「明日を楽しみに夜眠る人を増やす」 同世代に寄り添うN高生社長・三橋龍起の志

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。今回のゲストはN高等学校3年生の三橋龍起さんです。

「世界中の人々が、夜寝る前に明日も楽しみだな、と思える社会を創る」という志・ビジョンを掲げる三橋さんは、中高生向けのキャリア教育事業を展開する団体「Unpacked(アンパックド)」を運営されています。参加者である同世代と同じ目線に立ち、ご自身の言葉で語りかける、三橋さん得意の即興的プレゼンテーションを活かした対話が繰り広げられます。

「三橋さんと話したい!」と学生から支持を受けるほど、彼の言葉は同世代の人々の心に響いています。その言葉たちの裏には、15歳の時に最愛のお父様を突然失くすという出来事、「変わりたい」ともがき苦しんだ過去がありました。

情熱が溢れ、「今日より明日を楽しくできるように」というメッセージが伝わる彼の話とともに、揺るぎない信念が形成された経緯に迫ります。

湘南の高校生、1年で大変貌を遂げる

ーご自身と、現在取り組まれている活動の紹介をお願いします。

三橋龍起(みつはし たつき)です。学校法人角川ドワンゴ学園 N高等学校(通称:N高)3年生です。N高は、出版事業などを行うKADOKAWAとインターネットの総合エンターテイメント企業、株式会社ドワンゴによって創られたインターネットと通信制高校を活用した新しいスタイルの高校です。

N高の特徴の1つは、各自の興味や志に合わせ、柔軟に学習カリキュラムを組み合わせられる環境です。また、生徒によっては一般的な高等学校で卒業までにかかる時間よりも短期間で高校卒業資格(高卒)を取得でき、空き時間を各々が専念したい活動に充てることができます。プログラマーやパティシエになるための授業など、生徒の視野や選択肢を広げるとてもユニークなコースも用意されています。

僕は、部活動では日本や世界を支える人材の育成を目指して設立された起業部に所属しています。この夏、起業部の特別メンターであるベンチャー企業の最高執行責任者らによる入部審査を通過することが出来ました。7月から本格始動し、秋に行われる学内審査会、その先の特別審査会に向けて事業計画に磨きをかけている真っ只中です。

僕の学校生活をお話しすると、東京・代々木のキャンパスに週3日通い、残りの時間で中高生向けのアイデアソンや経営者との座談会などの中規模イベント、日本最大級の中高生向けキャリア教育サミットを行う「Unpacked」の事業運営に励んでいます。その他に、経営者・教育者と対話をしたり、地方創生やSNS運用にも取り組んでいます。

Unpackedのメンバーは現役高校生で構成されていて、僕たちが目指すのは、高校生自らの手で中高生に価値を提供することです。11月に株式会社Unpackedとして登記し、僕は代表取締役社長に就任する予定です。

「Unpacked」としての活動は、個人的に掲げるビジョン・志「世界中の人々が、夜寝る前に明日も楽しみだな、と思える社会をつくること」を実現するための第一歩です。

ーとても活動的ですね。「Unpacked」の活動について詳しく教えてください。

「Unpacked」のMISSIONは「Find U for GO CRAZY-」です。何かしたくても何から始めれば良いかわからない、あるいは、なんとなく何らかの活動をしている同世代を対象に、未知なる発見や学びを様々な形で提供します。

それらを通して、自己と改めて向き合い、新たな自分をUnpacked(発見)できます。日本の未来を担う僕たちの世代が、目的意識を持って共に考え、行動し、問題を解決するために、講座をはじめとする多様な機会を提供していきます。

活動の背景には、僕たちなりのこの世界の将来に対する危機感がありました。日本社会は、20年間にわたってGDPの上昇がみられない、先進国のなかでも自殺率が抜きん出て高く、若者の自己肯定感・幸福度は最低クラス…など、向き合うべき課題が多数あります。

2019年11月に公益社団法人日本財団が日本を含む世界各国の18歳を対象に実施した「第20回 -社会や国に対する意識調査-」によると、自分の国の将来について「良くなる」という回答が過半数を占めたのは中国、インド、ベトナム、インドネシアでした。中国では、若者の96.2%が国の将来に希望を持っています。

