様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第190回目のゲストは、地下智隆(じげともたか)さんです。
現在は、鹿児島県沖永良部島知名町に移住し、地域おこし協力隊として活動する地下さん。『トビタテ!留学JAPAN日本代表プログラム』に最終面接で落選したり、フィンランドでワーキングビザが下りない不安な毎日を過ごしたりしたことも。教育現場で働き、現場の最善策を常に考えながら、教育の理想を問い続ける地下さんの、自分を見失わない生き方に迫りました。
過去最悪で点数が低いセンター試験
ー自己紹介をお願いします。
地下智隆です。2020年4月から2023年3月まで、地域おこし協力隊として沖永良部島の知名町に在住し、現在は上城小学校を拠点に活動しています。最近では、親子で住める留学施設『アトリエシェアハウス』を準備。また、フィンランドの教育現場で視察・実践ができるプログラムであるGTP(Global Teacher Program in Finland)の立ち上げと運営をしています。
ー留学制度『アトリエシェアハウス』とはなんでしょうか。
改修した地域の空き家に、親子を受け入れる『シェアハウス』です。同じく沖永良部島の知名町の地域おこし協力隊である、きみちゃんこと、釜優貴美さんと共同で立ち上げました。
CAMPFIREを使い、2020年8月31日に113万円のクラウドファンディングを達成しました。知らない人と生活を共に送るだけではなく、多様な交流を生み出す教育コミュニティの拠点を目指しています。シェアハウスの一部を『ものづくりやクリエイティブな活動ができる場』として地域に開放し、『アトリエ』としての機能を持ち合わせているんです。2021年春にオープンを予定しています。
ー現在も鹿児島県の沖永良部島を拠点に活動されていますが、大学も鹿児島県だったのでしょうか。
そうですね。鹿児島県立鹿児島中央高等学校から鹿児島大学教育学部数学科に進学しました。しかし、第一志望では無かったんですよ。
2013年1月19日と20日はセンター試験。試験当日までは、1日10時間の勉強をして臨んだんです。試験会場の鹿児島大学で解答用紙のマーキングが終了すると、「過去最高の点数が出るんじゃないか」とにやにやしていました。しかし後日、自己採点で結果を確認すると愕然。過去最悪で低い点数だったんです。志望大学には1つも受かりませんでした。
ー不本意ながらも入学を決断。大学では何をされていらしゃったのでしょうか。
『NPO法人 心音』が沖永良部島で短期間の講師を募集していたのを見つけて、大学2年生の冬休みに参加してみました。『子ども学習塾』という名前で、子どもの居場所づくりをしていたんです。そこで、教育の価値観を大きく変える出来事に出会いました。
お昼の時間になり、ほとんどの子どもたちはお昼ご飯を食べに家に帰ります。しかし、ある子どもは家に帰ろうとせず、近くの商店に入りました。その子どもが買ったのは、たった1このおにぎり。それしか買えなかったみたいで。「お腹空かない?」と聞くと、「テーブルの上に100円しかなかったから」と寂しげな表情で答えました。そこで、「家庭環境に、教育者としてどう向き合っていくか」という問いが生まれましたね。
塾は、志望校合格が目的なのか?
