がたくさんいたことは本当によかったです。

また、大学で経済学の授業を履修したことで、経済に興味を持つようになりました。そこから少しずつ政治学や国際関係学も学びました。

ー大学在学中に、チリへ留学されたと伺いました。なぜチリを選んだのでしょうか?

ICUは交換留学プログラムが豊富です。学生の多くはアメリカやヨーロッパに行くのが主流ですね。実はそのとき一番行きたかったのはイギリスの大学でした。でも、GPAの成績や倍率的に、その大学への留学は厳しいということがわかってから悩みましたね。ただ、高校のときからスペイン語を学んでいたこともあり、先生からはチリの大学を勧められました。

その時は「いやまさか、チリ?」と思ったけど、チリについて少しずつ学んでみると面白くなってきて。それに、将来的に国際的な人になりたいって考えたときに、英語と日本語できる人はもうたくさんいる。言語が話せることはプラスだけど、国連に入るのなら英語と日本語だけでは足りないと思いました。それなら、自分が学んでいたスペイン語を活かせるのはチリだと。それに、欧米は駐在することもあるかもしれないけど、南米のチリに1年間住むのは自分が留学中にしなければ、人生で絶対に行くことなんてないだろうなと思い始めました。

良くも悪くもとりあえず試してみよう。自分の限界を越えられるか越えられないか、自分の限界はどこまでなのかを試したくて、チリに留学することに決めました。

ー実際チリに留学して、どのようなものが得られましたか?行く前のイメージと違ったことはありますか?

チリに着いた当初は、単位を落とすほどスペイン語が話せなくて悔しい思いをしたんです。だからこそ英語や日本語を話す人と一緒にいないと決めました。意地でもスペイン語を話せるようになって帰ると決めて、泣きながら毎晩勉強しました。

また、チリでも楽しいことを始めたくて現地のダンスグループに入ったんですけど、チリ人40人の中に日本人私1人という環境でした。でも結果的にとてもよかったですね。ダンス以外の時間も一緒に過ごすので、いやでもスペイン語が入ってくるんです。

少しずつスペイン語がわかるようになり、次第に飲み会で話す内容が日本にいるときと違うことに気づき始めました。チリでは、飲み会の場でも選挙の話や社会問題の話、政策の話など、そういった問題に関してみんな普通に話しているんですよね。
政治問題や社会問題を話していくにつれて、「日本ではどうなの?」と聞かれることが増えました。みんな熱心に自分たちの政治について話しているのに、私は何も知らないことが恥ずかしいと思い、自分でも勉強するようになりました。

今まで社会問題には興味がありましたが、政治はそこまでだったので、その時から勉強したり、積極的に発言していくことで、お酒が入った状態でも友達と熱心に政治について話せることにワクワクしましたね。

そのときに、今のパートナーと出会いました。彼が22歳のときにはすでに自分で会社を始めて、自分のやりたいことに前向きに進んでいく姿をみたときに、「世界にはこういう人がたくさんいるんだ」と気づきました。友達にも同じような人がたくさんいて、「この国に戻りたいな」と思えたんですよね。
スペイン語も話せるようになってきたので、自分が日本と南米を繋ぐことができるんじゃないかと思い始めたのもこの頃です。卒業したらチリに戻ることは留学中から考えていました。

 

ゼロの状態からできることを増やして前へ進んだ


写真提供:大野真友

ーペルーで団体を立ち上げたのは、どのようなことがきっかけでしたか?

Educate Forを始めたきっかけは、20歳のときにペルーで2週間ボランティアをしたことですね。

この道に進みたい気持ちと同時に、大学卒業したらキャリアとして取り組むのか、今自分の手でなにかできることはないかを考え始めました。身近に企業しているパートナーやプロジェクトを立ち上げている友人もたくさんいて、学生のうちからさまざまなことをやって自分の手を動かしている人はたくさんいたので、自分もやってみたいと思ったのが素直な気持ちでした。

ペルーでは、企画書の書き方、マーケティングとはなにか、団体はどうやって作るのかといった基本的なところから始めました。そこから少しずつ、なんとか助成金を得られるまで団体を拡大できました。留学から帰国後も、大学4年生のときには日本人の学生をペルーに派遣して6週間のプロジェクトをおこなったり、ペルー現地にお金や物資の支援をしたり、年に3, 4回ペルーに行ってさまざまな事業を手伝ったりをしていました。

ー今何ができるかできないかというよりは、できることをどんどん増やして関心を深めながら、日々進化していったのですね。

教えてくれる人はいなかったので、とりあえずゼロの状態で何か始めないといけない状況でした。なにか鍵をくれそうな人にはメールを送って、名刺を作って、ひたすらイベントに行って名刺交換をしました。教授が連れてくる外部の講師にも名刺を渡して話をしたこともあります。本当にその時は必死で、1から何かを作りたくて活動しました。当時は本当に寝なかったくらい、もう全力で走っていた感覚ですね。間違えることを恐れるより、とにかく前へ進むことを考えていました。

