向かいたい先へ向かい続けられる人を増やす。小峠大河が教育に想いを注ぐ理由。

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第410回目となる今回は、個人コンサルタント、組織コンサルタント、大学客員教授、神山まるごと高専(仮称)ブランディングチームプロジェクトリーダーの小峠大河(ことうげたいが)さんです。

4つの肩書きと仕事を持ちパラレルに働く小峠さんへのインタビューを通して、現在の働き方を創りあげてきた過程と「教育」へ想いを注ぐ理由を伺いました。原点にまで迫ったインタビュー内容をぜひご覧ください。

自分らしく人生を過ごせるように、教育の仕組みづくりを

ー本日はよろしくお願いいたします。まず、現在のお仕事や活動の内容を教えてください。

現在は、大きく4つの仕事に取り組んでいます。1つ目は個人へのコンサルティング。20代の若者に成長機会を届けたくて、週1回の1on1を通して目標達成や自己実現の支援をしています。例えるならば、パーソナルトレーナー付き筋トレのビジネス版です。2つ目は組織へのコンサルティング。採用や商品開発、事業…と幅広い範囲に対して外部アドバイザーとして携わっています。3つ目は、情報経営イノベーション専門職大学の客員教授を務めています。最後に、現在もっとも比重を置いている仕事として、2023年開校予定の高等専門学校「神山まるごと高専(仮称)」設立に向けたプロジェクトリーダー業務があります。

ーなぜ4つのお仕事を並行して取り組んでいるのですか?

僕には「向かいたい先に本気で向かい続けられる人が増えてほしい」という志があり、人は自分自身が向かいたい方向に本気で進んでいくことが大切だと思っています。

この時、「それを実現できるかできないか」は重要ではありません。本気で向かい続ける過程で夢中になり、その瞬間と場面ごとに得られる幸せな感情、充実感が人の教育と成長において欠かせないものなんです。

多くの人がそうした感情と感覚を得て、自分らしく、生きたいように人生を過ごせるよう、いま関わる仕事を通して教育の仕組みづくりに携わっています。

ーパラレルな働き方は、いつ頃からおこなっているのですか?

今年の春からですね。現在社会人5年目で、新卒から4年間は会社員でした。数ヶ月前に会社員を卒業したタイミングなので、この働き方は始まったばかりです。

ー働き方が変わり、ご自身の中でも変化はありましたか?

変化の1つに、時間に縛られなくなったことがあります。前職の職場では勤務時間に関わるルールを厳守しなければならず、「もっと仕事をしていたいのに…」と歯痒い気持ちを抱えていた人もいたと思います。もちろんルールは守るべきなんですが。

一方で、今は働く時間やタイミングを自分で決めることができます。極端な例ですが、没頭して働き続けることもできれば働きたくない時は働かなくてもいい。全て自己責任です。

この変化は大きいですね。

サッカー一筋の学生生活を経て、教員を目指す

ーお話しいただいた志を持つようになるまでどのような道をたどってきたのか。背景や生い立ちをお伺いします。まずは、幼少期について教えてください。

僕は、人口が5,000人ほどの奈良県明日香村の出身です。両親や親戚がみんな教員という教員一家で育ちました。いま振り返ると、「やりたいことをやりなさい」という教育方針のもと、のびのびと育った幼少期でしたね。小学校時代は、目立ちたがり屋で、にぎやかで…元気な性格の子供でした。

兄の存在をきっかけに始めたサッカーは高校を卒業するまでのめり込み、小学2年生の頃に奈良県の強豪チームに入ってからは週に6日電車でサッカーチームの練習場に通っていました。この時はサッカー一筋でしたね。

ーそれほどまでにサッカーに熱中できたのは、なぜだったのでしょうか?

当時は、上達していく過程や試合に勝った時に「おもしろい!」と感じていました。(試合中の場面で言えば)サッカーはある一面から見ると相手を騙すスポーツでもあるのですが、相手選手の意図の裏をとれた瞬間も楽しかったですね。

そうした経験を重ねるにつれて、「サッカーは、運動神経や体格が良いから勝てるわけではない」ということにも気づきました。戦略的に考えて動けば自分の思い通りに展開や場面が進んでいくこともあり、それもまたおもしろかったです。

ー中学校でもサッカー中心の生活を過ごし、高校の進路選択の際にもサッカーを軸に据えていたと伺いました。

そうですね。毎年県ベスト4に入るほどサッカー部が強い高校に進学しました。僕の代では全国大会に出場できなかったんですが、その後に力をつけ、最近はインターハイや選手権にも出場している高校です。

ーここまでサッカーに熱中している姿が印象的です。大学選びはどのように考えていましたか?

教員一家で生まれ育ったこと、部活、クラブチームの監督に教員がいたこともあり、周囲の大人のほとんどが学校の先生だったんです。サラリーマンとして働くことも想像しましたが、サラリーマン=しんどそう、辛そう、というイメージがあり、結局教員を目指して教育学部に進学することを決めました。

ー引退後、受験は大変でしたか?