ー教育現場で解決できない問題に直面したんですね。
本土に戻り、小学校のクラスの人数を数えると、40人。同じ学年でも、子どもの学習理解度にばらつきがあることに気づきました。しかし学校教育は、一辺倒の方法なんです。勉強が苦手な子どもは、授業の内容に追いついていけない。「一人ひとりの興味関心や理解度に合わせたら、勉強が楽しくなるのではないか?」と考え、学校以外の学びの場に入ることを決意。塾講師として、アルバイトをはじめました。
塾の同じクラスでも、子どもの学習習熟度はさまざま。自分で乗り越える方法がわからないところで、立ち止まる子どももいました。僕は、そんな子どもたちを助けたい。勉強が苦手な子どもと一緒に問題を考える時間を増やしました。するとある日、塾長から「塾は、偏差値が高い志望校を目指す子どもが通うためにあるから」と冷たい一言を受けました。悔しい。納得できませんでした。結局、塾を1ヶ月で辞職しましたね。
ー塾の理想と地下さんの理想が異なっていたんですね。
塾は、志望校に合格するための場所。勉強が苦手な子は、学校でも塾でも勉強を好きになれない。「じゃあどこで勉強すればいいんだ…」と悩みました。両親の収入が高い子どもは、子どもの興味関心に合わせて、塾や家庭教師や通信教育や習いごとを選択できる。しかし、両親の収入が低い子どもは、学びの場が学校教育しかないんです。
悩みが解決できないまま、時間だけは過ぎ去りました。大学3年生の僕は、鹿児島大学附属小学校で、1ヶ月の教育実習を経験。40人の子どもと向き合って、「やりがいと同時に、肉体的にも精神的にも大変だなあ…」と感じたんですよね。子どもを教育する責任は親や先生にある、と考えていましたが、1人の子どもを育てることはそんな少人数では難しいんじゃないか。大学に戻り、ある講義を聞いていると、『公教育で一人一人に合わせた教育が受けられる環境を実現している国がある。』と耳にしたんです。それが、フィンランドでした。
「留学やめようかな」「海外行ってこいよ」
ー大学の講義で見つけたヒントから、フィンランドの教育に興味を持ったのですね。
「フィンランドに理想の教育がある」。そう確信し、2年目の大学3年生を経験。『トビタテ!留学JAPAN日本代表プログラム』の第4期派遣に向けて留学計画書を作成しました。そして、2017年1月14日に迎えた運命の最終面接。しかし、落ちてしまったんです。
「こんなに頑張って、準備したのに」と沈んだ気持ちのまま訪れた地元の温泉。頭は落選した事実でいっぱいでした。熱い湯船に漬かり、ひんやりとした風を頭で受けながら、友人に向かって、ぼそっとつぶやきました。「留学やめて、もう、先生になろうかな」。隣で聞いた友人は、「いやいやいや」と間髪入れずに話しはじめたんです。「お前はお前で、違うプロセスで海外を経験してきたらいいよ。日本に帰ってきたら、お前、絶対変わってるから」。ハッとしました。そこで、「よし、やろう!」と気合いが入ったんです。
ー友人の一言が転換点だったんですね。留学を、どのように実現させていくのでしょうか。
鹿児島大学における、鹿大「進取の精神」支援基金学生海外派遣事業(長期派遣留学)を活用し、留学資金をなんとか確保。そして、大学4年生で海外の舞台に挑戦したんです。
教育の資源が乏しい環境にも関わらず、語学を通じて「教育へのフリーなアクセス」をビジョンに掲げるカンボジアの学校を、計画に追加。2017年4月1日から2017年7月13日までを『NGO Cycle Beyond the Borders(CBB)』に所属し、カンボジアでインターン。2017年9月1日から2018年3月1日までを、 『Kauppis-Heikin koulun』に所属し、フィンランドでインターンを経験しました。
留学を終えた後も、実は『トビタテ!留学JAPAN日本代表プログラム』に対してはもやもやしてて。「見返したい」「悔しい」「トビタテ生にあって、自分にないものはなんだろう」と、考えていたんです。
トビタテ生でフィンランドに留学した友人が、教育団体『Beyond school』をはじめると聞き、「一緒に働けば、『トビタテ生にあるもの』がわかるかもしれない」と思ったので、二つ返事で参加を伝えましたね。『Beyond school』で「フィンランドのスタディーキャンプ」事業の立ち上げを行い、これが今運営する 『Global Teacher Program in Finland』の立ち上げに繋がったんです。これまでに、100名以上の学生とフィンランドで教育の理解を深めました。
ーGTP(Global Teacher Program in Finland)とはなんでしょうか。
GTP(Global Teacher Program)は、フィンランド・フィリピン・アメリカの3拠点で運営しています。各地域の教育の特徴を活かしたプログラムです。Global Teacher Program in Finlandは、現在までに4回を開催しており、僕と平岡慎也さんで運営をしています。プログラム内容は、日本の現役学生や社会人がフィンランドに約1週間滞在し、現地の教育現場を訪れ、現地の先生や子どもとのふれあいを通して、教育のあり方を追究します。
