人間不信の中学生が子どもの笑顔を引き出すようになるまでープロカメラマン鶴丸寛之介の半生

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第117回目のゲストはの千株式会社でカメラマンとして活躍されている鶴丸寛之介(つるまるかんのすけ)さんです。

現在は、カメラマンという人と深く関わる職業に就かれていますが、中学時代にいじめを経験したことから人とのコミュニケーションが苦手だったという鶴丸さん。人よりも動物が好き、と人生の節目で動物が近くにある暮らしを選ばれてきました。

しかし、モンゴルでのホームステイや、子どもと接するボランティア活動を経て、鶴丸さんの中に変化が芽生えていきます。「人の魅力をもっと引き出したい」と語り、人と目線を合わせて誠実に向き合うカメラマンになるまでの半生をインタビューしました。

仲間外れにされた中学時代 

ー自己紹介をお願いします。

鶴丸寛之介です。千株式会社でカメラマンをしています。保育園や幼稚園を訪れたり、学校行事に同行したりして撮影を行うスクールカメラマンです。子どもの日常生活を写真におさめています。千株式会社は、保育園や幼稚園の子どものコンテンツ撮影業務を行う会社です。2019年度は売上1位を評価され新人賞に選ばれました。さらに、業務効率化改善案が社内で受け入れられ、改善賞を受賞しました。

ー現在は、人と触れ合う仕事につかれている鶴丸さん。しかし、中学時代にはいじめにあっていたそうですね。

そうなんです。野球部に所属していたのですが、日焼けしやすい体質で、肌が黒かったんです。それが原因でいじめにあいました。高校進学した私立高校がマンモス校と呼ばれる規模の大きな学校でした。同じ中学から進学する人が全校を見ても、3、4人ぐらいしかいないので、人間関係を一新できるチャンスかなと思いました。しかし、中学生でうけたいじめを引きずっていたので、コミュニケーションへの苦手意識を強く持っていたんです。

ー学生時代は人付き合いでの苦労が多かったんですね。大学進学はなにを基準に決められましたか?

人間より動物の方が好きだったので、動物関係の進路を考えていました。幼少期から、虫や動物が好きだったんです。人間そのものが嫌いなわけではなくて、うまく意思疎通できない人を苦手だと感じていたんです。動物は人間と言語で対話できませんが、素の自分で接していれば、フラットにコミュニケーションできると感じ、動物を好きになりました。

ーでは、動物関係の学部に進学されたのでしょうか。

大学は自分の行けそうなレベルで、自然・動物系の大学がいいなと思い、鳥取にある公立大学の環境学部を受験しました。キャンパス内の設備が充実する大学で、ヤギを飼っていました。自然と共存する学校の雰囲気が好きだったので、入学を決めました。

「野生の人間」に会うために、モンゴルで遊牧民生活

ーどういったきっかけでモンゴルに行かれたのでしょうか。

自然と共存するキャンパスで学生生活を送り、人間をヒトとして捉え、その状態に近い暮らしを送る方の生活を見たいと思ったんです。動物と共存する遊牧民の存在が僕の頭の中で浮かびました。日本に住むモンゴル人の知人が、現地でずっと遊牧民生活をしている親戚がいるということで、ホームステイの調整をしてくれました。

ー遊牧民の生活というのは、どのようなものなのでしょうか。

僕がホームステイをした家族は、夫婦ふたりの小さなコミュニティでした。白いテントのような「ゲル」と呼ばれる家が遊牧民の住居です。そこで動物を飼育し、物々交換で生活を成り立たせています。お金はほとんど使用しません。

1日の流れを紹介しますね。まず、朝起床したら、ヤギを放牧します。乳牛がゲルの周りに集まってくるため、親牛のお乳を自作の柵の中に入れておいた仔牛に飲ませ、僕らの生活用にも搾ります。それから、自分たちの朝食を作ります。麺やナン、餃子などの小麦粉料理です。

昼前になったらヒツジとヤギの様子を確認します。遠くに行き過ぎていたら、追いかけてゲルの周りに集めます。毎日代わる代わる友達や親戚がゲルを訪れていました。最近の生活や仲間の情報交換をしたり、酒を飲みながら食事をしたりして一緒に時間を過ごします。

夕方になると、親牛のお乳を仔牛に飲ませ、また少し生活用に搾ります。日没前に仔牛を柵の中に入れ、親牛とヒツジとヤギを放牧します。親牛はゲルから距離をとって休息し、ヒツジとヤギはゲルの周辺で寝ていました。日没後に、人間は就寝します。時計がない生活だったので、正確な時間は分かりません。ただ、太陽の動きと動物たちの習慣に合わせて人間が暮らしていました。

ー印象的だったことはありますか?