自分でチャンスを掴みに行くしかない状況だからこそ、もし自分の目の前にチャンスがないのであればお願いするしかない。そのおかげでさまざまな人に出会え、「なんでもいいから手伝います」と言うことで人との関係がつくれました。小さなことが自分のためになるんだと思った出来事です。

ー卒業後はチリで起業しようと考えていた山本さんにとって、Voice up Japanを立ち上げられたことも大きな転機だと伺いました。

2019年初頭に週刊SPA!の「ヤレる女子大生RANKING」を見て、これに対して誰も何も言わないのはおかしくないのかと心から思いました。

まさか自分がこの問題に対して団体を立ち上げるなんて頭になかった。でもとりあえずなんとかしないとこんな状況を続けて見て見ぬフリはできないと思ったことが始まりです。署名活動を始めていくと自分の予想以上に盛り上がり、カナダへの派遣や、日本全国で講演をするなどたくさんの機会をいただきました。

ただその時にはもう少しでペルーに行くことや、大学を卒業したらチリに行くことは決まっていました。この活動全部自分でやるのは難しいと思い、いろんな人の意見や考えをうまくまとめながら民主的な団体を作りたいと思ったのでVoice Up Japanを立ち上げました。当時は自分の人生のプランに入っていなかったことだけど、今はVoice Up Japanを立ち上げて感謝しているし、たくさんの方々に出会えたので1ミリも後悔はしていないですね。このような形で日本のジェンダー問題を今変えることができなかったら、自分が年齢を重ねていったときに、同じことでため息ついているのは嫌だという理由でVoice Up Japanの活動を始めました。

 

「自分の幸せとはなにか」をこれからも考え続ける

ーチリに滞在中、「幸せとは何か」いろんな人に聞いてまわったエピソードを拝見しました。始めたきっかけと、当時の山本さんは何を感じていたのかを教えてください。

これは「Happiness Project」というフォトプロジェクトなんですけど、始めたきっかけは、ICUで初めてジェンダーの授業を取ったときに教授が『死ぬ瞬間の5つの後悔(The Top Five Regrets of the Dying)』という本を紹介してくれたことが影響していますね。

末期患者のケアをしている看護師の方がよく聞く死ぬ前の後悔を本にしたもので、それを読んだときにすごく考えさせられて。皆さんもぜひ読んでほしいです。
その本にあった印象的なものが、死ぬ前に「自分のことを幸せにしてあげればよかった」と一番後悔するんだという言葉。

確かに死ぬ直前にどんなに自分がいろんなことに頑張っていたとしても、自分の目標、夢、達成したいことがあったとしても、幸せじゃなかったらそれって意味があるんだろうか。そこで「幸せってなんなんだろう」と考え始めたんですね。
だから、その人のライフストーリーを聞くのではなく、「あなたにとって幸せはなんですか?」と聞くことができたらと思いました。

日本は自殺率が高く、なんのために生きているのかわからないと思う人もたくさんいます。自分も友人を自殺で失くし、自殺未遂をしてきた人が周りにいて、自分の幸せについて考えるきっかけがありつつも立ち止まって考えられなかった。だからこそ改めて考えたいと思いました。

友人とチリのパタゴニアを旅行していたときに、いろんな人に幸せについて聞いてみるアイデアが思い浮かんだんです。パタゴニアにいる人に「幸せってなんですか?」と聞きまわりました。活動を初めてみて、「幸せとはなにか」を尋ねることで自分たちが考えるきっかけになるし、その人自身も考えるきっかけになる。自分がその人に気づきを与えられると同時に、自分も相手からの答えを聞くことで考えさせられることに気づきました。

ー山本さんにとって、幸せとはなんですか?

今も「幸せってなんだろう」と考えています。

自分にとって一番の幸せは、いろんなことを成し遂げて世界を変えることもそうだし、愛する家族・友人・パートナーと3匹の猫たちが健康でいること。そして、自分も健康でいることですね。

自分たちの限られた時間と同時に「死」はすごく身近にある。人って一瞬なんですよね。命は尊い。だからこそ自分の幸せを考えるのもすごく大事だけど、愛する人たちと限られた時間を過ごすのを大事にしようと思います。

今はVoice Up Japanの活動も含め、学生のみなさんに会うことが大切な時間だと感じています。あとは、自分の好きなことをどのようにキャリアにしていくかを考えながら、後悔なく生きたいです。

ー今後は、どのようなことにチャレンジしようと考えていますか?

今後も、意思決定ができる立場でいたいですね。そして、さまざまな人の声を実際に意思決定の場に持っていける人になりたいと思っています。正直にいうと、政治の道も考えています。

今の会社では資金調達をして、数年後には成功させてイグジット(投資回収)させたい。経営を学びながら経験を積んだあとは、法学部やロースクールの学生として学んで、ビジネス、金融、法の経験と知識を身につけた人になりたいですね。

個人的に政治が好きなので、政治の道に進みながら、将来的には企業に戻ったり、違う団体を立ち上げたりしたい。Voice Up Japanも続けて、今よりさらにインパクトのある団体にしたいと思います。

取材:山崎 貴大(Twitter
執筆:スナミ アキナ(Twitter/note
デザイン:五十嵐 有沙(Twitter