様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第218回目のゲストは、「僕と私と株式会社」の代表、KENTさんです。
大阪で生まれ育ち、中学校2年生で東京に引っ越し。ストレートな物言いで高校の同級生と衝突したときに、指導してくれた先生の、ある一言をきっかけにして教員を目指します。教員志望のために時に年間80単位を取得しながら、部活とバイトをこなす大学生活。しかし、尊敬していた先輩の死をきっかけに人生観が変化。「僕と私と株式会社」の原点である、「花」にたどり着きます。都内を転々とするアドレスホッパーで、取材当日の睡眠時間が20分というKENTさん。一体、何者なのでしょうか。
自分への誕生日プレゼントは、会社ほしいなあ。よし、設立しよう!
ー自己紹介をお願いします。
花クリエイターのKENTです。2020年11月8日に、自分への誕生日プレゼントとして会社を設立しました。
ー自分の誕生日プレゼントに会社立ち上げ???
はい(笑)、「自分の誕生日に、何がほしいかな?」と考えて、「自分の会社が欲しい!」と思って。「僕と私と株式会社」と言います。
ーそんなこと思います!? そして社名も新しすぎて…序盤から衝撃…。
「人生に花束を。」を掲げて、花を起点にさまざまな事業を展開しているんです。
ー一体何をしてる会社なんでしょうか…?
Z世代向けのコンサルティング事業とブランド事業を展開しています。
コンサルティング(・プロモーション)事業は、インフルエンサー、企業、行政を担当。インスタグラマーや、YouTuber、アーティスト、イラストレーターをはじめ、TSUTAYA、株式会社シトラム、渋谷区、横浜市などと一緒に仕事をしています。
ブランド事業は、「8783」というオーバーオールの専門ブランドを展開。もう一つは、「HANARIDA」という花のアクセサリーブランド。女性に人気なんです。ドライフラワーをセンターストーンに埋め込んだ指輪のシリーズは、1つ1つを手作りしています。
ークライアントの幅が広すぎて、すでに情報が渋滞しています…笑 Z世代(1996年から2012年に生まれた人たち)は、花を贈ることが多いんですか?
まだ少ないと思います。ただ、花を贈る機会が一度でもあると、もう一度花をプレゼントしたくなる傾向があるんですよ。Z世代はきっかけづくりが課題でした。そこで、2020年2月10日に、「Flower Valentine Festival」を開催。参加特典として入場者に花をプレゼントしたんです。「IWAI OMOTESANDO」という式場を丸一日、貸し切りましたね。
-予算も規模もビックですね… 参加者はどこで花を贈る体験をしたんでしょう?
実家で暮らす人であれば、家で家族に渡せる。友人と会う予定があれば、帰り道で友人に渡せる。イベントに参加した人が花をお土産として持って帰りし、その一日で花を贈る仕掛けを作りました。
「先生、説明してくれますか?」先生とバトる
-なるほど! はじめの一歩を後押ししたんですね。昔から花は好きだったんですか。
植物がいつも実家にありました。花が好きな両親が、買ってきていたんです。僕が花を身近に感じているのは、家庭環境が大きかったと思います。
ーご自宅に花があったんですね! KENTさん自身は、何に夢中だったんでしょうか。
中学時代は、勉強と部活に打ち込んでいました。生徒会も所属してましたね。父親の転勤で、大阪から横浜に転校。入学して1週間後に、生徒会の校内選挙に立候補していたんです。選挙活動の1つで、校内演説がありますよね。放送室のマイクに向かって大阪弁で話して、全校生徒をざわつかせていました。「この関西弁の男子生徒、誰?」みたいな。目新しさがよかったのか、そのまま当選しました。
-東京で関西弁を耳にすると、ドキッとするから、私も投票しそう。 生徒会の活動は、どんなことをされていたんですか?
ひとりの生徒として、学校を心地よい場所にしようと奮闘。「カーディガンの色は、好きな色がいい!」、「飲み物を飲みたいから、ここに自動販売機を設置したい!」と、学校側に訴えていたんです。先生たちには白い目で見られていました(笑)。
ー生徒のまとめ役が、学校に反発するんですもんね…
僕は、生徒側の意見をストレートに伝えていただけなんですよ。生徒総会でもその姿勢は崩してなくて。生徒総会は、台本がありました。 例えば、「部活動を増やしたい」と生徒Aが話したら、生徒会のBさんが、「いえ、許可しません」と答える。答えが決まったやりとりを、全校生徒がただ聞いてるんです。
僕は、生徒側の意見を反映していないと思ったので、台本に反発しました。ある生徒が、「自動販売機を設置したい!」と提議したとき、「いいですよ!」と、僕は答えて。台本にないやりとりだったので、先生たちはオロオロしていましたね。間違ったことをしてるとは思わなかったです。
ー全校生徒の前で、それができる勇気に脱帽です…
高校生でも、自分の意見を貫く姿勢は変わらなかったんですよね。だから、衝突も多かったんですよ。嫌味を言った人物を捕まえて、よく口喧嘩をしていました。
-ひゃあ。やさしそうなポートレート写真と対照的ですね… なぜ喧嘩していたんですか?