ほどんどの生徒が指定校推薦やAO入試で進学先を決める中、先生から勧められたことをきっかけに国立の推薦入試に臨むことになりました。部活を引退する直前から受験勉強を始め、英語は必死になって勉強しましたね。

 

起業を目指すも心機一転。就活を始めたワケとは

ー進学後の大学生活についても伺います。当時はよく旅に出ていたとお伺いしました。

旅に出るようになったのは、大学2年生の春です。長野県にある信州大学に入学後はサークルの仲間と頻繁に遊ぶ生活をしていたのですが、2年生になって通うキャンパスが変わったことが転機になりました。

2年生になってから通っていたキャンパスは、松本市から車で約1時間半移動した長野市にありました。環境が大きく変わり、ふと「このまま遊び呆けていて大丈夫なのか」と不安を覚えることがあったんです。そこから将来のことを考えるようになり、そのタイミングで出会った友達が旅の経験を話してくれて、僕も旅に興味を持ち始めました。

ー最初の旅はどこに行きましたか?

その友達にどこへ行ったらいいかと聞いたら、「島がおもしろいよ」と勧めてくれました。それを聞き、海なし県・長野から一番近くて有名な新潟県の佐渡島に行くことにしました。港から船で渡った佐渡島での経験は、僕の中で大きな財産です。

ーどのような経験をしたのですか?

島では、初対面の僕を家に泊めてくれる人がいれば親切に島の中を案内してくれる人もいて驚きました。ご飯をごちそうしてくれた人もいましたよ。その時に関わった人が僕にくれた愛情は深く、人の温かさを知るほどに旅へのめり込みました。

日本中を旅しましたが、「あの人に会いたいから」という想いで会いたい人がいる場所へ出向くことが多かったですね。

ー人の温かさに触れて以降、旅のキーワードは「人」になっていったのですね。

そうですね。長期休暇や週末にはヒッチハイクをおこない、1年間で約300台の車に乗せていただきました。ヒッチハイクを本気でやってみて、今の自分の強みとなるものに気づくことにも至りました。

ーどのような経験から、何に気づいたのでしょうか?

ヒッチハイクの特徴は、途中で知り合った方が運転する車に乗せていただくことで交通費をかけずに移動ができるところにあります。ヒッチハイクで何台も乗せていただくにつれて本当にたくさんの人と会いました。食事をごちそうしてくださる方がいたり自分にはなかった考え方を教えてくださる方もいました。こうした過程で、ヒッチハイクは(ヒッチハイカーから見ると)100%与えてもらうものだと気づきました。

それからは、僕からもお返しできることはないかと思い、ドライバーに「君を乗せてよかったよ、ありがとう」と言ってもらえるためにはどうしたらいいのかを必死に考えるようになり、自分なりの工夫をしながら感謝の気持ちを伝えるようにしました。

相手は何を求めているのか。それに対して、自分は何をできるのか。そう考え続けるうちに、ヒッチハイクを通してコミュニケーション能力が磨かれました。この能力は、今の自分の強みの1つです。

ヒッチハイクをしていたのは大学2年生の時。その後は1年間大学を休学をし、カナダに渡りました。語学学校に通ったあと、約2ヶ月間カナダでもヒッチハイクをし、カナダ国土を横断しました。そのあと中南米に渡り、約4ヶ月半1人旅をして日本に帰国しました。

大学3, 4年生の期間は福島と長野で宿づくりと運営に携わったり、路上イベントを開催したり…ボランティアにも出向きました。とにかくおもしろそうなものがあればすぐに足を運びました。その過程で知り合ったご縁からTEDxでプレゼンテーションをする機会もいただきました。

ー大学生から社会人になるにあたり、就職についてはどのように考えていましたか?

はじめは就職活動をしようと思っていませんでした。旅を終えて帰国してから現代人の働き方に疑問を持っていて、自ら価値を生み出し、お金を稼げるようになることを目指していたんです。自分で起業をするもしくは事業を始めることを考えていました。そのような時、考え方が変わるきっかけがありました。

友人から相談を受け、仕事の話を聞いていました。一緒に話してみた結果、その友人は気持ちを切り替え、改めて前向きに仕事へ打ち込めるようになりました。ところが、その数ヶ月後に同僚が亡くなったのだと連絡があり、その友人はひどく苦しんでいました。その姿を目の当たりにし、「人を本当に幸せにしたいと思ったら、幸せになってほしい本人のその先の人たちまで幸せにする」ことが重要なのだと感じたんです。

そのような経験を経て、人の幸せに関わる「教育」の技術を身につけたいと思い、大学4年生の5月から就職活動をスタートしました。

ーどのような就職活動をおこなったのでしょうか?

