様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第132回目のゲストは府中市のまちづくり仕掛け人、関谷昴(せきやすばる)さんです。
現在は府中市に拠点を構え、まちのいろいろな人の視点を大切にしながら働きかけている関谷さんは、現在、5つの肩書きを持って活動しています。パラレルキャリアの中で様々な人によりそい、まちづくりに向き合う関谷さんの半生を伺いました。
5つの顔をもつパラレルワーカー
ー自己紹介をお願いします。
関谷昴と言います。東京都府中市を活動拠点に、5つのコミュニティを横断しながらまちづくりに関わって生活しています。シェアハウス「たまりば!」の運営、東京外国語大学の同窓会「東京外語会」の理事、中高生の学びの場「Co-study space Posse」の運営、まちづくり会社「一般社団法人まちづくり府中」の職員、市民活動やNPOを支援する施設「府中市市民活動センター プラッツ」の職員等を務めています。
ーパラレルなキャリアを歩んでいらっしゃることが分かります。それぞれの立場で活動しながら、「まちを豊かにする」という軸をお持ちなんですね。
まちづくりに関するニーズが暮らしの中にあったとして、それに1つの団体で向き合うのではなく、いろんな団体が携わっていったほうがいいと考えているんです。なぜなら、解決方法は複数分野にまたがるからです。
例えば、最近中国から日本に来日した中学生がいました。日本語はある程度できますが、授業の学習速度に追いつけません。そこで、授業中や放課後にに学習をサポートできる人を探したんです。すると、東京外国語大学で中国語ができる学生が手を挙げてくれました。その学生は中国語を日本で使う機会や中国と関わる活動をしたいと考えていたようで、「これはよいかも…」と思い、お互いのニーズや課題を知る僕が中学校と大学生をつないだんですよね。そのおかげで、子どもの学習をサポートできる環境が実現しました。
でもこれは対症療法で、同じようなニーズがあるのであれば制度を整えないといけません。そういった時に、多文化共生を目指す施設のコーディネーターとして働きかけたり、または市民活動センターのスタッフとして支援をする団体を探したり、という風にすることが出来る。複数のコミュニティを越境することで出来ることがあると思うんです。
多様で複雑な課題を解決するためには、1つの団体や組織に所属しているだけでは難しいことも出てきます。そのニーズに合わせて自分でアプローチできる幅を広げたら、結果的にパラレルワーカーになっていました。
部活が苦しくて、階段から落ちたいほどしんどかった中学生
ーパラレルワーカーとしてまちに住む人に寄り添う関谷さんが、どのような道を歩まれたのか気になります。中学時代のお話を教えてください。
中学生のときは、人生においての暗黒時代でした。バスケ部に所属していたのですが、顧問がなかなかに厳しい先生で、精神的にずっと委縮している日々でした。「学校の階段から落ちてケガをすれば、練習に行かなくて済む…」そんなことを思ってしまうくらい、追い込まれていました。学校が田舎にあり、授業が終わっても部活以外に行く場所は無かったので、逃げ場もなかったんですよね。
ー辛い3年間を過ごされたんですね。高校に進学してからの学生生活は順調だったのでしょうか。
高校は自由な校風の学校でした。「自主自律」を教育理念として掲げていて、自分で決断し、思考し、行動することを重視していました。中学校のせまい環境と比べて、のびのびと挑戦できる環境だったと思います。
ー自分らしくいられる高校時代を過ごし、その後、東京外国語大学へ進学されるんですね。進路はどのように決められましたか。
東京外国語大学は、高校3年間の3人の担任の出身校だったという縁もあり、また、英会話教室で5歳から英語を学習していて英語の言語としての面白さは幼い頃から感じていて、言語が異なる相手が持つ異なる価値観や視点を知りたいという思いがあり、選びました。
ー東京外国語大学に入学して、期待していたように新しい価値観や視点は増えていきましたか。
増えましたね。大学では、人生で初めて出会う人たちに囲まれていました。同じ大学に通う人も、学生団体で一緒になった他大の人も、留学生も、各国で出会った多くの人びとも、1人として同じ考えを持つ人は居ません。そういった1人1人の考えを聞いて行く中で、私の世界観も大きく広がっていったと思います。
ー大学時代はどんな活動をされていたのでしょうか。
いろんな学生団体や課外活動に参加していましたが、なかでもフィリピンで教育支援をする団体では、5年間活動していました。フィリピンと日本を往復し、学校の建設や授業やワークショップの提供を通して、文化や価値観の相互理解を深めました。社員2人とインターン6人のベンチャー企業での海外研修を企画する経験も印象的でした。
自分に嘘偽りのない人生を生きるために、世界一周へ
ー大学時代に、世界一周へも挑戦されたそうですね。
大学1年の時に、世界一周に関するイベントに参加したことがあって、漠然といいなぁと思っていました。でも大学に入るときに、「留学に行く」と言っていた手前、それをひっくり返すのが単純に面倒臭くて、アメリカに留学するんだろうなと半ば勝手に諦めて居ました。
