「きつい方を選ぶと人生は面白くなる」気候変動と向き合う19歳の環境アクティビスト酒井功雄

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第213回はFridays For Future Japanオーガナイザーの酒井功雄さんにお話をうかがいました。

現在はアメリカの大学に日本からオンラインで通われる酒井さんは現地時間の昼間、つまり日本時間では夜中の時間に授業を受けている大学生。今回は酒井さんにとっては深夜の時間帯ということですが、快くインタビューを引き受けてくださいました!

知的好奇心の強い幼少期

ーまずは簡単に自己紹介をお願いします。

酒井功雄と申します。19歳で、今はEarlham Collegeという大学に通っています。高校2年生のときにアメリカに留学したことがきっかけで、気候変動や環境問題の深刻さに気づき、日本に帰国してからはFridays For Future Tokyoという団体に所属しています。Fridays For Future Tokyoは世界中で気候変動に対して危機を感じて声をあげている学生たちの運動の一部として、日本でも東京都や日本政府に気候変動に対しての対策を求める運動を行う団体で、1年半ほど、オーガナイザーとして関わってきました。

ーFridays For Future Japanのオーガナイザーとしてご紹介させていただきましたが、そこだけに止まらず環境アクティビストとして活動されているんですよね?

もともとは350.orgというNGOに所属していました。350.orgはダイベストメントという環境課題へのアクションを広めている団体です。日本の銀行の多くはCO2を多く排出する石炭火力に多額のお金を投資をしています。さらに輸出するためのお金に私たちの預金が使われているという事態が起きているのですが、預金をできるだけやめて引き出すことをダイベストメントと呼びます。

350.orgでのボランティア中にFridays For Future Tokyoが立ち上がりました。現在は350.orgから抜けて、Fridays For Future Tokyo/Japanをメインに活動していますが、個人として環境問題を解決するために何をすべきか、大学で学ぶなどしています。

ー多岐に渡ってご活躍されていますが、どのような幼少期を過ごされたのか教えていただけますか?

鉄道が好きで、保育園の頃から駅名や車両の番号を暗記していました。知的好奇心が強い方で、小学生の頃には何を思ったのか、内閣の人事名簿を覚えることにハマりました。(笑)「俺、歴代の総理大臣言えるんだよ」というように、覚えている自分が好きだったり、「このポストにいた大臣がここに動いたぞ!」といった、戦隊モノのヒーローのオールスターを覚えるような感覚でやっていました。

スポーツなどはあまり得意ではなくて、中学から高校の頃にスポーツにも挑戦したのですが、小学生の頃はやや大人しく、クラスでも誰と付き合うか気にせずに自分の好きにしていました。

何か選択肢があったらきつい方を選ぶと人生は面白くなる

ーそして、10歳くらいの頃に、ご自身のターニングポイントのひとつである書籍「20歳のときに知っておきたかったこと」に出会ったんですよね。

はい。夜眠れなかったときに、親に本の読み聞かせを頼んだのがきっかけでした。普段は絵本など、子ども向けのものを読んでくれていたのですが、その時はストックがなかったのか親がその時読んでいたスタンフォード大学の集中講義の内容が収録された「20歳のときに知っておきたかったこと」の一説を読んでもらいました。学生がスタンフォード大の起業家精神の講座でどのような問題にぶつかって、どう解決するかというストーリーです。

5ドルが入った封筒を渡されて、2時間以内にこの金額をできるだけ増やしなさいという課題が学生に与えられます。5ドルでレモネードスタンドをやろうと考える学生もいるのですが、最終的には650ドルまで増やせたチームが1番で、最後の授業で行うプレゼンの時間を企業広告として売って、稼ぐというものでした。内容もそうですが、こんな授業をやっている場所があるのかということに衝撃を受けて、アメリカの大学に行きたいなと思うようになりました。

ーお母さまがどのような思いでそんな本を読んでくれたのか、今思うことはありますか?

いまだに偶然読んでくれたのだろうなとは思っているのですが、母親は僕が興味がありそうなことや、知的好奇心が強いことには気づいていたと思うので、僕が何が好きなんだろうかということを考えた上で合ったものを意図的に読み聞かせてくれたのかなと思いますね。

子どもの頃からずっと、「何か選択肢があったら、よりきついことを選ぶと人生は面白くなるぞ」と言われていたので、中学高校を受験する時にも、大変そうだけれど飛び込んだ方が絶対面白いと思い、挑戦しました。実際にきつい道を選んだら人生が面白くなりましたし、チャレンジングな選択肢を選ぶ中でこの言葉を実感できています。

ー中学受験をされて、一旦は中高一貫校に入られるんですよね。

入る前は、アメリカの様にゆったりとした学びができる学校というイメージを持っていました。実際は詰め込み教育で、年間にテストが10回くらいあるような学校で、テストや模試がない月はなく、宿題の量もものすごく多かったです。

入試方法は作文で僕は入れてしまったので、この学び方についていけるか最初はとても不安でした。しかし知識を入れまくる勉強の面白さに気付き、中学の時は勉強すればするだけ点が取れる、点取ゲームとしての勉強に目覚めていました。(笑)