「フリースクールに通う元気があるなら、学校に行こうよ」
ーフィンランドに日本人を招待して、日本の教育現場を変えていこうとされたんですね。
2018年8月31日に鹿児島大学を卒業し、2019年4月1日から、沖永良部島のNPO法人で活動をする地元の方と一緒に、放課後等デイサービスの学習指導員をしながら、子どもの居場所づくりを目的として、フリースクールを立ち上げました。
地域や学校と何度も何度も話し合いを重ね、フリースクールの仕組みを整えたんです。学校に通えない子どもの居場所を目指して。
しかし、保護者や学校の先生は「フリースクールに通う元気があるなら、学校に行こうよ」と考えている様子でした。周囲の心情を察知したのか、ある日から、ある子どもがフリースクールに来なくなりました。子どもは敏感なので、大人が考えていることもわかってしまったんだと思います。その経験から、フリースクールの意義を保護者や学校に、丁寧に伝えていくことが必要だと感じましたね。
ーフリースクールの現状を、どこから変えていこうと思われたのでしょうか。
「学校や学校以外の場所で、子どもを支える仕組みとは何か?」と悩み、思い出すのは、学生時代に渡航したフィンランドの教育現場でした。そして、「もう一度、フィンランドに渡航しよう」と決断。2019年9月1日から2020年2月21日まで、『Vieremä high school』で日本語教師として働きました。
しかし、教育分野とは異なる問題での困難が待ち受けていたんです。
2019年11月10日、フィンランドの移民局からワーキングビザの通知が僕のメールボックスに入っていました。「なんだろう?」と開けてみると、「フィンランド入国管理局は、申請者に居住許可を付与していません」との文字が。急いで原因を調査すると、校長先生が提出した書類に不備があったのを発見したんです。行政裁判所に上訴したり、イギリスに避難したりして、なんとかフィンランドに滞在できる時間を絞り出しました。
行政裁判所は、僕の控訴に対して、9か月の審査が必要と判断。裁判を待つ期間は、フィンランドに滞在できる許可が出ました。しかし、給与が出ないので、預金が日に日に減っていきます。
強制帰国、預金ゼロ…さまざまな不安が脳裏をかすめた滞在期間。それでも、一日一日を大切に、一人ひとりの子どもに向き合いました。
『0から100』ではなく、『0から1』を。
ーギリギリの戦いだったんですね…。理想の教育環境に手が届かずとも学ぶことへの執念を失わず、一方で、フリースクールに対する関係者の反発を押し切らない柔軟さを併せ持つ地下さん。自分の価値観を貫きつつ、理想を追い求めるコツはなんでしょうか。
自分のミッションに近い組織や地域に入っても、どうしても教育観や考え方のすれ違いが起こる。でも、貫くことで現状が見えてくると思うんです。自分が正しいと思う方法を、まずは実践すると、周囲のニーズや課題が分かる。そして、組織や地域に関わる一人ひとりのニーズをかけ合わせる。何かを変えるとき、『0から100』を生み出すのは大変。なので、『0から1』を見つけるんです。
ー塾長と教育観がすれ違った塾講師時代。当時、自分のミッションを貫くことができたのはなぜでしょうか。
実践を行う地点と、理論を学ぶ地点、さらに同じ価値観を持つ人がいる地点に自分の身を置いていたからだと思います。自分の教育観を持って実践の場に入ると、価値観の完全な実現は難しいんです。組織に所属するので。だけど、そこで諦めるのではなく、自分が目指す『一人ひとりに合わせた、教育を受けられる社会』のあり方を、同時並行で考えるんです。そのために、フィンランドに渡航したり、大学で勉強したりしていたんだと思います。さらに、同じ価値観を持つ人との対話を通じて、あともう一踏ん張りできる気がします。
ー教育分野において、地下さんが実現したい未来はなんでしょうか。
塾講師、短期間講師、カンボジア、フィンランド、フリースクール、アトリエシェアハウス…。さまざまな教育現場を通じて感じたことがあります。それは、教育をよくしたいと願う個人や組織、社会が、それぞれのタイミングで動いてる。なので、さまざまな領域で教育に関わる人たちが持つ想いを持ち続けられるような環境づくりをしていきたいと考えています。楽しく、その人らしく教育に関われる方法を一人ひとりが見つけられる方法を模索したいんです。
僕個人は、「今の関わり方で、本当にいいのか?」という問いを常に持ち、教育現場に身を置いて、対話をしながら周囲と一緒に作っていきたいですね。
取材者:西村創一朗(Twitter)
執筆者:津島菜摘(note/Twitter)
編集者:杉山大樹(note/Facebook)
デザイナー:五十嵐有沙(Twitter)