日本では、「良くなる」と答えた若者がわずか9.6%でした。この結果を見て思い出したのは、SNS上で目にした「死にたい」「しんどい」などといった、行き場のない気持ちを抱えた同世代の投稿です。

僕自身も絶望感で心が埋め尽くされた時期があり、それを乗り越えて今の自分があります。

父を失くしてから、「ありがとう」さえ言えなかった後悔と無力感から、毎晩寝る前に「死にたい」と思っている自分がいました。同じような状況の人が前を向けるようにしたくて、個人的なビジョンが育まれ、活動の下支えとなっています。

幸せを感じる、歩んできた人生を好きになるには、その人自身が何を望んでいるかを知った上で、自らの意志で選択していく必要があると思います。周りに流されてなんとなく選んでいては、なかなか明日にワクワクすることはできません。少なくとも僕は周りに流されて何かすることは好きではなかったです。

ー最近の活動について教えてください。

2020年6月14日に「U18CareerSummit」を開催しました。「#なんとなくから卒業だ」をコンセプトに、Z世代である高校生が、同世代と志を掘り下げるための考え方、形にする機会、一緒に活動する仲間を得られる環境を共有します。それらを通して「活動に対する目的意識」と「継続力」を身に着け、社会に価値を出せる人材を輩出する国内最大級のキャリアサミットです。

具体的な内容として、ロールモデルとなる「すごい人」らのトークセッションや集まった学生同士のつながりを作れる場を創出しています。新型コロナウイルスの影響でオンライン配信となりましたが、約300人の高校生が参加するなど、大変な盛況となり嬉しかったです。

同年7月には「#世界で戦う準備はいいか。」をコンセプトにしたオンライン・オフライン併用型イベントを開催し、創立2年目となる情報経営イノベーション専門職大学を会場としてお借りしました。加えて、登壇者としてあの有名な中国のアリババの元日本支社代表であるグローバルパートナーズ株式会社の代表山本 康二さんにご登壇していただきました。

少しずつ、多方面の方々からご支援いただき、全国の中高生に向けてメッセージを発信する機会を作ることができています。

ー17歳で明確なビジョンを持つだけでなく、既に形にしつつある高校生は珍しいですよね。

こう見えて、実は1年ほど前までは、地元の湘南でバスケットボールをし、放課後に友達とタピオカを飲んでいるような、いわゆる「量産型高校生」でした。

たった1年でどうして自分がこんなに変わることができたのか。「今の自分を変えたい」という執着心があったからだと思っています。

あとは、N高という、生徒一人一人の考えを尊重してくれる特別な環境に身を置いているから、とも思います。自分がしたいことに時間を使うことができて、一人一人の「違い」を認め合える環境、関心分野は違えど切磋琢磨しているクラスメイトの存在、N高という環境なしには今の自分はいません。

誰よりも尊敬する父の死が原動力

ー小学校の頃のご自身について教えてください。

周りの子に比べて精神的に幼く、いつも先生やクラスメイトに迷惑をかけていました。それが原因で、いじめも受けていました。

そんな自分を心配した親が学習塾に通うことを勧めてくれて、人生最初の大きな転機を迎えました。塾に通って数ヶ月で成績が上がり、自分の振る舞いもかなり落ち着くようになったんです。小学校では、勉強やスポーツが得意な子がクラスで一目置かれることが多いですよね。僕自身も「優等生」に生まれ変わったかのように、クラスメイトや先生から信頼を取り戻していったんです。

今振り返ると、この経験は自分に「やれば出来る」という自信をくれた、一つの成功体験ではないかと思います。

ー中学校時代の三橋さんはどんな学生でしたか。

順調な学校生活を送ることができた小学校の後半からの波に乗り、順風満帆な日々を送っていました。父親を亡くすまでは、です。今でもこの頃の何気ない日常の風景を思い出しますよ。

小学校を卒業して、そのまま地元の公立中学校に進学したんです。バスケットボール部のキャプテン、学級委員長などを経験し、みんなの先頭に立つタイプでした。

僕は昔から人に興味があって、人と話すのが大好きです。先生はもちろん、活発な子も大人しい子も、クラスメイトの誰とでも分け隔てなく仲良くしていました。

その頃は、自分は中学校を卒業したら地元の進学校へ進み、そして「良い大学」を経て「良い会社」に勤めるのだろうと、レールに乗って進んでいく人生を漠然とイメージしていました。

