様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第174回目のゲストは、「劇団ノーミーツ」主宰の広屋佑規(ひろやゆうき)さんです。
オンライン会議の定番ツール「Zoom」を舞台に役者を集め、コロナ禍において緊急事態宣言が発令された2日後には劇団を旗揚げした広屋さん。YouTubeで公開した動画「ダルい上司の打ち合わせ回避する方法考えた。」は、Twitter上での再生回数が1000万回を突破し、リモートワーク中の社会人を唸らせた絶品の作品。かつて、企画で頓挫した悔しさも、仕事ゼロの苦しみも全て跳ねのけて、演劇界に新たな旋風を巻き起こした広屋さんの「あきらめない強さ」が幕を開けます。
Zoomだけで演劇!?「劇団ノーミーツ」とは
―自己紹介をお願いします。
広屋佑規です。企画や稽古、本番において一度も会わずに上演するフルリモート劇団「劇団ノーミーツ」の主宰をしています。「ノーミーツ」には、「一度も会わない」の意味を込めた「No meets」と、三密を避ける「No密」、さらに新型コロナウイルス感染症の影響下でも「濃密」な時間を届けるという願いを掛け合わせています。
―新型コロナウイルス感染症が劇団の立ち上げに関わっているのでしょうか。
エンターテインメント業界で仕事をしていた僕は、業務がうまく立ち行かない状況に直面しました。仕事の困難について考えあぐねていると、こう思いついたんです。「Zoomで会話ができているなら、お芝居もできるのではないか」。すぐに、Zoomを活用して収録し、作品をTwitterで発信しました。それが、劇団ノーミーツのはじまりでした。
飲み会、同窓会、アイドルライブ、就活、合コン、打ち合わせ、ファンミーティングなどが作品の舞台です。対面で顔を付き合わせていないがゆえに起こるハプニングや笑いを約3分間の短編作品として制作し、YouTubeに動画を投稿。さらに、2020年5月23日と24日、31日には2時間20分の長編オンライン演劇公演「門外不出モラトリアム」をZoomで生配信上演。2020年7月23日、24日、25日、26日の4日間に第二回公演として「むこうのくに」を上演しました。こちらは特設サイトも開設し、役者の間合いを活かした生配信ならではの演劇が完成しました。
―新型コロナウイルス感染症の流行が拡大する前は、どんな活動をされていたのでしょうか。
劇場を飛び出し、日常の公共空間でエンターテインメントを生み出す活動である「Out Of Theater」を展開していました。例えば、「STREET THE MUSICAL」では、路上を舞台にミュージカルを公演。毎日の生活で利用する全長500mの商店街に、ある日突然、ミュージカル音楽や俳優や装飾が飛び出すんです。退屈な日常が一瞬でわくわくする体験を、提供できる。横浜元町ショッピングストリートでは半年に一回上演していましたが、2020年に公演する計画は、頓挫してしまったんです…。
あなたが持ってるのはバナナですか?はい、バナナです
―大きな舞台でさまざまなコンテンツを制作されてきたのですね。昔からコンテンツ制作には興味があったのでしょうか。
僕はテレビっ子で、いろんなテレビ番組を観ていました。特に「めちゃ2イケてるッ!(通称:めちゃイケ)」が大好きでした。バラエティ番組でありながら、最高のコント番組であり、ドキュメンタリー性があるんですよね。また、衝撃的だったのは、「世界まる見え!テレビ特捜部」のドッキリ映像を紹介するコーナー。日常生活の中にちょっと変わった世界観を組み込んで、物語を紡ぐ。ドッキリを一般人に仕掛けていて、しかし、仕掛けられた本人が許容する姿を観て、素敵だなあと感じていました。
―演者がいきいきと描かれるテレビ番組に注目されていたのですね。ドッキリを仕掛ける機会はありましたか。
一般人が日常の中に参加できるエンターテイメントはないか。「世界まる見え!」を見た当時は大学生だった自分が探していると、「劇団どぶねずみ」が企画する「Time Stop at Shinjuku」を見つけました。100人以上の参加者がじっと動かずに5分間停止することで、その場があたかも時が止まったかのような空間になるドッキリ企画。「これは、探していたものがあるかもしれない!」と、すぐに参加を決めました。2012年の春に新宿区の新宿通りで、僕は、体を固定していました。日常の中に突如として非日常的な空間が現れ、段々とざわめきが疑問に変わり、興味が生まれ、面白いと感じる周囲の反応を全身で受け止めながら、ぞくぞくしていましたね…。
その日のうちに「劇団どぶねずみ」に連絡し、入団。バナナを電話やスマホに見立てて演じる「Banana Phone」を2012年秋に企画しました。参加者は渋谷の様々な位置について、同時にバナナで電話をかけたり、画面を操作したりするんです。それを見かけた通行人は、「あれ?私が間違ってるのかな…」とスマホを取り出し…ませんが、クスッと笑ってくれるんです。何もない日常に、非日常的な空間を持たせることが好きだった。ちなみに、僕のSNSのプロフィール写真がバナナを耳に当てているのも、この企画を作ったときの初心を忘れないようにしているからなんです。
―将来を考える機会となる就職活動には、どのように取り組まれたのでしょうか。
テレビ業界と広告業界に絞って就職活動をしていました。自分で企画から制作までしたもので笑ってもらえる瞬間が好きだったので、改めてテレビ業界に特に惹かれていたんです。また、「Time Stop at Shinjuku」や「Banana Phone」で、周囲の反応を肌で感じる面白さを知ったので、イベント制作もいいかなって。つくったものの反響を見るのが好きだったので、広告業界も視野に入れていました。
