様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第220回目となる今回のゲストは、大手通信会社で人事として働いている古川遼さんです。
人事としての業務以外に、コーチングや吃音者への就業支援も行っている古川さん。そんな古川さんが、「キャリア支援」や「コーチング」に目を向けるようになった経緯について伺いました。
吃音と向き合い、共に生きることを決意
ーまずは簡単に自己紹介をお願いします。
現在、通信会社で人事を担当していて、業務領域は大きく2つに分けられます。1つは人事ガバナンスの領域で、グループ会社の人事が働きやすくなる仕組みづくりをすることです。もう1つは、海外からグループ会社へ来る従業員の受け入れプロジェクトを担当しています。
その他にも、複業として若手に対するコーチングと、吃音者への就業支援を行っていて。「人事」や「就業支援」を軸に、日々生活を送っています。
ー今の生活に至るまでに、古川さんがどのような人生を歩んできたのかお聞かせください。子ども時代はどのように過ごしてきましたか?
私の人生では、「吃音」というキーワードがあって。小学生の頃から、吃音という障害に悩まされていました。
吃音のきっかけは、小学校1年生で童話の『大きなカブ』を音読しているときに、ワンフレーズが出てこなかったことです。それから吃音が始まって、友達からからかわれたり、周りの人と自分を比べたりしてしまって。
みんなが当たり前にできる「話す」という行為ができないことが、私の中ではコンプレックスになっていました。吃音と一緒に苦楽を共にした子供時代でしたね。
ー吃音は、一生付き合っていく障害なのでしょうか?
個人差はあると思いますが、それくらいの覚悟で過ごしています。何をするにしても人との会話は必要不可欠な中で、「伝えたい言葉が急に出なくなったらどうしよう」という不安は常に付きまとっていて。
特に学生の頃は日々のストレスが大きく、「毎日が来なければいいのに」と思った時期もありました。おそらく完治はしないだろうと思ってるので、今後どうやって吃音と上手く付き合っていくかにフォーカスしてます。
ー学生時代のストレスはどのように解消していましたか?
家族からすごく愛されていて。おじいちゃんやおばあちゃん、両親、妹に支えてもらい、勇気づけてもらいながら生きていました。
ーご家族にかけてもらった印象的な言葉はありますか?
お母さんの「そんなに頑張らへんでもいいよ」という言葉が印象に残っています。その一言で、肩の荷が下りました。自分のできる範囲で頑張ろうという気持ちになれたんです。
シンガポールでのインターンを経て、学生団体を設立
ー学生時代、他に印象に残っている出来事はありますか?
大学時代にインターンをしたことが強く記憶に残っています。もともと吃音について研究したいと思って大学へ入学し、アイセックという学生団体に所属していて。そこで知り合った方にシンガポールのインターンプログラムを紹介していただいて、休学してシンガポールで働くことになったんです。
会社には社長と私の2名しかいなかったので、一からいろんな考え方を教えてもらいました。「もっとわがままに自分の人生を生きていいんだ」と気づかせてもらえたんです。シンガポールでのインターンは私にとって学びの連続でしたし、人生の転機となりました。
ーどうしてシンガポールでインターンをするという決断ができたのですか?
就職活動が始まる大学3年生の頃、今後について焦りが出始めたことがきっかけです。面接中に言葉が出てこないことがあり、このままじゃやばい……という危機感が募りました。
何かに挑戦しないと、自分が思い描いている人生は歩めないんじゃないかな、という不安が大きかったんです。もともと海外にはずっと行きたいと思っていたのもあり、シンガポールへ行くことを決断しました。
ー帰国後はどのように過ごされていましたか?
シンガポールで知り合った京都市の方と、帰国後も仲良くさせていただいていて。その方から、京都市の課題について相談されたことがきっかけで、学生団体を設立しました。
京都には留学生がたくさん来るけど、住み続ける人はいなくてみんな結局帰ってしまう、という課題がありました。「もっと京都に愛着を持ってもらえるように支援する団体を作らないか」と提案されたので、やってみようと思ったんです。
ー具体的にどんなことをされていましたか?