ーお父様を亡くされたのはいつ頃ですか。

中学校3年生の11月、高校進学に影響を与える期末テストに向けて勉強していた時でした。夜、父が2階から降りてきて「頭が痛い」と急に倒れ、救急車で運ばれたんです。次の日、母が「父が手術を受けるけど、90%以上の確率で成功するみたい。安心して学校に行っておいで」と言うので、僕はいつも通り登校しました。期末テストの2日目が終わった時、母から電話で呼び出され妹と病院へ向かうと、父は重症でその日に亡くなって…。

「父の容体は、大丈夫だから心配ない」と医師に言われていたけれど、人の命に「絶対大丈夫」という保証はないのだと、その時に教訓めいたものを得ました。

ー中学生が一人で抱えきれないくらいの悲しみだったと思います。

そうですね。僕が帰宅すると父も家に帰っていそうな気配がする、でもその瞬間、父はもう二度と家に帰ってこないと気付く…父の死から間もない頃は、悲しいというよりも不思議な感覚だったのを覚えています。

周囲の人たちはこの時、僕への接し方を変えませんでした。それが、僕にとっての一番の拠り所でした。学校へ行けば、みんないつものように笑顔で話しかけてくれるし、冗談も言い合うし、バスケットボールを一緒にする。

あとは、父親が僕に注いでくれた愛情に救われていたと思います。その受け取った愛情は、今も僕の中に残っています。

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ーお父様はどんな存在でしたか。

父親とは喧嘩を時々しましたが、仲直りした後「パパは龍起の味方だよ」といつも言ってくれました。父のこの短い一言が、いつもでも僕を生かしてくれている。父親に会えなくなっても、自分は独りではないと思えるんです。

昔、獣医師に憧れた父は、高校時代には特待生の認定を受けるくらい優秀でした。でも、父方の父親が突然病に倒れると、父は消防士を目指さざるを得なくなりました。

そんな父が消防の専門知識を勉強していた頃に使っていたノートを目にする機会があったんです。父のひた向きな生き方が表れたノートだったので、それまで以上に尊敬するようになりました。努力家の父を思い出すと、僕も「もっと努力しよう」と踏ん張ることができるんです。

ー高校入試に影響はありませんでしたか。

父が亡くなって、勉強へのモチベーションは下がるどころか上がりっぱなしで、受験勉強をとても頑張りました。その一方で、喪失のショックのせいか、いくら時間をかけて机に向き合っても、内容が頭に入らなくなってしまいました…。

第一志望の高校には数点足らず、第二志望の学校へ進学しました。父が亡くなった直後の新生活スタートとなりましたが、高校生活に対してはとても前向きでした。

ところが、入学してしばらくすると、夜寝る前に父親のことを考えて苦しくて眠れない日々が続きました。「消えてしまいたい」「死にたい」と毎晩追い詰められて泣く…ゲームやYouTubeで現実逃避しようと努めたものの、苦しくて仕方なかったです。

自分を変えられるのは自分だけ

ー当時の苦しみが伝わってきます。どのようにして乗り越えられたのでしょうか。

自分に向き合う時間を通して乗り越えられたと思います。高校2年の頃、持病のアトピー性皮膚炎とアレルギーの治療をするために3週間ほど入院することになりました。今思えば、高校入学以来、勉強や部活に追われていた僕はどんどん精神をすり減らしていたと思います。偶然だったのですが、僕が僕自身を取り戻すことができたタイミングです。

ちょうどこの頃、僕は人生が中学時代のように上手くいかなくて、何とか変わりたかったのを覚えています。不満が募っていた理由は、父の死以降、不安定な精神状態を引きずったからか、些細なことで人と衝突することが増えたことでした。高校に入ってからは彼女ができたり、バスケを楽しんだり、順調に高校生活を送れていると思っていたのですが、周りから「負のオーラ」が出ていると言われはじめて…勉強も部活も人間関係も順調だった中学校の時の僕ではなくなったかのようでした。