あのころは、好きな相手には楽しく話せるんですが、嫌いな相手には喧嘩腰になってしまう癖がありました。僕は、思ったことを相手に直接言うタイプ。「ここが嫌い!」と伝えていました。
ある日、口喧嘩がヒートアップして、担任の先生に呼び出されました。
-ああ、なんて言われるんでしょう… どんな話をされたんですか?
僕が、「相手を嫌いだから、気持ちをストレートに表しているだけだ」と伝えると、先生がこう言ったんです。「社会にはな、反りの合わない人がいるんだよ。世界には何もしなくてもお前のことが好きな人が2割いて、何もしなくても2割はお前のことが嫌い。残りの6割は、お前の行動次第で決まるんだ」
「たしかに!」と納得しました。
「嫌いな人にうざいという暇があったら、好きな人に好きと伝える時間にしよう」と、考えるようになりました。担任の言葉を受けてから、嫌いな人に何を言われても気にしなくなったんですよね。
-先生の言葉が、それだけ深く響いたんですね。
先生の言葉で自分の人生が楽しくなったので、先生を目指しました。大学は、自宅から通える距離にあって、先生を目指せる環境が整う場所。条件に合うのは、横浜国立大学教育学部だったので、そこに進学しました。
いろいろ手を出した大学生活
ーどんな大学生活をスタートされたんですか。
まず、サークルに10つ入りました。のちに3、4つに絞りました。バイトも4つを掛け持ちしました。学校の授業も、年間で80単位を取得できるぐらいに力を入れていたんですよ。
ー80単位は、多いですね…
教員免許を取得したかったんです。小学校、中学校、高校の教員免許を取得できるように授業を組みました。
大学の教員も視野に入れていたので、教育に関係のありそうな授業は受講していましたね。
ーサークルは、どんな活動をされていたんでしょうか。
テニスサークルと、ESSという英語の部活に所属していました。ESSでは、大学3年生で部長も経験しました。
大学の通訳の代表として留学生のサポートもしていました。
ーじゃあ、英語の教員を目指していたんですか?
いえ、家庭科が専門でした。父親が手料理を振る舞ってくれたり、料理は全て手料理だったことも大きかったのかもしれません。実家に、冷凍食品はなかったですね。
しかし、結果的に、教員の道は辞めてしまいました。
そんな様子には見えなかった。尊敬する先輩の死
ー高校生のときからの夢なのに??? なぜでしょう?
実は、仲良しだった先輩が自殺したんです。
衝撃的すぎて、立ち直れませんでした。ESSに入部したきっかけは、その先輩が僕に声をかけてくれたからだった。いつも元気で明るい先輩が、憧れでした。さらに、先輩の代が織りなす部活の雰囲気が好きだったんです。だから、悲しかったですね。
部員にどうやって先輩の死を伝えようかに悩みました。先輩は天真爛漫な性格なので、学校を飛び出して、一人旅に出たと部内でささやかれていた。「もし明るい印象の先輩が自殺した、という事実を伝えたら、どんな反応をするんだろうか。部内に不穏な空気がたちこめるんじゃないか」と思いました。
ESSの部長として、僕は、先輩が作り上げた部活を、守っていこうと心に決めたんです。
教員として、教育現場を変えるためには、上の立場にいくことが必要です。重要な決定権は、国や学校の校長先生が年功序列で握っています。教育現場を変えるためには、教員を辞めて、教育委員会の一員としてアプローチできるかもしれない。もし大学の教授になるなら、最短でも15年間は必要。
教育を変えるために、本当にやっていけるだろうかと考えるようになったんです。
ー先輩の自殺で、KENTさんの夢がグラついてしまった。そこから次に踏み出すきっかけは何だったんですか?
