自分の答えに自覚的に。サービスデザイナー・郷上 亮が掲げる価値のある問いとは

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第292回目となる今回は、サービスデザイナーの郷上 亮(ごうがみ りょう)さんをゲストにお迎えし、現在に至るまでの経緯を伺いました。

大学進学を機に渡米し、7年間のアメリカ生活を経て日本で再就職された郷上さん。なぜアメリカへ行こうと思ったのか。異国での生活から感じたこととは?デザインにおいて重要視されている「問いの設定にこだわる」とは?郷上さんの視点や考えをじっくりお伺いしました。

ー自己紹介をお願いします。

外資系コンサルティング会社で、サービスデザイナーとして活動している郷上 亮です。

高校卒業と同時にアメリカへ渡航し、ニューヨーク州立大学でファッションを、ペンシルベニア州立大学でリベラルアーツを、それぞれ2年ずつ学びました。
大学卒業後は、サンフランシスコのデザイン会社で勤務していました。昨年10月に、転職とともに帰国し、現在の活動に至ります。

ーサービスデザイナーという肩書きはあまり聞きなれないですよね。具体的にどのようなことをされているんですか?

ざっくり言うと、人やモノ、場所など様々な対象を包括的かつ俯瞰的に捉え、それらの関係性をデザインすることで人々の生活を向上する体験を作り上げていく職業ですね。最終的なアウトプットは、アプリや店舗のデザイン、街のコンセプトなど多岐に渡ります。

カフェでの体験を例に挙げると、ドリンクの味や内装の雰囲気、接客の態度などを体験を構成する上での一要素として捉え、それぞれを通してより良い体験を作るにはどうしたら良いのか、ということを考えます。
プロダクトデザインとの対比で言うと、ドリンクや内装など、それぞれの要素を切り離して個別最適で考えるのではなく、全体の体験をデザインの対象としている点が大きな違いだと思います。もちろんどちらが良い悪いという話ではなく、そういったデザイナーたちとも常に協業しています。

ー郷上さんの活動の礎となった、これまでの経歴についてもお伺いしたいと思います

 

周囲に馴染めなかった学生時代

ー幼少期はどんなお子さんでしたか?

熱中するものがコロコロ変わる子どもでした。小学生の頃から、サッカーやバスケ、演劇、モデル活動、軽音楽など、色んな活動をしていました。

瞬間的に楽しかった思い出はたくさんあるものの、学校という組織にはあまり馴染めていなかったかなと思います。

 

ーどんな違和感があったんでしょうか?

皆に合わせることや、合わせることで我慢するというのが苦手だし、嫌だったんです。
自分が好きなものを大事にしたい、という思いが強かったんだと思います。

 

ーご自身のスタンスをはっきりお持ちだったんですね。
アメリカに留学されたとのことですが、幼い頃から興味があったんでしょうか?

漠然とした憧れはありました。きっかけは、小学校6年生の時に、親の仕事の都合でニューヨークに行ったことですね。ただ、その後起こしたアクションは英会話を習い始めるくらいで。まさかアメリカの大学に行くとは思ってなかったですね。

将来に関しては、父親が歯科医師なので、自分も同じ道に進むのかなと思ってましたね。

 

父親の反対をきっかけに、本当にやりたいことを見つける

ー大学受験も、家業を念頭においた進路を考えていたんでしょうか?

