様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第150回は2020ミス神奈川の須田詩さんです。現在は株式会社CRAZYでブライダルに関わるお仕事をしながら、フリーランスでメディアに携わったり、9月29日に行われたミス・ジャパンのファイナル大会では4位の成績を納めるなど、マルチに活躍される須田さん。
そんな須田さんは中学校・高校と通わずにホームスクーリングをされていたということです。ホームスクーリングとは何なのか?マルチに活躍される須田さんが大切にしている思いなど、詳しくお話を伺いました!
本業はなく、色々なことをマルチに取り組む
ー自己紹介をお願いします。
須田詩です。現在26歳で、ブライダルに関わるお仕事をしながら、フリーで美容メディアに携わっており、2020ミス神奈川としても活動しています。
ーミス・ジャパンにはご自身で応募されたのですか?
そうです。はじめはすごく強い思いがあるというよりは、やってみようかなという気持ちで応募したのですが、選考を通過していく中でどんどん思いが強まっていきました。新型コロナウイルスの影響がある中での開催だったので、オンラインでの審査やYoutubeの再生回数を競い合うような内容があるなど、前例がない中での挑戦でした。
ー本業のブライダルのお仕事はどのようなことをされてますか?
本業という言葉がしっくりくるお仕事をしているということではなく、色々なことをマルチにやっている感覚ですね。ブライダルのお仕事については、株式会社CRAZYという会社でお客様対応を行う営業部で働いています。新卒で入社した会社から転職してきて、約1年間営業部で働いていたのですが、コロナ禍に入ったタイミングから、職務内容は変えずに業務形態を切り替えて、フレキシブルな働き方に変えました。並行して、友人が運営している美容系のメディアに携わり、ミス・ジャパンも合わせて現在は三軸で活動しています。
ーマルチにお仕事されているということですが、1日の時間の使い方はどのようになっていますか?
どのお仕事もフレキシブルなので、日によってかなり違います。ウエディングのお客様対応はお客様のお仕事が終わる、夕方から夜に入りやすいです。また、私自身1日の中でもやる気のムラがあるので、自分で組みながら調整して取り組んでいます。
学校に通わない、ホームスクーリングで海外への扉が開ける
ー12歳の頃からホームスクリーングをはじめられたということですが、ホームスクーリングについて詳しく教えてください。
言葉そのままで、学校に通わずに家庭で勉強をするというものです。何か決まった仕組みややり方があるわけではありません。日本ではまだやっている人は少ないですが、欧米ではメジャーな方法です。
ーホームスクーリングをはじめたきかっけは何だったのでしょうか?
小学校で1年間だけインターナショナルスクールに通ったのですが、そこではじめてホームスクーリングについて知りました。また、両親がとても自由な考えを持つ人たちなので「ホームスクーリングを家族全員ではじめてみよう」と言い出し、はじまりました。7人兄弟で9人家族なのですが、学校が好きで残りたい人は学校に行くなど、ホームスクーリングを強制されることはなく、両親は選択させてくれました。
ー実際にホームスクーリングをしてみていかがでしたか?
はじめにホームスクーリングを提案された時は学校に通わないことが想像できず、不安を感じました。しかし、幼い頃から語学や海外に興味があったので、ホームスクリーングでは自分の好きな英語を思う存分学べて、やる気がどんどん膨らんでいきました。我が家のホームスクーリングでは海外の教材を使って自分たちで進めるスタイルをとっていたので、日々英語漬けになれて、「海外に行きたい!」という自分の夢に最短ルートで近づけているような気がしていました。
ーホームスクーリングと学校に通うことは、どう違うと感じましたか?
決められた教科がほとんどないことによって、興味のあることややりたいことが明確になりやすいです。私自身も自分の好き!や興味に最短ルートで取り組めて、夢中になれる環境があるのはありがたかったなと思います。
ー須田さんのご家庭流のホームスクーリングのスタイルはありましたか?
