行政保健師からスタートアップへ転職した石川綾海が抱く、人々の健康に対する熱い想い。その原動力とは

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第116回目のゲストは株式会社OKANでカスタマーサクセスを務める石川綾海さんです。

もともと公務員として保健師の仕事をしていた石川さん。しかし、1年でスタートアップ企業へ転職します。一見、全く異なるキャリアを歩んているように見えますが、その選択の背景には強烈な原体験があったと言います。何が彼女を突き動かしているのでしょうか。笑顔の裏に潜む、これまでの経験と想いに迫ります。

公務員からスタートアップの世界へ

 ー本日はよろしくお願いします。まずは石川さんの現在の仕事について教えて下さい。

現在、株式会社OKANで働いています。OKANは「働く人のライフスタイルを豊かにする」をミッションに掲げ、働きたい人が働きつづけられる社会の実現を目指す会社です。そのメイン事業である「オフィスおかん」のカスタマーサクセスサクセス(以下、CS)を務めています。

オフィスおかんは食生活の支援を通して、働く人と企業に起こる問題の解決を目的として多くの企業に利用されています。CSとしてオフィスおかんを利用される企業の方々に「いかにサービスを活用して満足してもらえるか」を日々考えています。

ー現在はビジネス職として働いていますが、前職では行政保健師だったと伺っています。どんなお仕事をされていましたか。

おそらく行政保健師が何をしているか知らない方もいると思います。公務員として、保健所や地域の保健センターに勤め、住民の方の健康維持・増進、健康に関する相談や支援を行います。

あまり知られていないのですが、行政保健師は公務員試験に合格する必要があり、さらに看護師と保健師の国家資格を持たないと働けません。

私は高齢者の担当として、アルコール依存症や重度の糖尿病、末期がんなど、健康に問題を抱えている方の支援をしていました。また、介護予防などの事業運営に携わることもありましたね。保健師の仕事に誇りを持ちつつも1年間従事したのちに現職へ転職しました。

ーとても思い切った転職をされたのですね。現在、前職とは全く異なる仕事をされているのは、ご自身の中で何か大きな価値観の変化があったからなのでしょうか?

よく聞かれるのですが、実は私の中では価値観の変化はありません。自分のミッションを実現するために最善の選択が何かを考えて転職することにした、という感覚に近いんです。

私がそのミッションを持つようになった背景として、学生時代の原体験が強く影響しているので、そのお話を少しさせていただきますね。

拒食症の経験が、生きる原動力に

ー行政保健師からスタートアップ企業への転職の背景には、学生時代の原体験があるんですね。どのような生活を送っていたのですか?

中学時代は柔道に励んでいて、とても充実した日々を過ごしていました。しかし、高校時代に状況はがらりと変わりました。

親の転勤の関係で中学3年生の秋に札幌から横浜へ引っ越しました。田舎から都会へと環境が変わったり、キラキラしている女子高生と自分を比較してしまい「痩せたい!」と思う気持ちからダイエットに走りました。また、友人関係の悩みも重なり、拒食症になりました。毎日、減っていく体重を見ては、もっと痩せなくてはと思い…。体重は15kg以上も落ちてしまいましたね。

ついに「自分なんて生きる意味はない。死にたい」とさえ思っていました。生きるのってこんなにも大変なことなのかと精神的に辛い状況が続いていたんです。

しかし、家族や友人、看護師さん。たくさんの人の支えがあり「生きたい」と思う気持ちが芽生えました。その支えがなければ、正直どうなっていたのだろうかと思います。

回復していく過程で、こんな自分だけど、生きられたからこそ「貢献して生きたい」「死ぬなら、誰かしらに良い影響を与えて死にたい」と強く思いました。死を覚悟した経験こそが、今の自分の原動力となっています。

ーそんな辛い原体験が、今の石川さんをつくっているんですね。その経験は、その後の進路に何か影響を与えたのでしょうか。

そうですね。もともと小学生の頃から国境なき医師団に憧れを持っていたので、将来的には医師か看護師として働きたいと思っていました。それに加えて、拒食症の一番辛いときに看護師さんが心の支えになってくれたので「自分も同じように誰かの支えにないたい」と思い、看護大学へ進学しました。

アフリカでの経験が人生を変えた

ーもともと看護師を目指していたようですが、なぜ行政保健師を目指すことになったのですか?

国境なき医師団への憧れもあり、漠然と海外で活躍したい思いがありました。大学時代にはすっかり体調も回復したので、ひたすら海外を飛び回っていたんです。

そんな中で、大学3年生のときに東アフリカのウガンダで青年海外協力隊の活動に同行しました。実際に現地の病院を視察してみると、とても悲惨な環境で…。病院なのに、ここで適切な治療が受けられるの…?と衝撃的な光景でした。

その経験から、看護師として治療に携わったり、病院の環境をよくすることも大事だけれど、そもそも病気にならないように予防することが大切だと思うようになりました。もともとは看護師を目指していましたが、人々の病気の予防、健康維持・増進に関わりたい思いが強くなり、保健師として働くことを決意しました。

ー拒食症の経験や青年海外協力隊の活動同行が原体験となり、「病気の予防に携わりたい」というご自身の確固たるミッションが形成されたのですね。行政保健師からスタートアップ企業への転職のきっかけには、何か葛藤があったのではないでしょうか。

ありましたね。行政保健師として働く中で、病気になったことを後悔する方々に出会ってきました。どうしたら歳を重ねても人々が健康でいられるのだろうか、と考えた時に若い世代や働く人に対して病気の予防、健康へのアプローチが必要ではないかと考えました。

それが実現できるよう、変化を起こせれば良かったのですが…。公務員という立場上、何かを変えるためには相当な覚悟と時間が必要になります。変化を起こしたいと思う一方で、それを実現することの難しさ、葛藤がありましたね。

人々の「自分らしく健康に生きる」を実現させる

ー「働く人のライフスタイルを豊かにする」を掲げるOKANへ転職され、ご自身の実現したいことに近づいていると感じていますか?

近づいている感覚はあります。働く世代に価値を提供することを通して、人々が健康であり続ける社会を実現するために、日々仕事に励んでいます。

例えば、オフィスおかんを利用される従業員の方が健康に興味を持っていただけるような読み物を作成するなど、少しでも自身の健康や食生活に気をつかってくれる人が増えるような働かきかけをしています。また、食育セミナーを実施したことで食意識の変容を促すことができた事例もあります。

しかし、私たちのサービスが満足して活用されない限りは継続的な価値を提供することが難しくなってしまうので、現在は従業員の方がサービスをより活用していただけるような基盤づくりに注力しています。

ー思い切った転職が、石川さんにとってミッション実現のための最善の選択であったことが感じられます。今後の目標を教えてください!

オフィスおかんをきっかけに、従業員の方が「食事をはじめ、自身の健康に気をつかうようになりました」という事例を増やしていきたいです。その結果として、従業員の方の健康に改善が見られ、病気による望まない離職を減らすことができれば、働く人が生き生きと働ける社会の実現に近づけるのではないかと考えています。

また、個人的に成し遂げたいこととしては、保健師の抱える課題解決にも貢献したいです。人々が健康であり続ける社会をつくるためには行政をはじめ、保健師の活躍は欠かせないと思っています。ビジネス職として培った経験を保健師として働く方々や現場に還元していきたいです。

ーこれからの活躍が楽しみですね。本日はありがとうございました!

取材:西村創一朗
デザイン:五十嵐有沙
執筆:下出翔太