高校に入ってからは理系に進み、特に何も考えずに模試の志望校欄には歯学部を記入していました。

高校3年のある夜、親から聞かれたのをきっかけに、将来についての考えを打ち明けました。
すると、父親からは「考え直せ」という言葉が。親が歯科医だから子もなるべきだというのはおかしい、という意見でした。

 

ーそれは驚きですね…!家業を継ぐという息子に反対するのは、親御さんとしても勇気のいる判断だったのでは。

それまで口に出したことがなかったものの、賛成してくれるだろうと思っていたので、驚きましたね。

その時、人生で初めて改めて自分と向き合い、どんな人物になりたいかを考えました。そこで蘇ってきたのが、小6のニューヨークでの思い出でした。
拙いながらも英語を話し、現地の人と渡り歩いている父親の姿を見て、自分も国内外問わず活躍できる人間になりたい、と感じていました。

ならば、今すぐ渡米して、現地の大学で勉強をするのが一番良い選択肢なのでは、と考えました。
そして、ファッションやアートに関心があったので、ニューヨークのファッションが学べる大学を志望校に決めました。

 

ーお父様からはどんな反応をされましたか?

考え直せとは言ったものの、さすがに海外進学という選択が返ってくるとは思っていなかったようで(笑)
「よく考えろ、それでも本気で行きたいのならプレゼンをしろ」と言われました。

 

ープレゼンとは、なかなか高校生には難しいのでは…!

それまでパソコンを使ったことがなかったので苦労しましたね。

しかし、決意は固く「この選択が自分に必要なことだ」と信じていました。
どういう学校に行くのか、そこでの経験がどんな職業に繋がるのか、そのためにいくら費用が必要なのか、などをまとめたスライドを作成し、思いを伝えました。

 

ー親御さんや学校の先生には、どんな風に伝えたんでしょうか?

行ってみないとわからない、ということは継続的に伝えていました。
社会的に一般的ではない選択肢を取ると、反対意見がたくさん出てきます。でもその中の多くは、一般的とされる選択をした場合にも当てはまることだった。その時点で、説得材料にならないと感じていました。
ましてや、反対している人の中に自分と同じ選択をした人は居ませんでした。なので、とにかくアクションを起こすことの大切さを伝えていた気がします。

また、こうした節目節目での行動は、その人の人生全体へのスタンスが現れると思っています。それを考えた時に、社会がこうだから、という理由で選択し続けるのではなく、自分は能動的に生きていたいと思いました。
自分で取捨選択をするという姿勢は、今でも大切にしています。

 

単身渡米。図書館で猛勉強の日々

ーアメリカではどんな学校に進学したんでしょうか?

最初の2年は、ニューヨークのコミュニティカレッジ(短期大学のような学校)に通いました。留学生向けの英語の授業を受けながら、大学の単位も取れる学校でした。

ニューヨークの学校でファッションについて2年間、その後4年制のペンシルベニア州立大学に編入し、リベラルアーツについて2年間学びました。

 

ーリベラルアーツとはどんな学問なんでしょうか?

一つのモノを色んな視点で捉えられるようになる学問だと思っています。
様々な視点から物事を多角的に見れるようになるために、一つの専門性に特化するのではなく、色んな領域の勉強をする学問ですね。

 

ーデザインにおいてとても役立ちそうですね!
ファッションからリベラルアーツに専攻を変えたのは、なぜだったんでしょうか?

その時期に流行していた、ファストファッションのビジネスモデルに疑問を持ったからです。

今は変わってきていますが、当時は先進国が享受できる利益は、途上国の人々の劣悪な労働環境があってこそのものでした。
そんな構造を変えるため、衣服のデザインではなく、サプライチェーンやビジネスモデルそのものの勉強がしたいと思うようになりました。

当時は、サービスデザイナーになりたいというよりも、そういった仕組みや構造を組み替えることで、関わる人がみんなハッピーになれる状態を作りたいという思いが強かったですね。

 

ー英語の勉強と並行しながら、英語で別の学問を勉強するのは本当に大変そうですよね…。

ずっと図書館で勉強していて、テスト期間中は泊まったりもしていました。毎日いたので、周りからは「図書館に住んでいる」とも言われていましたね。
アメリカの大学は、求められる勉強量が日本よりも格段に多いので、それくらいやらないと追いつかないという点はありました。

 

ー余程入り浸っていたんですね(笑)
辞めて日本に戻ることができた中で、それでも勉強を続けられた理由ってなんだったんでしょうか?