大学4年生の春に就職活動がひと段落し、花屋さんのバイトをしようと思いました。時間と体力を使って、やりたいことを実行する学生最後のチャンスでした。足を動かして、花屋さんを一軒一軒回りながら、働き口を探していました。
そこで、「あれ?花屋さんは、横のつながりが全くないな?」と気づいたんです。お店同士の付き合いもあまりないし、お客さんへの売り方の戦術の知識も少ない。しかし、花屋さんは、お店の運営方法や悩みを抱えていました。そこで花屋さん同士をつなげるために、50店舗の花屋さんを訪れて店長さんとSNSを活用したオンラインのコミュニティをつくりました。
ー花屋さんのバイトを始めつつ、ってことですか?
いえ、バイトは始めずに、花のビジネスで起業しました。教員を諦めて、ビジネスの世界で生きていこうと決断していたんです。
元々経営や会計、法律を学ぼうと思っていたんですが、ピンとくる書籍やインターンはなかった。
起業という選択なら、自分で実践しながら学べる。最短ルートだと思って、2018年4月に個人事業主からはじめました。
花贈りを増やす。「僕と私と株式会社」を設立
ーバイトのつもりだったのに、起業しちゃう、決断が早い!
大学生の強みは、広い行動範囲とたくさんの時間。オンラインのコミュニティを作るために、いくつものお店に足を運びました。自分が提供できる価値を、出し惜しみしなかったんですよね。
花が好きだったことも大きいと思います。花を思い浮かべてみてください。お金や恋愛には、マイナスイメージもあるんですが、花にはない。もし、枯れてしまってもドライフラワーとして鑑賞できるし、花は浮気しないので(笑)。
ー花屋さんのビジネスを改善する余白はあるんでしょうか?
いっぱいありますね。花屋さんに行くと、値札が無かったり、名称がわからなかったりすると思うんです。レシートを見ても、購入した花の名前が書いていないのは、ざらにあります。自分が贈る品物の名前がわからないのは、ちょっと悲しいなあって思って。
-Amazonで購入した商品ですら、名称がある時代ですもんね。
そこで、花の名称と花言葉を組み合わせた本、「花束を買いに」を制作して、販売することにしました。
この本を読めば、好きな花言葉を選んで、花を選べるんです。大切な誰かに花をとどけるために何が必要か、逆算した発想なんですよ。花を贈ったことのない人が本を読めば花を買いたくなる。
花は1週間で枯れるので、本の販売受付期間を1週間に設定しました。
ー1週間! タイトなスケジュールですね…
1週間の受注予約販売だったので、在庫を抱えることなく売り切りました。
そのあとは、花と映像を掛け合わせる事業で起業。
エイベックス株式会社さんとショートムービーを製作したりしましたね。当時の共同経営者が映像を製作し、僕は花を軸に効果的な演出を考えました。
ー超有名企業じゃないですか! 花の事業を展開されて行かれるんですか?
2020年2月にその会社を法人化し、現在は2社目の、2020年11月に設立した「僕と私と株式会社」に注力しています。
-気になっていたんですが、「僕と私と株式会社」の名前の由来はなんでしょうか。
2つの意味があるんです。「僕と私」は、対立する立場のように見えますが、僕の一人称。「と」を英語にすると、「TO」。僕TO私。僕から私に。僕自身が私自身を贈るんです。
もう一つは、「男性の一人称である『僕』」と「女性の一人称である『私』」の融合を示したかったんです。性別というカテゴリーを超えた、ジェンダーレスを伝えたかった。
ーやわらかな印象が社名にあふれていて、素敵ですね! KENTさんは、どんなことに挑戦をされたいですか。
花のある生活を送ると、幸福度が上がるはず。それを証明したいです。
そのためにまずは、花がある日常を広めていきたい。自宅のダイニングテーブルに花を飾る。帰宅の途中に見かけた花を買う。しかし、多くの日本人は、暮らしに花を取り入れる習慣がない。なので、花を贈るという手段を通じて、花のある暮らしをつくりたいですね。
最終的には、「花贈り男子」という言葉が目新しさを失うまでに文化を醸成したいです。現在の日本社会では、男性が花を贈ることが稀。しかし男性だけでなく、だれもが花を贈る機会を増やしたい。それは、他者だけじゃなくてもいいんですよ。自分から自分に贈ったっていい。花を贈る行為が、日常生活のありとあらゆる場面で生まれれば、僕は幸せだなあと感じますね。
ーKENTさんが、花がある暮らしを浸透させて、日本の花文化を変えていくのが楽しみです! 本日はありがとうございました!
取材者:青木空美子(Twitter/note)
執筆者:津島菜摘(note/Twitter)
編集者:杉山大樹(note/Facebook)
デザイナー:五十嵐有沙(Twitter)