場所にとらわれない働き方を実験中! パラレルワーカー松岡 マイのこれまで

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第257回目となる今回のゲストは、フリーランスのパラレルワーカーの松岡マイさんです。高校時代から目指していた薬剤師になるも、ある出来事がきっかけで辞めざるを得なかった松岡さん。現在、薬剤師の資格を生かしながらWEBライターやWEBデザイン、講師としても活躍している松岡さんのこれまでの人生とこれから目指したいことをお聞きしました!

薬剤師は家族の影響で目指しはじめた

ーまずは簡単に自己紹介をお願いします。

1991年生まれで愛知県出身の29歳です。
薬科大学にて6年間過ごし、正社員の薬剤師となりました。
しかし、体調を崩したことで派遣薬剤師に転向。沖縄で療養したのち、沖縄・北海道・静岡で働いていました。その後、元々旅好きだったこともあり、日本や海外問わず「どこにいても自分の力で働けるようになりたい」と思うようになりました。

WEBスキルを学び、医療・取材ライターやWEBデザイン、nocodeでのサイト制作や講師メンターなど、オンラインでの働きかたを確率し、ノマドワークをしています。

ーここから幼少期のお話を伺えればと思いますが、幼少期はどんな様子でしたか。

小さい時は活発でしたが、中学受験を経てからどんどん消極的で内向的になっていった気がします。
自分のやりたいことや意見があったとしても、それを伝えるのが上手くありませんでした。

私には姉と妹がいるのですが、真ん中のポジションは挟まれている感覚があり、空気を読まなければ…と感じながら過ごしていました。

ー薬剤師という仕事は幼い頃から興味があったのでしょうか。

職業の存在は知っていましたが、そこまで詳しくは知りませんでした。
また、理系科目が苦手だったので、心理学を学びたいという気持ちや、好きな絵を書いて過ごしたいという気持ちもありました。
高校2年生の時に両親が離婚をしたのですが、そのとき母が「女一人でも生きていける資格を持っておいたほうがいい」とアドバイスをしてくれました。姉が医学部に行くことになり、その影響から医療系がいいな、少しでも姉に近付きたいなという気持ちがありました。

当時は、医学部・看護学部・薬学部しか医療系の学部を知らなかったため、
結婚後に働きやすい働き方が出来たり、全国どこでも働ける薬剤師を目指そうと思いました。

ーその当時から目標としていた大学はあったのでしょうか。

一人暮らしをしたかったのと、
当時の自分が頑張ったら行ける大学を目指そうと思い志望校を決めました。

通っていた高校が文武両道を大切にしていたので、学問を頑張るのはもちろんですが、体育祭などの行事にも力を入れていました。体育祭にも力を入れつつ、web上の解説記事や姉の友人の力を借りて苦手科目の克服をし、6年分の志望校の赤本を理解して解けるまで10周するなど、繰り返して勉強を続けていました。

ー今振り返って、薬剤師という道を選んだことをどう思っていますか。

悔いはなく、母に感謝しています。
また、苦手な部分にも取り組んだことが自信になったので、選んで良かったと思っています。

6年間の勉強や国家試験でプレッシャーはたくさんありましたが、乗り越えた部分や国家資格を取れたこと、どれをみても自分の強みになりました。また、現在フリーランスとして色々なことに挑戦できるのも、資格があることで他人よりも仕事が取りやすくなっていると感じています。

旅をすることの楽しさに気づいたベトナム旅

ー大学時代、特に印象に残っている出来事はありますか。

大学3年生の時にボランティアサークルを立ち上げた友人に誘われ、ベトナムの孤児院に行きました。そこで、子どもたちに遊び感覚で化学の面白さを知ってもらいたいと思い、現地の食材を使って理科の実験をしたのですが、それがとても楽しかったんです。

大学時代は自分に自信がなく、頭の回転が速い周りの人たちを羨ましく思ったり、自分の意見なんてなくてもいいのでは、と思う場面もありましたが海外のボランティアを楽しみながら孤児院の子どもたちと仲良くなったことで自信がつき、そこから海外旅行をして、現地の人と話すことが好きになりました。