最終的に、広告業界の大手プロモーション会社に入社。イベントや体験づくりのノウハウを2年間で体に叩き込みました。日本最大級のガールズファッションイベントや、新酒発表会のPRイベント、行政のレセプションなど幅広いジャンルでイベントに関わる制作とプロモーションを担いました。
七転び八起き。地道な積み重ねが日の目を浴びた
―「劇団どぶねずみ」の活動は、社会人になってからも続けられたのでしょうか。
仕事の激務に振り回されつつ、両立して「劇団どぶねずみ」ができることを必死に考えていました。そして、仕事で培ったノウハウも活かしながらより大きく仕掛けようと、一般人がゾンビに仮装し、通行人にゾンビ映画体験を提供するハロウィンドッキリを2015年に企画。反応も上々で、仕掛け人側も100名以上集まってきた矢先、とあるメディアで紹介いただいた記事が炎上してしまいました…。「私の娘の心臓が止まったらどうするんですか」「ゾンビなら、仮装者を殴っても死なないですよね」という問合せが劇団の運営に殺到する事態に。残念ながら、イベントは頓挫しました。さらに、僕のTwitterアカウントを特定され、顔写真と共に「アホそうだな」と言われてしまったことも…。すごく落ち込みました。
今でこそハロウィンは渋谷区も推進する一大プロジェクトになりましたが、当時はちょうど若者が勝手に街なかで楽しみ始めていた時でした。そのような動きをよく思っていなかった方々の格好の的になったのだと思います。当時のハロウィンのムーブメントではみんなが自由に出歩いていたことを踏まえ、道路占用許可の手続きを申請していなかったのは我々の落ち度でもありました。しかし、企画を走り出させた想いは、純粋な「生活の中に変わった世界観を組み込んで、日常がちょっと楽しくなるような仕掛けを作りたい」というもの。
また、このゾンビドッキリは実は世界中で行われている有名な企画で、海外ではユーモアに溢れた試みと称賛されています。このとき、世界の表現や想像力への寛容さに比べて、日本のエンターテインメントの世界を俯瞰すると、表現の幅がどんどん狭くなっており、コンプライアンス問題などへの忖度も多く、想像する力が縮小しているのではと憂いました。ただし、日本人がそういった事象に対してシャイなのも分かります。なので、日本人の特性は尊重しつつ、エンターテインメントにおける表現の豊かさを育むことに本気で取り組みたいと決断し、この炎上がきっかけで会社から独立しました。
―会社から独立するほど実現したかったんですね。まず、何から始められたのでしょうか。
公共空間を舞台にエンターテインメントを作りたかったので、「サムライ&忍者サファリ」という外国人観光客向けのエンタメバスツアーを浅草で企画しました。
バイリンガルのコメディアンがツアーコンダクターを務めるバスに乗車し、乗客は浅草を観光していると、突如バスのモニターから映像が流れ物語が始まります。速報NEWSで浅草の街なかに忍者が現れたことがアナウンサーから伝えられると、バスが行く先の道中に実際に忍者が現れ、誰かから逃げている。反対の道を見てみると、そちらにはサムライがいて、忍者を必死に探している。このサムライと忍者のドタバタチャンバラショーを楽しみながら、浅草の観光地を巡るんです。
浅草観光協会さんや地元商店の方々の理解を得るために足繁く通い詰めました。しかし、なかなか事業として安定して収益を伸ばすことができず、利益が計上される前に個人の資金を回収できず貯金は底を突いた。そこで並行して、個人事業としてイベントプロデュース事業も始めました。知見を求める企業にお仕事を頂き、なんとか食いつないでいましたね。
―Twitterで企画が炎上、貯金ゼロ。そこから、逃げたくなりませんでしたか。
あきらめが悪いのかもしれないですね。まちなかでコンテンツをつくるという一点に関しては、全て自分で積み上げてきました。どこまで自分の力で行けるのか、つくったものがどこまで広がるのかという好奇心でぐんぐん先に進めたんです。そして、制作に携わったイベントや、制作過程の発信を見てくれた人が、相談を持ちかけてきてくれて、次の仕事へとつながりました。それが小さな成功体験となって、後押ししてくれたんです。大きな失敗はしましたが、楽観的に捉える思考のおかげでここまで来ることができました。
―コンテンツをコツコツとつくってきた結果が、「劇団ノーミーツ」に繋がるんですね。
新型コロナウイルス感染症の流行が拡大し、気軽にオフラインで会えない困難に私たちは追い込まれました。しかし、顔合わせから稽古、本番までを、一度も会わずに制作することをコンセプトに設定。一度も会わない状況を、むしろ面白がる姿勢で取り組んでいます。その価値観に共感してくれたメンバーが集まっているんじゃないかと思いますね。
―最後に、U-29世代の読者に向けて何かメッセージはありますか。
伝えるというより、劇団ノーミーツも平均年齢27歳のチームです。同世代だと思うので、一緒に何かをつくる機会があればいいなと思っています。2020年冬に「劇団ノーミーツ」で第3回生配信公演「それでも笑えれば」を予定しているので、もしよろしければぜひ一度、ご自宅から劇場まで足をお運びください。皆さんのご来場、心よりお待ちしております。
―ありがとうございました!
▼ 第3回生配信公演「それでも笑えれば」のチケット購入はこちらから
https://za.theater/events/09db9e37-33ae-406f-a0d5-5a3a9e2855a9
取材者:山崎貴大(Twitter)
執筆者:津島菜摘(note/Twitter)
編集者:野里のどか(ブログ/Twitter)
デザイナー:五十嵐有沙(Twitter)