声なき声を伝えていく 「境野 今日子だから出来ること」とは

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第342回目となる今回のゲストは、キャリアコンサルタントの境野 今日子(さかいの・きょうこ)さんです。

日常生活の中で感じる違和感に疑問を唱え、行動に移すことはやりたくても怖さを伴うものです。今回のゲストである境野さんは、結婚・出産の際に感じた違和感を発信しながら、社会の当たり前を問い直しています。境野さんのインタビューを通じて、当たり前だと思われていることを問い続け、自ら発信・行動に移していく生き方に触れてみましょう。

ないならば自分で作り上げる

ー簡単に自己紹介をお願いします。

キャリアコンサルタントをしている境野 今日子です。大学卒業後、NTT東日本に入社して法人営業をしていました。その後、転職をして帝人の採用担当を経験したのち、複数社のベンチャー企業でキャリア支援を行っていました。

昨年出産をし、夫の育休取得がきっかけで男性の育休を促進する活動をしたり、有志メンバーと一緒に従業員の声を経営者に届けるツールを作っています。

ーここから境野さんの人生をお伝えできればと思いますが、幼少期に経験したことや自身の性格など覚えていますか。

家に女の子らしいものがなく、戦隊モノがすごく好きでした。
わたし自身は女の子らしい趣味には惹かれず、ボーイッシュな趣味の方が多いかもしれません。

ーちなみに、野球もお好きだということですが、スポーツはされていたのでしょうか。

ダンスや演劇、ミュージカルなど舞台に立つことが好きで、9歳から始めたダンスは今も続けています。

ー小学校の時のエピソードとして、他に印象的に残っているものはありますか。

運動会の学年ダンスの振り付けを担当したことが印象に残っています。
連日昼休みの時間を使って、運動会の準備やダンスの振り付けを考えていましたが、昼休みの時間がなくなることに対して嫌な感情が全くなくて。遊びたいという気持ちより、運動会をどう作るのか考えるほうが楽しかったんです。

自分がダンスをしている時間は一瞬ですが、振り付けや台本を時間をかけながら作り上げる運動会のダンスはとても楽しく、踊ってくれたみんなの喜びと無事に終わった達成感が今でも忘れられません。

ーそのダンスがきっかけで、中学1年生のときにターニングポイントを向かえたそうですね。

中学でダンス部を作るための活動をしていました。
私が発起人となって始め、自分で地道に一緒に活動してくれる仲間を募集していました。その結果、1~3年生の多くの人が集まり、活動がスタートしました。

ー自身でダンス部を立ち上げようと思った理由を教えてください。

学校の催し物があまり面白くないと思ったからです(笑)
当時、チアリーディングやダンスなどの舞台系の催しが学校になく、舞台系の活動や催しがあれば、もっと面白いことができるのではないかと考えていました。

ー舞台系の部活が新しく立ち上がることは、学校としても良いことかと思うのですが、先生からの反応はいかがでしたか。

先生から練習場所、顧問、活動の安全性などいろいろな問題が浮上しました。
1つ課題を解決したと思ったら、次から次に先生からの課題があがって。

部活動ができなさそうだとなったとき、集まったメンバーのモチベーションが高まるためにどうすれば良いか悩んだ時期もありました。その中で、わたしたちが所属している間に限り、学校公認でダンス大会に出ることを認めてもらっていたこともあり、中学校の看板を背負ってダンス大会に出ることを決めました。

ー今振り返ると、なぜそこまで熱意を持って活動ができたのでしょうか。

小学校の時に1から何かをやってみるという成功体験を得ていたのは、大きかったと思います。部活でなくてもステージに上がって演技を披露する体験は、一生の思い出になっていますし、将来的にやってよかったと思える自信があったおかげで突っ走ることができたと感じています。

思ったことを行動に移した原体験

ー中学二年生の時にも、印象に残っている出来事があるそうですね。

担任が暴力的な先生で、わたし自身は被害にあっていませんでしたが、被害を受けていた友人たちがかわいそうだと思い、その先生に指摘しようと考えました。

ある日の休み時間、「先生に声をあげよう」という話になり、先生が来たタイミングで全員起立して指摘しようと話していました。ただ、実際に先生が入ってきたときに他の生徒が起立しなくて。わたし含めた3人しか起立しなかったので、その瞬間は焦りましたね。