ーベトナムの経験を生かして、行動に移したことはありますか。

ベトナムの孤児院に行った時に、すごく仲良しになった女の子がいたので、3年に1度ベトナムに行き、その子に会ったりしています。
あとは、大学5年生の時に病院実習と薬局実習がそれぞれ2ヶ月半あったのですが、その合間の1ヶ月半で研究室の先輩が留学していたことから、「私も留学に行ける!」と思い、英語の勉強をするためにイギリスのロンドンに単身で行きました。

元々好奇心は強い方だったので、「やってみたいことをしてみよう」「ワクワクすることがしたい!」と思い、安く語学学校へ行ける方法をネットで探しました。

ーロンドンへの単身留学が今に生きていると感じる部分はありますか。

はい、とても視野が広がったなと思います。
ロンドン留学した際は、様々な人種の方に囲まれていました。
メモを取り、誰よりも一生懸命学ぶロシア人のおばあちゃんや、なまりがあっても練習し続けるイタリア人の女性、簡単な内容でも分からないと思ったら積極的に質問するドイツの青年など、「日本だったら見ない光景」を目の当たりにしていました。

周りの目を気にしすぎず、目標に向かって努力するクラスメイトの姿にすごく刺激を受けたと思います。
世界の広さ・多様性から、「もし自分に合っていない環境にいたとしても、広い世界の中に過ごしやすい場所はいくらでもあるんだ」と感じました。

憧れの薬剤師になるも退職し、派遣薬剤師に転身

ーその後、就職のタイミングになると思いますが、薬剤師という夢は変わりませんでしたか。

「薬剤師の資格を取ったら薬剤師になる」というのが自分の中の基準だったので、臨床で働く薬剤師になるんだと思っていましたし、心理学や絵など小さかった頃やりたいと思っていたことは、薬剤師になってから自分でお金を稼いで楽しくやろうと思っていました。

しかし、初めての薬剤師国家試験は、あと2点足りず不合格になってしまいました。
周りから「頑張ってたし絶対大丈夫」と言われていたにも関わらず、プレッシャーや自信のなさから凡ミスを繰り返してしまいました。
2度目の国家試験は「どうせ凡ミスするなら凡ミスありきで受かろう」と思い、予備校の全国模試での1桁獲得や模範生に選ばれたことで、自信をつけて合格できました。

当時は合格できなかった不甲斐なさや母への申し訳なさで自分を1年間責め続けていたので、合格できたことが嬉しく、「学んだ知識を実戦で生かしたい、座学と現場の違いを学びたい。絶対臨床の薬剤師になりたい」と思っていました。
そして、内定をもらっていたドラッグストアの中にある調剤薬局の薬剤師となりました。

ー薬剤師になってから今のパラレルワーク的な働き方になるきっかけは、何でしたか。

耳鼻科の門前薬局へよくヘルプで入っていました。その頃は、業務や勉強会で疲れることも多く、免疫力が低下している時に、何らかのウイルスにかかってしまったんです。その結果、左側の顔面が全く動かなくなってしまいました。さらに、薬の副作用で味覚が消えたり、口の中の温度感覚がなくなってしまうなど色々な症状が出ました。

休職して休みたいと会社に話したものの、人手不足だから働けるなら働いてほしいと言われ、その状態で1ヶ月働き続けました。マスクやメガネをしながら働いていましたが、精神的にしんどく、患者さんと話しているときに泣いてしまう自分に気づいたときに、1回仕事を辞めて、派遣薬剤師になろうと思いました。

もともと、派遣薬剤師という働き方を知っていましたが、より知識を身につけてからでないといけない、正社員が1番の正解だ、と思っていたので正社員として3年勤めてから派遣薬剤師になろうかと考えていました。しかし、顔面麻痺をきっかけにして、週3~4日で自分のペースで働くことができる派遣薬剤師になることを決めました。