ゴリゴリ勉強していると繋がりが見えてくるものもあり、もっと詳しくなりたいなと思いましたし、政治や社会の分野に興味があったので、国際条約の部分で条文を覚える部分も内閣を覚えるように楽しめました。

ー高校受験では志望校を1校に絞って、背水の陣で挑まれるということですが、それに至った理由を教えてください。

今思うと馬鹿だったなと思います。(笑)母子家庭で、私立にいく経済的余裕はありませんでしたし、学習スタイルとしても、都立国際高校以外に行きたいところはないと思っていました。

体験授業に行ったときに、自分たちで調べたことを英語でプレゼンし、ディスカッションをするという授業を受けました。すべてが英語で全くついていけず、同じグループの生徒にとりあえずこれを読んでくださいと言われて、読むけれど、結局見当違いな文章を読んでいたりしました。

中学のときのような詰め込み教育と違う勉強ができるなと思ったのと同時に、きつい方を選んで挑戦すれば面白いことを実感していたので、これだけついていけないということは、ここで自分は伸び代があるぞと気づき、ここで絶対に学びたいと思いました。落ちたら浪人して受け直せばいいし、逆に高校浪人する方が面白いのではないかくらいに思っていました。(笑)

人生最大の挫折を味わった高校留学

ー都立国際高校であればアメリカの大学に行けそうだなという道筋が見えたんでしょうか?

そうですね。まずは中学の詰め込み教育のままだと英語が話せないことに不安がありました。英会話教室に通うなどしていましたが、大学に行けるほどの英語力がある自信はありませんでした。

具体的にどうやったらアメリカの大学に行けるのか道筋も見えていませんでしたし、単純に勉強が楽しい環境というだけで3年間中学に通ったので、ここの環境は使えるだけ使い倒したし、ここにもう3年間いても得られることは同じだろうなと感じ、ここにいる必要はないと思いました。

都立国際高校にはバカロレアのコースがあったのが一番大きかったです。結局バカロレアのコースには受からなかったので普通のコースに通ったのですが、具体的に海外留学に進学するというビジョンを持って入ってきている生徒がいる環境なら、より近づくかなと考え、進学を決めました。

ーアメリカの大学に入る前に、高校時代に留学を経験されるんですよね。

バカロレアのコースに入れなかったので、留学をして学ぶことにしました。いわゆる留学のイメージって海外の人たちと楽しい学校生活を送るものだと思っていたら、全然友達ができませんでした。文化が違うこと以外にも、何を話せば良いのかわからない、友達になるのにどう話しかければ良いのかわからない状態で、話しかけることすら怖くなっていきました。

日本だと高校に友人がいたので、そのギャップで孤独を感じて、余計に話しかける勇気が出ず、自分がつまらないやつだと思われたらどうしようとか、周囲からどうみられるのかに意識が向いてしまいました。人生最大の挫折を味わった留学でした。孤独ってこんなにきついのかと感じましたね。

初めて自分がマイノリティであるという意識を持った経験でした。深層心理を深めていくと、自分はこの人たちと違うんだとか、彼らと同じにはなれないという思いを自分が持ってしまっていたと思います。日本では自分がアジア人だという意識さえ持ったこともなかったので、アジア人としての自覚の芽生えもありました。

ーその留学での経験が活きているなと感じることは、今ありますか?

自分の意見が必ずしも成り立つとは限らない前提意識を持つということですね。Fridays For Future Japanの活動をしていても、日本国内の運動なので気をつけないと井の中の蛙になってしまうと思いました。マイノリティの人から見えている世界は違うんだということを留学を通して強く実感したので、キャンペーンやアクションを考える時にも、できるだけ自分と違う意見の人がこのアクションをどう考えるんだろうかとか、どう見えてくるのかを意識して考えるようにしています。

ー環境問題について興味を持ったきっかけについて教えてください。

高校の環境化学の授業の中で、「次のどれが環境問題を促進させるでしょうか」という問いの答えが「永久凍土が溶けること」でした。永久凍土が溶けると、中の有機物が分解されて、溜まっているメタンが放出され、温室ガスが増えて、気温が上がります。気温が上がるとさらに永久凍土が溶けます。つまり、どんどん悪くなっていくということに気がつきました。あれ?何かおかしいぞ?と感じ、それがはじめて温暖化や気候変動の問題の違和感に気づいた瞬間でした。

ーまず、アクションとして1番はじめにされたことはなんだったんでしょうか?