あとは、当時通っていた高校の教育方針に疑問を感じていました。一方的に教わるのではなく、自ら考えて学ぶ、中学時代の授業スタイルが僕に合っていたのだと思います。

ー入院中はどのように自分と向き合われましたか

僕自身が何を不満に感じるのか・どう在りたいのかを考えたり、情報収集をしました。

入院期間は3週間ほどでしたが、休んで自分を見つめ直す良い機会になりました。高校生活が始まってから休む暇もなかったので、知らないうちに心も体も悲鳴を上げ始めていたのかもしれないです。時間ができたので調べ物をしてみると、東京で活動している団体や、毎日のように開催されているイベントについて知り、参加したくなりました。

それから毎日のように放課後に東京へ行くようになり、あるイベントで横浜市立上永谷中学校の元校長、北見俊則先生にお会いしました。僕より豊富な人生経験をお持ちにも関わらず、若者のような真っ直ぐな探究心と終始楽しそうにされている様子に惹かれました。私自身も1度きりしかない人生だからこそ「一日いちにちを後悔のないように生きよう」と決めました。

ー変化を求めて動いたら、前に進めたのですね。

そうですね。人との出会いが大きく自分を変えました。僕はこの1年で、5,000人くらいの人に会ってきました。

そのうちの1人、先ほどお話しした北見先生の言葉が私の足を動かし、軸を持つきっかけとなりました。北見先生は、志を高く持ち、そのために行動した方が毎日が充実する、という考えを元に「志教育」という教育方針を掲げています。その講演を聴き、自分がやりたいことに存分に時間を使うことのできるN高へ転入することを決めました。

上場企業である株式会社フォーバルの会長・大久保秀夫さんとの出会いも印象に残っています。思いを持っているだけでは自分の理想は形にならない、行動し続けなればいけない、ということを教えていただきました。

ー引っ越しなどを伴わずに高校を転校するという選択は珍しいかと思います。お母さまにはどのように納得してもらいましたか。

「現状を変えたい」という強い執念を持っていたからです。

いくらしたいことがあっても、親を説得する必要はあり、そのためには材料がいります。ブレない目的意識を持っていて、信頼を得られるように、プレゼンテーションで賞を獲得するなど実績を積みました。

目的ある行動の積み重ねが、大きな一歩を踏み出す力となりました。

ーN高の北見先生の影響を受けたというご自身の「志」について教えてください。

僕の志は「世界中の人々が、夜寝る前に明日も楽しみだな、と思える社会を作ること」です。この原点は、やはり父の死にあります。父を亡くしてから毎晩、辛くて死にたくてなかなか眠れず苦しみました。明日もずっとその先も、自分には真っ暗闇にしか見えなかった

からです。同じような思いをしている人たちを救いたいです。

僕がこうして志を言語化することが出来るのは、北見先生が勧めてくださった第2回世界青少年「志」プレゼンテーション大会の選考で出会った方達のお陰です。

応募者200人から10人のファイナリストの1人として選ばれた時、過去にファイナリストに選ばれた方々や外部講師の方にメンタリングをして頂くとても贅沢な機会がありました。

自分の志に対して様々な角度からフィードバックをいただきながら、深く掘り下げていきました。

※ 第2回世界青少年「志」プレゼンテーション大会でのスピーチの様子

ーご自身の志を作ってから生き方は変わりましたか。

 そうですね。実は、志を持つ前は、辛くなったら街で遊び歩いていたこともあったんです。でも、色んな方々との出会いを通して、自分にも「社会貢献できる」「社会貢献したい」という想いが芽生えました。

 最初は僕のビジョンを同世代にバカにされたこともありましたが、少しずつ有言実行を積み重ね、実績を出すと、周りが認めてくれて。経営者の先輩方も、新しいことを吸収したい僕にどんどんチャンスを与えてくれるようになりました。

自分の言葉が自信を育む

ー「Unpacked」のイベントを通して同世代に何を伝えようとしていますか。

生きていると、いつ何が起きるか分からないので、1日1日を自分が在りたい姿で生きて欲しい、と伝えようとしています。

あと、僕は「ありがとう」という言葉に強い思い入れがあり、「もっと人に『ありがとう』って伝えよう」と話すことも多いんです。僕自身がそうであったように、人には「死にたい」や「辛い」と思う時もあると思います。それでおしまいにするのではなく、日常を振り返って、周りの人や自分の境遇に感謝する、そしてそれを伝えると、周りの人だけでなく自分自身も幸せを感じます。「ありがとう」は本当に偉大な言葉ですし、大好きな言葉です。