ー派遣薬剤師という新しい働き方に踏み出せたのは、どんな思いからでしたか。

今まで親の離婚や国家試験など、顔面麻痺よりも辛いことが多くあり、それを乗り越えてきたからいけるだろうという謎の自信がありました。

20代半ばくらいだったので、ずっと動かなければ精神面がやられたと思いますが、退職してすぐ沖縄に行き、1人で1ヶ月半のんびり過ごし、顔面麻痺の治りが早くなったので、そのまま沖縄で派遣薬剤師をしていました。
そうやって過ごす中で、どんどん生きやすい生き方になっていることに気付き、自分のやりたいことや直感をもっと大事にした方がいいなと思いました。

また、顔面麻痺にならなくても、私にとって正社員の薬剤師を続けることはしんどい選択だったのかな、とも思います。
元々私は理系の考え方が得意なわけではなかったので、苦手分野で何年も専門職にしている先輩方と一緒に頑張り続けることは、自分にとって大変な生き方でした。
シフトチェンジせざるを得ない環境になったことは、結局良いターニングポイントだったかなと思っています。

誰かの力になりたい

ー現在やっているWEBライターは、派遣薬剤師として働き始めてから始めたのでしょうか。

20代女性で顔面麻痺の症状について書いている人がいなかったため、「自分でブログを書こう」と思いました。また、沖縄で派遣薬剤師として働いていた日常を書いていました。
すると、自分が書いた記事が読まれるようになり、ライターに興味を持ち始めました。

その後、Twitterで「沖縄での派遣薬剤師の体験談」を募集されている方を目にしたため、DMを送り体験談を書かせていただきました。
そして、もっと書けるようになりたいと思ったのが今の働き方につながる第一歩でした。

ーそこからWEBデザインはどのように習得されましたか。

一昨年の9月~10月に1ヶ月間合宿型でライティング・ブログ・WEB制作・WEBデザイン・写真の撮り方全般を学べる講座「いなフリ(田舎フリーランス養成講座)」に参加しました。
前から「いなフリ」の存在を知っていたものの、どこか自分ごとではなく「そんな生き方ができる人もいるんだ、いいな」という印象でした。
しかし、自分がTwitterをフォローしていた方々が講師で参加されることや、派遣薬剤師の契約がきれるタイミングが重なったこともあり、「今こそ行くタイミングだな」と思いました。
さらに、ライティングだけではなく、WEB全般のことを学べることが嬉しく、せっかく行くなら全部吸収したいと考え、参加してWEBスキル全般を教えてもらいました。

ーU-29世代(29歳以下の世代)で、医療関係に興味のある方や医療系の仕事に将来つきたいと考えている方にメッセージをお願いします。

資格は、自分を守ってくれる強みの一つになりうるので、
大変な時期もあると思いますが、自分の気持ちを大事にしながら諦めずに頑張って欲しいです。

私は国家試験に一度失敗しましたが、国家試験に失敗しても死ぬわけではありません。
失敗したときやうまくいかない時は、マイナスな感情で頭がいっぱいになったり、色々なプレッシャーに押し潰されそうになってしまう時もあるかもしれませんが、生きていれば大丈夫です。

遠回りしたとしても、遠回りしたからこそ見える景色があると思います。
どんな状況でも、そこから目線を変えることで学べることが出てくるはず。
「どんな薬剤師になりたいか?」
「自分はどんな風に生きていきたいのか?」考えながら、ひとつひとつ乗り越えていってください!

ー今後やってみたいことや挑戦したいことを教えてください。

私が最初に「ライターになりたい」と思った時、どのように書けば良いのか・どこで学べば良いかなど、わからないことが沢山ありました。
なので、最近はその経験を踏まえて、医療ライターを育成するオンライン講座「医療ライターのはじめかた」を開催しています。

特に今は、医療従事者の方にとってオフラインで学ぶこと・行動することが難しい時代です。そんな中「自分の人生を見つめ直して働き方を考え直したい。一歩踏み出してみたい」と思う方々に、今度は自分が何か力になれることができたら良いなと思っています。

また、「自分の本を出したい」というのも一つの夢です。
今まで国内や海外、色んな場所に行ってきたので、その写真と合わせて文章を書けたらいいなと思っています。

取材者:あおき くみこ(Twitter/note
執筆者:大庭 周(Facebook/note/Twitter
デザイナー:五十嵐 有沙 (Twitter