高校留学を終えて、日本に帰ってきてから、友達から350.orgを紹介してもらいました。ボランティアをしに行こうと思ったのですが、こんな自分が行っていいのかと悩んで、半年くらいアクションが起こせずにいる自分がいました。受験期が近づき、もう時間がない!とりあえず行ってみよう!っていう風に思って、参加を決めました。

参加してみると、ものすごく魅力的なアクティブな人たちに出会えました。経験も知識もない自分が行ってしまっていいのだろうかという漠然として不安がありました。馬鹿にされるとか、おかど違いだよって言われるんじゃないかなと思っていました。でも全然そんなことはなくて、知識とかよりも一歩最初起こして、やりたいんだっていうことの方が大事だということを教えてもらいました。今でも自分が誘う立場だったら、絶対に伝えると思います。

そこで、自分でもアクションが起こせるんだと気がつきました。その経験がきっかけとなり、高校生のチャレンジの場であるCUE TOKYOを立ち上げました。

今の私たちは自然や地球を使っては廃棄するだけ

ーグレタさんのスピーチは、どこで聞かれましたか?

350.orgのボランティアになった直後くらいに聞きました。スピーチを見て、僕よりも年下の子が国連の気候変動の会議で話していることにびっくりしました。「未来の子供達に、なぜ時間がある時に何もしなかったんだと言われるでしょう」という言葉が一番刺さり、ハッとしました。自分は子どもに安心して生きられる場所をつくれているんだろうかと疑問を感じたのと同時に、怒りが湧きました。今までの世代は何も考えずに家族を持ってきたけど、自分たちは安心できる地球を自分たちの子どもに届けられない不平等さに怒りが湧いて、余計に自分の気候変動という問題への熱がヒートアップしました。

この問題に気づいていない人はものすごく多いでしょうし、多くの人の目を覚まさなきゃいけないと思いました。

ー色々な活動をする中で、活動のひとつであった学生気候サミットはどのような存在でしたか?

かなり大きな節目でした。学生気候サミットが行われたのがFridays For Future Tokyoの活動を始めてから、ちょうど1年後だったのですが、Fridays For Future Tokyoで活動していた後しばらくしてから燃え尽きてしまった期間がありました。国会の前でアクションをしている中で、メディアがものすごくたくさんきていて、アクションをしている人よりもメディアの数の方が多いほどでした。一気に自分がやっていることの規模が大きくなったと感じた瞬間でした。

怒り続けてしっかり声を上げられる人間じゃなきゃいけないと思っていたら、だんだん前みたいに怒りが持続しませんでした。だんだん怒りきれない自分への違和感みたいなものも強くなっていきました。CUE TOKYOに力を入れている時間に、アクションへのモチベーションが減っていき、無気力になってしまいました。

ちょうど受験の時期と重なったんですけど、大学でも気候変動のことをうやりたいと思っていたので、面接とかで聞かれる対策のために、できるだけ気候変動に関する知識を色んなところで入れたり、アルゴア元副大統領が日本に来て開催したプログラムに参加したりして、科学だけではなくビジネスや社会として、どう気候変動の解決に取り組んでいけるのかということを学びました。

学んで行くうちに、これはものすごい危機だけどチャンスかもしれないと感じました。実際にESG投資という環境に配慮した投資などが進み始めているように、危機だけれどもものすごく世界が変わり始める最先端なのかもしれないということに気づきました。怒りからモチベーションが希望や自己効力感にに変わっていきました。

ちょうどそのタイミングでNO YOUTH NO JAPANという団体の代表の方と出会い、日本のアクティビリストを盛り上げていかなきゃいけないぞという話にになりました。全国のアクティビストを集めて、知識を深めて繋がる場を作ろうということで、全国から約100名のアクティビストが集まる学生気候サミットを開催しました。それをきっかけに、名古屋や九州など日本各地で別々に活動していたFridays For Futureのオーガナイザーがオフラインでつながり、Fridays For Future Japanのネットワークができあがりました。そこに貢献したことが自分にとっても大きかったと思っています。

ー酒井さんの今後の展望について教えてください。

先輩のアクティビストで清水イアンさんという方がいるのですが、清水さんは「再生型社会に変わっていかなきゃいけない」とよく仰っています。今の私たちは自然や地球の扱い方もひたすら自然を使って捨てるいう、廃棄するだけのシステムになっています。

自分たち人間も同じです。企業労働でも労働者を使い捨てるような形だったりとか、ウェルビーイングが保てないという状態があります。人間も地球も一方向に消費するだけでなく、みんなが再生できるような資源だったり、自然が再生して保ち続けられるような循環型社会に変わる必要があると思います。

僕はたくさんの分野に関心があって、どれかひとつに専門を絞ってスペシャリストになるっていうのは向いていないと思っているので、どちらかというと色んな分野のことや色んな分野の人の取り組みを理解して、繋げられるような存在になれたら良いかなと考えています。色んな分野の触媒のような存在になれたら面白いかなと思います。自分でももっといろんな分野と出会えるし、その知識を通して人の役に立つことができるようになりたいです。

ーきつい道を自ら選び、常に成長し続ける酒井さんの今後へ期待するとともに、一人でも多くの人に気候変動の課題に目を向けて欲しいという熱い思いがひしひしと伝わりました。素敵なインタビュー、ありがとうございました。

取材者:吉永里美Twitter/note

執筆者:大野雛子(Twitter

デザイナー:五十嵐有沙 (Twitter