ー実際に先生に指摘したところ、その声が届いたそうですね。

1時間くらい話したのですが、他の生徒はその様子を聞いていました。
先生に対し、暴力はいけないことだと話したところ、他の生徒からは「先生がかわいそう」「授業を妨害してはいけない」など掌を返したような反応を示され、動揺しました。しかし、思っていたことを先生に話していくうちに、先生は突然わたしに手を差し出すと、「よく言ってくれた、自分で気付けなかった」と先生に言われ、握手をしました。

その出来事で、思い切って声をあげれば良いこともあるなと気付きましたし、先生の暴力行為も減り、先生との信頼関係を構築することができました。

ー先生への行動で同じクラスメイトからの反発もありながら、先生や他の生徒からの応援を感じていたそうですが、アンチの人がいながらも歩みを止めないのはなぜでしょうか。

自分がやっていることは正しいことだと思えるようになりましたし、学級委員長をやっていたときは、自分を支持していない人もまとめなければならず大変でしたが、先生が味方について応援してくれたことが大きかったと思います。

ダンスの活動も並行して行っていたので、そこで気持ちの切り替えができていたことも大きかったです。

鬱になったことで気付いた、周囲の存在の大切さ

ー月日は流れ、社会人のスタートを切るタイミングで再び転換点を迎えたそうですね。そのことについて、詳しく教えてください。

高校は行きたいところに行けて、大学もクラスメイトに助けられながら、楽しいキャンパスライフを送っていました。ただ、卒業間近に順風満帆な大学生活を送れていたのは、自分の努力があったからだと錯覚していました。就活で明確な軸はない中で大手企業を何社か受けておこうという気持ちで受験し、内定を得たこと=自分の努力で勝ち取ったものと過信しており、恵まれた環境や友人などの他の要因に気づけていませんでした。

社会人になって、セクシャルハラスメント(以下、セクハラ)の被害を受けたときはどうにかなるだろうと思っていましたが、次第に追い詰められてしまい、職場で明るく振る舞っていても、家に帰ると泣いてしまう。そんなことが増え、最終的には鬱になり休職することになりました。

その状況で初めて、自分が学業や部活・就活を問題なくできていたのが自分の力だけではない、経済的な支援を含めた様々な要因が関係していたのだと実感しました。この出来事で自分の人生観が大きく変わりました。

ー今までがありがたい環境だったと気づいたのですね。今の境野さんだったら、当時の会社にどんなアクションを起こしたと思いますか。

できることは、正直ないです。鬱になってしまうと、まず行動すること自体が難しくなるので、当時の自分がアクションを起こせたことは精一杯の頑張りだったと思います。

両親にSOSを出して、両親が会社へ連絡してくれたのですが、身近な人に話せたことは大きかったです。

ー「当事者の人だからこそ、その経験を活かす」という考えを持たれているそうですが、なぜその考えに至ったのでしょうか。

セクハラやパワーハラスメント(以下、パワハラ)に声をあげることって、世間にはリスクが高いこととして捉えられています。ただ、わたしが所属していた部署はセクハラやパワハラが続いていて、わたしが断ち切らないと同じような経験をする人が増えるだけだと思っていました。ただ、誰かが断ち切らなければと思っていながら、誰か出てこないかなと待っていました。

しかし、わたし自身が当事者になったことで、自分が断ち切らなければいけない。セクハラの大変さを伝えていく人がいないと、社会に理解してもらえない。そう思い、会社や社会の流れを変えるために自分が立ち上がりました。

ー自身の経験があったからこそ、自分以外の他の人が同じ被害を受けないために自分がやろうと動き出した。まさに、境野さんの原動力につながっているのですね。

この一件で、いろんな人に支えてもらって自分がいるということを体感したので、支える人・還元できる人になりたいと今でも思っています。

ー誰かに還元していく生き方を通じて、何か得られた部分もあるのでしょうか。

セクハラの体験をお話しする機会をいただいたり、記事にしたりと仕事に活かされています。あとは、ハラスメントを受けた人を取材する際、自分自身が当事者であることにより、取材相手が心を開いてくれることもありますね。

また、このように話すことで、友人が被害にあったことを話してくれたり、
記事などを見て声をかけてくれた人がいて、つながりが生まれていく流れが好きです。

夫の育児休暇取得を機に、ジェンダーバイアスと向き合う

ーその後、ご結婚されたとお聞きしました。そのエピソードについて詳しく教えてください。

ベイスターズファン歴18年で、休みやお金を野球に注いでいる無類の野球好きのわたしなので、結婚するならベイスターズファンでなければダメだと思っていました。

東京ドームのベイスターズ応援エリアにいた時に、隣の席に座っていた方がとても雰囲気の良い方で一目惚れし、その方と交際・結婚をしました。

ー劇的な出会いから結婚、そして出産を経験される中で、旦那さんの育児休暇の取得が難しかったそうですね。

昨年に出産したものの、コロナ禍で子育てを実家に頼れなかったため、夫が育休を取得することになりました。私が育休の知識があったので、夫は育休が取れると判断して申請をしました。
しかし、会社側から取得できないと言われ、会社側と意見対立となりました。