両親は英語ができるわけではなかったので、自分たちで勉強の内容も理解しないといけませんし、自分たちでスケジュールも組まないといけませんでした。はじめから小学生でそれをやるのは難しいので、多少の枠組みやコマ割りは作られていて、その枠に自分でスケジュールを当てはめていくスタイルでした。
また、冊子の中の章末のテストがあるときは、母の見えるところで進めたり、家にブースのようなものがあり、発言したりトイレに行きたい時は小さな旗を壁に挿すなどのユニークだけど少し学校らしいスタイルも取り入れていました。
特にいつまでホームスクーリングをやるという、期間は決められていなくて、両親も私自身も手探りで進めていました。ただ、海外にいつか行きたいというのは決めていました。
ーホームスクーリングを通して気づいたことは何ですか?
個の時代に適したスタイルだなと思います。人それぞれに個性や特徴があって、それを伸ばしていくことができるという面ではホームスクーリングはとても良い方法です。日本の教育はどうしても横並びであることや平均を求められることがありますよね。それが良いところでもありますが、もう少しそれぞれの色を伸ばして輝かせられる教育が大切です。
また、行きたくないのに嫌々学校に行くとか、不登校として扱われてしまう状況ももっと寛容になっていくといいなと思っています。辛い思いをして行くくらいだったら他の方法もあるし、こうしなければならないという考え方から開放されて、多様性が受け入れられる社会になってほしいです。これは自身がホームスクーリングを受けた背景があるからこそ身をもって言えることです。私の経験談を広めて、新たな選択肢があることを知ってもらいたいなと思います。
ー海外に行きたいという思いはどのようなきっかけで芽生えたのでしょうか?
家庭がクリスチャン(キリスト教)なので、毎週教会に行くのですが、教会に行くと積極的に海外に出ている多くの若い方がいました。そんな人たちに囲まれて育ったので、海外に行くことが当たり前のように思っていました。
学び続けたいし、新しい世界を見続けたい
ーそんな海外に行くという夢は18歳の時に叶ったんですよね。
そうですね。ハワイ島のコナに3ヶ月間ボランティアで行くことになりました。周りにいたお兄さんお姉さんが海外の行く先としてよく選んでいる場所で、私自身が海も好きで、純粋にハワイに憧れもあったので選びました。
そこに大きな大学があるのですが、事前に各自のこれまでやってきたことや好きなことをアンケートとして回答して、適した場所に配属されます。私はキッチンに配属されて、大学のランチをつくったり、提供したりしていました。
初海外で3ヶ月間という長い期間を過ごすことになり、はじめの1,2週間はホームシックになりましたが、慣れてくると、毎日が楽しく感じました。午後3時にボランティアが終わると、仲間たちとヒッチハイクで出かけて、毎日違うビーチに遊びに行っていました。
英語はほとんど独学でスキルがないまま行ったので、はじめは言葉が出てこなかったり、耳が追いつきませんでした。しかし、ネイティブスピーカーばかりというわけではなく、アジアの方や北欧の方、ブラジルの方など世界中から若者が集まっていて、英語は第二言語という人も多くいました。
ーハワイでの経験で一番記憶に残っているものはありますか?
多様性と異文化に短期間で濃く触れて、ハワイでの経験が私自身の原体験として色濃く残りました。自分の世界が彼らとの関わりによって広がったと感じています。
ーその後19歳の時に、さらに転機となる出来事があったんですよね。
はい。ハワイで出会った中国からの友人から、帰国後突然電話がかかってきました。出てみると、彼の友人の二家族が日本一周旅行をしたいので、ガイドをしてくれないかという依頼でした。全く知らない家族でしたし、中国語も話せなかったので「何ができるのかな」と感じつつ、頼まれたら断れない性格なので(笑)引き受けました。
一周といっても北海道からスタートして、東京や箱根などを10日間で周るというものでした。いらっしゃった家族の娘さんは英語ができたので、通訳をお願いしながらガイドをしました。
正直なところ、かなりしんどかったです。準備の段階でも飛行機や旅館の手配、食事の時間などのスケジューリングをひとりでやりました。また、ツアーガイドとしての経験もない中で、色々な世代がいる大家族の長期の旅行は予想のつかない事態も多く、臨機応変さが求められるものでした。日本人の私でさえ行ったことのない場所を案内する状況だったので、頭がパニックになることもあり、体力的にも精神的にも大変でした。
結果的には10日間を一緒に過ごして、本当の家族のような関係を築くことができました。ご家族の方もすごく感謝してくださって、いつでも中国に来てねと言っていただきました。
ーその後、ホームスクーリングをしていた中で大学を目指すようになるということですが、どのような心境の変化があったのでしょうか?