個人の変革を実現するために必要なスキル、人に影響を与える技術を体型的に学ぶことができる会社への入社を目指していました。人材育成・教育分野を軸に就職活動をおこない、就職活動をスタートして1ヶ月半ほどでリンクアンドモチベーショングループ(株)リンク・アイに入社が決まりました。

ー入社してみていかがでしたか?

まず、入社した会社には身につけたかった技術を学べる環境と仕事にしたいと考えていたコンサルティング業務に関わる機会がありました。さらに、日頃から仕事への向き合い方を学べる機会もありました。モチベーション高く仕事に打ち込んだ結果、全社員の前で表彰していただく機会を得られるほど成果を上げることができました。

入社する前には「社会人は、大変だ」という先入観を持っていたんですが、実際には気持ちよく仕事に取り組み、成長することができました。

ー表彰されるほど活躍されていた中、なぜ独立しようと思ったのですか?

独立を考え始めたきっかけは、企業に対してコンサルティングをおこなうようになった4年目にありました。仕事に必死で取り組んでいたんですが、あるタイミングで思い出したんです。「自分がやりたいことは、若者の教育や個人の変革に関わることだ」と。

一定のスキルが身につき、成果によって僕を採用してくれた会社への恩返しも少しできたと感じた頃、独立を決意しました。それと同時に、独立して時間に縛られず過ごすことができるようになったら、仕事や顧客を選べない会社員から心機一転…心から力になりたいと願うクライアントに全力を注ぐのだと心に決めました。

ー現在のお仕事を通して感じるやりがいや喜びは、どのようなものがありますか?

個人向けコンサルティングでは、相手の変化を直近で見れることにやりがいを感じますね。関わるうちに、おもしろいように人が変わっていくんですよ。セッションのメモを振り返ってみると、誰がみてもその変化は明らか。「◯◯さん、変わったねって言われたんです」と報告があった瞬間は、自分が提供している価値を実感でき、とても嬉しいです。それに伴い、組織向けコンサルティングや大学客員教授の仕事も今後より深めていきたいと思っています。

神山まるごと高専(仮称)の仕事では、日本でゼロから学校を設立するという…かなり大きな挑戦に加わって活動しています。将来の子どもたちにいい教育を届け、その子たちがどのように変化していくのかと考えるとすごく価値のある挑戦だと思っています。

 

諦めず、向かいたい先へ本気で向かい続けてほしい

ーそれぞれにご自身ならではの理由がある仕事なのですね。今後の展望についてもお伺いできますか?

個人向けコンサルティングでは、僕自身が若者と向き合う機会は作れていますが、理想とする教育者の輩出には取り組めていない状況です。今後は僕を含めた教育者を少しずつ輩出できる方向にシフトしていきたいです。

また、2023年に開校を目指している神山まるごと高専(仮称)設立準備においては、子どもたちがのびのびと学ぶことができる環境づくりにコミットしていきます。

プライベートでは、12ヶ月間で海外12ヶ国滞在生活は必ず叶えたいと思っています。神山まるごと高専(仮称)が開校したあと、タイミングをみて動き出す予定です。

ー小峠さんからU-29世代の方にメッセージをお願いします!

僕は、向かいたい先へ本気で向かい続けられる人を増やしたいと思っています

思うように人生が進まないことはあります。なりたい姿に近づいている実感が湧かないもどかしい時期もあります。僕自身もまだまだできないことだらけです。日々失敗や挑戦を繰り返しながら改善をしています。

僕からは、「みなさんも諦めず、向かいたい先へ本気で向かい続けてほしい」と伝えたいです。自分にできるかできないかは重要ではありません。向かいたい先へ本気で向かい続けている瞬間を楽しんでほしいんです。

一方で、向かいたい先へ本気で向かい続ける過程ではスキルや力を身につけることも大切です。1つ学んだら、抽象度を上げて捉え直し、他のことに転用することを意識すると、やがて大きな変化と成長を実現できると思います。

ー神山まるごと高専(仮称)の展望もお話を聞かせてください!

神山まるごと高専(仮称)は本当におもしろい学校になると思います。現在、「デザイン」「テクノロジー」「起業家精神」などをテーマに、設立に向けて文科省への認可申請の準備をしているところです。

テクノロジー(エンジニア)が求められている世の中ですが、エンジニアのスキルだけでは、何かを理想的な形で生み出すことができないこともあります。もし、エンジニア自身がデザインの知識や起業家精神を持つことができれば、社会のニーズをキャッチし、それにあった形でプロダクトを生み出すことができる人材になれると思っています。そのような「モノを作る力で、コトを起こす人」を輩出できる学校の設立を目指しています。その結果、人間の未来を変える学校になると信じています。

ぜひ、多くの方に神山まるごと高専(仮称)を応援していただけるとうれしいです。

取材:高尾有沙(Facebook/Twitter/note
執筆:スナミ アキナ(Twitter/note
デザイン:安田遥(Twitter