そんなときに、ブルーハーツの楽曲「月の爆撃機」を聞いたのがきっかけで、「これじゃいけないな」と気づいたんです。歌詞の一節に、「ここから一歩も通さない 理屈も法律も通さない 誰の声も届かない 友達も恋人も届かない」とあります。「自分が本当にやりたいことって何だろう。」と、自分に問い直し、他人の意見や期待に左右されず、自分の心に寄り添うようになった結果、世界一周の旅に出ることを決断しました。
ーそして一年間休学して、世界一周をはじめられたんですね。道中での印象的な出来事はありますか。
当時「グローバル人材とは何か?」がわからず、現地で働く日本人を取材して世界37カ国を回っていたんです。その過程で、「グローバル人材」というのは虚像だと気づきました。ローカルがつながりあったものがグローバルなのであり、「グローバル人材」を目指してもそこに具体的なものは何もないんです。大切なのは、目の前の人をしっかりと見て、そのつながりを世界へ広げていく事なんです。
そして僕は、自分の軸足をローカルなまちに置こうと決めました。じっくりを腰を据えてまちを見渡すと、人と人のつながりでまちは成り立っていることがわかります。例えばインドの商店街は、路上からビルに至るまで「人の関連性」が見える。ものを運ぶ配達人が商店街を歩く。いろんな人たちにものを渡して、商人はものを客に販売する。生産者、販売者、生活者の生活が成り立っているんです。まちの成り立ちを、小さな人間生活の連鎖だと考えるとまちづくりは面白いと考えるようになりました。
ーまちの成り立ちが小さな人間生活の連鎖というのは面白い視点ですね。帰国後はどのようにして過ごされたのでしょうか。
自分が見た世界を伝えたかったので、ルポライターになれたらと思い、文章を書く仕事を一年間していました。世界一周での体験を生かし、現地の様子をふんだんに盛り込んだ記事を書いていましたが、自分が心から書きたいと思うものが今はないなと思い、今は一旦やめています。
旅から帰ってきて2ヵ月後には、シェアハウス「たまりば!」をはじめました。フィリピンでは、夜に近所の住民がふらっと酒を持参して集まり、みんなで回し呑みする文化があります。都内ではそのような関係性は少なかったので、みんなが集まる場を作りたいと思っていました。シェアハウスであれば、リスクも少なく、いろんな人がふらっと気軽に立ちよれる場づくりができると考えたんです。
近所にいるそっと話せるお兄ちゃん。まちと多面的に向き合う
ーNPO「府中市市民活動センター プラッツ」との出会いはどのタイミングだったのでしょうか。
世界一周の講演をいろいろなところでやっていたら、東京農工大のまちづくりサークルから声をかけられたことがきっかけで府中のまちに関わるようになりました。旅の中でまちの魅力に気づき、まちの中で活動したいと思っていたので、自然な成り行きで活動が始まっていきました。最初は多世代交流の場づくりのようなことをやっていましたね。そのうちに府中に新しく市民活動センターが出来るということで、職員募集の話を頂き、無事に採用されて今に至ります。
市民活動センターは、地域課題を解決したい、まちをより良くしたいという活動を応援する施設で、市内外の多様な団体と連携しながら活動をしています。今風の言葉でいうと、「ローカルプロジェクト」といわれる物も市民活動の一種かなと思っています。
ー2020年2月に立ち上げた「Co-study space Posse」の活動について教えてください。
「Co-study space Posse」は、中高生の第3の学びの場。中高生が自由に使うことの出来る場で、その中で大学生と話をしたり、一緒に活動をしてみたり、様々な出会いと学びが起こる場です。
立ち上げの背景には、まちのなかに中高生が行ける場所がなかったことがあります。中高生時代は、まちや人との関係性が希薄化する時期です。幼稚園生・小学生は、親と一緒にまちのイベントを訪れることがあっても、中高生となると思春期に突入し、そういった場から足が遠のいてしまう…。学校と塾と家だけが生活を構成している、という子は少なくありません。そこだけだと、出会う大人も限られます。そんな環境で、突然「将来の夢はなにか」「何を学びたいのか」って聞かれてもわかりませんよね。いろんな人と出会う場所があることで、将来を考えるきっかけも増えますし、ふらっと気軽に立ちよれる距離にあれば、安心感にもなります。
ー今後実現したいこと、成し遂げたいことはありますか。
有機的で持続可能な社会をつくりたいと考えています。便利さや効率性だけを追い求めるのではなく、人が居心地よく暮らし、人と人とがつながっていることで問題が随時解決していく世界・社会を作るのが僕の最終的な目標です。この目標を達成するために、小さなことから積み重ねていきたいなと思っています。それが空気を作り、文化になっていきます。人と人が有機的につながり合い、自然に問題が解決されていくまちを作っていきたいなと考えています。
ーまちづくりのプレーヤーとして、今後も活動を続けて行かれるのですね。ありがとうございました!
取材者:西村創一朗(Twitter)
編集者:野里のどか(ブログ/Twitter)
執筆者:津島菜摘(note/Twitter)
デザイナー:五十嵐有沙(Twitter)