ハワイですごく世界が広がり、落ち着いてしまった部分がありました。そんな中でガイドの経験が起爆剤となり、これまで触れたことのなかった中国という分野に興味が開けて、「やっぱり私は学び続けたいし、新しい世界を見続けたい」と感じました。
中国人の家族と良い関係を築き、身近に感じたので、彼らの言語で話したいと、大学で中国語を勉強したい、中国に行きたいと思うようになりました。
ハワイでの経験から言語を習得したり、文化を知ったりすることが大切だと身をもって感じていたので、留学に確実に行ける大学を探しました。また、すでに1年遅れていたので休学せずに海外留学に行けるところを探しました。
ただ、大学に全く行く気がなかったところから急に決めたので、すでに9月や10月でした。センター試験の申し込みは終わっていて、残されていたのは一般受験のみです。受験までの3ヶ月間は人生で一番勉強したと胸を張って言えます!
中学・高校と日本の教育を受けていないので、英語以外の国語や数学についてはほぼ基礎がない状態でした。さらに、ホームスクーリングではアメリカの教材を使っていたので、国語の古文と漢文については一切勉強をしたことがありませんでした。それを3ヶ月マスターするのは厳しいということで、国語は現代文を満点取りにいく作戦でいきました。
高校卒業認定試験は高校2年生のときに受けていて、日本の高校の勉強も少しはやっているのですが、認定試験に受かるための勉強しかしませんでした。勉強については、いつもその時必要なものをバッと習得してギリギリでパスするスタイルですね。(笑)
ーその後無事に合格されたということですが、大学生活はいかがでしたか?
はじめは、久しぶりのグループ行動のような生活に戸惑いました。もともと集団行動は向いていないのですが、違和感や生き辛さを大学1年次には感じました。
友達をつくったり話すのは好きで、社交的な方ですが、グループにカテゴライズされたりすることに違和感を感じていて、1年生の後半や2年生になる頃には複数のグループに属しているけど群れずに単独行動のようなスタイルを確立していたと思います。
ーその後、夢だった中国への留学は実現したのでしょうか?
2年生の半ばから3年生の半ばの1年間、北京大学に留学しました!念願の中国を生で体験できる貴重な期間でした。
日本では中国のネガティブなイメージがメディアで強調されていたり、流されています。実際に現実はどうなのか、行って体験できたのは大きかったです。当初は私自身も多少の不安は感じていたのですが、実際に生活してみるとそんなことはありませんでした。タクシーにクレジットカードなどがたんまり入ったものを忘れたことがあったのですが、わざわざ私の学校の証明書を見つけて、届けてくれる人もいました。
他にも、中国の方は列に並ばなかったり、規律を乱すと言われることがありますが、人口の多い中国では病院や公共の場でも、主張をしないと埋もれてしまいます。決して我が強くて身勝手にやっているというわけではなくて、社会の構図や様々な背景があってなされているものです。それが日本では断片的に誇張して切り取られてしまいますが、リアルを実際に自分で体験をしてくることで理解が深まりました。
自身の信念にビビッとくるもの対して行動することの積み重ね
ー就活期はどのように過ごされましたか?
あまり深く考えず、インターンなども全然していなかったので、就活はかなり苦戦しました。楽観的で高を括っていた部分もあり、「人とは違う生き方をしてきて、一応英語も中国も話せるので、どこかの企業は拾ってくれるのではないか」と考えていました。見事に受けるところすべて、最終まで進んでも落ちるという事態に陥りました。
ー当時ご自身のやりたいことなどは明確ではなかったんでしょうか?