最近、嬉しいことに、「三橋さんの話を聞きたいです」と連絡をくれる高校生も増えてきました。「話を聞いて励まされました」と言われることも多いですが、実は皆さんにお話することで僕自身が力を貰っているんです。

ー人に何かを伝えるとき、どんなことを意識していますか。

まずは、会場との一体感を大切にしています。僕は準備をするのが好きではありません。事前に話したい要点だけを頭に入れて、あとは会場の空気感や反応を探りながら話を展開します。

また、僕自身の言葉で話すことも意識しています。どんな状況でも、言葉に責任を持つと自信が生まれます。自信を持って対話すれば、必ず相手の心に響くはずです。

先ほどお話ししたプレゼンテーション大会では、他の参加者はスライドを作っていたのを覚えています。もちろん、スライドを使うことはスピーチをする上でとても効果的です。でも、僕はスライドを使わず、言葉で参加者の心に訴えたかったんです。飾らない、等身大の僕自身であるように心がけていました。

ー現状を変えたいけれどなかなか踏み出せないという人が目の前にいたとしたら、どんな言葉を伝えますか。

「まずは、どんなことでも良いので、今日・明日でやりたいことを一つでも始めよう。それを積み重ねていくと、『自分で切り開いた人生』と言えるから」と声をかけたいです。

僕自身を振り返ると、一年前は現状を変えたくても、なかなか思い通りにならずもがき苦しんでいました。色々と挑戦するうちに気付いたのは、小さなことでも続けていけば、振り返ると道ができていること。難しく考えなくて良かったんだなと。もちろん考えることも大切ですが、行動に移すことを疎かにできないです。

ー何かを決断する時に意識することはありますか。

自分で自分の行動を選択する、です。僕も、時には周りに流されることはありますが、最後は自分で決めるようにしています。

それから、物事は良い面も悪い面もあるので、何をするにしても自分で納得することが大事だと思います。例えば、YouTubeを見過ぎると罪悪感を抱く人が多いと思うんです。「自分は良くないことをしてしまった」と。本当にそうでしょうか。YouTubeを1時間見た時、「気分転換することができた」と肯定的に考えても良いです。

ーたくさんの人に会ってきた三橋さんは、人と接する時に何を大事にしていますか。

コミュニケーションにおいて、気持ちを言葉で伝えることはとても重要です。基本的なことですが、先ほど挙げた「ありがとう」と「ごめんなさい」を伝えることは特に大事にしています。

これは過去の僕自身を反面教師にしています。N高に入ってすぐにインターンを始めた時、自分のことばかり考えて行動していました。精神的な辛さを言い訳に、人の親切にお礼を伝えないとか、チャンスを与えて貰ったのに突然消えたりしてしまったんです。あとで深く後悔しました。

ー三橋さんの人生において、お父様の存在は大きいものだと思いますが、どんな姿をこれから見せていきたいですか。

まずは、僕が父に感謝しながら日々生きている姿を見せたいです。父は突然亡くなったので、面と向かって「僕の父親でいてくれてありがとう」と伝えられず、ずっと心残りでした。

それから、僕が死んだ時に父が「龍起は親孝行してくれた」と思ってくれるような生き方をしたいです。父が消防士として日に日に社会に尽くしたように、僕も志に真っ直ぐでありたいと思っています。

ー最後に、将来の夢を教えてください。

今のビジョンは、すでにお話したように「寝る前に明日が楽しみな人を増やす」です。引き続き、イベントなどを通してどんどん形にしていきたいです。今年の秋から「経営者」という立場になりますが、それはあくまで自分がしたいことを成し遂げるための手段に過ぎません。常に、「こういう世界にしたい」という理想像を自分の頭の中で持ち続けたいです。

あとは、「何にでもなれる人」に憧れています。今は教育関係の起業をしてますが、今後はその時々で、僕自身が「おもしろい」と思ったことをして生きていきたいんです。

ありがたいことに、僕の周りには「すごいな。あんな大人になりたい!」と尊敬できる、経営者を含む大人の方がいます。いずれは僕もそんな風に慕われる人間になりたいです。

ー今日はお話をありがとうございました。

取材 : りっちゃま (Twitter)
編集:野里のどか(ブログ/Twitter
デザイン:五十嵐有沙(Twitter
執筆:Yuka(Twitter