一緒に生活するヤギを屠殺(とさつ)して、肉を捌いて食べた経験が印象に残っています。。遊牧民も肉を食べるので、ヤギを殺し、その命を頂いているんです。もちろんヤギを無差別に殺してはいけませんが、人間が生きるために殺さなければなりません。生命の尊さを学びました。

馬と子どもとふれあうボランティアスタッフ

ーモンゴルでの経験が鶴丸さんの中に深く刻まれているんですね。大学時代はほかに、どのようなことに取り組まれていましたか。

4年間を通して、青少年活動団体「NPO法人ハーモニィカレッジ」のボランティアスタッフをしていました。子どもが乗馬体験しつつ自然と遊ぶ機会を提供する、「ポニークラブ」を運営する団体です。遠方や地域の子どもを呼んでキャンプをしていました。夏休みや冬休みの長期休暇は、30〜40人という大勢の子どもが参加することも。子どもは感情に素直で、とても可愛い存在です。

ー子どもたちと接するときに大事にしていたことはありますか。

子どもと同じ目線でいることです。しゃべりかける時は目をしっかり見てお話ができるように、しゃがみます。僕の方が年を重ねているからと言って、「これはこうだよ」となにかを教えません。子どもにとって、「体が大きいだけのよく話せる友達」みたいな感覚でした。

ー特に印象的なエピソードはありますでしょうか。

僕がまだ1年生だった頃に、僕に似た子どもがポニークラブにやってきたんです。初めて会ったときは馬しか見てない子でした。しかし、施設の職員やボランティアスタッフ、同い年の子どもと関わるうちに、その子の表情が変わったんです。参加を初めて4年目には、小さい子どもをまとめるような、頼りになるお姉ちゃん的存在に成長していました。その成長を見れたことはとても嬉しかったですね。

ー人間不信だった鶴丸さんも、人と触れ合うことの喜びを覚えていったんですね。

僕と同じように、ポニークラブには大学生ボランティアが集まっていました。それまで人間への不信感を拭えずにいましたが…そこで出会った同年代の仲間とは、心からの言葉を交わすことができたんです。決して、表面的な関係だけではありませんでした。そういった交流を通じて、腹を割って話し合える人もいて、そういう人に出会うことができるんだと気づけたんです

好きなものを仕事にしたい、たどり着いたのはカメラでした

ーカメラはいつ始められたんですか。

大学1年生の冬に一眼レフカメラを買いました。山や森の中で子どもが馬と遊ぶ様子はとても画になるので、よく写真を撮っていました。団体の職員に見せたら「すごくいい写真だね」と好評で。さらに、「今度広告出すから、この写真を使わせてよ」と提案してもらえました。ポニークラブを紹介するチラシに、僕の写真が起用されたんです。

ーその頃から才能を発揮されていたんですね。最初は趣味だったかと思いますが、それを仕事にしようと思ったのはどうしてですか。

ボランティアで出会った仲間たちと、働く意味について一緒に考えていたことがあったんです。そのときに、「好きなことなら頑張れるなあ」と感じました。「じゃあ、自分の好きなことはなんだろう?」と自問自答して浮かんだのがカメラだったんです。実際の就職活動では、製造業や金融業も候補に入れて動いてはいましたが、結局、写真の仕事に心惹かれていることが無視できずに、いまの会社にエントリーしました。

ー会社のカメラマンとして確かな実績も残されていますが、今後はどのように成長を描いていきたいですか。

もっと人の魅力を引き出せるようになりたいと思っています。いまはその手段がカメラですが、インタビューや動画に挑戦することもいいですね。幅広い方法を用いて、多角的にその人の良さにアプローチできる人に成長していきます!

ー素敵なお話をありがとうございました!

取材、編集者:野里和花(ブログ/Twitter
執筆者:津島菜摘(note/Twitter
デザイナー:五十嵐有沙(Twitter