自己分析などは得意な方かなと思っていたのですが、「バックグラウンドを活かして、グローバルなお仕事をしたいな」とふわっとした考えしかありませんでした。友達に言われてその気になって放送局のアナウンサーの枠を受けてみたり、外資や金融など、さまざまな業界を受けていたと思います。その中で少しずつみえてきて、人材業界で働きたいと考えるようになりました。人の生き方とかあり方など、その人がその人らしく人生の選択できるような本質性に惹かれました。
最終的にはパーソルキャリア株式会社から内定をいただいて、入社しました。営業に配属されたのですが、がむしゃらに営業をしたり数字を追ったりすることに違和感を感じ、はじめの数ヶ月は苦しみました。初受注も同期の中でも遅い方でした。
しかし、数字とお客様のためになっているという部分がリンクするようになってからは順調に進みはじめて、1年目の終わりには全国の法人営業の新人の中で、年間達成率1位をいただけました。
ーその後転職を決めたのはなぜだったのでしょうか?
お仕事もお客様も好きだったのですが、たまたま株式会社CRAZYと出会いました。SNSでCRAZYの当時人事を務めていた吉田勇佑さんが採用に関する記事をあげていました。私自身も採用や人材に関わっていたので、興味を持って読んでみたところ「なんて本質的な採用をしている会社なんだろう」と感じました。
CRAZYのオフィスで軽い会社説明会が行われるということで、転職のためではなく、純粋に採用や会社に興味があって勉強のつもりで行きました。その説明会で雷に打たれるような衝撃を受け、「ここに遅かれ早かれ行くことになるだろう」という未来がみえてしまって、その場で転職しようと決めました。
ーCRAZYのどのようなところに惹かれたのでしょうか?
正直、ブライダルには興味がなかったのですが、CRAZYが大事にしていることや何のためにビジネスをしているのかという考え方が私の生き方とマッチしていると感じて、惹かれていきました。
ビジネスと人の感情や愛は両極端な位置にあって、両立していくことは難しいと感じていたのですが、妥協をせずにとことん向き合い、チャレンジしていくCRAZYに憧れました。
また、母が自然食やオーガニックなどにアンテナを張っている人だったので、幼い頃から身体や地球に優しいライフスタイルの中で育ちました。CRAZYもそういったことを大切にしていて、社員に健康的な食事を提供したり、睡眠報酬のようなものがあるなど、本質的な取り組みが外向きにだけでなく、社内にも行き届いているなと色々な角度から感じました。
ー最後に、須田さんが大切にしている生き方や考え方について教えていただけますか?
自由と責任です。自由については、むしろ自由にしか生きられないくらい、自由を積み重ねてきたので、努力をしなくても自由を今後も選んでいくんだろうなと思っています。
一方で責任は自由を選ぶ以上はセットになる大切な部分ですが、課題が多くあります。自己管理や業務管理など、ホームスクーリングで土台は鍛えられているなと感じますが、ひとつの会社に所属している会社員とは異なります。常に自分の現在地の把握や自分が何を価値として提供できているかを自分に問い続け、責任を持ってお仕事を進められるよう、自分が自分の状況を把握するようにしています。
「これを成し遂げたい」とか「これになりたい!」という明確なものはなくて、その時々の人や環境との出会いの中で、自身の信念にビビッとくるもの対して行動することの積み重ねを大事にしています。
ただ、何をしていても、どこにいても伝えていきたい思いは「人はありのままで素晴らしくて、その人らしく生きていける人を一人でも多く増やしていきたい」ということです。
ー須田さん自身がありのままの生き方や言葉を紡いでいらっしゃることが印象的でした。本日はありがとうございました!今後も応援しております!
取材者:あおきくみこ(note/Twitter)
執筆者:大野雛子(Twitter)
デザイナー:五十嵐有沙 (Twitter)