自分で選んだ生活だったからですね。
周囲から留学を反対された時に、「自分のすべきことはこれだ」と確信していたし、その思いは人に伝える過程で更に強まっていました。

苦しんだこともありましたが、自分の選んだ生活の中で勉強していられる環境が幸せだという思いの方が強かったですね。

 

サンフランシスコのカルチャーに影響を受ける

ー大学卒業後はそのままアメリカで就職されたんですよね。どんな進路を考えていましたか?

多くの日本の留学生は、卒業のタイミングで帰国して就職する人が多いんですよね。
でも、アメリカでまだまだやりたいこともあったし、ここで戻ったら勿体無いと感じたので、そのままアメリカで就職することにしました。

当時、自分の特徴は、デザインとビジネスを2年ずつ学んだという経歴だと感じていました。
この2つを掛け合わせて新しい価値を生みたい、という気持ちもあったので、これを軸に就活していました。

すると、まさにそうしたことをしている、サンフランシスコのある企業を見つけたんです。
サイトのトップページに記載されていた「ビジネスとデザインの交差点」というコピーを見て、自分のやりたいこととぴったりだと感じました。

 

ーご自身の強みを生かしつつ、やりたいことができる、理想の企業を見つけられたんですね。どんな仕事をされていたんですか?

CEOアシスタントとして、インターンからスタートしました。
リサーチの手伝いや公式ブログの更新、ポスターのデザインなど、アシスタントという肩書きには収まりきらないことをたくさんさせてもらいました。

また、その企業にいる間は、CEOの家に住まわせてもらっていました。
社長が何を考えているか側で知ることができ、なかなか他の従業員に相談できないような話もしてくれたと記憶しています。
そんな経営者ならではの苦悩や孤独を近い距離で感じられる経験があったからこそ、彼らの気持ちを少しでも深く理解できるようになった気がします。

 

ー仕事中もプライベートもCEOに付きっきりでいられたのは、かなり貴重な経験ですね…!

その企業の所在地である、サンフランシスコという街からもとても刺激を受けました。
サンフランシスコは、スタートアップ企業が多く集まる街で、優秀な人は起業をするという文化です。それまでの自分には縁遠かった、起業の文化を身近に感じれたのが良かったなと思います。

また、街全体に根付いている「失敗したらやり直せば良い」という価値観にも、とても影響を受けました。
事業で失敗した人をサポートする仕組みが街全体で整っているから、皆が挑戦しやすい環境になっているんだと思います。

日本では、成功した人は褒め称えるけど、失敗した人は叩く風潮が強いですよね。
実際にやったことがないから、その人の立場になって考えられず、客観的な意見でしか評価できない。僕は革新的なモノやサービスは個人の意志から生まれるのであり、逆に過剰な客観性はそのチャレンジを妨げる社会を作っている要因になっているのではと思います。
まず自分が何かに挑戦してみることで、他の人にも寛容になれるのかなと思いますね。

異国での生活を経て、大切にしたいあり方

ー昨年9月に帰国して転職されたんですよね。なぜこのタイミングで日本に戻ってこようと思われたんでしょうか?

アメリカでは、まず3年働くのが一般的な働き方なので、自分もその期間をターニングポイントに考えていました。
3年経ったタイミングで、その会社でやりきった感覚と、違う環境で新たな挑戦をしたいという気持ちが芽生えたので、転職することにしました。

そう考えていた時に、コロナが流行し始めたんです。あらゆる企業でリモートワークに移行していくのを見て、自分がどこにいるかは関係ないなと感じました。
そこで、転職と同時に日本に戻ることにしました。

 

ー日本で働き始めてから、サンフランシスコの時と何か違いは感じますか?