活動内容は大きく分けて2つありました。1つは、Facebookグループの運営です。京都へ来た留学生の方々のノウハウをどんどん蓄積してシェアしていました。
もう1つは、オフラインコミュニティの運営です。3か月に1回ペースで大きなイベントを開催していました。毎回ゲストを呼んで、留学生向けに京都の特徴をお話してもらい、逆に留学生からは意見をもらって、京都市の副市長に伝えていましたね。
私自身、シンガポールへ行ったときに知り合いが1人もいなくて、優秀な方とつながりたいけど、どのようにつながればいいかわからず困っていて。毎年留学生が来ているのであれば、現地のノウハウがもっと明文化されているべきじゃないかと思っていたんです。その経験をもとに、活動内容を決めました。
営業への配属希望が通らず、人事配属に
ー大学卒業後のお話を聞かせてください。
卒業後は大手通信会社へ入社しました。その会社がちょうど新しいことを始めるタイミングで、若手にもチャンスが与えられる環境だったこともあり、入社を決めたんです。当時は営業職を希望していましたが、結果人事に配属されました。
ーどうして営業をしたかったのですか?
理由は2つあります。1つは、数字が作りやすく一番昇進しやすい部署だと思ったからです。数字で自分の成果がわかり、幸せにしたい人が明確な状況に魅力を感じました。
もう1つは、営業のスキルは将来活かせると思ったからです。当時なんとなく、吃音の仕組みを社会に伝えたいと考えていて。自社サービスを魅力的に伝える営業スキルは、吃音について相手に伝えるうえで役立つと思ったんです。
ー部署選びの際も、「吃音」がキーワードになっていたんですね。人事に配属されたときはどう思いましたか?
人事の業務内容が想像できなかったので、今後どうなるんだろうという不安が大きかったです。ただ、今振り返ると会社の裁量で適した部署を選んでもらい、自分の可能性を広げてもらえたので良かったなと思います。
吃音の理解者が1人でも増えるように
ー働いている中で、人生の転機はありましたか?
去年の7~8月頃にコーチングと出会い、それから自分のやりたいことが明確になりました。
「人事としての業務に活かすことができて、かつ人生が豊かになるようなスキルはないかな?」と調べていたときに、たまたま大学時代の同期にコーチングを紹介してもらって。どんどん興味が湧いてきて、3か月間コーチングの講座を受けることになりました。
ーなぜコーチングに惹かれたのか、教えてください。
自分のゴールが明確になることが、コーチングの良いところだと思っていて。誰かに話をすることで考えが整理されるし、新しい自分と出会えることがコーチングの魅力だと思っています。
ー現在はコーチングをどのように活かしていますか?
NPO法人どーもわーくで、コーチングを通じて吃音者の就業支援を行っています。社会に出ると、吃音という言葉自体が認知されていなことに気づいて。そんな社会を変えたいと思いつつ、今私ができることは障害を持った方々を支援することだと思ったので、就業支援を始めました。
コーチングとして質問をすることで、価値観や考えをどんどん変えていくことを重視していて。何かを教えるというよりは、自分の姿を再認識して自己内省してもらうよう意識しています。コーチングによって自分を認めてあげることができて、自己肯定感が高まると良いですよね。
ー吃音に限らず、自己肯定感が低い方はたくさんいると思います。古川さんがどのように自信をつけてきたのか教えてください。
京都大学に受かったことがきっかけで自信がつき、徐々にスラスラと話せるようになりました。成功体験を積むことで、「自分は吃音が出るけどこういう良いところがある」というポイントを1つでも見つけられてから、コミュニケーションが取りやすくなりましたね。
自己肯定感が低い方は、成功体験を積んで自信をつけるということが大事です。私は昔と比べると、日々話せているだけで成功していて。そういう些細な成功体験でも十分だと思います。
ー「キャリア支援」や「コーチング」という軸がある中で、古川さんが今後やっていきたいことはありますか?
社会に対して吃音の理解を深めていきたいです。また、個人が尊重され違いを活かして力を発揮できる社会になるよう、ダイバーシティ&インクルージョンを推進していきたいと思っています。
実は、社会や組織を変えるアプローチとして、イギリスの大学院で組織心理学を学び、組織コンサルタントとして働きたいと考えていて、今はその準備中です!
ー最後に、アンダー29世代へのメッセージをいただきたいです!
日々5分でいいので、自分の良いところに目を向ける時間を取ってほしいな、と思います。自分という存在を認めてあげて、日々前を向いて生きていきたいですね。
ー一貫性のあるキャリアを築いてきた古川さんの、今後のご活躍を楽しみにしています!本日はありがとうございました。