夫の上司にはお子さんがいるのですが、奥様1人で子育てをしていたこともあり、「なぜ1人で子育て出来ないのか」と言われ、男性の育休に対しての理解が得られませんでした。
そこで、様々な団体に相談をした結果、最終的には育休を取得できたものの、男性の育休取得の大変さをどうにしかしなければいけない、男性が育休を取得できないところにバイアスがかかっていると感じました。

ー境野さん自身、結婚式の際に「女性はサポート役」と言われたことにも違和感を感じたそうですね。

一昨年の結婚式の際に、いろんな方に「旦那さんのサポート頑張ってね」と言われたのですが、夫婦共働きの状況でわたしは夫のサポート役なのかと違和感を覚えました。その出来事が過去に受けたストーカーやセクハラとつながり、わたし個人の問題ではなく社会にあるバイアスが原因なのだと気づきました。

ー「バイアスがかかっていることに声をあげないといけない」と思ったのは、過去の出来事から蓄積された結果だったのでしょうか。

セクハラの時は声を上げていたものの、ストーカーのことはあまり話していませんでした。
ただ、結婚式の出来事があり、セクハラ・ストーカー・結婚について、わたしと同じように被害を受けている人がいるのだと視野が広がった気がします。

ー人は潜在的に思っていたり感じていたことでも、気付かない部分があると思います。どうすれば、違和感を感じるようになるのでしょうか。

男女を逆に考えたら、分かりやすいのかなと。
結婚式で夫はわたしと同じように「サポート役」という言葉を受けたのかなとか、政治で男性が大半の様子が女性が大半を占めたらどう感じるのかをイメージすると、違和感を感じやすくなると思います。

ー日々暮らしている中で感じる違和感を、問い直していきたいのですね。

夫の育休取得がきっかけで気づいたのですが、わたしと同様にジェンダーバイアスについて変えていきたいと思っている方が多くいる。思いはありながらも何をしたらよいのだろうかと考えている人のために、わたしはヒントを与えられたらと考えています。

例えば、男性の育休を応援したいけど何もできないでいる人のために、具体的なアクションを提案できるムービーを有志で制作しているように、同様の行動を増やしていきたいです。

ー境野さん自身、今後どんな世界を作っていきたいと考えていますか。

法律で決まっている権利を、皆が享受できる社会にしていきたい。社内ルールや福利厚生の中で、規則として定まっていながら形骸化しているものがあると思います。男性の育休もその1つで、取得したい人が多くいるのに現実としては7.48%の取得率の低さ。制度はありながらも取得できていない現状を打破していきたいです。

ー「譲れない部分を大事にする生き方」で良かったと感じる部分はありますか。

現在の動画を作成する活動も、全国から協力者が集まってくださっています。声をあげることでバッシングを受けていると周りから見えるかもしれませんが、応援者も多く集まっているので、その方々を大事にしたい。改めて、声をあげてよかったなと思っています。

また、元々ある空気を打破することはとても難しいことですが、困っている人が訴えたい・伝えたい相手に声をあげる前に、話を聞いてあげることが出来たらと考えています。また、現在作成している従業員の声を経営者に届けるツールも、働く人が不利益を被らずに声をあげる手助けになればと思って開発しています。

ー最後に、U29世代に伝えたいことを教えてください。

20代は社会に出たばかりで、ハラスメントを受けることもあるかもしれません。何か変だなと感じた時は、すぐに誰かに言ったり調べてみることが第一歩になります。

あとは、やりたいことが見つからずにモヤモヤしている方へ。
わたしは長期的にやりたいことがなくここまで来たのですが、やりたいことがなくても良いのではないかと思います。
わたしが野球や仕事以外のところにやりがい・生きがいを感じるように、やりがいを仕事ではない部分に求めてもいい。なので、やりたいことが見つからなくても焦らずにキャリアを形成してほしいです。

ー素敵なお話をいただき、ありがとうございました!これからの境野さんのご活躍を応援しています!

取材者:吉永 里美(Twitter/note
執筆者:大庭 周(Facebook/note/Twitter
デザイナー:五十嵐 有沙 (Twitter