プロダクトデザインにおいては、日本は強いですよね。技術の高さが世界で評価され、かつてはメイドインジャパンのブランドとして成り立っていました。

ですが、今は「体験の時代」。一つのモノのクオリティにこだわることはもちろん、それだけではなく、顧客との様々なタッチポイントを通して、優れた体験を作ることの方が重視されている。
顧客視点でその体験を包括的に考えて、どうすれば質の高い体験を提供できるのか、といったことを考えていく必要があると感じています。

 

ー冒頭でお話しいただいた、「世の中にインパクトを与えられるサービスの設計」についてもお伺いできますか?どんな要素が必要なのでしょうか?

問いの設定が重要だと考えています。どんな問いを掲げるかによって、アウトプットやインパクトが異なるからです。

例えば、「どうすれば良い階段を作れるか」という問いを掲げたとすると、アウトプットは階段に絞られます。これを、「どうすれば人は快適に上に行けるか」という問いにすると、階段だけではなくエレベーターやゴンドラというアイデアも持ちうる。

問いに対しての答えを考えることはもちろん重要ですが、それ以上に、どんな問いを掲げるかが、そのアウトプットを通して、人や社会にインパクトを与えられる可能性を持つものになるのか、それとも、単純に改善になるのかで変わってきます。いかに本質的な問いを掲げるかがサービスデザインにおいてとても重要だと考えています。

これは、人生の夢にも共通しているとも言えるかもしれません。どれだけ大きな夢を掲げるかによって、そこに向けての行動や最終的な成果が変わってきますから。

 

ー問いの重要性を感じますね…。
帰国された今、7年間のアメリカ生活からどんなことを感じますか?

アメリカでは、マイノリティとして生きることの重要性を感じました。
文化や考え方など、マイノリティの生活にどんな難しさがあるのかは、日本に居れば分からなかったことでした。

周囲の人が助けてくれたことや、理解しようとしてくれたことは、すごく心に残っています。その経験ができたおかげで、相手の立場になれる人が増えたと感じています。
ちょっとした思いやりの連鎖が社会を良くしていくと思うので、このことを周囲に伝えられるのは嬉しいですね。

また、人と人との間に優劣は存在しないことも感じました。
学歴や能力など色んな軸があるかもしれませんが、どこに軸をとるかによって評価は変わりますし、その軸にも優劣はないです。誰が優れている、劣っている、ということは100%ないですね。

 

ーアメリカ留学という、大きな選択についてもお伺いしたいです。
やりたいことがあるけど、何らかの理由によって進めない人へアドバイスをもらえますか?

自分の行動に責任を持てるかが大事だと思います。
行動を起こす時に、誰かに言われたから、という理由では、責任の所在が宙ぶらりんになってしまいます。
自分が人生のオーナーだという意識が持てるかどうか、を軸に行動を取捨選択することが重要だと思います。

踏み切れるか勇気が出ないという場合は、最悪のシナリオを考えるのも一つ手かもしれません。自分がアメリカに行けたのも、最悪の事態が起こっても死ぬことはないという確信があったからでした。

 

ー郷上さんのお話に力強さを感じるのは、自分の責任範囲の中で行動を起こしてきたからこそなんでしょうね。
最後に、今後やりたいことについて教えてください!

一つは、何事もやり抜きたいということです。
要領良くこなすのではなく、ちゃんと向き合って、自分が自信を持って良いと思うものを追求し続けたい。そうすることでしか成長できないと思っています。

もう一つは、前提を疑い続けることですね。
身の回りの出来事をどう解釈するのか、自分の中の答えに自覚的でありたいです。どんな問いを掲げるかにも近いですが、「本当にそうなのか?」と前提を疑い続ける姿勢を持たないと新しいものは生まれないと思います。



ーお話ありがとうございました!

 

ゲスト:郷上 亮(Twitter
取材・執筆:中原瑞彩(Twitter

編集:杉山大樹(note/Facebook
デザイナー:五十嵐有沙
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